リレーエッセイ

第38回 - 2001.03.01/03.10更新

「来日ロシア人研究会」のこと


――『異郷に生きる――来日ロシア人の足跡』刊行に寄せて――

沢田和彦

 白倉克文氏からバトンを引き継ぎました。

 氏のエッセイを読んで思ったのは、ゴールドスミスの『ウェイクフィールドの牧師』が『家庭教育 園之咲分』と題して泰東居士(植木貞次郎)によって訳出、刊行されたのが1889年、即ちツルゲーネフ作、二葉亭四迷訳「あひゞき」の発表の翌年という早い時期であること、そして白倉氏が荻村段山訳と対比されたジュコフスキーの翻訳を、二葉亭が理想としていたことです。二葉亭はあの有名な談話筆記「余が翻訳の標準」のなかで、ジュコフスキーが「多くは原文を全く崩して、自分勝手の詩形とし、唯だ意味だけを譯してゐる」にもかかわらず、「原詩よりも譯の方が、趣味も詩想もよく分る」、だが自分には筆力がないので、「コンマ、ピリオドの一つをも濫りに棄てず、原文にコンマが三つ、ピリオドが一つあれば、譯文にも亦ピリオドが一つ、コンマが三つという風にして、原文の調子を移さうとした。」と述べています。

国際会議「日露文化交流 1868〜1926」(1991年)
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 このような二葉亭の仕事を初めとする日本とロシアの文化交流の跡を多様な視点から調査、研究することを目的として、1978年に中村喜和(当時一橋大学教授、現共立女子大学教授)、安井亮平(当時早稲田大学教授、現同大学名誉教授)両氏の呼びかけによって、「『ロシアと日本』研究会」が発足しました。この研究会はその後論文集『ロシアと日本』第1−3集(1987、1990、1992年)を公刊しました(第1集はナウカ書店から復刻版が出ています)。また1991年にはアメリカのケナン高等ロシア研究所等との共催で、アメリカ、ソ連(当時)、日本の研究者の参加を得て、札幌で国際会議「日露文化交流 1868〜1926」を開催しました。その成果は、日本国内では中村喜和、トマス・ライマー編『国際討論 ロシア文化と日本 明治・大正期の文化交流』(彩流社、1995年)、アメリカでは J. Thomas Rimer (ed.). A Hidden Fire: Russian and Japanese Cultural Encounters, 1868 - 1926. Stanford University Press and Woodrow Wilson Center Press, 1995. として刊行されました。

 その後1995年12月に私たちは日本各地の在野の研究者やロシア人研究者とともに「来日ロシア人研究会」を組織しました。先の研究会とこの研究会をつなぐものは、日露の人物交流の歴史への強い関心です。軋轢に満ちた長い関係の歴史を有する両国が真の相互理解に至る道は、人と人との地味な交わりの歴史をひもとくことによってこそ開かれうる、という考えがそこにあります。「来日ロシア人研究会」は1917年のロシア革命後に日本に移り住んだ、あるいは一時的に日本に滞在した亡命ロシア人(スラブ人一般をも含む)の文化活動を主たる対象としています。日本に長期間滞在したロシア文化人や満州(中国東北部)の白系ロシア人もその対象とします。研究会の代表者は長縄光男氏(横浜国立大学)、事務局は筆者が担当してきました(2001年4月からは、それぞれ中村喜和、長與進(早稲田大学)の両氏に代わります)。1997年度から4年間は、研究会の中心メンバーたちが「日本における亡命ロシア人の文化活動に関する総合的研究」という研究課題で文部省科学研究費補助金を得ることができ、会の活動は一段と活況を呈することとなりました。

 来日ロシア人のなかではバレエのパーヴロワとサファイア、バイオリンの小野アンナ、絵画のブブノワ、チョコレート製造のモロゾフ、野球のスタルヒンなどが有名ですが、これらは来日ロシア人のほんの一握りの人々で、かつて日本全国に居住した彼らの大部分の名前や生活の実態は明らかになっていません。またその多くが早々と北米大陸、満州、オーストラリア等へと去って行きました。日本文化に及ぼした彼らの影響は少なくないにもかかわらず、これまでその精確な調査が行われないまま、これらロシア人やその関係者の高齢化とともに彼らの事跡は歴史の闇に消え去りつつあります。

