わが敬愛する毒舌と警世家の内村剛介は、「自分はバイコフについて過去形で語らない」と述べた。死んでしまったバイコフについて過去形で語らないのは難しいが、それは修辞上の問題ではなくて、時間系で過去に属する存在の価値を疎かにしてはならないことへの警句だ。歴史家はべつにして、一般に過去への回帰は、世代の問題ともからんで、ともすれば未来志向に圧倒されがちとなる。筆者にとって、1930年代に森林保護を訴えたニコライ・アポロノヴィチ・バイコフ(1872-1958)は、未来指標として思索の重要な手がかりを提供してくれている。昨年、川村湊は『満州崩壊』でバイコフに言及し、樹海の人バイコフの陰に「日本の特務機関があったことは確か」と指摘した。筆者も同じ考えである。戦時下の満州慰問で殉職したバレーのエリアーナ・パヴロヴァも、日本の軍事支配の装置にみごと組み込まれていた。だがその事実によって、彼らを非難できるだろうか。たいせつなことは、彼ら苦難の亡命者が、そうした制約や状況にもかかわらず、人事をはるかに超えた自然や文化というもっと大きなスケールで、日本人に訴えかけた問題の数々である。その一つが、このリレーエッセーの暗黙のうちに共通テーマとなっている、「自然や森」に他ならない。
筆者が愛読してきた作家の一人に、戸川幸夫がいる。人間嫌いの反作用として動物好きの筆者は、動物文学なるジャンルのほとんどを読み通してきた。だが、そのうちでも硬質な戸川の描く世界は、再読につぐ再読をくりかえす程、哀惜に満ちたものがある。その戸川が、3年前に病いに倒れ創作活動を停止している。それに代わって、令嬢の戸川久美が虎保護基金で活躍し、いまや200頭足らずに減少したアムール虎の保護にも一役買っている。「偉大なる王」で知られるバイコフは、どんなに喜んでいることだろう。
狼にしても虎にしても、人類にとって生命を危うくする害獣として位置づけられ、扱われた時期があった。いまや彼我の地位は逆転して、人類が彼らを滅ぼそうとしているのはなんとも皮肉である。かつて猛虎部隊の異名をほしいままにした、ザ・アムール連隊。そこに勤務していた時期のバイコフは、再三にわたり虎狩りに従事している。少年のころからハンティングを趣味としていたバイコフにとって、虎狩りはハンティングの醍醐味を満喫させるものであったに相違ない。ところでそのバイコフが、自己の文学作品に取り上げた虎の群像は、どのような印象を読者に与えてきたであろうか。ハンティングの対象としてのアムール虎と、かたや文学世界の形象としての虎。この二つの間には、明らかに矛盾と乖離がひそむ。狩猟者と自然保護とは両立するのか。そう、両立したのだ。というよりむしろ、時間の経過とともにバイコフの内部には一定の変化が生じたのだ。その世界観、自然観変化の契機となったのは、虎と直接対峙する緊張にあふれた体験そのものであり、森林を舞台に展開される人間たちの欲望のドラマであった。虎の生活や自然界を支配している厳粛なルールの存在と、かたやルールを踏みにじって飽くことなく続く人間同士の暗闘。
そして、もう一つが戦争である。日露戦争と第一次世界大戦という人類未曾有の大量殺戮戦争に直面した職業軍人バイコフは、人間界にくり広げられるルールなき無差別殺戮に何を読みとったであろうか。とまれ、彼は軍務を離れることを志向したのである。すべては、バイコフの死生観に関わる「内なる変化」によって説明されよう。辛うじて二つの戦争をくぐり抜け、満州へと回帰したバイコフを大きな包容力で迎えたのが北辺の大地に密生する樹海であった。人事を超越した自然との共生生活は、永続を保証されなかった。またもやロシアと日本、中国の上に垂れ込めた運命的な戦雲が、「森のともだち」バイコフを密林から引き離して拉致し、長年住み慣れたハルビンからこんどは永遠に連れ去ったのである。生命の根元である樹海を離れた瞬間から生きる希望を失い、さらには中国大陸を流浪の果てに、老いた作家バイコフは吸い寄せられるようにみずから病魔に身をゆだねた。ようよう香港にたどり着いたバイコフの前には、まだ果てしなく広がる大洋が盤踞し、休息と安寧を許そうとはしなかった。だがバイコフ一家はようやく船上のひととなって、パラグアイをめざした。衰弱したバイコフの健康は、北の密林から南米大陸のジャングルへ向かうこの一大遠征に耐えられるはずがなかった。かくて、終焉の地としてオーストラリア大陸が選ばれた。あたかもアルセーニェフ描くところの『デルス・ウザーラ』の運命をなぞるように、ウスリーのざわめく樹海を奪われた瞬間から、バイコフは生きることをやめてしまったのである。ブリスベーンの南国的景観は、バイコフの心象風景になごりを留めた北の密林とは似ても似つかなかった。死はバイコフの上陸後確実にやって来て、永遠の動物作家を彼岸へと連れ去った。1958年3月のことである。長い旅路の果てに、亡命ロシア人作家の墓(写真)はいまでもユーカリの木陰にひっそりと立っている。