「バイコフと虎」

第3回 - 1998.06.18
バイコフと共に帰ってきたアムール虎

左近毅

     咆哮する森

 強い犬は、めったやたらに吠えない。虎もしかりで、この猛獣の棲息地帯でも咆哮を耳にするのは稀である。ただし例外は交尾期で、この時ばかりはネコ科特有のうなり声が雄虎の口から洩れて森を揺るがす。雄虎同士の闘いには、また別のややライオンに似た咆哮を発して威嚇しあう。人間もしかりで、国会論議などが例証するように、「口論に際しては、大声をあげた者が勝ち」というではないか。だが、虎の咆哮を文字で表現するのは至難の技であり、ご自分で試聴するにしくはない。これは、かの声帯模写の名人江戸家猫八とて音声学的に再現できまい。げに俳風柳樽にあるとおり、「虎の鳴き声を聞かれて儒者こまり」である。それほどに、微妙なニュアンスをはらんだ音声学的自己顕示なのだ。満天に星を頂き、森々と更けゆく一月の老爺嶺のタイガ密林。そうした夜半には、時おり虎のデュエットやトリオが聴ける。交互に交わされる数頭の虎の雄叫びは、澄んだ大気にビブラートし、暗夜をするどく突いて密生する梢に吸い込まれては消える。ふつう、虎の掛け合いオペラは能楽的序破急のテンポで展開される。初めは哀調をこめて、伸ばし気味に長吟する。次に、三回か四回続けざまにテンポを速めて嘯き吠えるのである。時には、喉奥の低い「アウオーン」という咆哮も登場する。キャッツ・フードしか見向きもしない堕落した都会風の元禄猫には望むべくもないが、野生を温存した猫は獲物に飛びかかる際に威嚇音を発する。あれを聞いたことのある人には、理解が容易い。獲物ござんなれ!の時、威嚇する時、怒り心頭に達した時、いずれの虎も喉にかかるしわがれた声を威嚇の手段に常用しているのだ。

 虎の声道の解剖学的構造はいざ知らず、ヒトと話す類人猿カンジ同様、虎の咆哮は交信の手段であって、虎同士には特定の意味づけをもつことは当然であろう。それが、人間に与える印象となると、これまた別の話になる。騒がしい都会の雑踏のはざまに位置する動物園の、昼間のざわめきと混雑を背景に虎が吠えたとしても、人間にはさほど感興をおよぼさないだろう。深夜の密林の静寂を破って伝わるエコー効果のなかで、突如として発する咆哮の凄まじさは人間を心底から震えあがらせるに相違ない。太鼓やドラムという楽器は、単調かつ原始的でありながら、心臓とか脈拍のように本源的な響きとリズムをはらんでいる。バイコフは虎の吠え声の特徴をグルホーイという形容詞をつけて、くりかえし明示しようとした。大太鼓も同じだ。グルホーイとは、重々しい陰にこもった響きであり、遠雷とか象がたてる地響きを連想させる。これにもう一つ、虎の咆哮が加わるわけだ。満州地方の中国人が虎に神性を賦与したには、れっきとした理由がある。寒夜の月に吠える群狼の吠え声は、怯えをもたらすに足る不気味さがある。しかし同じ怯えを虎の咆哮がもたらすとしても、人間への心理的効果としてそこに加わってくるのは「畏怖」である。虎が霊的存在として畏れ崇められるに至った背景には、あの催眠効果を湛えた深遠なまなざしはもとより、こうした音声学的効果のあった点も無視できまい。

     吠えついた人間と人身御供

 人間、とくに男性には時に吠えたてたり嘯いたりする輩がいる。ここでの例は、そうした事柄とはやや趣きを異にする。ロシアで、虎の処遇をめぐって人間が人間に吠えついたというエピソードで、それを紹介するとしよう。話は、長野における冬季オリンピックに関係している。

 野生のアムール虎は、ペレストロイカとソ連崩壊以後ますます減っている。現在推定される棲息頭数は四〇〇頭あまりで、その数を維持するのさえ難しい。最大の理由は密猟の横行でこれを防止できないのだ。古来、虎は秘薬の供給源および美しい毛皮のために、人間どもに狙われ続けてきた。バイコフの時代には、中国人の猟師たちは勇気と大胆がのり移ると信じて、虎の心臓を食べたという。昨今密猟された虎の毛皮は、一枚あたり一万二〇〇〇ドルの高値で中国人に売り渡されているという。さて、事の発端はウラヂオストックに始まる。冬季オリンピックに出席したベラルーシのルカシェンコ大統領は、帰路沿海州のウラヂオストックに立ち寄った。沿海州での、政治的最高実力者といえば、日本でも比較的よく知られたエヴゲーニー・ナズラチェンコ氏であり、二人は旧ソ連共産党時代からの刎頸(ふんけいと読む。日本の無教養な政治屋が好んで使うターム)の友である。二人が旧交を温めたところまでは事なきを得たが、その後がいけなかった。現代のナポレオンを自負するナズラチェンコは、別れ際にプレゼントとして虎の毛皮を贈ったのだ。その記事が『ウラヂオストック』紙に掲載されるや、騒ぎがまき起こった。同地で「トラ保護運動」の連盟を組織しているシチェーチニン氏がまず抗議の声をあげ、環境運動グループのみならず絶滅を避ける方策を模索中の行政当局まで怒らせてしまったのである。なによりも問題なのは、生息地が沿海州内であろうと、国際法によって虎の捕獲と売買が禁止されていることであり、だからこそ密猟者は厳罰の対象となっているわけだ。そこへもってきて、司法をもつかさどる最高の責任者が違反行為を働いたのだから、騒ぎは必要以上に波紋を広げてしまった。

