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プリーシヴィンの日記        太田正一

2011 . 10 . 09 up
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 正直言って、黒土地帯にフートルを有しながら農民や農業労働者たちの立場ないし利害に与するのは、きわめて難しい。夜、床に就くときなど、自分を労働者の施恩者と感じることがある――自分は彼らに高い給料を払っている、彼らの家族を養い、彼らの馬の餌も出している、そのうえ彼らの分与地を耕しているのはうちの馬たちだ、自分は彼らと本音で付き合っているのだ、と。そういうわけで、いよいよ眠りに落ちるころには、両者は戦争だって労働問題だって乗り越えられる――そんな関係になっている。
 朝、そんな労働者のひとりが『清算してくれ』と言って来た。どっかの役所(エコノーミヤ)が馬丁の仕事を(それも驚くような報酬を約束して)回してきたというのだ。夕方までに彼は自分の家をたたんで出ていった。働き手も家畜番もいなくなったので、翌日からは、代わりが見つかるまで、自分で家畜の世話をし、泥や畜糞を掘り返さなくてはならなくなった。トゥルゲーネフ名残の場所ならいくらでも書けるだろう、でもいま為すべきは農業経営である。状況としては最悪だ。たしかに労働者たちにはあまり良心というものがない。新聞を読めば驚くような記事ばかり――良心にそむくことばかりで、もう恥を恥とも思わなくなっている。どこの知事だったか憶えてないが、農民たちに対して所定の賃金で地主の畑を耕せとなどと言っていた! 失礼ながら知事公よ、ではどうしておまえさんだけは農民の畑を耕さなくていいことになっているのかな? 彼らの畑だって働き手が足りなくて困っている、収穫時にはそのほとんどが地主連よりはるかに高い賃金を払ってるのだぞ。まったくなんという変わりようか!
 まだ小さかったころの思い出だ。冬の夜である。夕食を終えると母はいつものように新聞を読んでいた。と急に母は読むのをやめて、聞き耳を立て、控えの間の方に向かって声をかけた――『どなた、誰かいるの?』。『お願いに上がりました!』おずおずと誰かが答える。ドアが開く。敷居の上に男がひとり立っている。雪まみれである。『何かご用?』――『お願いです、わしらの組〔クルジョーク(組)は共同責任を負う労働者の小単位〕にお金を貸しちゃもらえねえでしょうか?』。母はぶつぶつと、ちょっと勿体さえつけて何か言うのだが、結局5ルーブリを男に渡す(貸す相手はあくまでクルジョーク!)。そんなふうにして男は、冬に借りた5ルーブリのために地主の畑をまるまる1デシャチーナ耕さなくてはならなくなるのである。
 その同じ仕事が戦時下では50ルーブリくらいになっている。とはいえ、当時クルジョーク〔の責任において〕に土地を貸すのは、別に恥ずかしいことでも何でもなかった。みんなそうしていたからである。土地の所有や利用に関してはあまり問題化することはなかったのだ。今は正反対で、やみくもに価格は高騰、労働(労賃)と地代がしのぎを削り、地代のほうが元気づいている。何とかしようという気がまったく起きない、というより巧く相手を丸め込もうと必死になっているようだ。なかには闘争心を燃やす者たちもいて、昔はストライキをやって牢(ヤーマ)にぶち込まれたが、2度としないと約束すればよかったなどと言っている。しかし、ひとたびスチヒーヤが、すなわち抑制不能の社会的暴風が吹き始めたら、大衆(マス)は是非善悪の分別などどこ吹く風で、ただもう付いていくだろう。今はそんな状況なのである。
 いずれにせよ、ストライキが起こり始めてから、クルジョーク〔という経営システム〕は完全に消えてしまった。それを一掃したのは農業労働者を奴隷化する新たな形態だ。〈義務付き〉と呼ばれる農民たちが出現したのだ。わが郡下も例外ではなかった。いつでもどこでも耕地の不足が問題だった。農民には土地が必要であり、したがって地主から突破(とっぱ)ずれの土地を借り受け、代わりに彼らの畑の一部を耕さなくてはならない……どうやら去年そういうことがあったようで、今年は全員挙げて〔義務の労役を〕拒否しているらしい。義務付きというのはそういう意味だ……。階級間平等の問題がそんなかたちで提起されたわけだが、しかしそれは、単に地代の値上げに触発された、無自覚で、自然発生的なものに過ぎなかった。

義務付き農民。1842年4月2日の勅令――地主との契約により人格の自由と地代による土地の世襲利用権を得た農民のこと。一時的義務付き農民というのもあって、こちらは1861年の農奴解放後にも何年間か旧地主のために働く義務を負わせられた農民のこと。

