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プリーシヴィンの日記 太田正一
2011 . 11 . 06 up
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11月3日
3日間、商工省*1のイォーシフ・コンスタンチーノヴィチ・オクーリチ*2のところで仕事。
*1商工省はペテルブルグの小ネヴァの河岸通りにあった。1915年に定礎、5階建ての建物。このころネヴァの対岸にはあまり高い建物がなかったのでかなり目立ったという。
*2オクーリチ(1871-1949)は商工省の役人。プリーシヴィンはこの月からこの省で働くことになった。
3日の勤務。オクーリチは君主制主義の社会主義者、長編『戦争と平和』に登場する、ヒーローではない普通の人物、好漢である。いかなる体制下にあっても彼は生き延びるだろう。役人たちはたいそう優しく愛想がいいが、そのちょっとした注意や軽い叱責にも傷つき、それゆえ部下や下級役人はそのことで彼らを憎むのだが、しかしあれだけ口も悪くあれだけ辛らつなのに、この男には誰もあまり腹を立てない。なぜかと言えば、オクーリチを怒らせるのは仕事のことであって、相手の人格ではないからである。もし彼が『阿呆(アショール)!』と言ったら、じじつそれはその人間が阿呆だということ。書類を見れば、その男が本当の阿呆だとわかるのだ。したがって、〔怒られて〕腹を立てるなら、自分自身(プリローダ)に腹を立てなくてはいけない。
こんな戦争の時代に自分は今、ぜんぜん無くてもいいような仕事をしている。食糧を取り仕切るある局の文書事務という「官庁間の往復文書」担当の仕事だ。ある文書をどうともなれと少し自棄(やけ)になってジョミニ氏に示した。それは閣下の手によって夥しい数の訂正と抹消がなされて戻ってきたものだった。それを見てジョミニ氏の曰く――『なにごとも閣下の気分次第だからね……』
所轄官庁の代表として、わたしは、固定価格と徴発に反対しなければならない。そういうわけで、ありとあらゆる《委員会(コミッシヤ)》なるものに嵌って、まるで水に溺れた子どもみたいに、連日バタバタしている。
家族なしのこんな暮らしを経験するうちに、だんだん見えてきたのは、自分の人生にとって家庭が本質的な意味を持たず、意味があると思っていただけ――要するに錯覚に過ぎなかったということだった。意味らしきものが完璧に外面を取りつくろって、自分のエゴイスティックな独身者的本能を蔽い隠しているのだ!
束(つか)の間、そんな一瞬があった! わたしは異国で彼女〔ワルワーラのこと〕と出逢った。まったく異なる教育を受け、まったく異なる環境に育った見知らぬ者同士が、流星のように大気圏を烈しく燃えながら通過して――巨大な火の玉が夜のしじまに隠された激情の秘密をわれわれに露わにするように、束の間、生のすべての秘密が明らかになった。二つの星があたかも一つの存在のように互いに理解し合った。そしてそのとき、彼女はわたしに言ったのだ――『あなたはすぐに素敵な人に出会うわ、それがあなたの中のより素敵なもの……いいえ、それこそがあなたの最良のものになるのでしょうね』。そしてそれはそのとおりになった。わたしたちが話したことは何ひとつ間違っていなかったし、どんな問いも天の啓示のようだった。
11月4日
局からの書簡。タイピスト嬢――生産の中心部、生の乗数と媒体、数と出産の力。すべてこれらは〔タイプライターの〕パシャパシャパシャ〔叩く音〕に転化する。
ソフィア・パーヴロヴナとアレクサンドル・ミハーイロヴィチ〔親友のコノプリャーンツエフ夫妻。コノプリャーンツェフについては(十六)〕。アレクサンドル・ミハーイロヴィチが壁暖炉(カミン)の傍らで彼女に『あなたを愛しています』と言ったとき、突然、火の玉が――永遠の彼方へ飛び去るメテオールとひとつになった〈いのち〉が、ぎらぎら火と燃えつつ轟音を発しつつ、彼の目の前を通り過ぎたのである。そのあと彼は彼女を見送った。そうしてだんだん素直に、静かに、快適な気分になった……
11月5日
小品『聖ゲオールギイの看護婦』〔未詳〕、巧く書ければいいが。戦時下の局暮らし。閣下からの締めつけ。働き手がいない。空しきはふさぎの虫。卓上電話。100部持参せよ。しかしそれを電話で伝えることはできない……タイピストたち……流星にも似た一看護婦の出現〔ゲオールギイ勲章を佩用した看護婦のイメージ。ワルワーラ?〕。それは一瞬にして宇宙の全運動を開示するメテオール。
