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プリーシヴィンの日記 太田正一
2012 . 02 . 05 up
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6月6日
百姓づらの法人たち。権力の必要性がどうのと盛んに叫び立てるが、誰ひとり喜んで権力に従おうとは思っていない。いや、欲しいのは単なる力でない、隣人には鞭だが自分には管理支配のための権力をと思っているのだ。支配する側は支配されたがる者たちを求めており、支配されたがる者たちは自分を管理支配する者たちを求めているのである。
かつてわたしはロシア帝国に住んでいた。そこは、蜃気楼の多く見られる、まるで際(きわ)なき際のステップのようだった。南と〔東〕には黄色がかった山並み、西には広葉樹……
今、わたしの存在そのものがソロヴィヨーフスカヤ郷すれすれの境界にぶら下がって揺れている。新たに共同体(オープシチナ)が起こって、法人なるものが出現した。子どものころからよく知っているイワンやピョートルやシードルが法人の顔を持つに至った経緯を観ていると、ぞっともするし、また滑稽でもある。
見てのとおり、ここらはどこもオヴラーグである。そんなとこでも樹を育てていたから、どの村も森林管理人さえ置いていたら、いつかはオヴラーグも豊かな森林地帯に変貌を遂げていたかもしれない。わが村ではもう何十年も森番を雇ってきた。彼らの暮らしはまずまずだったと思う。彼は牛を飼いそれを町で売り、豚や羊も所有していた。今、わがソロヴィヨーフスカヤ共和国はわたしに森の使用を禁じている。森は国家の所有物ということにされたのだ。
わたしは明らかに不正とわかるその法をすら遵守している。決定以前は自分の森から自由に薪を運び出していたが、以後は枝の一本も持ち出していない。なのに、国有財産と決まるや、村の女たちは森から勝手に薪を持ち出している。それはどこの木かと訊くと、女たちは国の木さと平気な顔して言う。
2週間後、森は森でなくなった。そこの木がサマゴン製造用であることを、わたしは知っていた。(わたしはいつも自分の森から精神的な利益だけ引き出したいと思っているのだ。)だが、見過ごせないので、わたしは村の集まりの席で、国有財産の横領を指摘した。壁ぎわへ追い詰められた百姓たちは、逆に責任をわたしになすりつけて、こんなことを言った――『わしらな、おたくが薪を採ってるのをこの目でちゃんと見とるんだがね(それは国有化になる前の話じゃないか!)でも、わしらはそれでも、イワンとピョートルとパーヴェルを共同体と委員会の合同の〔犯罪〕調査委員に指名したぞ』。その3名はいずれも旦那の小作をやっていた者たちだが、そういうわけで今は、なんとなんと法人身分なのである。法人たちはさっそくわたしに対し――『いつもとまったく同じ手口で薪を持ち出したのは所有者自身である』との判断を下した。そのため、この日以来、家畜の畑の踏み荒らし並びに窃盗・横領行為は(目撃されれば)すべて、所有者自身の仕業ということにされてしまったのである。
いかにしてソロヴィヨーフスカヤ郷の百姓たちの指と指の間から土〔地〕はこぼれ落ちていったか?
