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プリーシヴィンの日記 太田正一
2012 . 01 . 15 up
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(1917年5月11日の続き)
ミシュコーフが農民たちに語った長い演説の中でイワン・ミハールィチの心に突き刺さったのは、こんな言葉だった――『わたしが鴨を驚かしたのはイワン・ミハールィチの食糧を奪うためじゃありません、地球が造られたのは闘争のためだということを示したかったからです!』。この言葉についてイワン・ミハールィチはいろいろ考えた。そして考えれば考えるほど、どうかなってしまいそうになった。魂がしんそこ揺さぶられたと言っていい。なぜなら、彼はいつもそれとはまったく正反対の考え方を、つまり地球は平和と静寂のために創造されたわけだし、闘争というのは寒い北風や嵐のようなもの――嵐が大気の停滞から生まれるように、人間の闘争の根っこには不幸が存在する――そう思っていたからである。
そういう思いからイワン・ミハールィチは、村の寄合いで地球の平和と静寂について語ってきたのだ。すなわち土地(地球)は必ずや霊の安らぎのためにナロード=土地所有者の手に移譲されるべきであり、そうしたことすべては憲法制定会議後に実行されるだろう、その会議において初めて全民衆は声(意見)を持ち、自らどうあるべきかを正しく判断する。それまではただひたすら忍の一字で待つのみ、と。イワン・ミハールィチの主張は大受けだった。だからこそ郷委員会の代表に選ばれたのである。なんといっても彼は読み書きができたし、常に正しく身を処していたので。
それで少しはイワン・ミハールィチも晴ればれした気持ちになった。しかしそれでも、寒さのせいで蜜蜂の巣箱にガタが来たり、ナイチンゲールが(喉を詰まらせるような声しか出さず)少しも歌わないのに気がつくと、喜んでなどいられないと思い直した。するとにわかに不安でいっぱいになった。地球は闘争のために造られたという考えがまたもやしつこくまとわりついて頭から離れなくなってしまった。フートルはどんなことがあっても手放したくなかった。でも、どうしようもない。あらゆる新聞に目を通し、平和のための戦いに備え始めた。〈併合と賠償金なしの和平〉という言葉の意味をめぐって、長いこと頭を悩ました。だが、甲斐がなかった。わざわざ町まで出かけ、社会革命党員(エスエル)の学生ヴラドゥイキンに問いただした。学生は時間をかけて説明してくれた。地球儀まで持ち出して帝国(イムペーリヤ)の何たるかを弁じてくれた。言葉の意味は、頭ではわかるのだが、少しも心に響いてこないのだ。学生はイワン・ミハールィチの心に大きなわだかまり(抵抗)があるように感じた。それでしまいには吐き捨てるようにこう言った――『あなたはAを言い出すとBが必要になる人なんです、〈平和(ミール)〉を言い出せば、すぐに〈併合と賠償金なしの和平(ミール)〉になってしまう」
プレポロヴェーニエの温暖な一日。乾いた道をイワン・ミハールィチは(神に祈るために)村(セロー)*へ行くところである。以前のように人びとが教会に集まってくる。ミシュコーフも来ている。墓地では例によって例のごとく、自分のまわりに馬鹿者たちを集めて、イイスス・フリスト〔イエス・キリスト〕と聖母と奇蹟者ニコラは放っといていいが、坊主その他の神の僕どもは教会から追い出さなくてならないなどと演説をぶって、みなを混乱させている。目に涙を浮かべて、女たちはイワン・ミハールィチの方へ寄っていく。彼にミシュコーフの演説の内容を聞かせようとして――それもまるで臨時政府が聖なるもの〔聖者やイコン〕を完全廃止しようとしているかのように。イワン・ミハールィチはかぶりを振って、しきりに女たちを宥めにかかる。それから自分は教会へ――頭からはかたときも離れないあの〈併合と賠償金なしの和平〉とともに、とりあえず堂内へ足を踏み入れる。心から平和の祈りをしたいと思うのだが、いっかな〈併合と賠償金なしの和平〉がつきまとって離れようとしなのである。
*セローселоは村。ふつう農村や田舎(都会対田舎)の意味で使われるヂェレーヴニャдеревняは小村落。この小村落にとって経済・行政の中心となる基幹村落(革命前は教会のある村)がセローである。
