チャペックといえば、チェコ文学最高の才人として日本でも以前からよく知られている。子供の時にあの愛すべき『長い長いお医者さんの話』に夢中になった人は多いはずだし、SFファンなら誰でも長編『山椒魚戦争』や、「ロボット」という新語が世界で初めて使われた戯曲『RUR』を読んでいるに違いない。また『園芸家12ヶ月』といった趣味の本もあれば、『一つのポケットから出た話』のような洒落た哲学的推理小説集もある。しかし、この作家はあまりに多才で多趣味、あまりに変幻自在なので、いまだにその全体像がよくつかめないのではないだろうか。
チャペックは単なる才気走ったジャーナリステッィクな物書きだったわけでは決してない。資本主義の悪弊とともに共産主義の危険にもいちはやく気づくほど透徹した文明批判の眼をもち、チェコを独立へと導いた大思想家マサリクとがっぷり四つに組めるほどの知力に恵まれ、軽く洒落たユーモアでひらひら飛び回っているような時でも、急所はぐさりと突き刺すといった鋭さを忘れない。彼の書いたものは、軽やかでありながら同時に深いという知のアクロバットであり、今でも驚くほど新鮮である。チャペックはむしろ今こそ広く読まれるべき作家ではないかと思う。
この世には二種類の人がいるのだとおもう。チャペックを読んだ人と、チャペックを読んだことのない人だ。この世に失望し、嘆いて、下をむく人は、チャペックを読んだことのない人だ。チャペックを読んだ人は、下をむいて、じぶんが土を、大地を踏んでいるということを発見する。
カレル・チャペックは沈黙という土に、言葉の木をそだてた人だ。
チャペックを読んだことのない人は、沈黙とは何も言うべきことがないということだと考える。チャペックを読んだことのない人は、言葉に水をやらない。根も葉もないのが言葉だと思っている。チャペックを読んだ人は、沈黙とはまだ言葉になっていない思想のなかを駆けめぐることだと考える。チャペックを読んだ人は言葉に水をやる。言葉には根も葉もあると知っているのだ。
「魂に水をあびせること」とチャペックは言った。チャペックはひとを不幸にしない。チャペックを読む幸福は、ひとをチャペックを読んだ人にしてくれる幸福だ。
誰にでも人には一度読んだら忘れられない作品、忘れられない作家がいるものである。私にとってチャペックはそのような作家で、初めて「郵便屋さんの話」を読んだときから今日まで半世紀以上も、つぎつぎといろいろな作品を読み、そのたびに感動を新たにしている。ヒューマニズムに溢れる小説や短編、鋭い文明時評を展開する評論、深い思索を伝える哲学的論文、そのいずれも傑作というチャペックに飽きることはない。
チャペックは言う。「社会に何物をももたらさないような作品は私の作品ではない」、そして「読み手の人生経験の深さにより違った面を見せるのが文学である」、と。
残念なことにチャペックの作品のまだ大部分が邦訳されていない。この素晴らしい作家の作品が日本の読者に読めるようにする企画は本当にありがたい。ぜひ多くの作品が読めるようになって欲しいものである。