2011 . 10 . 23 up
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*後年『交響詩ファツェーリヤ』の冒頭(荒野)で語られる〈青い鳥〉は、初恋の相手ワルワーラ・イズマルコーワその人である。今その人がベルギーに住んでいると妄想する何か根拠でもあったのだろうか?
書物が教える世界の、なんという瑣末、なんというつまらなさ。書物に拠って生きることのなんという少なさよ。それほど人は、いやほとんどの人間は、書物に拠って生きてはいない。なのにわれわれは、小さいころからそう教えられているために、書物以上に大事なものはないと思い込んでいるのだ。
そうして、生きているあいだ、そんな騙りや魔法使い〔書物のこと〕がみなを引きつけ魅了し、あとには何も残さない(例――牧畜業は驚くべき生業(なりわい)だが、魔法使いが消えたとたん、そこにいるのは牝牛だけ)。それが姿を消したあとに残ったのはヒトと牝牛のみ。このように魔法の技は常に生を滅ぼそうとする。魔法はキャベツを餌に誘き寄せ、世界の至るところに罠と落とし穴を仕掛ける。だから、罠にかからぬためには、われらを魅する相手に倣って新しい世界を建設する必要が、動物のように早めに死ぬ必要があるのだ。
経営をめぐって。
厳寒(マロース)の到来だ。マロースはついこのあいだ、5月のことだったはず! あのときは、庭も菜園もやられ、燕麦が傷つき、キビも甚大な被害を蒙った。今いちばんの心配はジャガイモ掘りができずに終わること。雨のせいで脱穀が遅れてしまった。脱穀が終わったところですぐにジャガイモに取りかかった。放っておいたら、土中で腐ってしまう。村の娘を10人雇った。ひとり1日1ポルチンーニク〔50コペイカ〕! 1日がかりで馬車15台だ。
経営に心配事は尽きない。このマロースと雨の時期はとくにそうだ。春は燕麦とキビが心配の種だったし、菜園も庭も大変だった。5月のマロース――これには参った。夏うち地主たちは戦々恐々だったが、どうにか収穫できた。しかし早くも9月にマロースにとっ摑まったので、ジャガイモが気になってしょうがない。とにもかくにもジャガイモ掘りだ。人手が足りない。そこで10歳から12歳までの娘たちを探してきて、なんとか凌いだ。ドゥヴグリーヴェンヌイ〔20コペイカ銀貨〕ではなく1ポルチーンニクを要求された。背に腹はかえられない。
朝食後すぐにジャガイモ掘りを開始、朝食を摂ってすぐまた畑へ。午後ずっと働き、夜まで。こんなにやってもまだ終わらない!
「ああ、全部収穫できなかったらどうしよう?」
「大丈夫ですよ」そう気休めを言ってくれたのは大楽天家の年金老人だ。
「ところで、きみはどう思う?」わたしはドイツ語でハンガリー人に訊く。
「Schlecht(まずいね)!」と、ハンガリー人は答えた。
彼はぜったいにジャガイモを腐らせたくないと思っている。
*ミハイル・ワシーリエヴィチ・アレクセーエフ(1857-1918)は帝政ロシアの歩兵大将(1914)。第一次大戦では南西部と北西部の各戦線へ、15年から大本営参謀長となり、17年3~5月は総司令官。10月革命後には白軍(義勇軍)を指揮した。
そんな地図を前にしての、プリヘーリヤ・イワーノヴナ〔ゴーゴリ『昔かたぎの地主たち』の登場人物、前出〕の死。
兵士たちが逃げ出している。100万人以上も。インテリゲンツィヤはナロードをドイツ人に駆り立てた。士気が高揚したのはインテリであって、ナロードではなかった。インテリはルーシをフランス式のヒーローのように思い描き、ルーシはとんでもないもの(魔性のもの)を創り出す。
そうした境界は非常に興味深く注目に値すると思う。おそらく政府も関心を持ったにちがいない。それがどれほど不正義であるか、どれほど自尊心を傷つけものであることか! だが、裏返せば、それは、われらがコローボチカ〔ゴーゴリ『死せる魂』〕の立場に身を置くことなのである。彼女はみなから非難されると、こう答えた。『ロシア人にちゃんとした暮らしをさせたって少しも得になりません。そんなことをしたら、あなた、ロシア人はもっと働かなくなりまするわ。外国人を大事にするのはいいことよ』
もちろん、コローボチカにもそこばくの真実はある。
問題は、われわれの農業地区が土壌の豊かさだけでもって農業地区にされていること、それでみなが農業に従事しているということなのだ。だが、技術的な意味では、もしかすると、いちばん非農業地区であるかもしれないのである。ルーシを広く旅してまわった人間なら、土壌が良ければ良いほど、そこに住む人たちの暮らしがひどくなることに気づくだろう。おそらくそれは、人間と人間の、地主と農民の戦いのほとんどが土壌をめぐって起こっているからだ。土地不足、法的秩序に基づく共同体(オープシチナ)が農民を消耗させ、同時に地主をも消耗させてしまったのだ。ロシア人はどれほどまでに(どの程度)農夫でないかという一例――わが村に大鎌の刃をちゃんと装着できる人間は2人しかおらず、ほかの連中はその2人に倣って、やっとこさ……わたしはそれが実態だと思っている。最も成功しない部類から成るのが作男(日雇いの農夫)で、こちらはいつでも口に煙草(ツィガールキ)を銜えている怠け者たち。ちょっと目を離すともう耕すことをやめる、馬も頭を垂れて動かない。そのあいだ小作が何をしているかと見れば、庭のまだ熟さない林檎を棒か何かで叩き落している。そんな環境(ところ)へ入ってきたのが本物の外国人――それもいろんな技能を身につけた農業労働者たちだ。コローボチカはむろん彼らの前では後ろ足で歩いて〔へいこらしご機嫌をとり〕、食べるものにも着るものにも気を遣う。頑張りがいがあるというものだ!
