2011 . 09 . 11 up
(七十四)写真はクリックで拡大されます
朝。天空にはりついた星々はますますくっきりと。東の空がいよいよはっきりしてくる。でも、月は消えずに輝いている。見えているのは、突風に烈しく揺さぶられる庭の裸の木々、吹き散らされて、最後の木の葉が蝶のように舞っている。
エレーツ。社会の大波が無限の権力の断崖を洗い崩してから、もう何年になるのか――じっさい堪らない! 私生活にも社会生活にもさまざまな衝突があり、いくら考えても、死ぬまで解決のつかない問題が起きている。いずれにせよ、それらはのちのち他の人たちによって解決されるしかない。Е.П.〔エフロシーニヤ・パーヴロヴナ〕が完全に意気阻喪している。病気だ。回復のために実家〔実母、〈村の善き魔法使い〉と言われた人〕にやろうか〔どうしようか〕。
ザミャーチンの郡もの*。これは文学的に民衆に近づいてイリュージョンを起こそうとする、いやイリュージョンなどでない……が、読者のほうは予め、著者が身近な人間ではあるが身近な存在ではありたくないと思っていることを知っているし、これが輝くような文学的渋面(グリマーサ)であることを承知している……でも概して、彼らの側に立っている。しかし、文学的に身近であればあるほど、生活からは離れていく(そのいい例がレーミゾフだ)。
*ザミャーチンの事実上の処女作『ある地方の物語』(1913)。北部地方の小市民たちの生態を斬新な風刺的タッチで描き、文壇に出るきっかけとなった。(四十四)の注を参照のこと。
*1雪や氷がまだ完全には融けていない橇道。橇の使える最後の道の意。
*2雪道の窪みに溜まった水や氷の堆積。方言でプロソフチキまたザジョール。
*トゥシノの泥棒とは、偽のドミートリイ二世(?-1610)のこと。ツァーリの僭称者。イワン四世の遺児ドミートリイの名を騙った男は二人おり、偽のドミートリイ一世(?-1606)は、ポーランド王やローマ教皇の支援を得て1604年にロシアへ侵入し、皇帝ボリス・ゴドゥノーフ病死後の混乱に乗じてロシアの帝位に就いた。この男が縛り首になると突然現われたのが偽のドミートリイ二世。両者にはいかなる人間的つながりがなく、共に出自は未詳。二世もポーランド軍やカザーク軍を率いてモスクワへ(1608)、郊外のトゥシノ村に宮廷をでっち上げると、近隣の町や村で劫掠の限りを尽くした。そのため〈トゥシノの泥棒(また悪党)〉と称された。当時エレーツもこの悪党の前にひれ伏した多くの町の一つだった。
*セミーク――ルサーリヤはロシア中部・南部地方およびウクライナで広まった、復活祭後の第7週の木曜日の祭礼で、その週をルサーリヤ週あるいはゼリョーナヤ(緑)週と呼んでいる。キリスト教文化の中で継承された古代スラヴ人の異教の祭日。宗教儀礼というよりレクレーション・娯楽的な要素(輪舞・遊戯・占い・花輪編みなど)が濃い。
12日にパーヴェルとフィオーナを雇う。些事にこだわる女たちの永久戦争は無意味で空しいばかりだが、それでもこうして今、生まれ故郷に生活が築かれようとしているのだ――ちょうど旧い家を新しい土地へ移築でもするかのように。――解体ではなく構築するのだ。その道も母の昔の道、亡き母の意思どおりに続いていくのである。
最後の雪道にできた深い穴に馬が落ちて脚を傷つけた。もがいているうちに、もう一方の脚の踵を強打してしまう。一、二歩あるくと、びっこを引きだした。もう前には進めなかった……水の溢れている土手は横切れないし、橇を引き上げることもままならない。雪は水を含んだ砂糖のよう。雪にはちがいないが、これは水よりよほど始末が悪い。濡れた砂糖の固まりが土手から垂れ下がっていて、今にも崩れてきそうである。スキタイ人たちが手を差し伸べる。彼らと交わす会話といっては、どんな馬を買うか、馬具や帯革の飾金はどうするつもりだ――そんなことばかり。