 そこでわたしは、ゼームストヴォの長に、農民をそこまで厳しく追い込まぬよう……〔途中で切れている。訳者注〕

 「首都と家屋敷」*1や「旧時代」*2にあるのは、日々の営み(ブィト)ではなく博物館だ。そのためこれらの雑誌からつくられるのはブィトの幻想、考古学者のための蜃気楼であり、紙面に躍っているのは、光沢ある、つるつるした純粋にドイツふうの何か……

*1地主貴族の家屋敷(ウサーヂバ)と旧時代の暮らしぶりを紹介するペテルブルグの雑誌。上流社会の婦人たちの肖像写真などを掲載した(1913-17)。

*2雑誌「旧時代」については、1914年9月24日の日記の注(二十九)を。

8月15日

 聖母昇天祭。終末前の物価の恐ろしい高騰。それはいつも突然起こったから、農民たちはそれで、自分は何か重大なことを見過ごしたのでは、後れを取ったのではという気持ちになった。これは、どこか雲の上、黒雲のはるかな高みで、誰かが時間を加速させ、時の革鞭〔地代〕で自分たちをピシピシ叩いて、これまでとはまったく違う世界に追い込んだのだ、と。そうして追い立てられた連中も、あるとき、ひとりまたひとり、何かを感じ始める――もう逃げ場はないし逃げる理由もない。時が過ぎて、自分たちは以前とは似ても似つかない別の人間になってしまったのだ、と。それでわかったのは、以前の平凡な人間たちの暮らしをずいぶん離れたところから眺めていて、いろいろ理解できるようになったということだった……たとえば、祖国愛というものがかつての神秘的な魂の力などではなく電気や蒸気の力のような単純素朴なものだということ。生命も一種のパワーなのだから、これも実験室で気軽に研究できる……それと、心理的状態と物理的状態の間にはどんな違いもない――そういうこともわかった。

8月19日

 ガリツィアの公園。人気のない森なのに、からっぽという感じがあまりない。でもそこには、目では見えない、正体不明の主(ぬし)たちが棲んでいる。市民が帰ってしまった公園、庭園、ひっそり閑として、みな恐ろしい……

 ルーマニアが宣戦布告した。

 過去。すべて往ってしまった、完全に。人に会うことさえ嫌になるほどに。……とうていあり得ないけれど。詩人(ポエート)は結婚できても、ポエジーが夫婦生活を始めない……

 戦争を呼びかけて経済活動の圏外に出たとたん、投機家(山師)は祖国を守る人となる。

 女教師のエリザヴェータ・アンドレーエヴナは、マリア・プローク〔…〕と比べると、知能の程度はさほどでないし、賢くもない。彼女は女子中学(出身者。一方、マリア・プローク〔…〕は独学の人である。知恵と知的発達では、エリザヴェータ・アンドレーエヴナはマリア・プローク〔…〕より優れているわけではないが、話が世界の秘密に及ぶと、女子中学出のエリザヴェータ・アンドレーエヴナが〈人類の猿進化説〉をたえず口にするのに対して、あらゆる民衆的「偏見」に凝り固まっているマリア・プローク〔…〕のほうは、夢と秘密の声と不浄の力〔悪魔〕と神の存在を信じて、少しも動じない。
 黒土地帯の畑で、薄明、2人の百姓がばったり鉢合わせ。1人は町から1人は町へ行くところであった。『うちらの方〔ロシア軍〕はずいぶん死んだよ、見当もつかねえくれえな!』。そんな立ち話を聞いて、わたしは胸が締めつけられる。御者のグレープに言った――「これはどういうことだろう、なあグレープよ、ロシアにいるのがつくづく嫌になる」――「たしかに」――「でもドイツ人にはなりたくない」――「そりゃそうですよ!」

 アファナーシイ神父の小さい娘が荷馬車に乗っている。慈善箱を貰えないのかも――興奮して小さな顔は赤まだら。負傷兵のためにお金を集めたいのに。

 それでも、すべての国家が人間的なものに向かって回転している、何かしら世界の中心軸といったもの――そんなものが見えてくる。人間的なものに関心を抱かず、ひたすら自分の目的ばかりを追求する大人たちのこともわかりかけてくる。おそらくそれはそうでなければならなかったのだろう。だから商人はひとを騙し、母親はエゴイスティックに赤ん坊を愛すのだし、見張りは家屋敷を守らなくてはならないのだ。そんな鉄みたいな凄いものがむき出しになる。

