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プリーシヴィンの日記        太田正一

2012 . 01 . 01 up
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4月2日

 ああもう復活祭(パスハ)だ……なのに、わくわくどころか何も感じないし興奮もしない。こんな春はわが人生初めての春……川の氷がバリバリ音を立てて割れ、たくさんの鳥たちが南の方から飛んで来て、融けた大地が呼吸を始めるそんな季節の到来に、自分はまるで気づきもしなかった。長引く戦争のおかげで、心の平穏どころか、それを得たいという気持ちまで失くしていたのだ。

 レーミゾフ夫妻とシノード教会の朝のお祈り(ザウートレニャ)に行ってきた。『世界の平和(ミール)をお祈りしましょう!』――そんな声が堂内に響き渡るが、こちらに返ってくるのは、常軌を逸した〈併合と賠償金なしの和平(ミール)なのである。教会でのお祈りと人びとの心の中で起こっていることを、どう比較検討すればいいのか? どうにも釣り合わない。いかに厳かな教会行事であろうと、赤い棺の葬儀がどんなに盛大であろうと、やはり噛み合わない。革命婆さんもプレハーノフその他の面々も、復活したキリストの栄光によって輝くわけではないのだ。

革命婆さん――(エカチェリーナ・コンスタンチーノヴナ・ブレシコ=ブレシコーフスカヤ(1844-1934)はロシアの革命家、テロリスト。「民衆の中へ(ヴ・ナロード)」の運動に参加し逮捕されてシベリア流刑、のちエスエルの前身である労働党を組織するも、スイスに亡命、のちアメリカへ。1905年にロシアに戻ってエスエル党中央委、右派のリーダーとなる。密告されて再度シベリアへ流刑、17年の二月革命により帰還し臨時政府に協力した。十月革命とソヴェート政権に反対してアメリカへ亡命、のちパリへ。その波乱万丈の革命家人生から〈ロシア革命のお婆さん〉と称された。

 ホミャコーフのところへロシアのお百姓たちが土地を要求しにやって来たとき、彼は言った――趣旨には賛成だ、ただし自分としてはの分割が郡全体で実施されることを要求する。そうやってすぐに彼らを国家的視点に立たせたのである。

 ラズームニクは言う――前線から戻った農民たちによる土地の強奪も、都市部の荒廃を招来する農業生産率の低下も阻止できない、不可能だ、と。

4月3日

 ゴーリキイと彼がイタリアから運ばせた、ロシア国民が味わうべくもない生きる悦び――それが、彼によると、いま現実のものになり始めているらしい。修道僧も幸福を手にする時代がやって来たのか。そう、やって来たのだ! ゴーリキイはいまや芸術大臣なのである。おそらく彼は社会主義者(ソツィアリスト)ではあるまい。ナロードの異教的なそうした悦びは土地強奪の欲求によって表わされるだろう(願わくは計画どおりに遂行されんことを)。将校に抜擢された一兵士の、妻に宛てた手紙というのが話題になっている。夫は女房に、将校の妻として必ず他の将校夫人たちを訪ねよ、〈サックとエスプリ〉はぜひ買い求めよと言ったという。どうやらゴーリキイは芸術大臣になることに同意したようである。

sac (仏)はゆったりした婦人用の半コート、esprits(仏)は豪華な羽根飾りのついた婦人用の帽子。

 ふつう自国民評価の基とされる選良(たとえば宗教的探求者たち)も、〈四尾の法〉では、必ずや〈サックとエスプリ〉に代表の座を譲らざるを得なくなるだろう。

九尾の狐ならぬ〈四尾の法(четыреххвостка)〉とは、「普通」「平等」「直接」「秘密」の四つを要求する民主的選挙法のこと、その略称。

 プリャーニシニコフ教授の曰く――『ヨーロッパの民族の中でいちばん遅れている民族がいまだかつてない飛切り上等なものを、どうして世界に提供できるのか、わたしにはまったくわからない』。

