成文社 / バックナンバー

プリーシヴィンの日記        太田正一

2012 . 01 . 22 up
(九十三)写真はクリックで拡大されます

(1917年5月15日の続き)

 それから彼は、前線のロシア兵とドイツ兵がすっかり仲良くなった話を長々としました。そしてそれに12年〔1812年の対ナポレオン戦争〕のパルチザンのような惚れぼれした顔で聞き入る百姓たちを見て、こちらはただもう驚くばかりでした。兵士に対する愛情が次第に募っていくのがわかります。これがこの3年、自分の息子をドイツとの戦いに捧げてきた人たちなのです。わかりますか! 都市ではそういったことは頭脳〔つまり社会主義者〕から起きてくるのですが、しかしここにいるのは、ろくに読み書きもできない村の衆なのです! わたしは、万感の同意を示すこれら群衆の中で、驚きをもって、1時間もその兵士の演説に耳を傾けていました。ここでは、都市で見られるような、ドイツとの戦いを叫ぶ声などひとつも聞くことができません。
 「同志のみなさん――演説家は続けます――地球(大地)は闘争の場なのです、闘争のために造られたのです!」―「そら、もちろんそうだろ!」―「いいですか、われわれの敵はドイツじゃない、イギリスなのです」。〔今度はイギリスになってしまいした!〕
 そこでわたしはちょっとだけ喰らいついてやりました――ドイツ人たちとそんなに仲直りしたけりゃ、それはそれで構わない。しかしなぜまた敵〔イギリス〕をつくらなくてはならないのか、と。
 「なぜかだって? 同志のみなさん、いいですか、それはイギリスに隷属するインドという国があるからです。インドはロシアより大きい。したがって、もしわれわれがイギリスと対決すれば、インドはわれわれと手を携えるだろうからです」
 またまた驚くべき観察である。これまで噂にもならなかったインドという存在を誰もが知った瞬間でした。もしインドを持ち出したのがわたしなら、誰もそんな国があることすら信じなかったでしょう。しかしそれを口にしたのは兵士でした。インドを信じない者などいるわけがありません。
 要するに、わたしの臨時委員会代表としての任務はこれでお仕舞いということです。兵士が一人の百姓にこんなことを言ってます――地主の土地は〈計画的かつ冷静に奪取〉し、憲法制定会議までにそれを分配する、その方面の法律はできている、と。妙な話だ。『おいおい、そんな法律はどこにもないぞ、そりゃ机上の法律だよ』
 わたしは口を挟みます――「〔憲法制定会議まで〕せいぜいあと3ヵ月だよ。どうして待てないんだろう? 政府内には社会主義者がいるのに、なぜその政府を信頼しようとしないのかね?」。それに対して兵士は――「政府がわれわれを信頼すれば、そりゃわれわれだって政府を信頼するさ」
 そしてすぐにその場で、地主に雇われている労働者を地主から取り上げ、地主の土地を没収・分配すると決議してしまいました。『彼らの牛が没収された庭に入り込んで騒ぎを起こしたときは、ただちにその牛を追い出すこと、計画的かつ冷静に実行し、雇い人たちを解放すべし!』。

憲法制定会議――二月革命後、リヴォーフの臨時政府は憲法制定会議を召集するための特別審議会を設けたが、閣内の対立で準備が進まず、当初9月に予定された選挙と召集は11月に延期されてしまう。

 どこか奇妙な、ある人物の表情が、眼前にちらついています。そばかすだらけの、見たことのある丸顔、青い上着、履いている胴皮の長靴がちょっと小粋にぴかぴか光っている。どこで見かけたのか、どこからやって来たのか――さっぱり思い出せない。草原を出て、もうそろそろ帰ろうかなとあたりを見まわすと、またしてもその男がわたしのあとからついて来る。うちの中庭だ。ひょいと振り返るとまだいる、どころではない。一緒に家に入ろうとする。『こんにちは。おわかりになりませんか? モロトニョーフです、ほら、町方に住んでるモロトニョーフですよ……あなたは政府の味方ですよね。有り難いこってす。あたしも政府擁護の立場をとっとりますが、でも心の中にね、新種の病原菌(ミクロープ)が見つかっちゃって……』―『いったい何の話です、モロトニョーフさん?』―『あたしは恨みがましい人間だから、それでどんな人にでも訴えるんですよ。木材関係の仕事で暮らしを立てていますが、手付〔金〕を払おうにも、奴らがあたしの森の伐採権を取り上げてしまったもんで……その、すっかり資本(カピタル)が無くなってしまいました。ま、それで腹を立ててるってるわけで。これはあなただけに言うのですが、あなたは政府を擁護している、政府の味方だ、あたしもね、仲間を募ってるんです。むこうも人を集めてる、こっちも人を集めてる、つまりナイフを研いでるってわけで! ひとつ力を貸しちゃもらえませんか? あたしは、恐ろしいんです。心の中にミクロープが巣食っちまったんで、新種のミクロープがね!』