11月10日
ラスプーチンが大本営(スターフカ)*1へ出かけた。国会情勢の悪化*2。油脂委員会。
*1ラスプーチンの暗殺はこのほぼ1カ月後の12月16~17日の深夜。
*2前月半ば(10月17~20日)に首都で労働者の高物価抗議反戦ストがあり、11月1日の再開国会の劈頭、ミリュコーフは「愚行か裏切りか」という有名な演説を行なっている(皇后アレクサンドラのドイツとの内通についての疑惑)。
11月11日(記すのは10日のこと)
朝、局長の話では、国会情勢が悪化し、ラスプーチンが大本営に向かったらしい、と。
かたちで言うと、役人は角がなくて丸く、地方選出の議員は尖ってごつごつしている。要するに、役人は、いまロシアに何がどのくらいあるかを知らない。数字を並べて巧みに切り抜けるだけが、議員は現地の生活をよく知っているから、逃がさない。役人は女と同様、噂を頼りに生きている。委員会はどれもそうした噂をバックに動いている。
11月12日
オクーリチ曰く――もしプロトポーポフが商業大臣になれば、自分はここを去る、つまり万事休すだ! 閣僚の更迭が何を意味するか、身をもって味わうことになる。それを聞いて、われわれに動揺が走ったが、彼は宥めるように――『なぁにきみらは大丈夫、変なことにはならないさ』
11月13日
ジャン=ジャック・ルソーの夢想はしばしば自然的肉体的生を生きようとするまでに至った。しばしばルソーは修道士たちの言う《手芸〔手淫〕》の罪を犯したが、本質的にそれを彼は、自分が肉体的存在であることを証明したいという夢の無分別な試み以外の何ものでもないと思っていたのだ。これは――ある日の会議(連日開かれている食糧委員会の一つ)のときに、ふと浮かんだ想念。いやまったく、毎日飽くことなく繰り返されるこんな会議こそまさに《手芸》であると。その日の議題は油脂類の不足についてだった。委員の一人は大変なペシミストで、われわれに対して、油脂不足の絶望的現状つぶさに語った。もう一人の委員(こちらはオプティミスト)は、指導力、生産力、禁漁猟区域について話した。ロシアの生産力は日増しに上がっており、われわれは魂を奪われている等々。なんでもそんな話だった。そこで閃いたのがルソー。ルソーには非常に発達した夢見る力があったので、しばしばおのれの霊性〔精神性〕を離れて自然的肉体的生に触れたくなるのだ。そしてそこに、自分の思うどおりにならない夢想の罪(無分別な)が生じたのである。一方、役人の夢はいよいよ膨らむばかり、そこで一挙にロシアの偉大な力〔生産力〕を示そうとして(かどうかわからないが)、思わず椅子を蹴って窓の方へ手を伸ばした。そして人差し指でガラスを擦ったのである。われわれは案件の採択にかかろうとしていた。で、そのとき彼の身に何かが起こったのだった。彼には人差し指と親指でコツコツ叩く癖があって、そのときも何か口にしながら、突然、ガラスをコツンコツンやりだしたのである! しきりに指を動かし、コツンコツンコツン! みんな呆気に取られてしまった。彼はどぎまぎし、叩くのをやめる――最後に一回コツンとやって。それですべてお仕舞い。それ以上なにもなかった。
11月22日
われわれは委員会の深い川底に沈殿し、なにやら蝿が蝿取紙にひっつく感じで会議の椅子にひっついていた。生きている者はみな四方八方に散り、居残ったのは死んでしまった代表者だけだった。会議はいつもそうで、(職務上)席を立てない人間だけが残っているのだ。ピョートル・ワルナーヴォヴィチは何かそのことに世界開闢以来存在しさらに存在し続けるべきものを見ており、暇なときにはそのことについて長広舌を揮う(とはいえ、なかなかどうして整然たるものだ)のである。すなわち人間は鞭なしには生きられない、義務感なしに退屈な仕事をこなすなど不可能だ、このことをドイツ国民は理解している、それを彼らは自らの土台にしていて、それゆえ力がある云々。イォーシフ・コンスタンチーノヴィチはそれとは反対の主張――委員会を去るのは生きている者たちである。なぜなら、委員会は役立たずであり、誰もが自分を一番の利益をもたらす部署に置こうとしているから。自分のとこの事務処理にピョートル・ワルナーヴォヴィチはドイツ方式を導入している、すなわちすべての書類をいったん大型ファイルに綴じ込んだのち〔大分け〕一定の順序に従って分類することを職員に徹底させている。不必要なものを別のファイルに整理すれば、いつ彼の事務所に行っても必要なファイルを取り出すことができるというわけだ。