イワ〔ン〕・ミハ〔ーイロヴィチ〕はクローヴァーの種をどこに蒔くか、アファナーシイは働き手をどこで調達するか、春のどの時期に誰が何をどうするか――そういうことを正確に知っていなくてはならない。納屋についてはコーリャだ。
夢。どうしてこんな夢を? どういう因果関係だ! 出てきたのはニコライ・シヂャーシチイ*。彼はそこにあるテーブルを見ている。その向こうに神が鎮座ましましている。テーブルの上には、カップのように――いっさいの原因といっさいの理由が、それぞれがそれぞれの中に、柄付きのティーカップ・ホルダーに収まったカップのごとく――いわば〔原因と理由の〕受け皿に収まっている。と、そこでニコライ・シヂャーシチイが地上に向かって愛の理由を述べ伝える。これは唯一無二の愛の理由であると。だが、遍歴を繰り返す身であるわれらは、愛が舞台装置〔環境〕を変えてしまうこと、愛や恋で頭が一杯になると、舞台装置もモノ自体も……ともかくも地上にはじつにさまざまな愛があることに気づかされて……*石の上に坐す(シヂャーシチイ)ニコライの意。肉と雑貨を商う巷(バザール)の聖者。石の上でひたすら黙念する。オーチェルク『ニコライ・シヂャーシチイ』(1923)は、連作エッセイ『大地と都市から』の中のひとつ。「そんなわけで、革命後、わが大村では、すべてが二つの教会に分かれてしまった――一つはニコライ・シヂャーシチイの石に拠る〈死の教会〉だ。これはわれらが生き死の小さな時間を蔑みながら、もっぱら永遠の時間に向かって予言をする。もう一つは僧サーシカの屋台店にある〈生きた教会〉だが、こちらはもっぱら小さな時間に対する予言にしか興味がない」「ニコライ・シヂャーシチイにとって恐ろしいのは戦争より最後の審判である」「最後の審判――それは彼がこの世でいちばん恐れるもの」(『花と十字架』(2004)から。
ロシア人の総数など、個人生活には何の関係もないようだが、ロシアを研究しているイギリス人には、それがいちばんの悩みだ。それで自分もなぜかがっかりしてしまった。さあここの人間とたちとどう付き合っていくか? 付き合いをしなかったのは、砂糖のせいだ……自分は砂糖の代わりに蜂蜜を使うことを思いついた。『あれは出ないのかね?』――親爺さんが訊く。あれって何が? と思ったが、すぐに察した。ここらではほとんどの人間が、蜂蜜を常用すると体中に吹出物が「出る」と信じているのだ。『いいや、何も出ないが』。親爺さんはわたしの消極性〔付き合いの悪さ〕を是認しなかった。自分だって是認はしていない。原則的にそうなのではなく、ただ面倒臭いだけだ。でもまあ、そんな要求もそれほど本気なものではないのかも。朝のコーヒーを自分は白パンとホットミルクで済まし、じきそれに慣れてしまった。昼食後は蜂蜜でいいし、十分やっていける。わが国の農民はまったくと言っていいほど茶を嗜まない。嗜む者もやっぱり茶をそれほど大事とは思っていない。都市の町人階級=貧窮層はまた別で、彼らは砂糖のかけらを齧りながら熱いやつを10杯も飲む。お茶と一緒にパンを食べ、それが彼らの食事である。恥さらしもいいとこだが、つい先日、自分は小さな荷車にいっぱい砂糖を積んで戻ってきた。1露里ばかりの道だったが、途中で長い行列に出くわした。自分はそのとき、雪道に立つその人たちの、血の気のない苦しそうな顔をじっと見ていただけで(彼らは砂糖を手に入れようとしていたのだ)、少しも自分の砂糖を分けてやろうとはしなかったのだ。そのわたしの砂糖というのは、まったくの偶然で、突然どさりと頭に落ちてきた雪のかたまりだった。ある日、農業組合から通知を受け取った。そこにはわたし名義の砂糖が5プードあり取りに来られたしと書かれてあった。こんなことがあるのだろうか。