ドストエーフスキイはこれを旋毛虫と称した。『罪と罰』のエピローグ、また『おかしな人間の夢』では主人公が、人類の堕罪の原因が自分にあるとして自らを〈忌まわしい旋毛虫〉に譬える。

 モロトニョーフ某のあとから兵士がひとり、こちらはちっぽけな土地の所有者で、凍りついた花の小枝を手にしている。その顔は輝いています。林檎の木は花をつけたまま凍りついてしまったのです。したがって『収穫はないだろう。こいつはいい!』とひとり悦に入っています。敗北主義者。彼は自分の庭が大好きなのです。それをひとに貸し出そうとしたら、きっぱりと断わられてしまいました。監視人がいなくてが林檎の木は折られてしまいます。でも、花が凍ってしまえば庭は無事――そんなことを考えているのです。『あなたのところでも――と、今度はモロトニョーフが言う――これは噂ですが、あたしに巣食ったのと同じミクロープが発生したとか……ということは、どこにでもいるんですな、この生きものは!』

明らかにこれは、前に出てきた次兄ニコライ(コーリャ)の姿。でも、兄は兵士ではない。しばしば日記に書き込まれる「作家」の人物スケッチである。

 どうやらこの男、わたしをも自分のミクロープ仲間に入れてしまったようです。それでわたしは今こうしてじっと坐って決断を下そうとしているのです。あくまで私有財産を護りミクロープの心で生き続けるか、それともみんなにこう言うか――受け取らないなら、勝手にしてくれ、こっちは何もかも捨てて家族と町へ引っ越したっていいんだ、と。どうしたらいいのか、今はまだ判断がつきませんが、それにしても、あの兵士、なかなかうまいことを言ったもんです――〈きょうびはどこの物持ちの太鼓腹でもハリネズミが走り回ってるんだ〉。それを聞いて、わたしはセーヴェルを旅したときのあるシーンをふと思い出しました

『巡礼ロシア』の第一部「魔法の丸パンを追いかけて」。

5月19日――ミーチング。

 村の女たち。
 「ミーチング*1って人をこの目でちゃんと見たんです、はい。黒いぼさぼさ頭がガラガラ声で怒鳴ってましたね――『おいみんな、地主の奴らの土地は好きなだけ奪(と)っていいぞ、なんて』
 『そうだ、もちろんだ。奴らはいっぱい持ってやがるからな。なんでも、〔18〕12年にあるフランス人はモスクワのはずれの方の土地をいっぱい遺していったらしいぞ』
 『町はずれなら、土地はどこにだって有り余るほどあるのさ』
 『どこの町はずれにもあるってか! でもおめぇ、そんな遠いとこの土地、どうやって引っこ抜いてくるだよ!』
 『そんことわけねえさ。町はそのうち廃止になるって言ってるぞ。もう無くなるんだ。どの土地も百姓たちで分け合って、この世は百姓だけになるんだよ。皇帝や皇后のの代わりに、なんでもブレシコ*2とかいうのを選ぶんだって話だ」

*1英語のmeetingのこと。集会。この外来語を村のこの女性は人名だと思い込んでいる。

*2革命婆さんのブレシコ=ブレシコーフスカヤについては、1917年4月2日(九十)を。

  馬なし農民

 そのとき、馬を持たない農民たちが集まって話し始めた。『土地なんか要らねえ!』馬なし男たちは一時(いちどき)にばらばら勝手に喋りだしたが、いずれも言ってることは同じだった――土地なんか要らん! わしら馬を持たん人間は主家〔の旦那〕に食わせてもらってる、1サージェン耕して8グリブナだ。土地が無くなったら、誰がわしらに食わせるちゅんだよ。金持ちになった百姓がか? 冗談じゃねえや。そんな野郎はくたばりやがれ。柳の皮みてえに生皮を剥がれっちまう。土地なんか要らねえ。そんなものどっかへ消えちまえ!」

