2011 . 12 . 04 up
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*許婚(ニェヴェースタ)は年ごろの娘・花嫁候補・花嫁の意。妻と同時にしかし別個に存在する理想の愛人また〈永遠の女性〉。例の妄想。
*奇人アレクセイ・レーミゾフが主催する〈猿類大自由院〉でのプリーシヴィンの地位は猿類庁の駐在官である((十三)の編訳者によるエッセイ(三)を参照)。醜悪な現実に対抗して独自の理想的人間社会を仮想するレーミゾフ式遊戯に倣って、目下官庁勤めの身である作家の頭に浮かんだ野ウサギ庁。二月革命後に、庁は解散し、全員ニンゲンとなった(3月6日と7日の日記)。
オクーリチは職場で「車輌」を動かしているが、家ではシベリアにある自分の所有地の設計に余念がない。彼は農相を非難し、農相は統計学者と国民の愛国心の無さを非難している。彼に代わる人間が――誰をも非難することなく淡々と仕事をこなす人間が、求められている。省内の扉がひっきりなしにバタンバタン――射撃音のごとし。
ネーフスキイ大通りは〔1〕905年のようだ*。路面電車が停まった。ヤムスカーヤ通りはまだ鉄道馬車(コンカ)が走っている。古臭い、陰気な、昔のままの本物のコンカだ。電車になってからはついぞ見かけなかったので――「おお、コンカじゃないか!」と、誰もが驚いた顔をする。
*日露戦争(1904-05)で敗北を喫した年。05年は年明けからプチーロフ工場のストや《血の日曜日》事件が相次ぎ、激動の一年を予感させるに十分だった。各地で農民運動、都市部ではゼネスト(から武装蜂起へ)、黒海でも戦艦ポチョムキンの水兵の反乱が。国会(ドゥーマ)の設置法、そしてポーツマス条約の調印、鉄道スト、ペテルブルグでは労働者ソヴェートが成立した。モスクワ全市がスト、スト、大騒擾。ついに国家秩序改善についての皇帝宣言(十月宣言)だ。モスクワでも労働者ソヴェート成立。これがのちに言う〈第一次革命〉の年。
*「一日(День)」は有名な出版社主であるイワン・ドミートリエヴィチ・スィチンが発行した日刊紙(1912-18)。1917年からはメンシェヴィキの路線を打ち出す。
*コンスタンチン・アレクサーンドロヴィチ・ヴェイス(1877-1959)はロシア軍の将校(大佐)。第一次大戦の英雄。
*1917年2月23日付「ロシアの自由」紙の記事。二月革命下の首都で展示された画家ペトロフ=ヴォートキンの作品「火線」(1915-16)をめぐっては賛否両論が渦巻いた。制作からすでに3年、描き始めたころは社会全体に愛国的な感情が漲っていたが、1914年の戦争は……今はもう誰もが何かの終わりを感じ始めている。勝利のことは誰も口にしなくなった。では敗北か? たしかに状況はそのようだ。大作に向かっていた画家自身も、自分には芸術家として何かが足りないと感じ始めていた。
狩猟好きのグリーシカ〔ペテルブルグのホテルの玄関番をしている同郷人。前出〕。いっぱい武器を持っているらしい。彼が言う――〈猟期到来〉の声を聞くと、家が要塞と化するのだと。それほど大量の弾薬筒……いったい何を撃つんだろう?