 道を行く少女のあとを牝牛が2頭ついて行く。まるで少女と繋がってでもいるように。そうだ、今ようやく気がついた――素朴で無邪気で嬉しいくらいに自然なものはみな消えてしまったのだ。なぜなら、その心のこもった人間的なものの横っ腹にぐさりとナイフが突き立てられたから。〔世界から〕人間的なものがすべて〔幕が降りるように〕落ちてしまって、世界の仮借ないメカニズムが露わになったから。

 黒土の上で百姓と百姓が顔を合わせる。いかにも百姓然とした粗野で容赦のないもの、同時に人間に対しては憐れみ深いもの。ニコライ〔未詳、農民〕はただ漫然と未来を思い浮かべている。何か全体(общее)を支配しているのは、百姓ふうの堅実な、人間に対して慈悲深いものだというふうに。たしかにこのロシアの俗人の真理はわからないでもない。そこにはドイツ人に見られるあの、いつものヒーローの顔がない。ヒーローとそれに続く民衆(ナロード)。ロシアで勝ちを制するのは、塊、大衆、マスの原理にちがいない。と同時に、どうしてまたそれが自己表現もなく、つまり無人格に勝利するのかと、つい考え込んでしまう――それは奇跡か……地上における明日の世界の基盤であるのか、と。
 ヨーロッパの地図が売りに出されている。

 スターホヴィチ〔ロシア赤十字社員〕が書いている――オーストリア人はドイツ人が自分たちを戦争に巻き込んだと言ってたいそう憤慨しているが、負傷したロシア兵の話はどれも子どもじみている――『勝った、勝った!』とそればっかりであると。わが家ないしスターホヴィッチ家の愛国主義。この時期に首都名の変更*1とは、じつに不愉快。ペトログラード、ああなんて素敵でしょうと歓声を上げている。いったいどこがいいのだ! 独占体(モノポーリヤ)を愛国主義(パトリオチズム)に言い換えようという魂胆なのである。誰もが自由でないと感じている。これは二股膏薬、いや二枚舌だ……そんなことが社会の隅々で起きている。ゼームストヴォの連中は赤十字を嫉んでいる*2。社会生活への鬱々とした不満はいずれも不自由から生じ、生き生きとした感情はお役所主義(カジョーンシチナ)の枠に押し込まれている。警察なしには救いもない。

*1ロシア政府は開戦直後、首都名を敵国ドイツの言葉であるペテルブルグ(ブルグはドイツ語で町の意)からロシア語のペトログラード(グラードはロシア語で町の意)に改称した。

*21915-16年の軍事的経済的危機の下で、ロシアには、現存の行政省庁と事実上肩を並べるさまざまな委員会や団体がつくられた。赤十字社、地方自治会員連盟、ゼムゴール(都市自治会員連盟)などが軍事物資の調達(とくに中小企業からの)の中央集権化(一本化)を推し進めた。工業会および実業界の大立者たちは中央軍需工業会――防衛産業を推進し大企業間の注文の分配を円滑化するための組織――を立ち上げた。こうした活動のおかげで軍への供給がかなり改善されて、1916年6月のガリツィア作戦は功を奏した。

 勝利(リヴォーフ市の)を市長の柱〔告知板〕で知った。教会での勝利祈念をみなに呼びかけている。予定どおりの勝利、ではなく天からもたらされた勝利、とあった。涙が出るほど嬉しかった。