 この事件は、たしかに象徴的な意味を持っている。旧ソ連共産党時代の独断的手法と秘密主義がナズラチェンコにおいても露呈されたのだから。亡霊は生きている。調べるうちに、色々な背景までも明らかとなった。昨年暮れ、二名の密猟者がひそかにおおやけの許可と権限を与えられて虎を仕留めたというのだ。彼が、例外的強権を極秘裡に発動したことになる。ルカシェンコも、ゴリ押しと強権をちらつかせる体質の政治支配者であり、ヒトラーとスターリンを崇拝すると公言して憚らない人物である。新聞人の言論に制約をくわえた経歴もある。ごく最近も、ある青年が投獄された。判決理由は、反ルカシェンコの文句をジェルジンスキー像にスプレーで描いたためだ。もっと胡散臭い話もある。旧ソ連時代に、二人名義で広大な私有地を極東地方に持っていたというものだが、真偽のほどは分からない。「虎死して皮を残す」などと笑って済ませられるのは政治家、おっとどっこい「そうは虎の皮」と諫める側が市民というのだから、立場は逆転している。

     夜行性となったヒトと昼行性となった虎

 人間界では、泥酔者やひどい酔っぱらいをトラと異称している。もちろん、元来は夜行性である。ところが昨今、トラに限らず夜間に出没・行動する人種が急増している。クルマは走りっぱなし、深夜になっても姿を隠さない。もっとも昼夜の別なく、汗水垂らして働いている人間もかたや存在するのはもちろんだ。それにしても、光文化と装置化された照明器具によって演出され支えられた夜の都会の賑わいは、もはや異常の域に達している。そして、その結果はどうか。慢性的睡眠不足。おおむね昼間の生活を基本型としている社会の活動時間帯に、ところきらわず睡魔が襲ってくる。あらゆる活動分野で、無数の寡睡眠症候群を生み出しているのだ。電車に乗れば老若男女を問わず、ほとんどがなりふり構わず眠りをむさぼっている。政治意識の眠り込みとアパシーの蔓延が語られて久しいが、いまや言葉の本当の意味での嗜眠状態の恒常化である。

 その話はさておき、虎を忘れてはしまってはいけない。動物園で虎が昼寝(?)している光景を、だれもが一度は記憶の底にとどめてはいないだろうか。以前新聞で読んだ実話がある。入園料を払って入ったのに、そっぽを向いて寝ているとはケシカランと、虎に石を投げた酔っぱらい(トラ)が逮捕されたそうだ。これぞ、睡虎と酔虎の対決である。だが、元来が夜行性の虎が昼間眠っているからといって咎める権利は、もちろん人間にはない。ところが虎本来のそうした生態を変える因子が存在する。基本的には、飢えが大きく虎の行動パターンを左右することは言うまでもない。昨年アムール地方で人家を襲った虎は、まさに食糧にありつけなかったことによる。人喰い虎の出没も、したがって、食糧の存在の有無と因果関係にたつ。つまり飢えが昼間における虎の採餌行動を誘発し、人里への出没とつながるのだ。飢えが睡眠を奪う道理は、人間の乳児にも見られるごく自然の理ではないだろうか。アムール虎の一般的な生息地は、標高六〇〇メートルから一五〇〇メートル程度の東北満州に広がる針葉樹林山岳地帯、それも急峻な岩に囲まれた茂みの一帯がふつうである。もちろん餌が見あたらなければ、その行動を限定する理由は消え失せる。深い谷間へ下り、一〇〇キロを一昼夜に移動することもあり得る。概して、見晴らしのよい高見にのぼって獲物の存在を確認し、縄張りの点検をおこなうことが多い。条件にぴったりの場所があれば、巣、つまり虎穴を固定化する。もしそこに棲む虎が人間に襲われて空巣となっても、すぐ別の虎が棲みつく。だから、一度虎穴の場所を見つけた密猟者は、労せずして虎の捕獲が可能となる。

