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プリーシヴィンの日記 太田正一
2012 . 02 . 12 up
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(1917年6月11日の続き)
わが国の農民には概して、どんな供物でも捧げる用意があるので、コミサールも敢えてそうしろとは言わない。そんな約束〔いかなる犠牲でも払うという〕をすれば、そのあと〔当然ながら〕ロシア人にとって最も辛いことがやってくる――家に戻って、指定場所まで手に持ってか馬車に積んでか、とこかく運ばなくてはならない。以前は村の巡査*がついてきたが、今は自分でなんとかしている。自分でしなくてはならないから、そこが難儀である。
もうどれほど思いに沈んだことだろう――いったいわが独立農家(フートル)をここまで荒廃させたのは何なのか?
6月14日
一家総出で庭の草刈り。その庭の向こうの端から、刈り終えた草を村の女たちが勝手に引きずっていく。
犬をけしかけようと思って、そっちへ向かうと、燕麦畑に荷車が入り込んでくる。警察(ミリツィオネール)*を呼ぶこともできるが、無駄である。警察は村の人間だから、耕すとか厩肥を運ぶとか、要するに自分の用しか足さない。村の衆は互いに教父や教母の関係だから親戚も同様だ。だから警察には逆らえない。ところで警察が月々受け取っているお金は100ルーブリである。
*ロシアの最初の警察機構はピョートル大帝の時代(1718)で、その責任者は軍人だった。やがてそれは1775年の県制導入とともに県知事の下に各郡に設置され、1860年代〔新帝アレクサンドル二世〕の大改革以後、郡警察署長の下に郡警察分区(スタン)の分署長(スタノヴォーイ・プリースタフ)が置かれ、巡査が若干名(6月11日の日記に記されている〈村の巡査(ウリャードニク)*というのがこれ)と、それを助ける農民の百人番、十人番がいた。都市と農村では警察機構に大きな違いがあった。巡査の数が極端に少ない地方では、秩序維持が郷村の農民自治機構に任されていた。月100ルーブリとはそういう意味である。ちなみに、二月革命以後、臨時政府はそれまでの警察(ポリーツィヤ)と憲兵隊(ジャンダルメーリヤ)を廃止して、新たに地方自治体に服属する民警(ミリーツィヤ)を設置した。
わが隣人〔スタホーヴィチ〕はフランス革命史を読んで『ロベスピエール、ロベスピエール!』とそればっかり繰り返している。どうやら彼は、村の女たちや警察には関心がなく、もっぱら地獄への道に善意を敷(し)こうとしている連中(ケーレンスキイ)に興味があるらしい。
自治の不便さ加減。村の巡査はある意味、抽象的な〔非現術的な〕権力であり、身内の人間である警察(ミリツィオネール)は俗塵にまみれた存在だ。地方自治庁のトップであるミシュコーフは以前、スタホーヴィチの地所の管理人だった男。したがって、この地方における彼の個人的利害の大いさについては容易に想像がつく。まして今や、はるかな国境(地平線の彼方まで)を有する一大国家が徐々にちっぽけな郷共和国に成り下がろうとしているのだから。
土地委員会から2人の委員がやって来た。わたしの土地の財産目録を作ると言う。彼らは読み書きもままならない。ひとりが質問し、もうひとりがメモを取るのだが、口の利き方がじつに横柄だ。おまけにプランもない、まったく何も考えずにやって来たのである。メモを取るほうは汚いボロ紙にひどい金釘流――行(ぎょう)は右あがり左さがりと勝手に泳ぐ。鉛筆もちゃんと削ってなくて、唾をつけたり指を舐めたりと大変である。まず紙に罫を引き、そこに題目を書いたらどうかと助言してやる。まるでシェミャーカの裁判*だ。