ドミートリイ・ニコラーエヴィチ(1865-1948)は学者。専門は農業化学、ボリシェヴィキ革命後にアカデミー会員。

 少尉補が言った――『わたくしは懐疑派(スケープチク)です』。
 ある教師は島〔ワシーリエフスキイ島〕での国会(ドゥーマ)選挙の組織化に没頭している。
 アレクサンドル・アンドレーエヴィチ〔未詳〕は社会民主党員(エスデック)に憤慨して、こんなことを言っている――『自分はできるだけのことをしている、できないことは容認しない』。
 ペトロフ=ヴォートキンは民衆にも兵隊にも有頂天だ。不安に駆られているときにも、これからどうなるんだろうと訊いたところ――『そりゃあブルジョア共和国さ!』そう宣って、さらにこう付け加えた――『それも資本主義的な、ね!』。こんなことはみなゴーリキイからの受け売りなのである。それが彼には嬉しいのだ――科学都市も、芸術の殿堂も。国民は学ぶだろうし、暮らしも向上する。結構なことだ、すべてこれブルジョア共和国。

 秩序と公正の創出は国民自らが選んだ者たちを通して国民によって為される。そのようにして選ばれたのが、わが国ではツァーリすなわち、民の法(ザコン)誕生の創造的行為において宗教的に聖別(額に塗油)された者(皇帝)であったのだが、そのツァーリ〔ニコライ〕がまず〈神の塗油者〉たるおのれ自身を信ずることをやめて、その不足した信仰心をラスプーチンから――手にした権力を踏みつけにしたあのラスプーチンから借り出したのである。フルィストのラスプーチン(教会解体のシンボル)と皇帝ニコライ(国家崩壊のシンボル)が旧秩序を消滅させるために手を組んだのだ(ナロードはその裏切りに声を上げて泣いた)。

 それでも、皇后とラスプーチンの〈裏切り〉に悪意があったかどうかは依然不明のままである。

4月4日

 メモ帖をひっくり返さなくては、いま自分の生きている時代がどのようなものかが、さっぱりわからない。すべてが自分の日常的時間の埒外で起こっているからだ。  革命前、アンドレイ・ベールィはわれわれに世界建設のオカルト的な講義をし、さあ共に自分の頭蓋の外に出ようなどと訴えかけたものだが、近ごろわれわれはその境界を越えてしまったようである。

 いつだったか、朝、自分は役所〔省〕に行こうとして家を出た。通りでは群衆が路面電車を停めていた。運転手からハンドルを取り上げてしまった。誰かがわたしに言った――あの手のハンドルは幾つか組み合わされて出来ているから、新しく作るのはそう簡単じゃないんだ、と。ということは(とわたしは考えた)、奪われたら一日おいて運行再開というわけにはいかないぞ。ではなぜ巡査たちは止めないのか? ということは(とまた考える)、ハンドルなんかどうでもいいんだ、ここではないどこかでもっと重大なことが起こっていて、だから巡査はやって来ないんだ。
 1、鉄道馬車(コンカ)は走っていた。2、路面電車も動きだした。コンカは雪まみれ。路面電車はびっこを引きひき公園の方へ行ってしまった。

 勤めている大小工場労働者の食糧課に〈閣下へ〉と呼びかける「忌々しい書類」がまだ回ってくる。こちらは苛々してくるが、閣僚会議のメンバーがわれわれに対して防衛サーヴィス産業における従業員の数を調べるよう言ってきたのだ。極めて少ない数字がはじき出された。妙な話だが、それら従業員に農業省は食糧を保障できずにいるばかりか、祖国防衛のために働いている工場の貯蔵食糧が軒並み徴発の対象にされている。まったくもって変な話である。議員の一人が会議の席で大臣に直訴した――労働者の食糧を確約せよ。確かこんな表現だった――「労働者大衆はもう通りに飛び出している」、「わたしの提案を直ちに実行すれば祖国を救う望みはまだある」。そして書類の先には、そのためにはおのれを投げ出す覚悟ないし気概が明らかに感じられた。群衆に取り囲まれた路面電車を見たときにも思ったことだが、おそらくいま重要なのは電車の破壊ではないこと、事務的技術的な視野しか持ち合わせていない人びとに「祖国救済」はとても無理――ということだった。