 何はともあれ、虎はネコ科だという点を忘れてはならない。だから、日常生活のなかで虎に出会うチャンスがまったくないわれわれにも、猫の行動を観察することによってある程度虎の生態を類推できる。もちろん異なってくるのは、身体の大きさと体長で、歩幅は八〇センチ、ダク足で走れば四メートルの歩幅で飛ぶこともある。獲物に襲いかかる距離も七メートル先から可能だし、高い場所からだとその距離は一〇メートルに達する。音をたてずに動き、しかも敏捷。人目につかずに接近し、しかもひとの背丈ほどもある草に潜んで忍び寄る。おまけに、四つ足の底は吸音装置よろしくあらゆる音を閉じこめて外へ洩らさないときている。ひそやかな行動で獲物を欺く虎にも、意外な伏兵と苦手が存在する。そう、気がついていない獲物に注進する動物がいるのだ。狼、烏、鵲(かささぎ)、鳶などは、虎のハンティングにつきまとってワイワイと騒ぎたて、その存在を明かしてしまう。しかし、もちろんこれはおこぼれに与る喜びの讃歌なのだが。

 虎の動きは、時に蛇を彷彿とさせる。蛇と似ているといえば、虎も水を厭わない。猫の泳ぐ姿を見ることは少ないが、虎はむしろ夏などすすんで水浴する。それも山奥の冷たい谷川の水を好む(羨ましいなあ)。シベリアや満州の夏はけっして涼しくないし、酷暑に近い時期もあって、人間を悩ませるのは蚊とぶよである。虎もこれを避けて、滝壺のように水しぶきで蚊も近寄らない絶好の場所を穴場とする。煩悩多き人間がこれをしも修行の場とするのとは、いささか趣きを異にする。虎と人間の関係を考える時、やはり人智の恐ろしさを感じざるを得ない。こういう考察の結果をすべて、虎に接近するための情報源として利用するのだから。ましてや熟練した古来の猟師は、バイコフによれば、虎の足跡を観察して性別、体重、年齢、体力をピタリと当てるというから凄い。

 虎の毛皮の縞模様については諸説があるが、最も説得的で有力なのは言うまでもなく保護色説である。ただしそれは敵に襲われることからの保護ではなく、秋から冬にかけての捕食時の都合による。つまり、餌の対象となる動物の目をごまかす造化の妙である。これは冬季の摂食機会の減少と大きく関わっている。さらに、熊の冬眠に備えての食い溜め行為と似かよっている。しかも、満州の森では白一色がよいとは限らない。わくら葉が落葉せずに枝を頼りに、しがみついて冬を過ごすことが多い。それが虎の縞模様と渾然融合し、カバーンの目からは見分けがつかなくなる。哀れカバーンの運命と言うべきか。

 それにしても、カバーン以上に哀れなのは虎かもしれない。なにしろ、美しい毛皮のゆえに奸智にたけた人間によって追い回される運命となったのだから。追跡する人間との駆け引きを余儀なくされ、虎は用心ぶかい策略家に変身した。いかにして執拗に追ってくる人間を出し抜いて、逃げ切るか。知恵比べに負ければ、それは死につながる。古来、虎の人間とまがう奸智を頌える民族さえ存在した。バイコフによれば、なかには武器の危険を熟知した虎もいてその有無を見分けて行動することさえある。例えば、武器を持たぬ中国人や朝鮮人だと、人目もものともせず犬や家畜に平然と襲いかかるのに、武器を目にするとすすんで遠ざかるという。そうした自己保存本能をも抑えつけてしまうのが、飢餓である。こうした虎ほど危険なものはない。よく犠牲になったのが、奥山に単独で居住して朝鮮人参を採取したり放牧に従事する人々であったという。体力の低下で捕食が困難になった老虎ほど、人喰い虎に変身するという。さもありなんである。

 虎と人間の関係で、やはり最も難物は虎が人間を殺害する関係だろう。こうした関係を表面化させる原因を作っているのは、人間の側である場合が多い。近年とみに問題となっている希少動物の減少は、ほとんど人間の開発行為に起因する餌の減少によると言ってよい。ところが、すでにバイコフが満州にいた一〇〇年ほど以前でもすでに人間の入植と開発で同じ事態が始まっていたのである。ベンガル虎にくらべ、人間をめったに襲わないとされてきたアムール虎が、いかにして人間を敵視するようになったのか。次回は、バイコフの時代に戻って、この生々しい問題を考えることにする。

 人間に限らず幼い存在はなべてかわいいが、虎の仔も例外ではない。写真は、バイコフ自身がスケッチした仔虎である。 

バイコフ「虎の仔」1994年、ハルビン(『ルベーシ』第2号、1995年所収)、ウラヂオストック。
tiger


 後記:虎そのものではなく、バイコフのほうにご関心のある方は、次のような文献がありますのでご案内しておきます。
  1. 左近毅「生命の根元を求めて――バイコフの朝鮮人参」
    (日本キノコ協会機関誌『ヘテロ』第2号、1998年1月所収)、神戸。
  2. 左近毅「満州へ、そしてまた満州の地へ――N.A.バイコフの歩み」
    (研究と資料『むうざ』第17号、1998年2月所収)、大阪。


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