*不公正な裁判。ロシア中世物語に出てくる裁判官シェミャーカの名から。
「ヂェゼンフェークツィヤはないかね。われわれはそれが欲しいんだが」
ヂェゼンフェークツィヤ? いったい何だ、それは? 彼らが言っているのは帳簿のことらしい〔自分らもわからない受け売りの外国語をともかく使ってみたい〕。
隣人にこのヂェゼンフェークツィヤ〔disinfectionには殺菌消毒の意味しかない〕の話をしたら、笑いながら〈ロベスピエールだ、ロベスピエールだ!〉を繰り返すばかり。
連日、女たちが攻めてくる。リーヂヤ・ミハーイロヴナ〔長姉〕のとこで、家の近くの畑(自家用に植えた玉葱の畑)に仕掛けられた爆薬が破裂した。どうしたらいいのかわからない。これまで領地やフートルの菜園の草むしりにやって来ていた小さい娘たちも今は何をしたらいいのかわからないでいる。
さらにビッグニュース! 誰もが土地を放棄しようとしている。スースロヴォ村は土地が因でリョーフシノ村と決裂寸前にある。リョーフシノの村民はリーヂヤ・ミハーイロヴナに対して〔彼女所有の土地を自分らに〕譲渡する内容の書面を土地委員会に出せと言ってきた。委員会は了承した。だが、もう耕作の時期だというのに、それを拒んでいる。誰も畑に行かない(近くの畑にも遠くの畑にも)。共同体(オープシチナ)の全会一致の決議が土地の放棄なのだ。それは、彼らの暮らす土地がアダムの土地、労働適用の場ではなく、革命(、、)の土地すなわち罪への誘惑(、、、、、)だという新たな証拠である。
トルストイは正しくない。彼は、社会的無政府状態(アナールヒヤ)は働く家族持ちのつつましい人間には無縁だ――なぜなら彼らが人間界の〈大多数〉を占めているから。そう言ったが、それはおかしい。わがフルシチョーヴォには唯ひとり本物の勤労者がいる。屋敷番をしているイワン・ミートレフだ。彼には1アルシンの土地もない。菜園のそばにほんのわずかな土地を借りている。年々畝を増やして、そのうち採れた野菜を商うようになった。何十年かお金を貯め、そのお金で耕地を借り、やがて10デシャチーナの土地を購入したのである。どこからかやって来たひとりのボリシェヴィキがもしミーチングでイワン・ミートレフを槍玉に挙げたら、トルストイのいわゆる〈大多数〉は彼をして地主みたいに怒らすだろうことは間違いない。
じつは、正直な〈大多数〉はつねに、したたかに侮辱を受けたあとで形づくられ、現実にではなくもっぱら素晴らしい結末を書くことのできる長編作家たちの頭の中にのみ存在するのである。
6月15日
牧童の祈り。羊たちを一つの仕切り〔家畜小屋の〕からもっときれいな仕切りに追い込みたい。汚れた仕切りから追い出すと、勝手に外へ出ないよう空いてる場所をすべて塞いで、そのままもっときれいな仕切りへ。しかし中の1頭がどうしても新しい仕切りに入らず、元のところへ戻ろうとする。すると残りの群れも元の仕切りに向かって走り出す。こちらも何度か同じことを繰り返すが、うまく統御できない。何もしなければ、羊たちは元の仕切りに納まってしまう。そこで牧童でもある自分、すなわち羊の最高存在である自分は、羊を1頭捕まえると、わたし(、、、)が必要とするところへそいつを投げ入れた。すると、わたし(、、、)に放り込まれた前衛の羊(ペレダヴォーイ)のあとに続けとばかりに、一斉に残りの羊が新しいきれいな仕切りに飛び込んだのである。
おお主よ、われらの動乱時代(スムータ)を速やかに解体して、前衛の羊を新しいきれいな小屋へ投げ込みたまえ!