 戦争前の夏、苔の多い森に住んだことがあった。その森が炎に包まれた。火はわたが家に迫っていた。わたしは風上から火元と思われる方へ向かった。1本の大きな木がぐらっと揺れたかと思うと、凄まじい音を立てて足元に倒れてきた。どっかでまだバリバリ音がしていた。何か見えない地下の火にでも灼かれたみたいだった。木々が自ら倒壊――堂々たる不動の巨木たちが自分から動きだしたという感じ。単なる恐怖ではない、わたしの中の原始人が怖気(おぞけ)を奮ったのである(原始的感情の発露)。空を見上げると小さな赤い雨雲。戦争の直前には不吉な雨雲がかかると誰かが言ったら、そのあと次々と――そういやおれも赤い色の雨雲を見た――などと言い出す始末。そのとき自分は、あの燃える苔の森のことを思い出したのだ。そうだ、あの森林火事は戦争と何か関係があるぞ、あれこそ戦争の前兆だったのではないだろうか。そう言えば、こんなこともあった――今でも記憶に鮮やかなこんな光景だ。自分はがらんとした車輌の中にいた。男が入ってきた。立派な身なりをした初老の紳士である。しばらく窓のむこうの燃える森を眺めていたが、いきなり自分に話かけてきた。『どうです、日蝕は起こりますか?』。唐突な質問にびっくりしたが、すぐに応じた――『そんなのは人間には関係ありませんよ』。すると男は興奮したように『どうして関係ないのです!? 戦争の前にはいつだって日蝕が起こるのですよ。おたくはきっと神を信じないんだ、そうでしょう?』。どう答えていいかわからない。議論をしたくなかったので、おとなしく聴いていた。男は、最近起こった世の終わりのしるしについて語りだす。終末もぎりぎりになると人間は空を飛び始める――そんなところまで。燃える森の鳩色〔青みを帯びた紅色〕の煙に包まれた駅に着くと、黙って男は降りていった。また独りになったとき、わたしには、その男が炎に追われて森から森へ移動しているレーシイ〔森の魔〕のように思われてきたのだった。
 いま自分の周囲から伝わってくるのは、おのが人間的感情を生命のない巨大な国家に変通せんとする人びとの空気である。隔世の感がある。遠い昔、人間はおのれの生の営みを万古不易の円環をめぐる天体群と連結したのだが、今ではそれを「国家」と結びつけている。国家におのれの人間的なものを付託し、未来のしるしを日蝕や燃える森にではなく「国家」に求めている。たとえばそれは、「イギリスが気に入るだろう」「フランスならどう対処するか」「それこそオーストリアだ」――そんな言い方からも察することができる。こうしたことが生活の中にまで浸透し、習慣化し、当然のことと思ってしまったので、もはや誰ひとり――「このわたしが戦争の原因なのだ」とか「自分は世界を担っている」と言うことができない。さらにもうひとつ、戦前の未だに忘れられない村の光景――。そのときわたしは川の入江で釣りをしていた。聖三者の日で、イコンを抱いた神父が粗末な筏で入江を渡ろうとしていた。村で短い祈祷(モレーベン)が行なわれることになっていた。ちょうど〈父なるニコライ聖者よ!〉(スヴャチーチェリュ・オーチェ・ニコラーイェ)の詠唱が始まったばかりである。不意に、頭の上で音がした。飛行機だ、それの6機。その場にいた者でこれまで実際に「空飛ぶ人間」を見た者はいなかった。わたしは、誰もが驚いて何か深い哲学的な経験をするものと期待していたので、祈祷が終わったとき、誰彼に印象を訊いてまわった。暦で飛行機の絵を見たことのある者は、それにヒトが乗っていることを否定しなかったが、初めて目にした者たちは、あれには人間なんか乗ってない、地上から打ち上げられたものにすぎないと主張して譲らない……

三人の偉大なる教師にして聖人であるワシーリイ・ヴェリーキイ、グリゴーリイ・ボゴスラーフ、イオアン・ズラトウーストを正教会は2月12日(1月30日)に祝う。このエピソードはすでにソースニツィ村での出来事として描かれている。(二十五)を参照。

 時迫るなかで民衆(ナロード)の心裡に生じた霊性(ドゥホーヴノスチ)を表現すること……

 「ああ苦しい、どうしてこんなに苦しいの!」と、うちの小母さん〔母のマリア・イワーノヴナのこと、15年2月11日(三十八)にも同じ表現〕は言う。目を閉じれば、殺された人たちの姿が見えてくる。目を開ければ、つい考え込んでしまう。「これが文明、あたしがずっと信じていた文明なのね。でも、たどり着いた先がこれなんだわ!」75歳になるまで、小母さんが信じてきたのは、進歩(プログレス)。彼女は父祖たちが護持した古儀式派の信仰をプログレス信仰のために裏切ったのである。そうして年を取って、眼前にちらつきだした死体の山、しかし相も変わらず脳裡をよぎるのは――はたして神は、わが信仰にはたして神は在りやなしやと、ただそのことばかりだ。

 エレーツに行ったことのある人は、きっとニコライ・ブリャーンツェフ神父の名を聞いたはず。神父はこの地方の〈目覚め〉に大いに貢献した人物である。四半世紀にわたるその執拗な闘いで勝利を手にした……家並みのあいだの坂道を下っているとき、わたしは神父の家に立ち寄ってみようと決心した――わたしを誘(いざな)ったのはある種の妬ましさだった。なにせその人は四半世紀をただ黙々と働き続けたのだ。だがそれでもロシアは正体なく眠りこけていた。では国家はどうか? これも忽ち酔い潰れてしまうだろう。ところが不思議にもそうはならなかった。社会の法から何からすべてが酔いを醒まし始めたのである。

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