お茶どころの騒ぎじゃなく、そのとき、暮らしは悪くなる一方だったので、お茶に目がない親爺さん〔村の閑人〕がやって来ると、ちょっと困った……うちでは砂糖の代わりに蜂蜜だから、それを出すと、『蜂蜜かぁ? こりゃどうもならんなぁ』。わたしは養蜂家を信じているので、彼らが「手抜して」、つまり売り物の蜂蜜にハチの幼虫やパン屑ばかりか穀粉だの水だの糖蜜まで加えて量を増やしている――そんな現場へわざわざ出かけていくなどということは、思いも及ばなかった、そんな甘いような苦いような、緑がかった液体をその養蜂家はわたしに1フント40コペイカで売っていて、こちらはすでに1ヵ月半も飲んでいるのである。だから砂糖なんかかけらどころか一粒もない。スグリのジャム、サクランボのジャム、イチゴのジャムなど言うまでもない。すべて払底。ひどいものである。親爺さんは蜂蜜をちょっと舐めてみる。そしてしかめっつらをして――それが同情なのか、わたしの経営管理の悪さに対する軽蔑なのか一向にわからないが、こう問いただすのだ――『なんでまた、あんた、砂糖を買い溜めしないのかね?』――『どこでどうやって手に入れたらいいのだろう?』――『そんなこと、どこでもできるよ。消費組合店(ポトレビールカ)で買ったらいいのさ』――『おたくらの消費組合店なんて、知りたくもないね』。
砂糖のために組合員になるなんて。5ルーブリ払ってまた別の、一般とは異なる人たちに交じって幹部連と耳打ちし合いたいとも、土地の広さと自分の社会的役割(影響力)に見合っただけの砂糖を受け取りたいとも思わない。消費組合店で砂糖を手に入れるために並んでいる非会員たちの長い行列のそばを、自分の砂糖だけ積んだ車で通りたくもない……協同組合(コオペラチーフ)ならいいが、消費組合店はどうにもいただけない。
一度その消費組合店に足を踏み入れたことがあった。理由は、町でこんなことを言われたからである――おたくは農業をやる人間なんだから、砂糖はこの土地のコオペラチーフで受け取るべきだ、と。消費組合店の前に並んでいるのは一般の人たち。ぜんぜん先に進まない。中に入ると2人のお百姓が言い合いをしていた。非会員である男はある幹部を口汚く罵っている、もう一方は猫なで声でしきりに男をなだめていた。
「まあそうカリカリするなって。うまく立ち回りゃいいんだよ」
「ナニ抜かす、いったいおめえは会員なのか非会員なのかどっちだ、言ってみろ」
「会員も会員、大昔からの会員さ」
「じゃ、なんでおめえはこんなひでえことする? 醜態の上塗りじゃねえか、よくもそんな真似ができるな、いちいち憶えちゃいねえが、でもここの大地主は、驚くじゃねえか、砂糖を16プードも受け取ったんだぞ。だから今は、いいか、一般の会員ですら、いやロシア人の誰もが貧乏暮らしをしている今は、無料で会員になるべきなんだ、そうじゃねえか!」
「そうカッカするな、だめだよ、落ち着け」
幹部会員はしきりになだめる――
「だから、うまく立ち回らなくちゃな、そうだろ……」
「立ち回るって、そりゃおめえはうまくやってるさ!」
議論の最中に、砂糖の袋を抱えた地主の奥さん(バールイニャ)が出てきた。立っていた女たちが突進した。そして口々に――
「帽子を、こいつから帽子をひっったくれ!」
奥さんはほうほうのていでその場を逃れた。興奮し、怒りで顔を真っ赤にしながらも、自分の馬車に砂糖をのっけると、後をも見ずに行ってしまった。
「いやはや、驚いた!」思わず洩れたそんな声。
しばらくして、実際に蜂蜜の悪い影響が出てきた。一家してまだお茶を飲んでいたころ、カルーガ県に住んでいる姪が0.8フントの粉砂糖を持ってやってきた。姪はまるで外国からの訪問者のようだった。カルーガ県では切符〔配給〕制が導入されているということで、1人あて月に0.8フント受け取っている。ドイツを引き合いに出してわれわれがずっと夢見ていたことを、カルーガでは実行していたのだ。姪によると、粉砂糖1フントはスプーン54杯分、お茶1杯につきスプーン約2杯である。ということは、1人が1日2杯飲むとして、0.8フントではとても足りない計算だ。だが、カルーガの人たちはそれに非常にうまく対処した。粉砂糖にミルクを混ぜて、できるだけ濃く煮固めて大きな塊にしたら、それを小さく切り分けて、改めて灰色の角砂糖にしてしまうというのだ。さっそく姪は実演してみせた。熱いスープのようなもの――固まったら軟らかい飴菓子(タフィー)になる――ができた。それをみなに配ったのである(以来、手に入った砂糖は残らず角砂糖にして使うようになった)。