そしてそのあと、ロシアの暮らしにありがちな卑屈さ――他人の目を気にするあまり必要以上に卑屈になるという傾向――客が来れば大騒ぎし、やたら走り回り、皿をガチャガチャさせて(これは空騒ぎ)、そんな喧しい音を立てて他人の目から逃れようと必死になる。たとえ外国人の捕虜であっても、同じ反応をする。捕虜は捕虜でも、ひょっとしたら、高貴の生まれかもしれないのである。
「ただもんじゃないよ、あれは」と言い合っているのを聞いたことがある。「みんなが寝静まってからも、あれのとこには灯(ひ)がついていたからな」
「灯がついてるってことは何か読んでるんだ。あの男はニコニコしていて一言も喋らんな。ちょっぴりニコッとするだけだ」
一方、農民たちの間にこんな噂が立った。なんでも自分のとこのオーストリア人のおかげで金持ちになった百姓がいるらしい。その百姓は捕虜をとても大事にし、たっぷりと食事を与え、きつい仕事はさせなかった。あるとき、捕虜が言った――『じつは自分は平民じゃありません、名のある裕福な家の生まれなのです』。それを聞いて、百姓は捕虜の旦那をいよいよ大事に扱うようになったという。こうして未来の研究者にとっては最も興味ある、じつに有り難い観察記録が作られていく。大規模な地主農場(エコノーミヤ)では主人と労働者は壁で仕切られたとても窮屈な関係にあるが、農民たちの間では垣根なしの自由な接触が生まれる。わたし自身、村でそんな捕虜のひとりを知った。あるとき、洗濯女のハヴローニヤが息せき切って駆けてきて、こんなことを言った――『あした、村にオーストリア人が連れて来られるんだって!』。次の日、村人たちが訊いた。『そんでどうなった?』『来たよ、凄いもんだ! あたしが麦の束を運んでたら、〈自分がやりますから〉と、こっちの手から束をひったくって、あたしに仕事をさせてくれないのさ。殻竿(からざお)を渡したら、それが何だかわかんないもんだから〈1本半の棒〉*なんて呼んでたよ。でも、呑み込みが早いうえに器用だから、すぐに使いこなしたわ。暇さえあれば、家のまわりを掃いてる、馬にはブラシをかけ、糞を掻き出し、家畜小屋の仕切りだって窓だっていつもごしごしやるんだから……凄いもんだよ!』
苦笑を禁じえなかったのは、主人に対してその捕虜の少々でかい態度だ。どうしてどうして、なかなか誇りが高い……
*豆類やイネ・ムギの穂を打って穀粒を取る農具。竿の先に取り付け短い棒を回しながら打つ。面白いのはどの農耕民族にもこれとよく似た形の道具があることだ。
きのうわたしは、隣の大きな領地の畑を歩き回りながら、その凄まじい荒廃ぶりに一驚を喫した。何デシャチーナという広い畑のキビがぜんぜん刈り取らないままほったらかしにされていたのである。実が風に吹き飛ばされていた。打ち捨てられた飼料用の豆は雨土と化し、ジャガイモ畑全体が凍りついているのは明らかだった……
肝腎なのは、そこがこの地方ではみなのお手本とされていたような、非常に立派な土地だったこと。つまり、ここの畑で収穫されないものはどんな土地であろうとまず穫(と)れない――そう言われたくらいの極めて上質な土壌だったのである。
きょう、わずかだが、この夏、自分のフートルで穫れたライ麦を売るために穀物取引所へ行った。そこで目にしたのは、隣家の畑で見たのと同じ〈荒廃〉だった。わが中部ロシアの黒土、穀粉生産のこの一大中心地ではなんと、まったく穀類の取引が行なわれていなかったのである。わたしは自分のライ麦を見せた。たしかに商人たちは殺到した。価格は1ルーブリ55コペイカ。
「よろしいでしょう!」
「で、配達はできますかな?」
「ええ、まあそれは……」
わたしは口ごもってしまった。今は配達などとてもじゃないのである。ジャガイモ掘りの真っ最中で馬車はあらかた出払っていた。なんせ馬車1台で20から25ルーブリ稼いでいるのだ。
配達ができなければ売るのは無理。もうちょっとあとなら大丈夫なのだが……ああ、なにをそんなに急いでるんだ?! こっちは売れなてもいい、納屋に入れとけばいいんだから。わたしは別に困りもしないし損もしない。しかし、国のため世のために頑張るというなら、すでにそれは哲学的土壌に立つ、純粋に個人的な問題である。
