はじめに(青野勝広)
序 章 松山捕虜収容所の概要(伊藤信哉・宮脇昇)
第1部 マツヤマ!
第1章 捕虜を厚遇した松山市民(京口和雄)
第2章 松山ロシア人墓地のうつりかわり(青山淳平)
第2部 捕虜のイメージと実態
第3章 松山収容所のポーランド人捕虜問題(稲葉千晴)
第4章 名古屋と松山の収容所比較(平岩貴比古)
第3部 ロシアからみたマツヤマ
第5章 ロシアで語られた『マツヤマ』(ピョートル・ポダルコ)
第6章 小説のなかのマツヤマ(桧山眞一)
第7章 手紙のなかのマツヤマ(井上ラウラ)
第4部 日露戦争と捕虜
第8章 俘虜は博愛の心を以て之を取扱ふべし(原暉之)
第9章 ノヴゴロド州メドヴェージ村日本人捕虜収容所(藻利佳彦)
第10章 捕虜の経費を負担したのは誰か(伊藤信哉)
解 説 ポーツマス講和条約と捕虜の条項(松村正義)
終 章 地域からみた日露戦争史研究(廣澤孝之)
おわりに(宮脇昇)
資料
ベンケンドルフの手紙
雲祥寺の「俘虜銘々票」
松山ロシア人墓地・墓碑配置図
松山俘虜収容所関係年表(抄)(松尾忠博)
青山 淳平(Junpei Aoyama)第2章担当
作家、県立松山中央高等学校教諭
本名・河野健。一九七七年、松山商科大学大学院修士課程修了。
国家と個人のあり方をみつめた著書多数。松山ロシア人墓地の研究に生涯を捧げた作家才神時雄の評伝は、『人、それぞれの本懐』(社会思想社、一九九九年、愛媛出版文化賞)に所載。戦艦陸奥の引揚げを国家に働きかけた遺族の十七年に及ぶ戦いを描いた『海市のかなた』(中央公論新社、二〇〇一年)、戦争花嫁の生涯を描いた『海にかける虹』(NHK出版、二〇〇三年)がある。
伊藤信哉(Shinya Ito)序章、第10章担当
神田外語大学非常勤講師
一九六九年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科政治学専攻博士課程単位取得。二〇〇〇年より現職。共著書に長谷川雄一編『大正期日本のアメリカ認識』(慶應義塾大学出版会、二〇〇一年)、同『日本外交のアイデンティティ』(南窓社、二〇〇四年)、論文に「十九世紀後半の日本における近代国際法の適用事例─神戸税関事件とスエレス号事件」『東アジア近代史』三号(二〇〇〇年)、「国家間賠償の実施条件に関する一考察─明治・大正期の事例を題材として」『皇學館論叢』三五巻六号(二〇〇二年)、など。
稲葉千晴(Chiharu Inaba)第3章担当
名城大学都市情報学部助教授
一九五七年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程前期修了。著書に『明石工作――謀略の日露戦争』(丸善ライブラリー、一九九五年)、ユーラシア・ブックレット三九号『暴かれた開戦の真実――日露戦争』(東洋書店、二〇〇二年)、編著に『ロシア外交史料館日本関連文書目録』T(一八五〇―一九一七年)、U(一九一七―六二年)(ナウカ、一九九六、一九九七年)など。
井上ラウラ(Laura Inoue)第7章担当
東京工業大学非常勤教師、スタダート・ケネディ・ダウドルズ教育コンサルティング・リミティッド日本代表
一九四九年生まれ。オックスフォード大学卒業、上智大学大学院比較文化研究科修了。日本史(明治時代)、主に日露戦争の国際関係とロシア人の捕虜たちについて研究。論文として、"A Russian P.O.W.'s Encounter with Japan 1904-5", 『ロシア史研究』五七号(一九九五年)、ほか。
京口和雄(Toshio Kyoguchi)第1章担当
松山ロシア人墓地保存会会長
一九三三年生まれ。愛媛大学教育学部卒業。元松山市立勝山中学校校長。
著書 「日露戦争と松山」『松山百点――松山の伝統文化と再発見』一九九三年、 「ロシア人墓地清掃」『心と体に汗する教育――国際的視野を育てる教育』一九九六年、 「ロシア人墓地の歴史と保存」『愛媛の文化』四四号(二〇〇〇年)、「松山のロシア人墓地と『日露友好のかけ橋』」ユーラシア・ブックレット四五号 『続・日本のなかのロシア――ロシア文化と交流史跡を訪ねる』(東洋書店、二〇〇三年)。
原暉之(Teruyuki Hara)第8章担当
北海道大学スラブ研究センター教授
一九四二年生まれ。東京大学大学院社会科学研究科国際関係論専修博士課程単位取得。愛知県立大学 助教授、同教授を経て現職。 著書に 『シベリア出兵――革命と干渉 一九一七―一九二二』(筑摩書房、一九八九年)、 『インディギルカ号の悲劇――一九三〇年代のロシア極東』(筑摩書房、一九九三年)、 『ウラジオストク物語――ロシアとアジアが交わる街』(三省堂、一九九八年)、 論文に 「韓国(朝鮮)学の先駆者たち――ロシアから見た朝鮮半島」『国際交流』九八号(二〇〇三年)、 「日露戦争後のロシア極東――地域政策と国際環境」『ロシア史研究』七二号(二〇〇三年)、など。
