最近『人文社会科学とコンピュータ:情報化社会におけるインターネット活用法』を編集させていただく機会に恵まれた。中級者向けのインターネットの効率的利用法を色々な側面から概説したハンドブック型の本である。14名の執筆者は語学教育、医学、政治学など異なる分野の専門家だが、各々の研究・教育のためにインターネットを道具として駆使しているという点で共通点があった。しかし、「『情報革命』は本当に革命的な変化を社会に引き起こしたのか?」という疑問を執筆者になげかければ、千差万別の答えが返ってくるのではなかろうか。
情報通信テクノロジーは確かに目覚しい発展を遂げている。現代を「第三の波」、「脱工業化社会」、「脱資本主義社会」、「情報知識社会」、「情報主導型社会」、「知識経済の社会」、「情報産業時代」、「ネットワーク社会」などと分類し、これまでの社会とは質的に異なった社会になりつつあると考える識者もいる。産業革命によってもたらされた産業社会では財の生産が中心だったが、「情報革命」によってもたらされる社会では、情報・知識の創造が中心になると言われている。ネットワーク化によって人、企業、経済などの連結の仕方が変化し、根本的な社会のあり方が変化しつつあると考えられている。この「情報革命」によってもたらされる社会はバラ色に描かれることもある。世界中がインターネットで結ばれ、瞬時のうちに音声、画像、テキストなどを送受信することができ、社会生活におけるあらゆる必要な情報を時空に左右されずに自由に獲得することができ、在宅勤務が主流となるので満員電車に揺られて通勤する必要もなくなる。工業の時代を脱し、情報産業時代に入ってようやく人間は人間らしい生産に従事することができるようになったという考え方もある。
確かに情報通信テクノロジーの発達は社会に大きな変化を与えているが、それはまだ革命と呼ぶことができる段階ではないという識者も多い。彼らは現代を「近代文明の情報化局面」や「高度な情報工業化社会」と理解している。情報は極めて重要だが、情報が単独で存在価値をもつのではなく、密接に工業に結びついているので、現在は依然「財の経済」だという見解もある。
情報通信テクノロジーの発達が社会に与える影響に関して、このように大きな意見の相違があるのはなぜだろうか。それは現在が「情報革命」の真っ最中であり、テクノロジーが社会に与える影響を短期的視野で見るか長期的視野で見るかによって見解が分かれるからである。
例として医療分野における情報通信テクノロジーの発達の影響について考えてみる。特にアメリカにおいては、インターネットの発達によって、患者やその家族などが努力してインターネットを駆使すれば、自分の特定疾患に関する莫大な知識を得られるようになり、インフォームド・コンセントという概念を加速的に社会に浸透させていった。情報通信テクノロジーは医者と患者の関係をパターナリスティックなものからパートナーという関係に変化させることに大きな貢献を果たした。また、医療サービス提供者側も情報通信テクノロジーを活用し、患者情報の蓄積と共有(電子カルテやスマートカードなど)、テレメディソンの活用、膨大な疾病情報の収集に基づく対処の標準化などを進めている。情報通信テクノロジーの発達によって、医者と患者の関係をはじめ、人と医療の関係が根本から再構築されているようにも見える。
しかしながら、「近代」というより大きな枠組みと長期的な傾向からこの状況を考察すれば、別の側面が見えてくる。近代のひとつの特徴は物心二元論であり、心の世界と物質的な世界を明確に区別したことである。医学はその典型的な分野である。もともと病気とは神が人間に与えた罰であるとか、人間内部の心身のバランスが変化して起こるものと考えられていた。しかし、近代医学はそのような考えを非科学的説明ととらえ、科学的根拠に基づいて病気の原因と結果を探り、対処法をあみだしている。近代医学は科学によって説明できる分野に特化し、人間の臓器を細分化することによって専門化していった。近代において人間は、精神的世界を置き去りにし、物質的世界にのみ焦点を絞ったことによって、科学が発展していく扉を開いたのである。すなわち、科学が発展すればするほど、医学は益々物質的世界に特化していき、精神的世界と物質的世界が一体化した人間像を描けなくなる。
医療面における情報通信テクノロジーの発展もまさにこのような考え方の延長線上にあるに過ぎない。医療サービス提供者は新しいテクノロジーによって収集・分類された科学的データをもとに科学的な診断と対処を施す。そのデータには精神的世界と物質的世界の一体性をあらわすような側面はない。患者やその家族も科学的情報を多く入手することによって、従来の医者と患者の関係を変革しようとしている。まさに、情報通信テクノロジーの発達は科学の発達の賜物であり、その科学が物心二元論を前提としている限り、いわゆる「情報革命」が近代の根本を変革して脱近代の時代に入っていくとは考えられない。「情報革命」は近代という枠組みを打ち破るものではなく、まさにその近代の論理に則ったものである。「情報革命」は革命というよりは近代という枠組みにおけるテクノロジーの発展の一段階といっても過言ではない。