それ以後、わが家では、カルーガ県の切符制度に敬意を表してからお茶を飲む習慣がついたのだが、しかしどう工夫しても、一家に週0.8フントではぎりぎりだった。それで、また元の砂糖なしのお茶に戻ってしまった。
砂糖が尽きたとき、彼女――カルーガの姪は教えてくれた。朝のコーヒーは白パンと熱いミルクにし、彼女に言われたように、夜のお茶を〈英国式に〉砂糖なしで飲んだ。姪によれば、上流社会ではお茶は香りを楽しみながら常に砂糖なしで飲むものらしい……それだと中国人のお茶と一緒である。丁度このころ、わたしは、自分が加入している農業組合から一通の文書を受け取った。じつに平凡な字で綴られていたが、その内容はとても平凡なものではない。なんと、わたしが受取人になっている砂糖が5プードもあるというのだ! 家中大騒ぎ。なんという幸運だろう! 慌てふためき、とにかく急げ、一刻も早く貰って来なくては!
町でわたしを待っていたのは、恐ろしいほどの行列だ。ミャスヌイエ・リャドゥイ(肉屋街)からウスペーンスキイ通りを突っ切ってルィビイ・バザール(魚市場)まで、延々1露里も続いていたのだ。血の気のない、疲れきった表情の町の窮民が、篠つく雨の中に(まったく小止みなく降っていた)濡れ鼠になって(それでも忍耐強く)立ち続けていた……どう見ても手に入れる望みはないにもかかわらず。店が提供できるのは粉砂糖が2フントだけである。貴族にしても農民にしてもこんなことはとうてい理解できないはず。この長蛇の列、この忍耐、この時間の無駄を理解するには、まず町人階級の貧窮ぶりを知る必要があるのだ。村の農民たちにはあまりお茶の需要がない。お茶を飲むのは〔чаевой народ〕町の人間に決まっている……
砂糖を求める人びとの行列を横目に、数分後に自分は荷車にいっぱい砂糖をつけて戻るのだ――そう思いながら店に入っていくと、とたんに奥方連(バールイニ)がひそひそ話を始めた。何か陰謀を企んでるな。自分たちの家の事情をこそこそ喋っているのかもしれないが、でもやはり砂糖の話かも。店員がいなかったので、わたしは自分の5プードを自分で車につけなくてはならなかった。積んでいるときも、どの家のどの窓からもじっと自分意注がれている視線を感じていた。シートで覆って馬車を出す――行列の脇を。なんだか泥棒を働いているような……ああ、こいつ盗んだぞ、おおい誰か、こいつ泥棒だぞ! 今にもそんな声が聞こえてきそうだった。家に着いても落ち着かなかった。使用人には黙っていた。喋れば、たちまち噂が広まるだろう。
これで全部じゃない、2、3日したらもう1台貨車が来ますよ、と組合で言われた。そうなら、あと5プード受け取ることになる……ああ。無事わが家に着いたときは、狩りで大物をしとめたような気分だった。
でも、なぜか気が咎めてしょうがない……こうした特権は自分がちゃんとした組合員だからこそのものじゃないか、みんなが会員ならみんなが受け取れるのだ――そんな屁理屈で自らを納得させようとしたが、どうにもならない。もちろんすべて嘘。戦時下だからこそ、われわれはみな平等の組合員、したがってみな平等に受け取れなくてはならない。時間を無駄にしないためにも国全体を配給制にする必要があるのだ。
text - 太田正一 //scripts - Lightbox PageDesign - kzhk