桧山真一(Shinichi Hiyama)第6章担当
同志社大学嘱託講師
一九四八年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科修士課程ロシア文学専攻修了。専門は日露交渉史。著書(共著)に『日本とロシア』(ナウカ、一九九〇年)、『異郷に生きる――来日ロシア人の足跡』(成文社、二〇〇一年)、『異郷に生きるU――来日ロシア人の足跡』(成文社、二〇〇三年)、論文に「福知山俘虜収容所のロシア人下士官の手紙」(共同研究『日本とロシア』第1集、一九八七年)、「ロシア人俘虜が見た日本女性」(同・第2集)など。
平岩貴比古(Takahiko Hiraiwa)第4章担当
京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程在籍
一九八〇年生まれ。愛知県立大学文学部日本文化学科卒業。愛知県立大学・ロシア研究サークル「おろしゃ会」元会長。JCREES・市民学会「日本とロシア――歴史・交流・共生」(二〇〇一年六月)で報告。専攻は日露交渉史。「日露戦争期のロシア兵捕虜――日本ハリストス正教会と名古屋収容所捕虜の交流の軌跡――」をテーマに研究。
廣澤孝之(Takayuki Hirosawa)終章担当
松山大学法学部助教授
一九六四年生まれ。九州大学大学院法学研究科博士課程修了。法学博士。一九九八年より現職。主要論文に「フランス福祉国家における「一九四五―四六年体制」の形成」『松山大学論集』一〇―五号(一九九八年)、「フランスにおける一九六七―六八年社会保障制度改革――ゴーリズム下の「福祉国家」再編」『松山大学論集』一四―五号(二〇〇二年)、「日本の対外政策形成をめぐる隘路――アメリカでのテロ事件への対応を中心として」『松山法学』四号(二〇〇二年)、「フランス第三共和政期の「社会問題」と連帯主義」『松山法学』六号(二〇〇三年)、など。
ピョートル・ポダルコ(Petr Podalko)第5章担当
大阪大学言語文化部ロシア語非常勤講師
一九六四年生まれ。ノボシビルスク大学大学院歴史学専攻博士課程単位取得。言語文化学博士。ノボシビルスク国立教育大学歴史学部主任教官を経て現職。著書(共著)に『異郷に生きる――来日ロシア人の足跡』(成文社、二〇〇一年)、『海外における日本人、日本のなかの外国人――グローバルな移民流動とエスノスケープ』(昭和堂、二〇〇三年)、『異郷に生きるU――来日ロシア人の足跡』(成文社、二〇〇三年)など。
松尾忠博(Tadahiro Matsuo)年表担当
松山市立図書館協議会委員(会長)
一九二四年生まれ。日本大学経済学部卒業。元農林水産省職員。著書「軍艦千島沈没事件年表」『世界の艦船』(一九八七年)、「千島艦沈没事件文献批判」『伊予史談』三〇二号(一九九六年)、「日清・日露戦役の戦没者について」『今治史談』七号(二〇〇一年)、「陸軍現役将校配属令の誕生と終焉」『今治史談』八号(二〇〇二年)など。
松村正義(Masayoshi Matsumura)解説担当
日露戦争研究会会長
一九二八年生まれ。東京大学法学部政治学科卒。外務省、国際交流基金に勤務(その間に慶応義塾大学より法学博士号を取得、米国コロンビア大学東アジア研究所の客員研究員も兼任)。定年後は帝京大学教授(外交史)、日本大学非常勤講師(国際交流史)を経て現職。主な著書に『日露戦争と金子堅太郎』(新有堂、一九八〇年)、『ポーツマスへの道』(原書房、一九八七年)、『国際交流史』(地人館、一九九六年)、『日露戦争一〇〇年』(成文社、二〇〇三年)など。
宮脇昇(Noboru Miyawaki)序章担当、編集担当
松山大学法学部助教授
一九六九年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程単位取得。博士(政治学)。松山大学法学部専任講師を経て現職。著書に『CSCE人権レジームの研究』(国際書院、二〇〇三年)、共著として『予防外交』(吉川元編、三嶺書房、二〇〇〇年)、『ヨーロッパ国際体系の史的展開』(臼井実稲子編、南窓社、二〇〇〇年)など。
藻利佳彦(Yoshihiko Mouri)第9章担当
東京ロシア語学院専任講師
一九五三年生まれ、松山市出身。早稲田大学大学院文学研究科ロシア文学専攻博士課程修了。著書にユーラシア・ブックレット二四号『プーシキンへの誘い』(東洋書店、二〇〇一年)、訳書(共訳)に『科学のプリンセス――ソフィア・コヴァレフスカヤ伝』(水曜社、一九八二年)、『本邦初訳プーシキン詩集』(青磁社、一九九〇年)、論文に「プーシキンの抒情詩における予言者の形象」など。