村の生きものたち


ワシーリイ・ベローフ著/中村喜和訳
四六判上製/160頁/定価1575円(本体1500円+税)

ひとりで郵便配達をした馬、もらわれていった子犬に乳をやりにいく母犬、屋根に登ったヤギのこと……。「魚釣りがとりもつ縁」で北ロシアの農村に暮らす動物好きのフェージャと知り合った「私」が、村のさまざまな生きものたちの姿を見つめて描く詩情豊かなスケッチ集。(1997.6)


訳者による紹介

 まずこの本の題名について。念のためロシア語をローマ文字で書くと Rasskazy o vsjakoj zhivnosti である。あえて直訳すれば「さまざまな小動物についての物語」ということになるが、それでは愛すべき動物たちによせる作者の気持ちがうまくつたわらないおそれがあるので、「村の生きものたち」と改めた。生きものの中には、もちろん人間も含まれる。もともと作者は飼う者と飼われるものを同列に置いているふしがあるので、このような題名の変更に反対されることはないだろうと思っている。

 作者のワシーリイ・ベローフはロシアでは農村派作家の一人としてよく知られている。彼らはほとんどが農村の生まれで、都会よりも田舎のことをよく書くからであるが、単に自然の美しさや田園生活ののどかさを賛美するだけではない。むしろベローフを含めて農村派作家たちは、一九六〇年代以降社会主義体制下での農村の荒廃ぶりや自然破壊を描き出して、ソビエト社会に大きな衝撃を与えたのである。

 ベローフの名を一躍有名にした中編小説『いつものことさ』は、ロシア庶民の典型ともいうべき魅力あふれる性格をもったコルホーズ農民の家庭が崩壊していく物語である。ソビエト初期の農村集団化を批判的に描いたものとしては中編『大工物語』や長編『前夜』などがある。特定の政治的スローガンを前面に押し出すのではなく、登場人物の行動や性格をユーモアまじりに描写することによって冷厳な現実を効果的に提示するところにベローフの作品の特徴があった。一九八一年には彼の創作活動に対して国家賞が授与された。

 コルホーズという言葉は『村の生きものたち』の中でもしばしばあらわれるので、ここで少し説明を加えておきたい。一九一七年の革命で権力の座についた共産党は、社会主義の理念にもとづいてまずロシア国内の工業の国有化を実現させた。ついで一九二〇年代の末から三〇年代の初めにかけて断行したのが農村における集団化である。それまでの農業は地主や小作人による個人経営の形で行なわれてきたが、ソビエト政権は伝統的な村を基盤にコルホーズと呼ばれる集団農場を組織し、耕地や家畜や農業機械などをその共同所有としたのである。コルホーズの結成にさいしては貧しい農民が利用され、勤勉な篤農家は富農として排除されることが多かった。富農のレッテルをはられた農民は家族をあげて僻地へ追放された。そのころの農村の生活を舞台にしたのが右に挙げた作品『前夜』なのである。一九三〇年代以後ソビエトでは、コルホーズがソフホーズ(国営農場)と並んで農業の経営主体をなすことになった。もっとも農民は世帯ごとに自宅のまわりに一定の広さの野菜畑を保有すること、乳牛やにわとりなど若干の家畜を飼うことなどは許されていた。この作品に登場する動物の中では、馬のヴェールヌイや雄牛のローマはコルホーズに所属しているが、犬や猫をはじめ仔豚のクージャやがちょうなどの小動物はフェージャのいわば私有財産なのである。ベローフがコルホーズという制度に批判的な考えをいだいていることは、『村の生きものたち』における記述の端々からもうかがわれる。

 ところで、農村派の一員としてベローフは自然保護の立場に立っていたから当然とも言えるが、一九八〇年代にはやはり農村派のラスプーチンなどと同様、かなりのエネルギーを社会活動にさくことを余儀なくされた。その一つは自然保護運動である。彼の故郷である北ロシアの大河の水を南方の乾燥した砂漠地方に転流させようとする政府の壮大な計画への反対、バイカル湖を工場排水から守るための運動などではずいぶん活躍した。後者の行事の一環として琵琶湖を訪れたこともある。

 ゴルバチョフがはじめたペレストロイカ政策のもとでベローフはさらに多忙になった。わが国の国会議員にあたる人民代議員に選ばれたこともあるし、一時はゴルバチョフ大統領の顧問会議のメンバーになったこともある。しかしソビエトが崩壊してからというもの、政治活動からはいっさい手をひき、モスクワをはなれてヴォログダにあたかも隠棲した感がある。

 『村の生きものたち』がはじめて発表されたのは雑誌『ウラルの猟師』の一九七四年三月号であった。一九七六年にはモスクワの児童文学出版社から単行本となって出された。さらにその後ベローフの主要な作品集に繰返し収められている。『ウラルの猟師』はかならずしも子ども向けの雑誌ではないようであるが、二年後に刊行された本には「小学校低学年向き」という添え書きがつけられていた。作者自身も本書の冒頭に掲載した日本の読者への挨拶の中でこの作品を子どものために書いたと述べているが、実は訳者である私はその点にちょっと疑問をいだいている。たとえば、フェージャが郵便配達をときおり怠けるためにこの仕事を取り上げられる話があるが(「ヴェールヌイの郵便屋」)、それがどうやら彼のウォトカへの偏愛によるものらしいことは十歳前後の幼い読者に容易に推察できるものだろうか。小柄な雌犬が仔犬を生んだことがなぜ「あやまち」なのかも同様である(「あやまちをおかしたマリカ」)。この作品のかなりの部分が子どもの興味をかきたてる物語であることは否定できないにしても、この掌編集全体が大人にとっても良質な文学として充分鑑賞に堪えるものであることは言うまでもあるまい。われわれはこれほど格調の高い児童文学に恵まれているロシアの子どもたちを羨むべきなのかもしれない。

 私は作者に二度会っている。最初は一九八五年にモスクワで、次はそれから三年後に東京でお目にかかった。二度目のときベローフさんはソビエト大統領顧問といういかめしい肩書きをもっていて、ホテルで私と話している最中にもクレムリンから電話がかかってきたり、大使館から使いがきたりしたが、ベローフさんの人なつっこい表情や飾らない人柄には以前と少しも変わったところがなく、いかにも北ロシアから来たお百姓という感じがした。ベローフさんはロシア人としてはやや小柄の部類に属するが、肩幅はがっしりしていて、胸板がうんと厚いのである。今年の夏にはまた来日することになっている。

 本書の挿し絵は、一九七六年にモスクワで出版された単行本からとった。画家はニコライ・ウスチーノフ氏である。

 最後にごく個人的なことを一言。私はこの作品をかつて勤務していた一橋大学でも、また長年講師をつとめている朝日カルチャー・センターのロシア語講座でも、教科書として使った。幾分方言的な要素が含まれているとはいえ、教科書としてこれほどふさわしい作品も少ないからである。身近な動物や村人たちを眺める作者の鋭い観察とあたたかい眼差は、この作品を通じてロシア語を学ぼうとする読者を一人のこらず魅了したと見たのは私のひいき目ばかりではなかったと思う。この翻訳はそういうファンの熱意の上に成立したのである。


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