 従って私たちの研究会にとって何よりの急務は、亡命初期の事情を知る生存者を探し出し、その体験を聞き出すと同時に、彼らの人脈をたどることによって、亡命者に関する情報の幅を広げることでした。そして彼らが文学や思想、芸術等の分野のみならず、日常生活の次元においてもわが国にいかなる痕跡をとどめているかを調査することにしました。その過程で判明したことは、これが思いの外に深みと広がりとをもった仕事だということです。これまで会でお話しいただいた日本在住亡命ロシア人はのべ12名、そのうち3名が既に亡くなられました。またこれと並行して会員や日本滞在中の外国人研究者が報告を行っています。研究会はほぼ2か月に一度のペースで、2001年3月までに早稲田大学で計30回に及ぶ例会を開きました。また東京都八王子市の大学セミナーハウスで研究合宿も2回行いました。これまでの内容は次のとおりです(敬称略)。

第1回 : 1995年12月9日(土)
 「L. I. チュグーエフスキイ氏(ペテルブルグ東洋学研究所)の話を聞く」(ロシア語)

第2回 : 1996年2月3日(土)
 中村喜和(以下、敬称略)「資料紹介 日本における白系ロシア人」
 E. B. サーブリナ「M. グリゴーリエフについて」
 V. I. ハルラーモフ(ロシア国立図書館)「ロシアにおけるロシア人亡命の研究の諸問題」(ロシア語)

第3回 : 4月6日(土)
 「V. I. スコロホード氏の話を聞く」(ロシア語)
 沢田和彦「女優スラーヴィナ母娘について」

第4回 : 6月8日(土)
 滝波秀子「A. ワノフスキーについて」
 「エヴゲーニイ・アクショーノフ氏(インターナショナル・クリニック)の話を聞く」

第5回 : 7月13日(土)
 ピョートル・ポダルコ「日本における亡命ロシア人の企業家をめぐって−モロゾフ、ゴンチャロフを中心に−」
 中村喜和・沢田和彦「亡命ロシア人に関する最近の研究動向」

第6回 : 9月28日(土)
 E. シュテイネル「米国のアルヒーフ所蔵の日本在住亡命ロシア人関係資料」(ロシア語)
 左近毅「エリアーナ・パヴロヴァ」
 小山内道子「ハルビン訪問記」

第7回 : 12月7日(土)
 倉田有佳「モスクワにある来日亡命ロシア人関係資料」
 長縄光男「ヴェセロヴゾーロワさんのこと」

第8回 : 1997年2月8日(土)
 「橋本晋一氏(セコム)の話を聞く」
 安井亮平「スフミのブブノワさん−ブブノワさんとミチューリン夫人−」

第9回 : 4月5日(土)
 横浜の外人墓地訪問。ガイド役はE. シュテイネル。

第10回 : 6月7日(土)
 倉田有佳「在日ロシア人亡命者社会における学校建設運動と東京のロシア人学校(1920年−太平洋戦争前夜)」
 桧山真一「N. マトヴェーエフの書簡14通」

第11回 : 7月19日(土)
 小山内道子「リージィア・パーヴロヴナの数奇なる人生」
 石垣香津「ヴェセロヴゾーロワ・リージィア・パーヴロヴナさんのこと−第7回長縄氏報告を引き継いで」
 松村都「ルースキー・ハルビン」

第12回 : 10月11日(土)
 滝波秀子「ノヴォシビルスクのベロウーソワさんを訪ねて」
 桧山真一「日本学者アンドレイ・鈴平留人のこと」
 尾田泰彦(正教文化研究会)「昭和初期の『正教時報』にある白系ロシア人の動向について」

第13回 : 12月6日(土)
 左近毅「オーストラリアにおけるロシア研究の現状」、「ハルビン工業大学の周辺」
 ピョートル・ポダルコ「ドミートリイ・アブリコーソフの回想録から観た大正・昭和初期の日本」
 倉田有佳「ウラヂヴォストーク国際会議報告」、「滝波秀子さんと出かけた聞き取り調査 : 名古屋/神戸」

第14回 : 1998年2月7日(土)
 「ヨシフ・ミハイロヴィチ・ベーシェル氏の話を聞く」(ロシア語)
 清水恵「南樺太の残留ロシア人たち−函館との関係を中心に−」

第15回 : 4月4日(土)
 黒崎裕康「ロシアが築いたХарбин−目で見る草創期−」
 長縄光男「ニコライ堂の復興をめぐって」

第16回 : 5月30日(土)
 E. M. ヂヤーコノワ(ロシア国立人文大学)「ロシア・シンボリズム詩における日本のモチーフ」(ロシア語)
 中村喜和「ピリニャークと日本 I 」
 石垣香津「ピリニャークと日本 II 」