「世界に平和を!」輔祭が朗誦する。
『ふうむ、併合と賠償金なしの和平のことだな……』と、イワン・ミハールィチは思う。と不意に、顔がきらきらしてくる。そうだ、そうなんだ。併合と賠償金なしの和平こそ世界の平和ということなんだ。
5月14日
ナガーフキンはロシア人の姓である。この一族は人間に対して犬みたいに吠え立てた(ナガーフカチ)〔動詞でワンワン吠えるの意〕わけだ。それで未来永劫この苗字を負うことになった。ところでこのナガーフキン、とんだイカサマ男なのである。彼は町人町(スロボダ)*に住んでいて、一見商人ふうだが、どうだろう? 革命の始まった27日以来、連日、演説する奴が来るようになって、昨晩も演説をぶちながら、誰がブルジョアか誰がプロレタリアかを分別しだした。ちょうどそんなとき、ナガーフキンが――『ところで、取引の仲買人はどうだろ、ブルジョアかな?』―『もちろん――と演説家は答える――ブルジョアだ!』――『では、二つの林檎とマッチ箱を臍にのせて運ぶ奴もブルジョアかな』―『そいつも仲買人だからブルジョアに決まってる!』―『じゃ、おれもそうか』―『おまえこそブルジョア中のブルジョアさ。工場や〔自分の〕家やいろいろ所有(も)っているからな』。ナガーフキンはポケットから書類の束を引っぱり出し、どうぞと言って、領収書らしきものを渡す。それらを同志たちがつぶさに調べる。石油発動機――質入れ、皮革――質入れ、建物――これも質入れ。ナガーフキンは言う――『これは工場、こっちが家だよ』。見ると、家も抵当に入って、しかもすでに更新だ。それからスーツ、長靴、婦人用のバーヌース*2と、出てくるわ出てくるわ。『女房はまだ質に入れてないが、さて同志のみなさん、どうかね、これでもブルジョアかね、それともプロレタリアかね?』。同志たちはちょっと思案しちょっと議論したところで、また二つの林檎とマッチ箱を臍で運ぶ男のことを思い出して、あれがブルジョアならやっぱりブルジョアだという結論に達したが、肝腎のナガーフキンについては何も決めることができなかった。そんなわけで、相変わらずチョールナヤ・スロボダには皮革工場主が持ち家に住んでいて、何かしら――ライ麦の山を崩したり、卵の買い占めをやったり、古い銀製のココーシニク*を溶かし直したり、死んだ子羊や犬の皮を引き取ったりと――何かしら仕事をしているが、誰もこの男がブルジョアなのかプロレタリアなのか、ひとつもはっきりしたことは言えないのである。
*119世紀に流行った袖の広い、ゆったりした婦人外套の一種。
*2昔、おもに北部ロシア地方(セーヴェル)の女性が被った帽子で、前部が高くなっていて、豪華に刺繍やビーズ玉で飾ったもの。
5月15日
パンチェリーモン・セルゲーエヴィチ*!
国会の臨時委員会代表としてわたしをオリョール県へ行かせようというあなたの思いつきに、すんでのことお礼を言うところでした。というのは、それが自分にぴったりの役目だと思っていたからです。ですから、はじめこそどの町や村でも望まれた客人だったわたしは、自分をその無党派的立場を佳しとして派遣してくれた人たちの指示どおり、あらゆるところで話をしました。臨時政府を認める党も同様にわたしにとっては近しい存在なのです。そういうわけで、どの村でも平穏なうちは万事順調にいったのですが、問題は、わたし自身の32デシャチーナの土地がある郷〔ソロヴィヨーフスカヤ〕では、何ひとつうまくいかなかったということなのです。
*パンチェレイモンが正しい。パンチェレイモン・ロマーノフ(1884-1938)は小説家、劇作家。トゥーラ県の没落貴族の出。活躍したのは革命後の10年ほどで、短編小説を数多く書いた。『幼年時代』(1924)、短編集『チェリョームハもなしに』(1926)、戯曲『地震』(1929)、長編『同志キスリャコーフ』(1930)など。その自然主義は「ロマーノフ自身の生活の文学的早撮り写真(スナップ・ショット)だ」(マーク・スローニム)。
知っていただきたいのは、その32デシャチーナのうち耕作されているのは2デシャチーナずつ8つの畑に分割された16デシャチーナだけで、それらにはクローヴァーの種が蒔かれました。残りの土地は、伐採済みの森の近くと、亡き母が丹精込めた庭の隣、それと菜園の近くにあります。