グリニーシチェからこっちではキバイ人が、あっちではシバイ人がスタホーヴィチ家の土地といちばん豊かなクローヴァー畑を虎視眈々と狙っている。クローヴァー畑に家畜の群れを放ってめちゃくちゃにしたうえで、みなしてそこを分配し改めて鍬を入れよう――そんなことを考えている。
だが、思いついたはいいが実行できない。〔19〕05年のように、旧体制に戻るようなことになったらどうする? キバイとシバイが分配をめぐって揉めたらどうする? それもまた心配の種だ。
町へちゃんとした信頼のおける人物が派遣された。百姓のトリーフォンだ。読み書きはできないが、まあ大した問題ではない。その代わり彼には百姓らしい太くてごつい腕がある。そんな頼りになる農民の指の間から、いくらなんでも土〔地〕はこぼれ落ちまい。
そのトリーフォンが村に帰ってきた。集会では窓の近くの椅子に腰かけた。誰かが演説を始めた。
トリーフォンは黙って聴いている。
「同志諸君、わしを信じてくれ。わしがAと言ったら、必ずわしはBと言うのだ」
すでにトリーフォンはその第一声に引っかかってしまった。いったいあれは何のことを言ったのかな? 謎めいたその言葉の意味を解こうとする。そうしているうちに、次の演説家が何やら言い出した――
「土地は神のものです!」
次の次ぐの演説家がそれに突っかかっていった。
「土地は神のものなんかじゃないぞ。みなさん、土地は誰のものでもないのです!」
『誰のものでもないって? ふむ、そりゃあそうだ』トリーフォンは頷き、改めてあの謎――〈もしわしがAと言ったら、必ずわしはBと言うのだ〉に戻ってしまった。トリーフォンは目に一丁字(いっていじ)もない人間で、そういう謎を解くのは困難だったが、しかしたいそう几帳面な性格なのである。それにしても、集会所の環境が悪すぎた。安タバコの煙をしたたかに吹っかけられて、頭の中が曇ってしまった彼は、お腹の上に掌を当て、土〔地〕がこぼれ落ちないように指と指をしっかり絡ませた。さらにぐいと顎を引き、額に皺まで寄せた。とにかく謎を解かなくてはと必死に脳漿をしぼった。
彼がこっくりこっくりしだしたのはタバコの煙のせいだったが、いちばんの原因はやはり謎に満ちた演説家の文句だった。つい眠ってしまったが、土塊(つちくれ)はずっと掌と絡めた指でしっかり押さえていた。
ちょうどそのとき、ペトログラードから来た本物の演説家――社会主義者=革命家にして農民同盟議長、キリスト教同盟議長の友人にして執行委員というのが起ち上がって、エスエルとエスデックからの挨拶を同志たちに伝えた。
演説の中身は要するに『勝手に土地を分配してはならない。まず土地委員会を設立すべきである!』。なかなかしっかりしたものだった。
「よろしいですか、農民のみなさん! できるだけ早く組織することです。ぼおっとしてたら、よろしいですか、指と指の間から土〔地〕はこぼれ落ちてしまうのですよ!」
そしてこう結んだ――
「最も光り輝くダイヤは専制的ツァーリの王冠についてあったが、今やそれは絶対権を有するナロードの王冠の上で燦然と輝いているのです!」
聴衆はおおっと声を発し、ぱちぱち手を叩く。物音に驚いてトリーフォンが目を覚ます。腰を上げ、思わず訊いた――「どうした? なんだ、何事だ?」そう問うた瞬間、絡ませていた指が解けて(謎は解けてないのに)、土〔地〕がぽろぽろ落ちてしまった。
牧場でシバイとキバイが集会を開いていた。トリーフォンにおまえは何を見てきたか、何を聞いてきたと質問が飛んだ。トリーフォンの話はえらく簡単だった。
「土地ってのは誰のもんでもねえ、だからな、奪(と)っちまえばええだよ!」