 パンを!
 (ハバーロフとシャホフスコーイのところでヂェメニーを育成すること)
 が一方で、書類だけはどんどん回ってくる。なんでもパンの不足から工場が停止したとか。なにせ一区全部が工場なのだ。一件ごとにいちいち農業省への手紙を作成している時間がないので、わたしは書類のコピーと毎度お馴染みの簡単な添え書き――「閣僚会議のメンバーであるNはここに閣下への完全なる敬意を表しつつ、〈かくかくしかじか〉についてご報告申し上げる次第であります」を付して送るようにした。たぶん自分はそんな書類を次の日もその次の日も書くことになるだろう。そうしたあいだにもストの参加者はこちらが夜の仕事と決めていた新聞社をも操業停止の状態にしてくれた。通りでは小旗と〈パンよこせ〉の行列が続いていた。カザン寺院の前にはサモワールまで据えられていて、それは05年以来の懐かしい風景だ。人びとの話からは、これは政治ストではない、パンを要求しているだけとの感触。しかし、彼らは知らないのだ――〈パンを!〉というのが今では〈戦争を!〉と言っているのと同じであることを。この言葉にすべてがある。この〈パンを!〉という言葉は終わりの始まり、堤防は決壊した――そう自分は日記に記すだろう。一方、局では農業省に向けて例の添書きを付した書類を次々と送りつけている。深夜、それも軍隊出動の前の最後の夜だったが、わたしは悪夢にうなされた。簡単なドイツ語の歌詞はみな理解できた。アパートの時計が一時間ごとに演奏するあの曲だが、それが夢ではこんなことを喋っていたのである――「閣僚会議のメンバーであるわたくしは、常ながら閣下への完全なる敬意を表するものであり……」。

〔4月〕27日

 トヴェーリ県の工場主がやって来て、わたしに食糧不足のためすでに労働者に2人の自殺者が出ていると言った。わたしは彼から詳しく話を聞き出した。そしてすぐに書類(農業省宛ての)を仕上げると、彼を伴って課の主任のところへ行った。話を聞いた主任は――『どうにもならんよ、軍隊が砲兵局を占拠したばかりだからね』。工場主は大きく黒目を剥いた。閣僚会議のメンバーは――『あれが組織されてりゃいいんだが……自然発生的に起こったものなら、どうなるだろう、何が起こるかわかるかね?』そう言いつつも、トヴェーリ県の手工業者の要望書にサインをし、緊急の添書き――それはまた、あの「閣僚会議のメンバーたる何某は、閣下に対して完全なる敬意を表すものであり云々」から始まっていた。部屋をいくつか通り抜けて、その先の記録所にサインの入った書類を持っていった。お嬢さん方はいかにも暇そうに、どの道を通ったら無事に帰宅できるかしらなどと話している。ほかに事務員が2人――ひとりはいて、もうひとりの、反対派に回った男に向かって興奮気味に何か言っていた。「いやそれでもわが国にはパンはまだあるんだよ」―「そんなこと言っても意味がない」と反対派は応ずる。「今はどこの工場も町も飢えているんだ」―「それでも」と考古学者は繰り返す。「わが国にはいっぱい穀物は備蓄されている。わたしはね、十分あると、そう言いたいだけなんだ」―「でも裁判所は炎上中だよ!」―「いやそれでもパンは十分あるんだ!」と老人は少しも譲らず、自前の経済プランを限界まで押し広げようとする。わたしは持参した書類を農業相に送付する手続きを済ますと、役所をあとにした。多くの同僚も定刻前に帰宅したが、そうしなかった者たちもかなりいた。省の前の、ふだん人気のない河岸通りは、群衆でいっぱいだ。みんなが同じ方向を見ているのは、遠くの空に煙が舞い上がっていたからだ。燃えているのは兵器廠だと言う者もいれば、地方裁判所だと教えてくれる者もいる。静かなアパートの時計がドイツの歌を奏でている。調子が変だ。独り部屋でじっとしているのは堪らない。我慢できなくなって、友人の画家〔ペトロフ=ヴォートキン〕に電話する。『どうしてる?』―『部屋で水彩画を描いてるんだ』―『いま何が起こってるか、わかる?』―『いや、わからん、何もわからん』―『これからきみのとこへ行くよ』。お茶を飲みに彼のアトリエへ向かったが、通りは人で溢れている。たぶん電車が動いてないからだろう。14条通りで屋敷番と誰かのやりとりが聞こえてくる。「あす戒厳令が布かれるんだ」―「誰の戒厳令だい?」屋敷番の男が訊いたのは、誰に対する戒厳令かという意味らしい。
 「それで布くのは誰なんだい?」屋敷番が訊く。
 「政府さ」
 「政府だって?」
 そのとき不意に近くで(16条通り)、戦場で耳にしたあの死の機械音が轟いた。それは戦場よりはるかに恐ろしかった。なぜなら、あっちでは自分が音のする方へ向かって行ったのに、こっちでは画家の家にお茶を飲みに行くところだったから……