  独身者の声

 革命の時期を通してどんな政党にも属さなかった人間の声が聞こえてくる。誰もその孤独な声に耳を傾けない。男は滅びかけている。なんせ単独者だから。だが、時が経て、人びとはその声を聴くことだろう。そしてそこに磔にされた神の声を聞き知るだろう――『われのもとへ来たれ、凡(すべ)て労(らう)する者、重荷を負ふ者、われに来たれ、われ汝らを休ません』〔マタイによる福音書第11章28節〕。

  大地と人間の町から

5月20日――タヴリーダ宮殿への手紙。

 パンチェリーモン・セルゲーエヴィチ!
 どうか国会の臨時委員会へ伝えてくれたまえ。わたしはもうオリョール県の委員会(コミチェート)の全権(代表)から降りようと思う。この仕事はもうわたしには無理だ。わたしはソロヴィヨーフスカヤ郷共和国の捕囚にすぎないのです。
 あなたは〈オリョールはずたずたにされた頭〔首長〕、エレーツはあらゆる盗人(ぬすっと)の親父〉という俚言を知っておく必要がありますよ。世にこれだけの作家を輩出してきたこの県*1は最も土地なき(耕地不足の)国であり、社会的諸関係という意味からはおそらく最も疲弊した地域です。エレーツ郡は最も耕作地の少ない郡であり、オリョール県ではソロヴィヨーフスカヤ郷はエレーツ郡中最も土地なき土地、そしてわたしのフートルはソロヴィヨーフスカヤ郷中最も耕作地の少ない2つの村の間にあるのです。シバーエフカ、キバーエフカと呼ばれるその2つの村*2は、互いに何世紀にもわたって敵対関係にあります。シバイ人〔シバーエフカ村の住人〕には旦那みたいな(横柄で、人を見下すような)ところがあり、キバイ人〔キバーエフカ村の住人〕もまた国家的人物であるかのごとく振舞う人たちです。

*1オリョール県出身の有名作家はイワン・ツルゲーネフとニコライ・レスコーフ。

*2シバイもキバイのそれぞれの村の住人たちの俗称。シバイは仲介者、ブローカー、博労を、キバイは暴れ者、喧嘩好きを意味する。

 シバイ人とキバイ人はわたしのちっぽけな土地に対して似たような野心を抱いています。もしキバイ人の誰かがうちの土地に馬鍬を入れれば、シバイ人は間違いなくその男をオヴラーグに突き落とすだろうし、逆にシバイ人が〔うちの土地を〕鋤き始めたら、やはり同じことをするはずです。わたしの母が50年以上もなんとか領地経営をやってこれたのは、じっさい彼らのこの烈しい不和反目のおかげだと言ってもいいのです。
 今次大戦中〔1914年11月1日〕に母は亡くなり、わたしに16デシャチーナの耕地と庭〔母の造園〕を遺してくれました。ひとつ想像してみてください。その素晴らしい庭園と菜園と16デシャチーナの立派な耕地の所有者であるわたしが、なんとなんと、臨時委員会の代表としてシバイ人とキバイ人のために一肌脱ぐよう要請されたのですからね。まったく、なんという巡り合わせでしょう! 彼らは恐ろしいほど疑り深い人間です。近ごろ彼らに対し、自分たちの村の教会の鐘楼からの眺めと国家的見地の相違についての説明がなされたのですが、彼らが『そりゃどう意味だ?』と騒ぎ立てたので、『国王が追われたんだ、だから同志たちよ、おたくらはわれわれを再び国家的見地に立たせたいとそう思っているのではないのかね?』。
 まあでも、概して初めのうちは順調に事が進んでなかなか面白かったのでした。いま地方の暮らしは駄々っ子が自分のものを投げ散らかしている状態なのですが、同時にそうしたことがすべて現在ペトログラードでつぎつぎ起こっている政治的攻撃に完全に倣っているいるような印象さえ受けます。2、3週間後、その波はわれわれの足下にまで達するでしょう。そして地方でもたちまちその小型化した事件を繰り返すようになるのです。
 もうどんな代表団も要りません。仲違いせずペトログラードでお互いうまく生きていくことです。そうすれば、われわれのほうもうまく具合よくいくのです。でも、いいですか、もしそちらに不和や摩擦が生じれば、派遣された現地の代表団こそいい面の皮です。平和と慈悲のスローガンを掲げて革命は起こったのです。キバイ人たちはオヴラーグを迂回してようやくシバーエフカ村に集合しました。
 委員会の命令に従って、わたしはまず彼らに、わが国にはいかなる二重政権も存在しないことを説明しました。彼らもそれには大満足です。新聞がなかなか届かないので、ペトログラードがすでに二重政権下にあるのかどうなのか、そこがわたしにもわかりません。