豪奢な美しい鳥たちが沈黙のうちに身を隠してしまった嵐の日に、古樹の洞(うろ)から飛び立ったのは、痩せた、灰色の小鳥の〈プロレタリア〉だった。そいつは一本調子のメタリックな声で庭を満たした――『全庭のプロレタリアートよ、団結せよ!』。ようやく嵐がやんで、中空に虹が懸かったところで、不意にあの豪奢な美しい鳥たちの声が響き渡った。とたんに庭の小鳥の声は掻き消される。あまりに一本調子なので。だが、自然はその複雑にして賢明なしかも不公平な生をそのままに生きていく。
子どものころからわたしは、決まって天気の良くないときに姿を現わす灰色の小鳥にとても興味があった。ある日、その小鳥のあとを追いかけた。いつも姿を消すのは、古びた納屋の陰の、ブリヤン草の繁茂した野生の古い林檎の木だった。その木には拳くらいの大きさの黒っぽい洞があった。灰色の小鳥がそこに這入るのを見届けたわたしは、少しもためらわずに手を突っ込んだ。するとシュッシュッと蛇が立てるような音がした。びっくりしてわたしは飛んで逃げた。幼いわたしはどうも灰色の小鳥にはついていなかったようだ。青春時代は〈プロレタリア〉のために苦しみ*、今では驚きをもって周囲を眺めている――どうして何もかもこう若々しく、あんな髭づらの子どもたちが今でもあんな幼子(おさなご)のような心で生き、若者が使うような外国語で話をしているのだろう、と。
灰色の小鳥が飛び立ったあの嵐の日のことを、今でもときどき思い出す……
*マルクシズムにかぶれてサークル〈プロレタリアの指導者の学校〉で活動していたころ(1895~1900)。二十代の前半。
ゴーリキイが自分に対する非難に答えて――『わたしはあなたたちに何と言ったっけ、そうだ、わが国民(ナロード)がどんなに堕落したか、そんなことを話したんだ。で、あなた〔プリーシヴィン〕だけは彼らをドストエーフスキイの目で見ていたというわけだ』。
それは真実でない。写実主義者(リアリスト)やマルクス主義者が持ち上げたのは、怒りに駆られた、暗い、敵対するルーシだけである。その言い回しに注意しなくてはいけない。外国語のなんと多いことか! ロシア中が、それこそ百姓から作家まで誰もが外国語ばかり撒き散らしている――『われらモスクワ守備隊の兵士は――と脱走兵は語る――組織されている(オルガニゾーヴァヌィ)、われわれはすべてを了解し、外国語さえ知っている云々』。
思慮深い比喩、おどけた小話、ひょいと誰かの口の端にのぼるウイットに富んだ言葉――あれは、あの思いがけないロシア文学は、どうなってしまったのか? 本当のロシアがまさかこんな話し方を? これがわが母か? 母なるロシアか?
いやそうじゃないぞ、ゴーリキイさん、あなたこそ間違っている。進歩的マルクス主義者、社会主義者、プロレタリアよ、あなたたちこそ悪霊(ズローイ・ドゥーフ)を呼び起こしているのだ。あなたたちの理想(イデヤ)は良くも悪くもないが、あなたたちの国をそしてわれわれの自然をよその国の工場プロレタリア的理想の改宗者(プロゼリット)の群れに変えようとするその手口――それが駄目なのだ。わたしはあなたたちを気の毒に思う。なぜなら、あなたたちはあっと言う間にひっくり返されて、あなたたちが消えた跡は悲劇の炎によっても照らし出されることがないだろうから。
それに、どうしてあなたたちはラスプーチンを攻撃したのか? あの鞭身教派(フルィストーフストヴォ)*のかけらがマルクス主義のかけらより悪いのか? 本質的に、思想(イデア)上のフルィストーフストヴォ〔フルィスト=フルィストーフシチナ〕がマルクス主義よりどこが劣っている(まずい)というのだろう? フルィストーフストヴォの根底には、マルクス主義の根底に物質(マテリア)の真実があるように、鳩のごとき霊(ドゥーフ)の純粋さがあるのだ。両者が辿っている道は同じではないのか? 人類の敵に誘惑されたフルィストの予言者たちとマルクス主義の演説家たちは、高みから地上へ飛び降りて、人間に対する精神的物質的権力を奪い取るや、その力によって堕落し、あとに誘惑と淫乱を遺して破滅しようとしている。