あるいはわたしはそんな個人的な動機から自分のライ麦を売ってしまったのかもしれない。でも、それについては言わずにおこう。いずれにせよ、穀粉を専門とするわが市〔エレーツ〕にはぜんぜん穀粉が無く、自分などがわずかばかりの穀物を売ったところで、どうなることでもなかったのである。不幸の原因は誰でも知っている。原因は一つではなく、鎖のように連々とある。だが、わたしを動揺させたのはこの一時的な不幸ではない。大丈夫、なんとか凌ぐだろう。そしていずれそれは解決を見て、最後の最後にわれわれは納屋から穀物を運び出すことになるのだ。わたしはわざとこの小文を隣人の領地の畑を描くことから始めたが、じつはこれこそがわたしを動揺させた大本だった。納屋に穀物があればなんでもないが、来年分の穀物がぜんぜん無い(たったの一粒も)となれば、これは大変と通り越して不幸中の大不幸ではないか、ということだった。いつまでもこんなやり方を続けていたら、間違いなくそうなってしまう。われわれを打ち砕いたのは最近の動員〔徴兵〕だった。人手がなくなり、最後の希望である女性たちもどこかに隠れてしまった。どこへ消えたのかわからない。彼女たちはわたしのとこでも男たち(男と言っても、配給食糧を受け取りながら、ただぶらぶらしている男は数のうちに入らない)に代わって働いてくれていたのだ。しかし、捕虜で補充できる人手不足はまだましで、本当の悩みは経営者自身が動員されてフートル自体が立ち行かなくなることだった。問題は、一般農民にではなく、農村経済を支えている人びと――村長、領地管理人、経験豊かな労働者たちにあるのだ。
以前なら彼らは、収穫したライ麦の一部をすぐに売りに出し、一部は冬のあいだの食糧に、一部は家畜の飼料に回していたから、次の収穫まで何も残らなかった。でも今は、ライ麦の備蓄分を骨折り料(奉仕代)としてこちらから受け取り、自分の備蓄分は次の収穫まで手をつけずに残そうとしている。『そうすりゃ、次の年が不作でも安心していられますからね』。もっともな話である。本来、一家の主はそうでなければいけない。そこでわたしは質した――『では、以前はなぜそうしようと思わなかったのかな?』――『そんなこと思ってもみなかったなあ……そんなことより、もっと考えなくちゃならんことがいっぱいありましたからね』――『じゃあどうだろう、もしライ麦の価格が3ルーブリになっても備蓄するのはやめないんだ?』――『3ルーブリでも5ルーブリでもやめんでしょうね。なんせお金の価値がここまで落ちてしまったんですから』
今や〔国家は〕農民たちからその備蓄分を徴収しようとしているのである。お金が安定性と全面的な購買力を保持していたときには、その備蓄分だけでわが市のかなりの数の生活が支えられていたにちがいないのだ。むろんこちらとしては、政府が市民のパンを保障してくれることを願うばかりである。わたしが言いたいのは以下のこと――なんとしてでも自分の備蓄を確保したい農民の側には、説明のできない秘めた理由など(わたしの見たところ)何ひとつないということである。М.プリーシヴィン(署名)*
*署名があるのは、「きのうわたしは……」からここまでが、ペテルブルグの新聞社各社に送ったものであるため。
キールは百姓中の旦那であり、彼のとこにはオーストリア人がいる。
「あなた〔プリーシヴィンのこと〕のとこではオーストリア人は働いておりますか?」
「いや。働いているのはロシア人だが」
「まさか? それじゃ高くつくなあ……余計な出費ってもんですよ、そりゃあ。ロシア人てのはまったくよく働くからなあ」
ソフローン――イコンのような顔をした老人――をペチカの修理に雇った。当然10ルーブリは吹っかけてくると思っていた。だから先に『大して手間はかからんから』と釘をさしておいたいた。すると意外なことに『手間がかからなくたって仕事は仕事さ。やるよ』と言う。そこでぶっちゃけて――『いくら出せばいい?』と訊くと、『2ルーブリで結構』。
過去と未来しか知らず現在の無い人間には、現在はいつでも終わりと思うらしい。死ぬまで生きる、冗談じゃない。そんなの真っ平ご免だ(バプティスト、10年戦争)。世の終わり。年寄りたちが死んで自分だけが生き残ってる。どんな気持ちがするのだろう? 現在の無い人間も、彼らが死んだときはさすがに悲しんだものだが、でも今はみなが死んで誰もいないのが嬉しい――そう思うのだろうか。
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