うちの子どもたちはまだ小さいので、妻の手伝いにと月50ルーブリで人を雇っています。概してフートルはかなりの赤字経営ですが、わたし自身は収入にはさほど関心はなく、村や母が造った庭で過ごす暮らしそのものが気に入っているのです。わたしは、このささやかな財産が自分を〈人民(ナロード)の敵〉にするとは一度も思ったことがない、ましてや土地の農民たちは、かつて自分のことで彼らにうるさくつきまとった巡査をよく憶えており、自分が監獄に入れられたことだって聞いているのです*。中にはわたしの書いた記事や本を読んでもいる者もいるわけですから。まさにそんな自分の古巣で、わたしは自分にとって大事な使命を果そうと大いに期待していましたが、結果はすべて裏目に出てしまったのでした。身内で分け合ったその領地(ほんの小さなものにすぎなかったのですが)を、農民たちが勝手にわたしひとりが全部相続したと思い込んでいたからなのです。話がややこしくなりましたね。でもそれは昔、父が農奴制支持者の貴族から買い取った土地なのです。そして今、土地と自由のためのナロードの闘争の瞬間(とき)に至って、これまでのこと〔過去〕が一気に雪崩のようにわたしという存在に降りかかってこようとしているのです。
なにやら狂気じみた演説家が本物の地主とわたしの名を一緒くたに論じている状況を、ひとつ思い描いていただきたい。わたしが自己弁護を始めれば(確かにそれをやりました)、ああやっぱりこいつは地主を擁護していると彼らは思うでしょう。あるいはわたしが社会の無政府状態(アナールヒヤ)から政府と法律を護ろうとすれば、むろん彼らはそれをわたしが地主や自分のフートルを護るためと解釈(と)るでしょう。それはすぐにわかりました。こちらが口を閉ざしているうちは大丈夫でした。しかし、ことここに至って、わたしは自分の生まれ故郷でついに取り返しのつかない状況に陥ってしまったのです。
どうしてそんなことになったのか、お話しましょう。あるとき、わたしのところに村の寄合いの代表というのが、聖職者をどうすべきかと助言を求めてきました。その聖職者は巡回〔説教〕で2度ばかり『血まみれニコライ』*という言葉を口にしたらしいのです。その聖職者をわたしは知りすぎるほど知っています。物静かな、たえずびくびくしている、大家族の、暮らしに打ちひしがれた人です。どうしてそんな人間が血まみれニコライのために闘うというのでしょう――30年も同じ土地で皇帝(ブラゴヴェールヌィ)の話をしてきたのですよ。間違いのひとつくらい犯さないわけがありません! わたしは言いました――『ただちょっと勘違いしたのでしょう』―『いいやあれは意識的なものだ』と代表が言います。『奴〔ニコライ二世〕ばかりか、嫁〔アレクサンドラ皇后〕のことも世継ぎ〔アレクセイ皇太子〕のことも口にしたぞ』。神父がそれを口にするや、教会一帯が騒然となったそうです。(飛び出していった15名の兵士が教会周辺でかなりの乱暴を働いた)で、騒ぎに巻き込まれなかった者たちは、これは新たなクーデタが起きたのだ、きっとそうにちがいない、それじゃまたツァーリのために祈るべきなんだ――そう理解したのでした。
*血まみれニコライ――皇帝ニコライ二世のこと。1896年5月18日の戴冠式での大惨事(モスクワ郊外のホドゥインカでの大量圧死事件)、1905年1月9日の「血の日曜日」、打ち続いたデモやストにおける大弾圧など、彼の治世下ではそう呼ばれるに相応しい血にまみれた事件が多かった。ことに「血の日曜日」事件を機に、国民がツァーリに対して抱いていた〈親愛なる父〉というイメージが大きく損なわれた。
さあどうしよう。 つまり神父は間違いをやらかした(とわたし自身は感じている)が、彼を擁護すればこちらの身の破滅です。代表が言いました――『あなたがドゥーマから派遣されてきたのですから、どうか寄合いでこれをどう扱うべきか話してくれませんか』。わたしは、困惑しながらも、とりあえず寄合いに行こうと道を歩いていると、ぼんやり石に腰かけているニキータ・ワシーリイチ爺さんを見かけたので訊いてみました。『あの坊さん、本当に〔教会の〕大扉の前で皇帝の名を口にしたのかね?』。するとニキータ・ワシ-リイチは『とんでもねえよ。坊さんは〈我らが父よ(オッチェ・ナーシ)!〉*を唱えて、あとは〈真の皇帝(ブラゴヴェールヌイ・イムペラートル)〉とそれから〈大国ロシア〉と言っただけだよ』―『そうか、じゃ一緒に寄合いに行って、真実を話そうじゃないか、ねえ爺さん!』