ツァーリは天(霊の全一性)を分割し切り刻んだためにフルィストの泥の中に沈んでしまったが、あなたたちは地を切り刻んで身を滅ぼすにちがいない。あなたたちはしょっちゅう『団結せよ、組織せよ!』と叫んでいるが、あっちの人たち〔フルィスト〕はいつも〈我(ヤー)〉ではなく〈天性の我々(ムィ)〉で話をしていた。〔そこに大きな違いがある〕。
あなたたちは、われわれの糧〔心の糧また食物〕をソヴェートおよびソヴェート大会によって管理することを言い出した。しかし、いいですか、わたしの心(ドゥーフ)を管理統制するのはあなたたちプロレタリアではない。確かに現在、ソロヴィヨーフスカヤ共和国では、読み書きもできない百姓たちが勝鬨を上げていて、わたしは自分で畑を耕し、黒パンを日に2フントしか口にすることができないでいる。でもわたしはそれで幸せだ。わたしが哀しいのは、地上の空約束で馬轡(はみ)をはずされた彼らを(彼らと物質的にぴったり寄り添い、精神的にはツァーリズムの最悪の時代からはずっと遠い)わたしの心のソヴェート*に参加させることができないことである。
*ここで言うソヴェートは革命家たちのいわゆる〈評議会〉〈協議機関〉ではなく、ソヴェート本来の意味での〈助言〉〈和合〉〈友愛〉のニュアンス。プリーシヴィンの皮肉がこめられている。
最後にもうひと言――あなたたち今、自分でそれを感じなくてはいけないのだが、あなたたちの余命はいくばくもないということだ。アヴァドンはいずれ滅ぶだろう。あなたたちを滅ぼすのは、あなたたちがあれほど恐れているブルジョアジーではない、過去の人間でも、百姓たちでもない。あなたたちを滅ぼすのはソーンツェ(太陽の神)、ヴェーチェル(風の神)、悪しき蝿とスホロース(Сухорос)だ。あなたたちを滅ぼすのは自然の力と呼ばれる知恵(ムードロスチ)なのだ。
あなたたちの王国のあとで、猛烈な勢いで迸(ほとばし)るのは〔抑え難い〕人間の自由への欲求である。
深夜の1時、中庭で犬たちが吠えている。誰かの声が聞こえる。
「ここじゃ、おまえさんは何の権利もねえぞ!」
荷馬車がバルコニーの近くに停まっている。また声がした。聞いたことのある声がまた同じことを繰り返す。
「何の権利もねえんだぞ!」
「誰だ、そこにいるのは?」
「警察だ」
「きみか、アルヒープか?」
「おれだぁ!」
酔っ払って町からやって来たのだ。うちに見張りがいるか調査に立ち寄ったのだという。
「おれは権力だ、おれにゃ調べる義務がある、そうだろ?」
「アルヒープよ、いったい何を見張るんだね。うちのものは何もかもきみたちが持っていったじゃないか、納屋はからっぽだ、見張りを雇うお金なんかないよ」
「でも、おまえさんには権利はねえよ」
「もう晩い時間だ、アルヒープ、家に帰って寝てくれ、おやすみ!」
「まあ仕方ねえか!」
彼がやって来た理由はこうである。もしうちが略奪されるか一家殺害のようなことが起これば、〈彼らは見張りを置いてなかった〉と言い逃れるためなのだ。
なぜ鳥たちが「祝福(ブラゴスラヴェーニエ)の歌」をうたわないか――わたしにはわかっている。土地持ちも頭が痛いのだ。分割し、あるだけの土地をこれ以上ないくらいに分割してみる。そしてさらに分割しもっと分割してみる。それでいったんその計画は取りやめにして書き直す。新たな土地にも大きな図面を引いてみるが、やはりそれもまた書き直し。