そしてその深夜、シバイとキバイの馬の群れがスタホーヴィチのクローヴァー畑に侵入し、朝には家畜が、それも700頭の牝牛200頭の羊が、さらにどの家からも子豚を連れた親豚各1頭が足を踏み入れたから、もう堪らない。2週間後には、どこよりも豊かだったクローヴァー畑(70デシャチーナ)が跡形もなく消えてしまった。そこでシバイとキバイが出ていって、勝手に土地の分割を始める。大した喧嘩もなく、どうにか分配が済んだ。あとは耕すだけだが、しかし、昔ながらの犂(ソハー)でクローヴァー畑を耕せるものだろうか? ひと犂入れたら、刃が折れてしまった。もう一度やってみる、また折れた。何度やっても駄目だった。なおまずいことに、春まき穀物が春の寒さと夏の日照りでぼろぼろになって、これではとても期待できない。畑を荒らしてようやくせしめた土地なのに。
鍛冶屋だけが儲けて嬉しがっている。昼も夜も犂頭の鍛接だ。これまで鍛冶屋はただアリョーシャとか乞食のアリョーシャなどと呼ばれていたのだが、今では挨拶もなしにその名を呼び捨てにするなんてとてもじゃない。
「どうだろう、アレクセイ・セミョーノヴィチ、この犂頭、打ち直してもらえんだろうか?」
6月11日
一日中、夏のお天気雨がぽたぽた大きなしずくを池の上に落としているが、池の水は少しも光らない。反対に濁ってきた……
この地方一帯を自称ボリシェヴィキの演説家たちが疾風怒濤(ウラガーン)のように駆け抜けていった。わが平和な農民たちに土地の収奪と暴力と早急の土地分配を、詰まるところ今すぐ村同士の殺し合いをと呼びかけながら、ありったけの戯言(たわごと)を吹きまくって……まこと疾風(はやて)の如しであった。
そのあと農民たちは思い直した。そしてきのう、集会で以下のことを決議した。
「また奴らが来やがったら、ぶちのめそう」
委員会では本格的な実務会議が始まった。
以前はただただ恐ろしかったものだが、今は退屈になった。百姓たちは真剣に考え発言しなんとか同意に至ったのだが、そのずっと手前で蒸し暑さから頭が変になっていて、本当はとても議論どころではないのである。会議はまる一日、しかも普段の仕事日である。朝の7時、わたしの家に村の代表の一人が立ち寄ったので一緒に集会へ。8時に到着。消費組合店のそばの丸太に腰を下ろして、ほかの代表たちを待つ。1時近くに全員そろって小学校へ。会議は小学校の校舎だ。ようやく会議が始まるが、すでにあたりは暗くなりかけている。
農民たちへの土地と自由の手形引渡しについて本物のデマゴーグたちとやり合いたくないので、わたしは家族を養うための自分の土地での労働ノルマを自分で決めて、厩肥を運び、畑を耕し始める。
白状すると、ライフスタイルを変えるに当たって重要な役割を演じたのは、わたし自身の健全な功名心(野心)だった。わたしはどうしてもミーチングのお喋りどもをやっつけ、なんとか農民たちを労働と創造の正しい道に引き入れたかった。わたしがここではいちばん教育のある人間であることは周知の事実だ。そこで考えた――もしこの評判のままさらに本物の勤労者(つまり農民一家の主)たる評判を勝ち取るなら、もう誰もが自分に対してこの上ない敬意を払ってくれるかも、自分の意見こそソロヴィヨーフスカヤ共和国の最良の意見と認めてくれるかも……
最初の日から、蠟が火に融けるように*不安や心配が融け落ちて数日後には完全に忘れてしまった。そしてもうどうとも思わなくなった。ただときどき深夜、妙な夢を見た。夢の中で自分はものを食べている――びっくりするほど美味しい砂糖菓子を貪るように食っている。かつで何度か夢でじつに大きな紅い立派な林檎の実とこの世のものとも思えない林檎の枝を見たことがあったが、砂糖菓子が夢に出てきたことは一度もなかったし、これまでそんな見事な林檎を食べたこともなかったのである。
*旧約・詩篇68-3「煙は必ず吹き払われ、蠟は火の前に溶ける」から。詩篇(正教で聖詠経)はかつてよく教科書がわりに使われた。
まもなく自分の仕事がパワーをもらっているとわかってきた。以前、自分のフートルが泥棒にやられて、つい苦情を言ったことがあった。もちろん同情を誘おうためではない。どっちかと言えば一刻も早くその場から逃げ出したい気持だった。しかし今はそうでない。こっちから出向いていった。集会が開かれると、なんと驚いたことに、村人たちが口を揃えて、こんなことを言うではないか。