 キバイ人とシバイ人には村委員会と農民代表ソヴェートはくれぐれもちゃんとした〔まともな〕人物を選ぶようにと言いました。ここ数日、オヴラーグを挟むこの2つの村はまるで蜂の巣をつついたような有様です。そしてこの間にわたしはペトログラードから嫌な情報を受け取りました。シバイ人たちがキバイ人のことでわたしに苦情を持ち込んできました――キバイ人がソヴェートへの代表に刑事犯を選んだというのです。わたしはそれは駄目だ容認できないというメモをソヴェートに送りました。それに対してキバイ人は、代表者が刑事犯でもわれわれは構わないと言ってきました。なぜ構わないのかと厳しく問いただしたのですが、そんなことはここではよくあることだとわかっただけでした。
 町の法律の専門家たちがそうしたことは革命下では合法的でさえあり、フランスでもそうだった(曰く、泥棒はいつだってそこらの農民たちよりはるかに知的である)とわたしに説明してくれました。あれこれ質問攻めにしたあとで、わたしは、選出された代表者たちの犯罪行為などぜんぜん取るに足りないとわかって、ほっとしました。その後は何事もなく過ぎていきました。順調そのものです!
 もちろん、わたしはじっとしているわけではない、郷委員会や郡委員会をいくつも回って歩いています。いずれどの郡委員会も村落は組織された、至るところに郷安全委員会、村安全委員会、農民代表ソヴェートが、都市では農民同盟が設立されたと報告してくることでしょう。
 ちょうど今ペトログラードから不和反目の波が及んだところです。どこの委員会もコミサールや役所の長を召喚して、新人の選び出しにかかっています。委員会の会議は、少数派を多数派に従わせて強引に全会一致を要求する政治集会に一変してしまいました。