土地を持たない貧農が考えているのは、自分らで土地を分ければ簡単に片がつく、聖なる約束の土地(黒土)が1人あて何サージェンになるか――そのことだけである。何もわからない〔つんぼ桟敷に置かれた〕兵士の女房たちは、そんな村の衆に腹を立てて、戦場にいる夫たちに手紙を書く――『あたしのイワン、セミョーン、ピョートル、達者かい? いま村の奴らがあんたたちの分まで土地を取っちまったよ。戦争なんかやめて今すぐ戻ってきて!』。
わたしの申請書*が出来たので、寄合でそれを読む。大満足! 手渡したら感謝の言葉が返ってきた。こちらも厩肥の礼を言う。手元には雌馬1頭。
6月16日
洗濯女の話――
「『いやぁ、ほんとに凄い攻撃だった!』そんな話を始めたのは、新しい製粉所の床下から這いずり出てきた兵隊だよ。なんでも、連隊から2人の兵士が歩哨に出されたときのことらしい。するとね、穴の中から16人の命知らずが出てきて、あっと言う間に2人を斬り殺してしまった。それでさらに2人見張りに立てたんだけど、その2人もやられてしまった……それでこんどは連隊総出で穴を取り囲んだ。そして15人を殺ろし、残った16番目(つまり最後の1人だね)の奴を拷問にかけた。奴らの正体がわからなかったからさ。でも、いくら責めても口を割らなかった……大したもんだ」
「その命知らずは何者だ? 裏切り者か、スパイか、ロシア人か、ドイツ人か、オーストリア人か? それともボリシェヴィキかい?」
「それそれ、そこが辛いとこさ。正体がわからんのに、最後の男が死んじまったんだ、なぁんも喋らんでね」
自ら範を示す。このあたりには良質の土地はあまりないが、侵食された土地、オヴラーグならみなに分配できるほどいっぱいある。わたしは自分のオヴラーグに木を植え、森番を置いている。ところが突然、委員会が「森は国家の財産だ!」と表明したので、馬車の轅(ながえ)が折れても用材が採れない。車軸も鉤も自分の森で選べない。だが、泥棒は24時間、好きなときに何でも森から引きずって来る――森番なんか文句を言うどころか。度が過ぎて、これじゃいくらなんでも。悪いのは、馬なし牛なし百姓〔貧農〕たちだ。こんな時代だから、むこうには勢いがある。地上で天国の手形が乱発されたので、嬉しくて堪らない。まあいいさ、仕方がない。自分はそんな手形は使わず、個人にいく。模範を示してやる。ノート、手記、社会的(公共の)仕事はもういいだろう。労働ノルマを設定し自分で畑を耕すのだ。耕し(パシュー)、ものを書く(ピシュー)――結構じゃないか! 心配の種も、たぶん馬なし時代もなくなるにちがいない。村の寄合で不満をぶちまけた。泥棒が国有財産を危うくしている、どうすればいい?
「泥棒なんか、ふん捕まえて、棍棒でぶちのめせ!」
「そうだ、そうだ、棍棒でぶちのめしてやれ!」馬1頭持ちと牛1頭持ちが声を上げる。
馬なしは口を噤み、馬2頭持ちと牛2頭持ちも用心して発言をひかえている。
わたしは耕している。時は過ぎていく。わたしの畑に耕しに来る者人もぼちぼち出てきた……わたしを励ましている――そんな噂も耳にした。畑を耕し、自ら範を示そうとやっている、しかも思い切り大胆に。
ヤナギの林の中で見張っていた、1時間いや2時間も。やっと泥棒のシャツを捕まえる。泥棒の名はイワン。寄合へ引っ立てていく。馬なしたち牛なしたちは黙りこくり、馬1頭持ちと牛1頭持ちも口を利かないが、牛2頭持ちと馬2頭持ちは全員こちらの味方である。
「この泥棒をどうしよう?」とわたし。
「好きなようにやりゃいい」馬2頭持ちと牛2頭持ちが答える。「おたくの判断に任すよ。始末書でもリンチでも、好きなようにすりゃいい」
わたしは泥棒を放免してから休耕地へ。日ごとに自分の評判が良くなってくる。敬意すら感じられる。そりゃそうだろう――国有財産を護ってもっぱら個人的に模範を示しているのだから。
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