 乞食たち(奇妙な風景だ)がまた大量に通りに現われた。戦争前と同じくらいの数である。今までどこに隠れていたのだろう! こうした乞食やアナーキストたちこそ、プロレタリア旦那の同志閣下(высокотоварищество господина пролетария)の邪悪な影であって、いずれの日にか新しき神の名においてプロレタリア閣下(господин пролетария)を駆逐してアヴァドン〔またアバドン(へブル語)は〈底なきところの使い〉の意、前出〕などと呼ばれる者たちなのだ。

 足かけ3年ここへ食事にやって来ている奥さん(学識のある)は、いつも食べ残しのパンを紙に包んで持って帰る。彼女はどこでも残りものを集めて、それでもって乾パンを作ってはドイツにいる夫のもとに送っているのだ。その夫は捕虜となってすでに3年目に入る。
 「みなさん、大丈夫ですよ、これはあなた方が思っているような飢餓でも恐怖でもないのです。これは旅、新婚旅行でこそないけれど、真面目な、そうあたしたちが夢中になって読んだロビンソン・クルーソーのような旅なのです」
 「わが島〔ワシーリエフスキイ島のこと〕にわれわれは――」そう言い出したのは一緒に食べていた別の仲間である。「われわれはここに、ほかとは違った、独立した国会(ドゥーマ)を打ち建てましたね。この島には非常に独特な経営秩序があるんです」
 「ふむ、なるほど、旅ですか」と彼は先を続ける――「ロビンソンの島のように、この島にも働き手はいないから、われわれは全員ここで働いて、生きることを最初から始めなくてはなりませんなあ」

 わが人生の読書遍歴――ベーベルからスピリドーヴィチ〔3月30日の注〕まで。光を求めて集まる蛾のように、全国各地から若者たちが高等教育機関〔の火中〕に飛び込み、マルクスやベーべルやベーリトフ〔プレハーノフの筆名〕で大火傷(やけど)をしてから、もう何年が過ぎたことだろう。自分はその旅のことを忘れていない。
 今でも、数こそ少ないが、まだ生き残りはいる。その事業〔革命〕を始めた自分たちは、それぞれの運命(さだめ)を胸に抱いて散りじりになってしまったが、課された使命を忘れてはいなかった。そしてわれわれはいつかきっとその経験を――共同事業の方法を語り継ぐことができると思っているのだが、でもいま誰がそんな話に耳を傾けるだろう……

 むかしは何かあれば自分の穴に隠れてじっと待っていられたような気がしていたが、今はそんな隠れ家はみな壊されて、追い立てられている。逃げ場がないのだ。アメリカへ行く? いいやアメリカももう逃げ場ではない――戦争しているのだから!

イギリスの豪華客船ルシタニア号がアイルランド沖でドイツの潜水艦Uボートに撃沈されて(1915年5月)以来、反ドイツの世論が高まっていたアメリカは、無制限潜水艦作戦実施(1917年2月)を機にドイツに対し宣戦布告した。ロマーノフ王朝が倒れ、民主主義国家アメリカが参戦することで専制国家と協調するという問題が解消されたことも要因のひとつ。