一方、イォーシフ・コンスタンチーノヴィチはフランス式の処理システムをいちばんと思っている。書類にはすべて目録を付けて比較的小さなファイルに整理し綴じ込まない〔小分け〕。そのほうが必要に応じて素早く取り出せるからだ。上司が『ジャガイモを!』とひとこと言えば、係りの者は目録に目を走らせ、一瞬にしてジャガイモ関係のファイルを取り出して届けることができる。ピョートル・ワルナーヴォヴィチのやり方はそうでない。『ジャガイモに関するものをすべて集めてくれたまえ!』と言われたら、係りは大型ファイルの中身を大雑把にファイル分けして差し出す。あとは上司が自分で適宜に処置するのである。ピョートル・ワルナーヴォヴィチのとこの機械(マシーン)は相当でかくて音がうるさいが正確であって、これまで一度も止まったことがない。イォーシフ・コンスタンチーノヴィチのとこの職員はときどき書類を〔紛失する〕ので、急に提出を求められたりすると、もうお手上げである。ときおり委員会に国会議員がやって来る。大変な意気込みで、蝿取紙にひっついた蝿みたいにぺたりと椅子にひっついて離れない。精気と信念が体から溢れ出てまずは猛突進。がしかし、すぐに大人しくなり静かになり、首を垂れてどろんとした目になり、そわそわしてやたら時計が気になったりしているうちに、いつしか委員会の深い川底へ〔完全埋没〕。
イォーシフ・コンスタンチーノヴィチは農業省〔商工省?〕の、ピョートル・ワルナーヴォヴィチは大蔵省の代表。よくあることだが、イォーシフ・コンスタンチーノヴィチが自分の企画を華々しく展開し始めると、ピョートル・ワルナーヴォヴィチは静かに耳を傾けていて、最後にひとこと感想を述べる――『いやぁ、素晴らしい。立派なもんだ。あとはわれわれがその予算をいかにして獲得するかだねぇ』
初めわたしには、そんな委員会が一切がっさいを積み込んだノアの箱舟みたいに思えたものである。各部局、各機関の、さまざまな社会活動家たちの、市の、地方自治体の、取引所の、各分野の専門家の代表たち、とはいっても、見事なほど〔委員会の水中に〕消えていくので、残る人数はさして多くない。彼らはファイルが逃げていかないのをよく知っているので、人混みに紛れた局外者のような態度で、この上なく礼儀正しく振舞っている。だが、次第に社会活動家あたりの出席率が落ちてきて、気がつくと、委員会室にいるのが職務上やむを得ない官庁の代表たちだけになっている。
軍と住民の需要を満たすためのインゲン豆とエンドウのピュレーを調達するわが委員会にも、初めのうちはいっぱい人がいて――菜食主義者の食堂からの代表さえいた――話題には事欠かなかった! 菜食主義者と肉食主義者が論争するようなこともあって、菜食主義者のひとりなどはワサビの生産開発法に関して驚くような意見を述べると、肉食主義者も負けずに、骨なし塩漬け肉についての、これも驚くべき企画を立ててくるのだった。その企画の眼目は、脂肪を煮出して〔いかに〕肉から骨と脂を取り出すかということ。油脂の不足が叫ばれている現在、それは重要である! 大半が油脂委員会で働いているので、『おお脂肪!』とばかりに飛びついた。すぐに、取れる脂肪の量が計算される。塩漬け肉(たとえそれが雑巾みたいなものでも)とにかく大事なのは脂肪だ。脂肪はそれだけで使えるから。誰かが『諸君、しかし諸君は前線には一度も出ていないね。塹壕暮らしというのは……』と言いかけて、テーマがぜんぜん違う、いま話しているのはインゲン豆についてであったと気づいて、『どうも話が逸れてしまいました』と頭を掻いたが、本当のテーマはインゲン豆でもない。肉食主義者が言ったのは、どのくらい脂肪が取り出せるかだった。この忘れ難い議論が行なわれた翌日、委員会の出席者の数は半減し、国会議員、〈肉食主義者〉その他大勢も出てこなくなった。口数もめっきり減り……ついには関係省庁の代表しか来なくなり、委員会はまったく事務的な性格のものになってしまった。
11月27日
混乱と崩壊。『ひょっとすると』とか『それはかまわんよ』とか『ま、そのうちなんとかなるさ』とか、苦しい時代に口をついて出る慰めの一言が、ロシア人の暮らしの常なる道連れでもあるそうした慰藉の一言が、今は誰からも発せられなくなった。まさしく自分にとっても初めての経験――〈祖国は危殆に瀕している〉のである。経済マップには豊作と出ているのに、どこの製粉所も動いていない(固定価格)し、干草山も築かれていない。軍事関係省庁が遅滞(引き延ばし)を許さなかったために、前線間や工場同士で、また防衛陣地同士や各種団体間で食糧争奪戦が始まっていたからである。国民の声――『裏切りだ!』。下落一方の貨幣価値をどうするか? イグナートフの株。権力が売り物に、権力者たちが相場師みたいになってしまった……
