・73頁7行 外交官夫人の野村タチヤナ→「外交官夫人」の野村タチヤナ(注1)
(注1)タチヤナの夫である野村三郎が日本国の外交官であったという記録は、外務省名簿には存在しない。しかしながら、当時タチヤナ自身が周囲に「『夫は駐ルーマニア日本大使館に勤務していた』と自称していた。「大使館勤務時の具体的な肩書きまでは、彼女は言及していなかった」とニキータは証言している。なお、野村タチヤナはルーマニア出身で、ロシア語は母語ではなく、「しばしばロシア語のアクセントや表現方法をめぐって、(ロシア語母語話者らと)対立することもあったが、彼女は年長者で『政府関係者』を自称していたので、いつも我々が沈黙した」とも証言している
・78頁3行 本間厳一→本間巌一
・92頁下から4行 当時すでにモスクワに行く飛行機の直行便があったにも拘わらず船を使ったのは、事務所の経費節減のためだった。→当時は定期便ではないものの、外交使節団などがチャーターしたモスクワまでの直行便はあったが、到底私たちが利用できるようなものではなかった。日ソ貿易も軌道に乗っていなかったので、商社やメーカーのビジネスマンたちは苦労して飛行機を何度も乗り継ぎ、モスクワに赴いていた時代だ。そんな状況だから、日本に近いソ連の港に入る船を使った。経費節減にもなった。
・119頁2行「解散式を駿河台のサラファンで」→「解散式を銀座のクラブ『ニド』で」(注:ロイヤルナイツのマネージャー滋賀朱美が言うには、「『ニド』での解散式にはお世話になった作曲家、バンドマン、レコード会社や出版社の方々をお呼びした。駿河台サラファンでのさよならパーティとは、解散式からしばらくしてソ連公演に参加した人たちだけで集まって開催した会のこと」とのことで、「呼んだ人たちのうち、来られなかったのはニキータだけだった」そうだ。)
・193頁15行 18世紀にはプーシキンが→19世紀にはプーシキンが
・213頁10行 1990年6月、父のニコライ熊彦が前立腺癌で永眠した。81歳だった。→1990年、父のニコライ熊彦が前立腺癌で倒れた。癌が見つかった時にはすでに末期であった。それから辛い闘病生活をおくり、1992年6月に永眠した。81歳だった。
・214頁15行 亡くなったばかりの私の父の、→壮絶な闘病生活を送っていた私の父の、
・219頁6行 香取順→香取潤
・237頁5行 トゥフマーノフ作曲「わが愛するロシア」を歌った。→〔注:2022年の聞き取り時、確かにニキータはこの曲を証言したが、これはニキータ自身が過去に記した文章と矛盾する。ニキータはゴルバチョフに関するエッセーを様々な媒体に記しており、『NHKラジオロシア語講座テキスト1992年7月号』に寄せたエッセー「民間人ゴルバチョフ」には、(ゴルバチョフはその場で)「『ロシア、わが祖国』という歌をうたっ」た、と彼は書いている。ヴァーノ・ムラデーリ作曲、ウラジーミル・ハリトーノフ作詞「ロシア、わが祖国(Россия родина моя)」も、ダヴィド・トゥフマーノフ作曲、ロベルト・ロジェストヴェンスキー作詞「わが愛するロシア(Я люблю тебя Россия)」も、いずれもソ連時代の国家礼賛プロパガンダ歌謡であり、政府関連イベントで歌われた曲である。二つの歌詞を読むと、ゴルバチョフが歌った「ロシア、わが祖国」のほうが、「すべてが平和裏に進むよう 破壊で空が汚れぬよう こどもが大地で生きていけるよう 男は家庭をもつように」など、プロパガンダ的・道徳的な色彩が強い。それに対して「わが愛するロシア」は、ふるさとの美しい山河や草原を愛していると歌う、素朴な歌詞であった。聞き取り時のニキータは、自らの歌詞の好みから「わが愛するロシア」のほうが口に出てしまったのかも知れない。
・245頁写真キャプション 1980年→1984年
・250頁11行 大隅千佳子→大隅智佳子
・251頁29行 言い渡され、→言い渡されたソルジェニーツィンと同様、ソ連追放を余儀なくされ、
・257頁写真キャプション 白石文藝春秋社長→安藤満文藝春秋社長
・276頁 図表の16 (作詞:北原白秋)→(作詞:野上彰)
・296頁 Березовый сок の歌詞3フレーズめの冒頭 Заветную → Священную
*歌手によってはЗаветнуюで歌っているケースもあるが、ニキータはСвященнуюと歌っている
正誤表を作成するに当たって、明治大学のロシア語教員である杉山春子先生、作家の平山周吉先生、東海大学のマリーナ山下先生にご指摘頂いた点を反映させるとともに、再度ロイヤルナイツのマネージャーであった滋賀朱美さんからのご指摘も反映させた。
序 ロシアレストラン「チャイカ」にて
第1章 亡命ロシア人の街ハルビン──「満洲の丘に立ちて」
第2章 ソ連兵がやってきた──「ナヒーモフ海軍少年準備隊の歌」を歌わされる
第3章 初恋──「バルカローラ」の思い出
第4章 引揚げ──ボーイソプラノで「抱神者シメオンの祝文」を歌った
第5章 ボリス叔父さんのこと──上海ジャズメンの一生
第6章 異境の地、東京──「メケメケ」を歌う人々
第7章 日本貿易振興会通訳としてソヴィエト連邦へ──モスクワ郊外GRUの夕べ
第8章 スヴェシニコフのロシア合唱団とともに──温泉と「北上夜曲」
第9章 通訳者を付け狙うスパイ組織──レニングラードの「青い瞳」
第10章 NHK国際局ロシア語アナウンサーに──「黄色い天使」の娘の通訳を
第11章 ロイヤルナイツ!①──アニソン、童謡、CM、クラシック、何でも歌った!
第12章 ロイヤルナイツ!②──ソ連公演・拍手鳴り止まぬ「アンガラ川」
第13章 ロイヤルナイツ!③──「鶴」の思い出
第14章 NHKロシア語講座──代々木公園で歌った「白樺の樹液」
第15章 実現しなかった日ソ合弁会社設立プロジェクト
第16章『収容所群島』とソ連入国拒否
第17章 月光荘とソ連画壇
第18章 モスクワ駐在──大韓航空機撃墜事件とソ連からの退去命令
第19章 翻訳会社での仕事
第20章 音楽活動の再開
第21章 ロシア語翻訳通訳会社社長として
第22章 ペレストロイカとゴルバチョフ
第23章 東京芸術大学の教員に
第24章 人生の「秋」を歌う
さいごに「ニキータ山下オーラル・ヒストリー」補遺
特別寄稿:「チャイカ」とニキータ山下 麻田恭一
CD所収の曲:解説と原詩・訳
水谷尚子(みずたに・なおこ)
明治大学准教授。歴史の「当事者」に対する聞き取り(オーラル・ヒストリー)をベースに、中国現代史や日中関係の分野に於いて、幅広い研究・言論活動を行う。中国政府の弾圧を逃れて国外に亡命したウイグル人活動家への聞き取り調査報告『中国を追われたウイグル人』(文春新書)では、アジア・太平洋賞特別賞を受賞。近年は中国正教会関係者への聞き取りに取り組んでいる。