「泥棒なんか、ふん捕まえて、棍棒でぶちのめせ!」
「そうだ、そうだ、棍棒でぶちのめしてやれ!」
全員がわたしを祝福し激励したのである。
何日かが過ぎ、わたしは毎日、朝から晩まで働いている。夜明けにはライ麦がわたしの目の前にすっくと立ち、落日にはこれまで一度も見たことのない光と色とを放ってくる……
「『重荷を負いし者よ、我に来たれ!』。日の出と日の入りには、どうかわたしに感動(数語判読不能)。
あるとき、わたしのところにアルチョームがやって来た。アルチョームは立派な半コートを着ていた。分与地のほかに自分で買った1デシャチーナと借りた1デシャチーナの〆て3デシャチーナの土地を持っているという。
そのあとしばらくして、もう一人やって来た。アルヒープは自前の土地を持たないが、畑を2デシャチーナばかり借りている。
わたしは彼らに社会主義――ミーチングで語られているようなものではない本物の社会主義について話してやった。ただ破壊するのではなく創造する社会主義、つまり学問に裏打ちされた実のある仕事としての社会主義について話したのである。
彼らはわたしに相槌を打つ。大声を張り上げる演説家に対する気持ちは、わたしと変わらなかった。
やはりそうだ。ああいう連中に対しては、まったく同じ意見なのである。
夜、わたしは中庭で泥棒を捕まえた。思い切ったことをする男で、車軸と車輪を引きずっていた。わたしは男を村の集会に引っぱっていった。
「この男をどうしたらいいだろう?」と、わたし。
「おたくの好きなようにやったらいい」これが村人たちの答えだった。
わたしの功名心は満たされた。自分は勝ったと思った。背中を押されたような気がした。
わたしは泥棒を放してやった。処罰については3日の間考えさせてほしいと言った。
「おたくの好きなようにやったらいい!」
1週間後、泥棒のことなどすっかり忘れていた。畑にまたアルチョームとアルヒープが顔を見せた。
「泥棒はどうなりました?」二人が訊く。
「どうすればいいかね?」
「べつに。やりたいようにやりゃあいいですよ。始末書を取るかリンチにするか、どっちだって好きなようにすりゃあいいですよ……」
所有制度の起源――女と主婦。いまだ原始的状態にあるそれら村の女たちを見るかぎり、わたしは土地と自由のいかなる約束も信じない。
農事経営で大変なのは耕作、草刈り、家畜小屋の掃除などではなく、縄や革紐の取り扱い(よく絡まる)や、馬に重い首輪を掛けるときの注意力(皮膚を引き裂かないように)、また油を差し、適時適宜適所に釘を打ち付け、ものを架け、〈整理整頓を怠らず〉、夜中に犬が吠えれば外に出て、薪や草の様子を見たり、抜けかかっている馬蹄に気づいたりと、まあ一見そんな取るに足らないようなことが、多少とも健全な人間なら誰しも満足をもって実行する野良仕事の必要条件なのではないだろうか(そしてこれはわが父にもトルストイ伯が描いたあのリョーヴィン*にも、あまり知られていないことなのだ)。
*長編『アンナ・カレーニナ』の一方の主人公。トルストイが自分をモデルに描いたと言われる。
父の息子であり土地と旧庭園の作業指示者である自分の肩は二倍の荷を負った――そう、わたしは農夫であり同時に旦那なのだ。毎日をこの旦那は農民式の労働で凌いでいる。
旧庭園とともにわたしが手にした夢は、すべての人びとの所有に帰すべき土地の夢であり、それには水汲み場だの鍛冶屋だのへ自分で足を運ぶ義務と責任がついている。農民を恐ろしくエゴイスティックな生きものとして見つめるその目は、絶望的なまでに世俗の荒縄でがんじがらめに(自縄自縛)されている。
わたしは父よりはるかに複雑な人間だ。なんとなれば、大地を悦びとする心にそれを悲哀とする大なる力が加えられたのだから。
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