11月30日
労働義務への切換え。われわれはドイツ人を罵るが、自分たちが何をしているか、それをじつは戦争そのものが示している――毒ガス、労働その他への強制。
しかし、戦争が終わったときのことを想像して気が変になったりする。みんなが――グリーシャ〔同郷人、前出〕その他、いや人間がみな、また旧態依然の生活を繰り返すのだろうと。
単調な生活は戦争よりも恐ろしい。戦争は単調な生活の勝利、灰色人間のお祭だ。
国家の台所。課題は全ロシアのために一碗のカーシャを煮ること。が、ロシアは何も知ろうとしない。ロシアで期待されていたのはより良い暮らしだけだった。もう労働者とは口を利けないような時代になった。村の労働者と局のタイピスト嬢。今では紳士はコックになりさがり、そこらじゅうがぶつぶつぼやく一家の主でいっぱいだ。
紳士と奴隷の体制。もし自分が省内で課長とかそれ相当の地位に就いたら、下級の役人たちの完全な支配者〔主人〕になるのだろうけれど、自分より上の人物、たとえば局長なら、こちらの書類をくしゃくしゃに丸めて屑籠にポイもできる、つまり国家的地位に就けば、自分自身の自由などきっぱりと諦めなくてはならない――
そんなことを言ったのは課長である。それに対して若いタイピスト――雇用契約(軍属の)で事務の仕事を始めたばかりのお嬢さん――が猛反発した。『それが自分の信念に反するようなら、わたし、ぜったい自分の自由を手放しませんわ』――『良心にさからったら、そりゃ何も生まれませんよ、誰もあなたにペテン師になれ、泥棒しろ、賄賂を取れなんて言ってはいません。良心が侵されることはない、でも自由は縛られる、そう言ったのです』――『今では前線でだって人間の個人的な創意(イニシャチヴ)を育てしようと頑張っているんです』――『それは前線での話でしょう。でも、われわれの良心とか個人的なものは家庭生活のために取って置かれて、それ以外はぜんぶ国家に捧げられるのです』――『それじゃ二重帳簿じゃありませんか?』――『まさにそのとおり。二重帳簿です。それであなたはどうお考えでした?』――『もし、組織や体制が卑劣な行為に走って、国家の、いいえわたしの祖国の崩壊を目指しているとしたら、どうなさいます?』――『為すに任せるしかないね』――『原則的として……』――『いや原則的として、あなたは反対意見を持つべきではないのです。二重帳簿で生きていくわけだから。国家の人間としては卑劣を重ね、個人としては個人の徳を積んで、ね』――『わたし、そんなの同意できません』――『それじゃ勤めはよしたほうがいい』
わが局長には役人臭いところが少しもない。それがわかってみると、彼の昇進が周囲とのある種の不協和音にあるのかなという気がしてきた。文学で言うなら、あいつのフレーズは正確じゃないが生きいきしている――そんなところか。わが局の仕事(どこの局も似たようなものだが)は、届けられたさまざまな生活の事実資料に関して、書簡、一般文書、報告書その他を作成することである。こちらからの要請は最も親密な所轄官庁に向けられるわけだが、それがしばしば功を奏する(しかもかなり高い確率で)。その理由(わけ)は、われわれのやり方が、わが局長の人となりを、すなわち周囲との不協和音を十分に反映した書き方になっているせいではないかと思っている。つさっきもその局長がわたしのデスクに一通の電報を持ってきて、こんなことを言った――『ねえ、きみ、これは大臣宛の電報なんだが、ひとつあの汚らわしい男〔大臣〕の鰓(えら)に手を突っ込む〔首根っこを押さえる〕ような文面でやってくれないか』。こんな言い方をしたこともある――『これをイイスス様〔イエス〕に送ってくれたまえ』。
言われたとおり、こちらは「鰓」や「イイスス」を書き上げて持っていく。すると局長はささっとどっかを消しゴムで消したり、さらにどぎつい単語を書き加えたりするのである。
受け取った大臣はそんな電文に腹を立てて――『なんだ、これは! こんな文法的な間違いだらけの書類をこれまでわたしは読んだことがないぞ!』などと言いだすが、だんだんこっちのやり方に馴染んでしまう。なんと言ってもこっちは生活の事実資料〔の鰓〕そのものに直に手を突っ込んでいるのだから。
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