K・チャペック著/飯島周訳
四六判上製/216頁/定価(本体2136円+税)
アメリカでの出稼ぎから帰ってくると、家には若い男が住み込んでいて、妻も娘もよそよそしい……。献身的な愛に生きて悲劇的な最期を遂げた男の運命を描きながら、真実の測り難さと認識の多様性というテーマを展開した3部作の第1作。(1995.5)
一九三〇年代のスロヴァキアの農民の悲劇的人生を描いた『ホルドゥバル』は、チャペックの他の多くの作品と同様、チェコの有力紙『リドヴェー・ノヴィニ(人民新聞)』に連載、発表された。その期間は一九三二年十一月二十七日から翌年の一月二十一日までである。ただし時を置かず単行本となり版を重ねたが、チャペックの死後一九五六年になってから、『流れ星』『平凡な人生』と共に三部作を形成するものとして一冊にまとめられて刊行され、以後その形が踏襲されている。この間、テキストの語句の変更(たとえばトランクをスーツケースに、ポラナの旧姓をドゥルコロヴァーからドゥルコトヴァーに、など)や語順の訂正(たとえば主語と動詞の語順など)が一部でなされた。本訳書では、チェコスロヴァキア作家同盟出版の『カレル・チャペック作品集』第八巻(一九八四)を底本として使用したが、ミスプリントと思われる所は他の版によって修正した。(なお、チャペックの総年譜は本選集第一巻『受難像』に収載)
この作品は、一九三二年十月十四日付『リドヴェー・ノヴィニ』の「ポトカルパチア(スロヴァキアの最東部であったが、一九三八年以降ハンガリーやソ連に移譲され、現在はウクライナ共和国に属する)の悲劇」という記事を直接の題材として書かれた。その記事の内容はおよそ次の通りである。
一九三一年夏、バルボヴァ・ウ・ムカチェヴァという小さな村に一台の自動車が到着し、その中からイジー・ハルドゥベイという男が現われた。この男は八年間のアメリカ滞在後に帰国したのだが、その間、妻に多額の金を送り、さらにスーツケースには村人たちを驚かすようなみやげ物を一杯につめていた。ただ妻のポラナは全体的に気が進まない様子だったが、それは作男たち、特に二十三歳のヴァシル・マニャークと関係していたからで、しかもマニャークと十一歳になる娘のハフィエとを婚約させていた。ハルドゥベイは間もなくそれを知り、マニャークと娘との婚約を解消させ、マニャークを追い出し、一件を落着させた。
しかし、それは表面だけで、妻のポラナは自分より十一歳年下のマニャークと逢引きを続けていた。やがてマニャークは自分の義兄に、牡牛二頭の代償でハルドゥベイを殺してくれるよう頼んだが、百頭貰ってもいやだと断られ、一九三一年の十月二十七日夜、遂に自分の手で殺人を犯した。さまざまな証拠によれば、ポラナが小屋のドアを開け、マニャークが単独で、またはポラナと共同で、ハルドゥベイの心臓を籠編みの針で突き刺したのである。その後で窓ガラスをダイヤモンドで切り取り、犯人がそこから侵入したように見せかけた。さらに、物盗りの仕業と思わせるため、ハルドゥベイがしまっていた四万五千コルナほどの現金を持ち出す工作もした。
だが警察はそれにまどわされず、犯人が窓からではなくドアから侵入したことを見抜き、マニャークを逮捕した。マニャークは頑強に否認していたが、汚水溜から凶器の針が発見され、犯行を認めざるを得なくなった。マニャークは単独犯であることを主張し、窓からではなく天井の引戸から屋根裏部屋に入ったと供述を変えたが、屋根裏部屋は収穫したトウモロコシで一杯だったので、これも無理とされた。
正式裁判でも、マニャークはあくまで単独の犯行であると主張し続けた。しかし多くの証人たちはポラナも共犯だという意見であり、ハルドゥベイの子供たちも母に不利な証言をしたので、陪審員たちは被告両者共有罪であると票決した。その結果、マニャークは殺人罪で終身刑、ポラナは殺人幇助罪で懲役十二年の判決を受けた。