寄合いでわたしはニキータ・ワシ-リイチの脇を突いて――さあ爺さん、言ってやってくれ。あれは坊さんが〈オッチェ・ナーシ〉*を唱えただけだ、と。
「じゃあ、坊主は何のために女房〔皇后〕やほかの奴らの名まで口にしたのか?」
「そんな名前なんて出てこんかった』とニキータは言い張った。「坊さんは〈我らが父よ!〉と唱えただけだ、それだけさ」
みなが大声を張り上げる。議論が始まったが、結局、聖職者を審査にかけるようということになって、ようやく騒ぎは収まった。『よし、では一週間後の日曜日、原っぱで祈禱会を開いてそこへ村の代表たちを出席させよう』その日までこの一件は持ち越しとなった。
*〈我らが父よ!(отче наш!)は父なる神への呼びかけ(отчеは呼格)。父(отец)→父なる神→神父さん、親父さん(バーチュシカも親しみを込めて呼ぶときの〈父〉)。古くからロシアの民衆はツァーリを父(отец)と呼んでいた。
今、あなたに知っておいてもらいたいのは、自分がこの14日の祈禱会までどうしていたかということです。その間わたしは村の郷委員会にも町の集会にも出ていました――心に大きな不安を抱きながら。しんじつそれはこれまで一度も味わったことのない心の揺れでした。
大地が横たわっている……その性質上、最も実り豊かな大地です。でも細分化され耕やされ過ぎて、しんから疲弊した大地です。その上っ面を人間がいかにも面倒くさげに犂(ソハー)*1でほじくり、下の方では悪魔が自分のオヴラーグ*2を耕している。何もかもずたずたにされ、細かく分けられて、惨めなオヴラーグに成り下がって、やがてすべてがそのオヴラーグの中へ崩落していくのです。黒土が、石が、灌木の幹や枝や蔓が、道路が、家(イズバー)さえ、その割れ目に落ちていくのです。この大地の海には、祝福された小島が幾つも浮かんでいる。それらはオヴラーグや人間の悪意に取り囲まれた地主たちの家屋敷です。
*1ソハーはロシアの旧式の犂。原始的農具としての犂。
*2オブラーグについては1915年5月17日の日記と訳者の注を。チェーホフの傑作『谷間』(В овраге)の谷がオヴラーグ。したがって明らかな誤訳。本当は耕作不能な長く深い窪地である。農業技師でもあるプリーシヴィンにとって、〈オヴラーグ〉は自然(大地)と人間の歴史に関わる重要なキイワードだ。
歴史が未知なるものに向かって大ジャンプをしました。人間には、地主屋敷に通ずるその扉がこの世の天国の扉のように映っているのです。だが、地理学は真率にして不可侵の学問、唯ひとつのことを承知しています――この世の天国の夢を抱いてアダムは開け放たれた扉から出ていくこと、家屋敷もやはりオヴラーグめがけて飛び込んでいくこと、そしてそこへよその国の人間がやって来て、あらゆるものを鉄の鎖に繋ぎ……〔だからわたしは今〕大なる不安を心にながらこの地上を〔歩き回って〕いるのです。
わたしの人間観察を越えたところで犯罪が頻発しています。きのう、通りに面した商人たちの家が焼かれ、きょうは村で製粉屋の一家が斬殺されました。どこかの教会が略奪に遭ったというのに、司法権はまる1週間もそれを知らずにいます。なぜなら、それをどこに知らせたらいいのか誰もわからないからです。ここずっと警察は機能していません。この種の犯罪を自由になった懲役人におっかぶせてきた社会を、わたしはずっと見続けてきました。
自分の人間観察のこちら側では、どこへ行っても、とにかく追い越すか先にやるか説得するか制止するかしたくなるような人間に出くわします。ずばり申し上げると、社会主義者=革命家(エスエル)がこの追及劇ではすでに極右勢力で、こんな調子です――『同志よ、もうやめろ、考え直せ。〈他人のものはおれのもの、おれのものはおれのもの〉だって? 本当にこれが社会主義か?』
周囲をつくづく眺め、相手の意見に耳を傾ければ傾けるほど、(疑念が湧いてきて)こう自問せざるを得なくなります。いったいこの不安はどこから来るのだろう――やはり革命をものにできず、自分を捨てることができないためなのか? 才能も教育もある人たちがも本質的には、一般民衆とは一線を画して自分の家屋敷を護ってきた地主階級のように、身を持してきたためなのだろうか?