 今やどの郷も、政府の命令も他の郷や郡の決議も完全に無視した(つまり自由に好きなことのできる)独立共和国に変貌しつつあります。

 うちのクローヴァーの原へ今、馬に乗った村の坊主どもが向かっています。近隣の村から女たちが総出でうちの林に入っていくところです。播種を終えたばかりのうちの畑を通って行くのですが、そこで何をするかと言えば、勝手に木を伐ったり草を引っこ抜いたり薪を運び出したりするためなのです。自分の薪を守るためにわたしは郷委員会に足を運びました。『みなさん、あなたたちはこの委員会で、土地所有者も農民も薪には手をつけず、それを国家の所有物とすると決議したではありませんか。そのため、それについての政府からの命令もそんな法律もないことを知っているのに、わたしは村の決議に従ったのです』。すると、モスクワから新思想を持ち込んできた兵士が言いました――『どうして法律がないんだ、これが法律じゃないか!』と言って、タイプ印刷されたナントカ党の綱領を読み上げたのです。
 わたしは党間の違いを、今でも自分が信じている政府の戦術と命令によって説明しようとしました。無駄でした。社会主義者たちが加わった新しい政府についても話をしました。まったく無駄でした。そうした情報がまだ村には届いていないので、彼らは信じないのです。一方、兵士はわたしのあとで、例の〈地球は闘争のために造られた〉、盗られたものお盗ったけであるという大演説を2時間もぶったのです。そして最後に、いよいよ戦争は集結する、われわれのいちばんの友はドイツ人、敵はイギリス人なりと総括したのでした。
 もちろんキバイ人もシバイ人もわれわれも、外国の政治問題の運命を決することはできない、外国語もわが国はむなしく響くだけです。しかしわたしを恐怖させるのは、キバイ人とシバイ人がまず間違いなくわたしのわずかばかりの土地をめぐって烈しく争うだろうこと、旦那シバイ人が国家キバイ人を移住させ、逆にキバイ人はシバイ人を追い出す決議を採択するだろう、ということです。もうそろそろ休耕地に犂を入れる時がやって来ます。他人の畑を耕しに出かければ、彼らは必ずそこで取っ組み合いの喧嘩を始めることでしょう。
 「土地の略取と分割に取り組もう! いいですか、罰当たりなこと(バスルマーン)をしてはいけない! あくまで〈計画的かつ冷静に〉地主から雇い人たちを解き放たねばなりません!」。そんな演説お盛んをぶちながら、そのとき兵士は、わたし(こっちだって労働量(ノルマ)を持っているのですが)や人を雇っている農民土地所有者たちに地主のレッテルを貼ろうとしました。こちらの言い分などまったく聞こうとしません。なぜなら、わたしを土地所有者で政府の側の人間だと思っているからです。
 全員心ひとつ意見もひとつであるかのように見えます。くれぐれも誤解のないように。そんなことはないのです、うわべを取り繕っているだけです。心中は反目が一触即発の緊張状態にあるのです。あるとき、集会から帰る道みち、いつでもみなと同意見という農民と一緒になったことがありました。その男は小さな声でわたしに――『おたくは初めのうちこそいい話をしたみたいだったが、なんでまた最後はあんなに支離滅裂になりましたかね?』と言いました。『そりゃあ、うまく行きそうもないことを強行すれば、逮捕されるか半殺しの目に遭うからね』―『そりゃぶちのめされる、もちろんそうだ、でも、なんで政府はおたくにカザーク兵を送ってよこさないんだろう?』―『カザークをだって? とんでもない。まったく、何を言い出すかと思えば。わたしはまるひと月も話をしているじゃないか。こうした仕事はすべて合意の上に成り立っているって』―『それは無理ですよ、わが兄弟を鎮めるのは政治的麻痺(パラリーチ)しかあり得ない! まあたとえば、ここじゃ昔からシバイとキバイがこうして肩を並べて暮らしているわけだがね……』

 次の日、うちのお手伝い〔女〕が急に、自分もほかの使用人もここをやめるように言われてると言い出しました。どうしたらいいのでしょう? 男の使用人は馬なし百姓なので困っている、ほかの馬なしたちも泣いています、とても辛い、と。いま1デシャチーナ30~40ルーブリで耕している、全権力が百姓の手に移ったら、いったいどうなることか。『土地なんか要らん、土地なんか消えちまえ!』そう叫んでいます。ここでは(非常に特徴的なのは)、村でも耕作地の少ない革命家は(三語判読不能)に反対していて……
 土地所有者がやって来て、まるでヤマナラシの枝みたいに身を震わせています。しかし誰よりもひどい状況に陥っているのは、わたし自身です。使用人を奪(と)られようとしているからです、そろそろ休耕地に犂を入れなくてはなりません。もし自分たちが耕さなければ、キバイとシバイがやって来て必ず取っ組み合いになるでしょう……昼も夜も家族のことを考えています。育ててきた木だって――林檎や菩提樹(リーパ)は叔母さんやお婆さんのようなもの。みんな大事なのです。土や大地のさまざまな夢は、小さいころからずっと読んできたトルストイやウスペースキイやレスコーフやトゥルゲーネフによって育まれてきたのだし、家を建てるときのあの苦労だって……ああしかし誰かにそれを渡すことができるなら、そんなことは何でもない、たやすいことです。でも、渡せる〔伝える〕相手がいない。郷委員会に? 郷委員会が村ソヴェートを通してシバイ人に渡せば、キバイ人は黙っていないでしょう。何もかもずたずたにされてしまいます。たぶん略奪し合ってお仕舞いでしょう。出口は一つ――わたしが自分で耕し、妻が乳を搾り、子どもたちに放牧させればいいのです。

震えるヤマナラシの木――俗に〈恥じの木〉また〈呪われの木〉。その葉がかすかな風にもざわつく(山鳴らし)ことから、おのれの罪を意識している木のように語られている。イエスが磔になった十字架も、ユダの首くくりの木も、いずれもヤマナラシの木とされている。根拠はない。薪にすれば煙突に煤が溜まらず、酸っぱいキャベツの漬物桶にその小枝を一緒に入れると、発酵が起こらない。国木田独歩の『武蔵野』の雑木林。