被告両者の弁護士たちは、それぞれ判決無効を主張して最高裁にまで控訴した。最終的に最高裁判所は控訴を棄却し、判決は確定、有効となったのである。
「原作者まえがき」にあるように、『ホルドゥバル』のあらすじは、この新聞記事とほぼ一致する。ただしスロヴァキア語の単語は、特別な場合以外は使われず、人名の一部もチェコ語風になっている。たとえばハフィエや(ヴァシル・ゲリッチ・)ヴァシルーは、スロヴァキア語風ではそれぞれハフィア、ヴァシロウとなるはずである。
そのような点はあっても、この作品に描かれているスロヴァキアの農民の姿は、かなりの現実性がある。チャペックは何回かスロヴァキアを訪れ滞在したが、特に一九三〇年の夏には自動車で動き廻って見聞を広め、自筆の挿絵入りの興味ある旅行記を発表している。東チェコのクルコノシェ山脈の麓に生まれ育ち、みずからの「山地の出身」を意識していたチャペックに、スロヴァキアのタトラの山々とその谷間は強い印象を与えたらしい。ほとんど不毛の土地で、牛や馬などの家畜と共に暮らし、折りがあればアメリカやカナダへ出稼ぎに行く農民たち――これが当時の実態であった。そして徐々に迫る機械文明の脅威、さらに一九二九年に始まったアメリカの大恐慌は、数多くの悲劇を生んだことであろう。
大自然を相手にした素朴な生活ではあるが、貧しさのために生ずるさまざまな葛藤を背景として、この作品に登場する人物はいずれも一種の象徴性を持っている。山地の牛のように頭を垂れて苦難を忍ぶホルドゥバル、体面を気にしながらも気丈で頭の高いポラナ、平野を駆け廻る馬のように安楽を望むシュチェパーン、純真無垢な少女ハフィエ、明快な論理を求める都会的な若い警官、人生の複雑怪奇さを心得ている年輩の警官、すでに解脱の境に達した仙人のごとき老牧者、災害の権化のように妖しいジプシー女、それに加えて好奇心・嫉妬・善良さ・信心深さなどの融合した精神状態の村人たちが、さまざまな人間模様となって、不幸な殺人事件の裁判を、原罪の裁判とさえ感じさせるような、複雑な人間心理の深層を描き出す。
以上の内容的な面の他に、この作品で注目すべき点は、特徴的な文体である。第一部のホルドゥバルを中心とした農村生活の情景描写、第二部の警官たちによる推理の展開、第三部の裁判の場面とそれぞれ微妙に差はあるが、全体的には、いわゆる歴史的現在が多用され、登場人物の心理の動きや会話、さらに物語りの文が意図的に混然と配置されている。表記の面では引用符がかなり省略されてダッシュが多く、物語の発展を理解するために、読者にそれなりの精神的緊張を要求する。そして、この文体は一種のリズムを生み出し、この散文の作品にバラッド(物語詩)的な趣を与えることになった(前述のテキスト訂正、とくに語順変更は、この点と関係づけられている)。
作者であるチャペック自身のこの作品に対する評価は、いずれ公刊予定の三部作の第三部『平凡な人生』巻末の「原作者あとがき」に記されているので、それをお読みいただきたい。もちろん、人間および人生に関する認識論的立場が中心であり、他の二作品との関連が重要であるが、この作品は完全に独立したものとして、十分な価値を持っている。
その意味で、『ホルドゥバル』の登場人物の性格については数多くの分析や認識の可能性がある。たとえば主人公のホルドゥバルをただの無知文盲の愚物と見るか、愛のためにはいかなる犠牲も惜しまぬ高貴な精神の持ち主と考えるか、またはその妻ポラナをただの強情な百姓女と見るか、自主性に富んだ誇り高き女性と考えるか、などである。それらは読者のそれぞれの受け取り方にまかされるが、ただこの作品のしめくくりの文が深い意味を持つことには誰も異存がないであろう。主人公ホルドゥバルの死後の苦難または救済がここに暗示されているかのようだ。
すなわち、生前多くの人たちに痛められ傷つけられたホルドゥバルの心臓は、ついに正当な扱いを受けることもなく、人知れずこの世から消えたのである。