 赤旗の下、ボゴボーレツが赤い棺を両手で支えながら通りを歩いていった。教会の鐘は口を噤み、懺悔聴聞僧たちは建物の石の小房に身を隠している。長い顎ひげを撫でながら、どうにも納得いかないという顔で、だが、大いなる関心を持って窓から覗いていた。うちのひとり――敬神の念すこぶる厚き聴聞僧もやはりボゴボーレツの行動を少しも理解できずにいた。そして真夜中、夢で、ピョートルの都を行く赤い棺を見たのである。伴奏されていたのはフランスの音楽だった。赤い棺と出くわして、彼の心は烈しく戦いた。『主の甦られんことを!』と呟く力さえ残っていなかった。ぞっとして目が覚めた。そしてひたすら祈った。目を閉じるとすぐに、血塗られたような真っ赤な円柱と運ばれてゆく赤い棺が――。ピョートルその人は赤い馬に跨り、赤いマントを羽織っていた。『おお、ここからすべてが始まったのだな! いまに見てろ!』

不信心者、抗神者、背信者、無神論者などと訳されている。ボゴ(бого→бог)は神、ボーレツ(борец)は反抗する人、争う人の意。

 トゥーラ県から地主が地主を代表して農業省にやって来た。各種乳製品の製造工場を持つ人物、500デシャチーナの土地を所有している。
 地主の報告は、生産性の最大限アップは勿論、憲法制定会議まではそのレヴェルを維持するために然るべき措置を講ずる必要を説いている。
 地方農民は政変(ペレヴォロート)の噂を比較的冷静に受け止めており、土地所有者にしてもとくべつ悩むことなく郷委員会に顔を繋ぐことができた(委員会では地主も農民も気持ちはひとつ)ので、今は生産力アップのために共に力を合わせて働き、憲法制定会議までこの体制を保持しなければならない――これがその主張である。だが、、郡役所所在地に行って彼が目の当たりにしたのは何だったろう? 地方委員会を牛耳っていたのは、なんと一人の男子学生とお嬢さん〔高等専門学校生〕だったのである。自治体(ゼームストヴォ)議長は逃亡し、役員の一人などは学生と同じ真っ赤な色の服に着替えていた。それを見て、彼は言葉を失った。興奮した群衆が農民たちと合流するのを恐れて、ただちに首都へ臨時政府へ地主の代表団が派遣された。代表となった彼に託されたのは、とにかく臨時政府を支持すること、自分らの主張が政府の見解と一致しなければならない、だった。あちこち動き回ってへとへとになった彼は、最後に労働者代表ソヴェートへやって来た。そこで、兵士たちに演説をぶっていた登壇者の話から、憲法制定会議がすでに無意味なものになり、フランスでは代表者会議が銃剣で追い立てを食ったことを知った。『なんでまたそんなことを兵士たちに向かって言うのか!』 開いた口が塞がらない。郡役所所在地でもそうだったが、そっちでは学生と女子専門学校生が祖国防衛のために生産力をアップしようとは少しも思わずに、もっぱら土地と自由を語っていたのだ。労働者代表ソヴェートを飛び出すと、彼は思わずこう呟いた――この国には政府が二つもあるんだ、とてもこんなところではやっていけない、と。われわれはなんとか彼の興奮を鎮めることができた。落ち着いたところで、われわれはこう言った――ここ一月、統一を模索し続けて、どれだけのことが為されたかを話して聞かせ、今後の計画まで描いてみせた。彼は、これまでの事件の流れにはある一定の合法性があると確信し、こう〔言った〕。
 「必要なのは知識、ただ知ることですな。それじゃわれわれは知識〔情報?〕を武器に彼らと戦いましょう。まずは数字を集める、それで、数字で彼らをやっつけましょう」
 誰をやっつけるって? 誰と戦うって? 権力を奪取した学生とお譲さんとか?

 フランスの連中は憲法までつくりながら、自分らが銃剣で追い出されるとは思わなかったのか? 彼らは信じていたのだ。
 フランスだの18世紀だのに何の関係があるというのだ。今こっちは軍隊にパンを送れと言っている――それだけなんだ。ぐずぐずするな、急いで実行しろ!
 地主は労働者代表ソヴェートの置かれているところにはどこへでも足を運んだ――(四語判読不能)にも大学にもベストゥージェフ女学院にも。いずこも同じ空疎な理屈ばかり並べた。もうそんな理論なんかどうでもいいんだ、さっさと実行しろ!

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