「やってみるかい? 一度うちにおいでよ!」
(性的な)情欲はワガモノにされた存在(人間)の醜い死体を余すところなく曝け出すが、しかしそこには愛がある――生あるものからサンチョ・パンサを摘出すれば、残るは狂気のみ。ここずっとロシアを救ってきたのは、そのサンチョ・パンサなのだ。
著作集に取り組む。さらに上をめざすドン・キホーテふうの物語――「グレージツァ」およびサンチョ・パンサふうのもの*――「播種」「焼けた切株」「ラヂウム」。自分はいつも物語をひとつ書き上げると、すぐに次作に取りかかる。「イワン・オスリャニチェク」のあとは「ニーコン」で、次が「グレージツァ」、そのあと「播種」というふうに。いま頭にあるのは「アピス」だが、同時に「分割(ラズヂェール)」のことも。*ここでは『グレージツァ』という総題を持つ一連のルポ(「年代記」1917年第2号-第4号)。作家としての焦りが感じられる。あるのは中途半端なプランだけ。「アピス」や「ソーンナヤ・グレージツァ」については1914年の(七)を。
サドーヴァヤ通りを行く中隊が聞き耳を立てている――
「12時と言ったのかな?」と下士官。
「発砲はこれで12度目だと言ったのであります!」兵士が答える。兵士たちは勢い込む。発砲を期待しているのだ。
わが課は大混乱だ。弾薬工場のストについての暗号電報が見つからない。これは非常にまずい。必死になって捜すが、見つからない。途方にくれる。
〈パンよこせ!〉のスローガンを掲げたこのストライキが、世界戦争の前線〈フロント)を突き破ったという共通感覚があって、そうした理論、たとえば立憲民主党員(カデット)ふうの学術的戦争綱領などはみな破綻している。戦争であったのがパンになって、軍もいつの間にか〈パン軍〉である。
面白いのは、インテリである自分が自分のパン〔収穫した穀物〕を売ろうと取引所に出向いて(売ろうとしていたのは自分だけだった)、いや馬鹿げてる、これは経済的でないしまったく無駄だと感じた、あの去年の秋の苦い経験をふと思い出したこと。
おおかたは、パンは大丈夫、特別市長〔首都および重要都市における職務で県知事待遇、革命前にあった〕だってペトログラードには十分パンがあると宣言したではないか――とそう思っている。ルーシはおおむね「パンあり」だが、入手できない。
ここ3日ほど、局長のところで自分はクズネツォーフ工場の件について報告している。局長が言う――「今はどうしようもないんだ。砲兵局は反乱軍に占拠されているし、未決監の政治犯も放免されている」
だが、自分らは相変わらず農務(業)省に向けて書類を書き続けている――穀粉および魚の不足のためドネツク炭鉱は操業停止、ネヴィヤノーフスキイ関連工場の燕麦不足のため薪の輸送は停止すべきである、と。
時計がやさしいドイツの歌を奏でている〔アパートの時計のはずだが?〕。
書類にサインしながら局長と話をする――いろんな活動家に電話をかけてみたのですが、全員不在でした。みんな一緒にどこかで集会でも開いているのでしょうか?
「そりゃ大いにあり得る!」局長も書類にサインしながら、そんなことを言う。
省を出るとき、見ると、ヴイボルグ〔地区〕の方で火の手があがっている。未決監か、それとも兵器廠か?
ペトロフ=ヴォートキンに電話した。何も知らずに〔のんびりと〕景勝地などを水彩で描いている。こっちはびっくりしてしまう。レーミゾフを訪ねようとした。〔ワシーリエフスキイ島の〕8条通りまで行ったところで機関銃の音、そのあとあちこちで砲撃音。撃ち合いだ。殷々たる砲声。逃げる人、笑っている人、ここは前線かと思う。深夜の市街地はさらに恐ろしい……
電話はどこでも通じているので、レーミゾフにはお宅まで行き着けなかったと伝える。
玄関番の女が言った――
「連帯ですよ、軍同士が連帯したのですよ! どっちもプロトポーポフの機械(マシーン)だわね!」
それからさらに、彼女は、3つの連隊が国会を警備していて、現在、〔選出された〕代表者と労働者たちが会議中であると教えてくれた。
ともあれ、全体として良い方向にむかっている――これは神の怒り、正しい怒りであるようだ。
また玄関番の女はこんなことも――「リゴーフカでどっかの爺さんが行列に並んで、やっとパンを2フント手に入れたっていうのに、可哀そうに、パンを抱えてそれっきりだって……」
大いなる恐怖の日々の到来である。
*エヴゲーニイ・セルゲーエヴィチ・ヂェメニー(1888-1969)は俳優、人形劇の監督。ロシアにおける人形劇場の創設者の一人で、ソヴェート時代に共和国功労芸術家。
トゥチコーフ通りと2条通りの角に、好奇心旺盛な連中がひとかたまり。傍らを兵士と機関銃を乗っけた自動車が赤旗を靡かせて疾駆する。令嬢がひとり腰を下ろしている。小さなお下げ、赤っぽい髪。〈万歳(ウラー)!〉とやると、車の中から撃ってくるが、これは挨拶代わり。〈ウラー!〉をやる者、必死で逃げる者。大学に衛生部隊と給食所がつくられているという。またニュースが飛び込んでくる――バグダッドが占領され、国会と国務会議は解散、その旨ツァーリに打電された、と。
夜、この建物のまわりでドンパチあり。どこかそこらに警察署長が隠れているのだ。兵士たちは玄関番の女にしつこく署長を引き渡せと詰め寄る。さんざん威かされた女は(朝のうちは勇ましい革命家だったのだが)、夜になったら急に――
「まったく、なんてことしでかしたんだろう? あれで世の中、良くなるのかねぇ?」(まさに群衆である!)
text - 太田正一 //scripts - Lightbox PageDesign - kzhk