第17回 : 7月25日(土)
 「コンスタンチン・ミハイロヴィチ・トルシチョーフ氏の話を聞く」
 桧山真一「セルゲイ・キターエフはどこへ行ったか?」
 エレオノーラ・サーブリナ「ロシアから来た巡礼者」

シドニーのロシア語誌『オーストラリアーダ』編集部訪問(1998年)前列左より筆者、中村喜和氏夫妻
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第18回 : 9月26日(土)
 左近毅、中村喜和、沢田和彦「オーストラリア会議(7月7−10日、於メルボルン大学)報告」
 「エヴゲーニイ・アクショーノフ氏の話を聞く」

第19回 : 11月21日(土)
 梶雅範(東京工大)「化学者メンデレーエフの息子と明治日本」
 安井亮平「ブブノワさんについて二、三−アファナーシエワさんから聞いたことなど−」
 ナターリア・マクシーモワ「レニングラードのブブノワさんの思い出」(ロシア語)

第20回 : 1999年1月30日(土)
 ワヂム・シローコフ(千葉大大学院)「ガーリン・ミハイロフスキーの観た日本」  小山内道子「ヴィクトル・ポロセヴィッチの『異国流亡』に見る来日白系ロシア人の系譜と運命」

合宿
3月28日(日)
 松村都「ハルビンの文筆家たち」
 笠間啓治「ゾルゲの日本情報の評価をめぐって−ゾルゲ研究の諸問題(2)」
 外川継男「N. ストルーヴェ『亡命ロシアの70年 − 1919−1989 −』(パリ、1996)の紹介」
3月29日(月)
 長縄光男「ニコライ堂復興後のセルギイ府主教」
 沢田和彦「亡命ロシア人によるプーシキン没後100年祭−1937年、東京−」
 清水恵「函館の白系ロシア人の諸相」
 小山内道子「札幌の白系ロシア人模様−1930年代を中心に−」
 倉田有佳「在神戸亡命ロシア人社会」
 ピョートル・ポダルコ「来日した露帝国の外交官について」
 安井亮平「ブブノワさんとロシアの文学者たち」
 左近毅「オリガ・サファイアの周辺」
3月30日(火)
 石垣香津「華麗なる指揮者スタウロスキー」
 桧山真一「アンナ・シュワルツマンの近畿地方行脚」
 中村喜和「日本におけるロシア文化の受容」

第21回 : 6月5日(土)
 P. K. クラフチェンコ(駐日ベラルーシ大使)「初代駐日ロシア領事ゴシケーヴィチの日本における活動」(ロシア語)
 Yu. D. ミハイロワ(広島市立大学)「広島における亡命ロシア人」
 E. N. アクショーノフ「ピアニスト、パーヴェル・ヴィノグラードフについて」

第22回 : 7月24日(土)
 高尾千津子(早稲田大学)「戦間期のソビエトユダヤ人と日本−ビロビジャン・ハルビン・東京」
 ロシア訪問報告
   1. 中村喜和「ロシア科学アカデミーの会議に出席して」
   2. 安井亮平「チモニハの夏」
   3. 沢田和彦「プーシキン生誕200周年記念国際会議に参加して」

第23回 : 10月2日(土)
 長縄光男「ニューヨークのロシア人」
 桧山真一「ドミートリイ・チハイの足跡を求めて」

第24回 : 12月11日(土)
 デーヴィド・ウルフ(東京大学東洋文化研究所客員研究員)「ハルビンのディアスポラ 1914−1932年」(英語)
 「アレクセイ・アンドレーエヴィチ・ベリャーエフ氏の話を聞く」
 清水恵「シュウエツ家のたどってきた道−ウクライナから日本へ」