われわれは祖国の滅亡に思いを致しただろうか?『教育のあるインテリも学生も信じるな!』――これが民衆の中で日ごとに大きくなる呼びかけです。聞いていると、すぐにでも家に帰って、本や原稿を焼き捨てたくなってくる……でも、あの顔、あの醜い顔、顔、顔に取り囲まれたら、あなただってああ自分は民衆の中にいるんじゃない、演説家たちが会議の席で互いに〈同志諸君! 市民のみなさん!〉と呼び合っている深いふかいオヴラーグの割れ目に落っこちたんだなと感ずるにちがいありません。
わたしは彼らに政府への信頼が必要であることや新しい閣僚のことも話をします。なんといってもあの人たちは社会主義を打ち立てようとしてきたのですから。『わしらは信頼してますよ!』と、オヴラーグから彼らはわたしに向かって叫びます。では、政府が新たに出した森と薪に関する新しい法令だが……彼らは一斉に声を上げる。『いや、そりゃ駄目だ、木材は渡さんぞ!』―『それじゃ都市の人間はみな凍えてしまう』―『そんなこと、わしらの知ったことか、どっかほかから採ってこればいい』―『しかし、そのための貨車がない』―『探しゃあ見つかるさ!』―『ということは、おたくらは政府を信頼していないんだ?』―『いいや、わしらは信じてるぞ。政府がこっちを信じるくらいはこっちも向こうを信じてる!』。まあこんな議論はいつものこと――地球は鯨の上に、鯨は水の上に、水は地球の上に、というわけです。だが注意しなくちゃいけないのは、どのオヴラーグの人間も自分のオヴラーグしか見ていないのに、あたかも自分が地球全体を見ているかのように話すという点なのです。
この話はこれくらいにして、先に書いた例の〈審査の祈禱式〉に戻ることにしましょう。町を出て、村のその原っぱへ向かいながら、わたしは不安とやりきれない気持ちでいっぱいでした。教会の真向かいの放牧地に着いたのは、昼の2時。見るとそこには、赤旗みたいに聖幡(せいばん)が掲げられていました。聖幡には〈自由ロシア万歳! ジヌは消え失せろ!〉などという文句が並んでいます。どの旗も同じ文句(ただし〈地主はくたばれ!〉ではなく、ジヌシをジヌと略しています)です。老神父が教会から出てきました。ほとんど生きた心地もない表情で、弱々しく短いお祈りを始めました。審査員たちは、じっと穴の開くほど彼を見つめ、祈りに聴き入っています。わたしは、駄目だ、まずいと思いました。これはお祈りの場ではない、まるでキルギスの天幕にでも坐らされているような――山羊を屠るために砥石でナイフを研ぐ主人をぐるりと囲んでみなが神妙に食事を待っている――どうもそんな雰囲気でした。神父はしかし徐々に落ち着きを取り戻し、お勤めにも熱がこもってきます。声にもハリが出て……と不意に、『勝利を! 真の皇帝に……(ああ、これは参ったぞ!)……大国ロシアに……勝利を……』。そしてまたしても(審査の祈禱式だというのに!)、〈我らが父よ(オーッチェ・ナーシ)!〉をやってしまったのです! どよめき。ぶつぶつ不満の呟き。哄笑。とても可哀そうで、不快で、なんて馬鹿なと思いました。山羊の首は切り落とされてしまいました。
肝腎なのはそんなことではない、ぜんぜん違います。要するに、われわれは大地の上ではない、オヴラーグの中にいるのだということです。そしてまさにそこで、先に少しばかりお知らせしたような不運が生じたのです。生まれ故郷で今、自分の存在意義を失くしてしまうようなことが起きています。まことにぶざま、不体裁この上ないが、でもその前に大事なことを言わせてもらおうと思いました。心がずきずきしだしたとき、わたしは彼らの向かってずばり、ロシアは滅びるし、いま自分らは互いにナイフを研ぎ合っているのだ、と言いました。それを聞いて、村の女たちはひどく驚き、動揺して、すぐにわたしに『どうしたらいいのか教えてください』と訴えました。すると、ひとりの兵士が――『こっちの話を聞きなさい、どうしたらいいか教えるから』。一瞬にしてあたりは静かになりました。みんなが兵士の方に身を乗り出しました。