 有り難いことに、家族はみな元気ですから、ここの農民たちに負けないくらいの仕事はできます。しかし自分が派遣された本来の目的は、法秩序の理念(イデー)は、どうなってしまうのでしょう?
 土地を所有する普通の農場経営者(ファーマー)として、わたしは二枚刃の犂で森まで続く長いながい犂道をつくり、妻は薄粥(クレーシ)を煮て、子どもたちも牛の世話をする。シバイもキバイもこりゃ驚いたという顔で、オヴラーグの両側からこちらを見ることでしょう。彼らは、まさか、こりゃねえぞ、面白くなってきたわい――そう思っている。でも、その『まさか』が起これば、面白いことなど何もない。わたしとしてはとにかくひたすら畝を起こしていくだけだ……
 まずいのは、郡内で犯罪が頻発していることです。
 ひと晩家を留守にするのも、現在は危険なのです。私有地にはりついて、自分はもうほとんど囚われの身です。おまけにシバイもキバイもわたしが耕すのをあきらめるのを待っているのです。彼らは互いに(できたら)良質のちょっとした土地を奪ってやろう手ぐすね引いて待っています。土地と自由の社会主義の夢を抱きつつ、今わたしは自分の所有地の十字架にかけられようとしています。

土地と自由の社会主義の夢――ゲールツェンやチェルヌィシェーフスキイの思想を受け継いだ青年たちは、1874年に〈人民の中へ(ヴ・ナロード)〉の運動を起こしたが、農村では受け入れられず、その失敗を踏まえて、76年に革命の結社〈土地と自由(ゼムリャー・イ・ヴォーリャ)〉が生まれた。抽象的な社会主義を説くのではなく、すでに民衆が自覚している具体的な要求――〈土地と自由〉を掲げて再び農村に入った。農民には受け入れられたが、当局の弾圧はいっそう激しさを増した。土地と自由の社会主義の夢は1870年代後半にピークに達した。

 なんとかしてすべてが一変しないかと期待しています。わたしには土地の所有権を放棄して逃げ出すこともできるのです。少しはいい兆しもあることはあります。たとえばきのう、老婆がわたしにこんなことを言いました――『戦争はもうじき終わりますよ。息子からの便りに、ロシアの兵たちがドイツ兵を攻めて断固追い出すという誓いを立てたと書いてありましたから』。新しい波はまだこの村へは達していないと思います。夜、寄合いの席でわたしは言ってやりました――『村の女や子どもたちがひどいことをしている。〔せっかく種を蒔いて育てている〕クローヴァーを踏みつけたり、〔若い者は〕勝手に森に入って薪を運び出したり……なぜそんなことをするのか!?』。ところが意外なことに、いきなりそこで全員が異口同音に――『そんな奴はとっつかまえろ!』と叫んだのです。これにはびっくりしました。『じゃあ自分で捕まえるにはどうすればいいかのかね?』そう訊くと、『なに、棍棒で殴りゃあいい、頭をぶち割ってやれ!』。
 照準が髪の毛一本ずれても的は大きくはずれます。いま首都での真理(イースチナ)にわずかな偏差が生じても、こちらでの兵士の演説の中身はまるで違ったものになってしまうのです。そうです、首都でそんな演説を聞いた素朴で無口な兵士は、だから村にやって来ると、それこそ手榴弾みたいに破裂するのです。兵士は暗愚な村の頭〔首長〕たちに向かって生半可な外国語を宗教的セクトの激越な口調(パトス)をもって投げ散らかします。その外国語には一つの意味――略奪(ザフヴァット)と無政府状態(アナールヒヤ)――しかありません。その手の演説が、国外での略奪ではなく国内での略奪をあまりに情熱的に奨励アピールするものなので、聞いてるこちらはただもう呆気に取られてしまいます。さらにおかしなことには、その国外での略奪行為の否定が百姓たちの頭の中では国内での略奪行為の肯定みたいに読み取られている。もちろんそれは、われわれの敵が外国ではなく自分たちの内部にいることがわかったからです。対独戦と思っていたものが内を向き始めて、今や国内戦になりつつある――そういうことなのです。

text - 太田正一  //scripts - Lightbox PageDesign - kzhk


成文社 / バックナンバー