第25回 : 2000年2月5日(土)
 沢田和彦「加美長美津枝さんを訪ねて」
 「リュボーフィ・セミョーノヴナ・シュウエツさんの話を聞く」

第26回 : 3月25日(土)
 中村喜和氏が1999年度のロシア科学アカデミー・ロモノーソフ記念金メダルを受賞し、アカデミー会員に推挙されたのにともない、その会員証書伝達式を研究会の場で執り行った。
 【第一部 ロシア科学アカデミー会員証書伝達式及び研究会】
  時間 : 午後2−4時
  場所 : 一橋大学佐野書院
   (1) 開会の挨拶   長縄光男
   (2) 会員証書伝達式
   (3) 記念講演
       E. P. チェールィシェフ(ロシア科学アカデミー言語・文学部門幹部会員)「世界文化におけるロシアのイメージ」(ロシア語)
       中村喜和「挨拶」
   (4) 研究発表
       E. M. ヂヤーコノワ「銀の時代のロシア文化における「ジャポニスム」(19世紀末−20世紀初頭)」(ロシア語)
       沢田和彦「「『来日ロシア人(1917−1945年)』書誌 図書編」を作成して」
 【第二部 岸本 力 リサイタル】
  時間 : 午後4時半−5時半
  場所 : 一橋大学職員集会所
        出演  岸本 力(バス歌手)
 【第三部 祝賀会】
  時間 : 午後6−8時
  場所 : レストラン「ヴィラ Villa」

第27回 : 6月3日(土)
 K. E. ゲニーゼ(ロシア科学アカデミー電気工学研究所)「船舶技師V. P. コスチェンコの生涯における日本の痕跡」(ロシア語)
 ピョートル・ポダルコ「P. ヴァスケーヴィチの生涯」
 小山内道子「ピアニスト、P. ヴィノグラードフの生涯−『手記』に依って−」

第28回 : 7月29日(土)
 ワシーリイ・モロジャコフ(東京大学大学院)「在外ロシア詩人の作品に表れた日本のイメージ」
 リュドミーラ・ホロドヴィチ(ブルガリア・ソフィヤ国立総合大学)「来日しなかった日本学者」
 エヴゲーニイ・アクショーノフ「ポクロフスキイ氏父子について」

合宿
8月31日(木)
 長與進「ミラン・ラスチスラウ・シチェファーニクの日本滞在再考」
 沢田和彦「日本で出たロシア語定期刊行物のリスト作成作業」
 安井亮平「この夏ロシアで会った人々」
9月1日(金)
 桧山真一「N. ネフスキイのもう一人の娘」
 石垣香津「セルゲイ・キターエフについて」
 長縄光男「長春・ハルビン・黒河・ブラゴヴェシチェンスク−帰国報告」
 倉田有佳「元山でのロシア人避難民」
 滝波秀子「ヤンコーフスキー一家」
 松村都「НА СОПКАХ МАНЬЧЖУРИИ紙(創刊号−72号)に掲載された日本関連記事について」
 中村喜和「ある来日旧教徒の軌跡」
 ピョートル・ポダルコ「来日白系ロシア人の『第三波』−セルゲイ・タラーセンコについて−」

第29回 : 12月2日(土)
 沢田和彦「ハワイ調査旅行報告」
 岩月慎二郎「ワノフスキイの思い出」
 中村喜和「谷崎文学における白系ロシア人」

第30回 : 2001年2月3日(土)
 米重文樹(東京大学)「フセヴォロド・イワノフと日本」
 清水俊行「宣教師セルギイ・ストラゴローツキイの見た日本」
 E. B. サーブリナ「2000年の日本正教会」

例会の後レストランで(1998年)
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 また「来日ロシア人研究会」は、1998年4月から会報『異郷(Вторая родина)』を発行しています。各号12頁から32頁の分量で、2001年3月までに計10号を発行しました。

 以上のような私たちの研究成果の一端として、この度成文社から論文集『異郷に生きる――来日ロシア人の足跡』を刊行することになりました。これは前記3冊の論文集『ロシアと日本』の続編でもあります。このサイトの紹介にありますように、全部で17本、日本の文学・文化に及ぼした白系ロシア人の影響、サハリンや北海道でのロシア人の活動、日本に滞在したロシア人やスロヴァキア人の事跡、朝鮮半島や満州での亡命ロシア人の動向、日本正教会を育て上げたロシア人の奮闘ぶりなどが熱く語られています。一般読者を念頭に、研究会の会員たちが新たに書き下ろしたものです。『異郷に生きる』が多くの方々の目に止まり、新たな情報収集の契機ともなれば幸いです。

 「来日ロシア人研究会」はきわめてオープンな性格のもので、毎回日本全国からさまざまな職業、年齢の日本人やロシア人、その他の外国人が約30名参加しています。一度でも参加した方は会員と見なされます。会費は不要。次回の例会は、2001年4月7日(土)午後2−6時に早稲田大学西早稲田(本部)キャンパス3号館2階第一会議室で開きます。お気軽にお越しください。


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