「この地主(わたしのこと)はあんたらに脅しをかけてるんだよ!」―「わたしは地主じゃない、16デシャチーナしか持ってない」―「同じことさ。彼はあんたらを脅かしている。ひとを脅かすのはよくない、働き手を雇うのもよくない。自分で耕したらいいんだ」―「わたしは社会活動〔派遣された仕事〕をやめる、自分の畑は自分で耕す」―「彼の仕事は兵士に任せよう。あとは自分で耕してもらおうじゃないか。同志のみなさんはわたしを信じてればいいんだ。アメリカには石油で動くプラウ〔耕耘機〕があるんだが、そいつを彼に使わせちゃいけない。彼には昔からの犂(ソハー)で耕してもらう」―「もちろん、犂で耕してもらおう!」百姓たちは繰り返すばかりです。
彼らの気分はすでに兵士の方に傾いています。わたしは声を詰まらせながら、こう言いました――
「わたしの所有物が問題で、そのためにわたしのことが信じられないなら、わたしはそれを放棄します。わたしの財産を今すぐここで受け取ってください。ただしひとつだけ条件がある――それを分割配分しないこと。全部まとめて没収すればいい、菜園も庭も家も馬も牛も土地も。しかし分割しないように。共同で耕し、わたしがやってきたようにやってください。もし分割したり分配したりすれば、隣村の人たちも分け前をくれと言い出し、それを断われば不幸が起きるでしょう」―「そうだ、たしかに不幸が起きる!」みんなその意見に賛成だ。そんなわたしの決意に気圧されたように、今度は全員、わたしの側につこうとする気配。
「同志のみなさん」と、さっきの兵士が口を挟みました。「そんな意見に呑み込まれちゃなりません。わたしには彼の考えていることはすべてわかっています。みなさんが土地を受け取ったりすれば、この地主はあとになってみなさんを訴えるに決まっている。いいですか、こっちは彼の腹の中などすべてお見通しなんだ」―「そうだ、たしかにやりそうなことだ!」―「同志のみなさん、彼の太鼓腹をハリネズミが走り回っているのです、そうとう悪賢い人間ですよ、この地主は!」―「そうだ、べんべん腹のハリネズミだ!」男たちはげらげら笑っています。
もちろんわたしも一緒になって笑いました。どんなにまずく不利な立場に置かれても、素晴らしいロシア語〔の表現〕に目のない自分は、その場を離れることなんてとてもできません。
そこでわたしは兵士に言ってやりました――
「ハリネズミはきみの太鼓腹の上にいるんじゃないのかね。きみは人間を信用しないのだから」
このひと言がそうとう気に触ったのです。兵士は怒り出しました。
「同志のみなさん、インテリを信用しては駄目です、教育のある連中を信じちゃいけない。彼が地主でないなら、彼には土地は不要です。彼は自分の教養でまわりの人間を誑(たぶら)かしているのです!」
「そうだ、そうだ!」
「だが今、われわれモスクワ守備隊の兵士にはすべてが明らかになりました。われわれはちゃんと組織されているし、今では外国の言葉だって知っています! 併合(アネクセイション)と賠償金(コントリビューション)なしの和平とはいったい何を意味すのでしょうか?」
「それは世界の平和ということだよ。わたしだってそれを望んでいる」
「聞きましたか? 彼はまたしても鬣(たてがみ)の長い奴ら〔馬→長髪→聖職者〕の方へ種馬の方へみなさんを引っぱって行こうとしているのだ。だが、われわれモスクワ守備隊は、このことから、われわれの敵がドイツ人ではないことをはっきりと知るのです」
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