2011 . 09 . 04 up
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仲間と一緒に(二人か三人で)災難に遭ったときは、まず互いに身につけているものをひっくり返して、交換すればいい(この場合も、すべてがあべこべで裏返っているレーシイの習慣に倣うことをお勧めする)。レーシイが好んで口にする、『歩いた(ショール)、みっけた(ナショール)、落っことした(パチェリャール)』という文句を、幸運にも遠くで聞いた人間がいたらしい。だから自分でもそれを繰り返せば、窮境を脱することができるはず。『羊の鼻面、羊の毛(オヴェーチャ・モールダ、オヴェーチャ・シェールスチ)』――これも間髪入れずに発したら、レーシイは『ああ気づかれた!』と叫んで、すぐにも退散するだろう。
だが、何をやっても無駄な日というのがある。年に一度だけ、レーシイたちが狂ったようにはしゃぎまくる日(10月4日)だ。これはどうにもならない。お百姓たちはそのことを知っているので、その日は森には近づかない。
受苦者エロフェイの日(10月4日)の朝には、レーシイは姿を消すか鳴りをひそめるかする。彼らが烈しく取っ組み合い、ばりばりと木を折り、やたらと獣を追い散らしたりするのは、一番鶏が鳴く前のこと。鶏が鳴けば、すぐにも土中に消えてしまうが春になって凍った地面が息を吹き返すと、またぞろ姿を現わして、まったく同じ悪さを一から始めるのである。
概して森に棲む人びとは、レーシイの予期せぬ禍事(まがごと)を恐れはするものの、よく彼らを笑いものにするし、また、キリストの聖なるロシアは、罵言としてレーシイの名を使うことをこの上ない満足と考えている。たとえば、『レーシイのとこへでも行っちまえ!』とか『てめえなんぞレーシイに絞め殺されりゃいいんだ!』などなど。いずれも『悪魔にでも食われろ!』の意である。
数千年にもわたってレーシイの神話が生き続けてきたのには、それなりの理由がある。民衆の目からすると、レーシイというのはどうやら人間が犯す罪や過失――それが故意にせよ偶然にせよ――への無意識的な制裁手段であるらしい。
一例を挙げれば、レーシイは、衆人環視の中で男を攫っていく。それも、何のためにそんなことをするのかと言えば、教会の鐘を鳴らしに行く途中で、その男が卑猥な言葉を吐き散らしたためなのである。呪いの言葉に対しては、なかなか容赦がない。たとえば、出産で死ぬほどの苦しみを味わっている妊婦が、われとわが身と生まれてくる赤子を口汚く罵ったりすると、赤子はその呪詛の最後の音声が消えた瞬間から、レーシイの子と見なされてしまう。生れ落ちると同時に、レーシイは「自分の子」を森に連れ去って、その子の代わりに〈森の子(レスノーエ・デチーシチェ)〉を置いていくのである。その〈森の子〉は病弱な、落ち着かない子だ。もし奇跡(不思議の力)でもって洗礼を施すことができれば、すぐには攫っていけず、その子が7つになるのを待たなくてはいけない。ヒトを森に誘う場合、レーシイに与えられた時間は一昼夜のうちこっきり1分だけだそうだ。
連れ去られた子は森では永く生きられない。じきに死んでしまう。たとえ母親の必死の祈りのおかげで生き残ることができたとしても、それはそれはひどい、哀れな状態で見つけ出される。野生化してほっつき歩き、わが身に何が起こったのかわからない。憶えていない。一緒に暮らせば記憶も戻るだろうと周囲の者たちは頑張るのだが、本人はそういうことにはまったく無関心である。
プリーシヴィンがセーヴェルを旅したとき(1906)、道案内のマヌーイロ自身の口から聞いた非常に印象深い話がある(『森と水と日の照る夜』の「呪術師」の章)。山中で猟をしていたマヌーイロは、たまたま連れていた幼い娘を二人の男に攫われてしまう。奇跡を起こす呪い師のミクーライチに手伝ってもらって、9日目になんとか救い出すのだが、知らぬ間に家に戻っていた娘の頭は変になってしまって、まったく口が利けない……。娘を攫ったのはじつはレーシイだったのだとか、ヴォヂャニーク(水の魔)がトランプに負けた話なんかをあっちこっちで聞かされても、作家自身はこの娘について、ただこう記す――「いつも半裸で、お客は誰彼かまわず奇怪な高笑いで迎え、父親が止めに入るまでうるさくまつわりついた。男たちに何かされたらしい」
ところで、村人は、レーシイは女に目がないと固く信じている。頻発する若い娘の誘拐はレーシイの仕業だと思っている。だから、レーシイにも同族の女房(レシャチーハまたレシューハ)と子ども(レシェニヤー)を無理やり押し付けたりする。次はレーシイの家族について――
レーシイは家族持ちとも独り者とも考えられている。女房はレシェヴィーツァ、レシャチーハと呼ばれ、もじゃもじゃ髪の醜女(しこめ)で、だらしない身なりをしている(ムールマン県とアルハーンゲル県)。だが、女の森の魔は、家族とはまた別個の、完全に独立した存在であることもある。レーシイの結婚相手――これはしばしば、自分に「贈与された」、呪われた娘や女だが、オローネツ県で採られた話には、気に入った娘にレーシイが結婚を申し込みに来るというのがある。「ぱりっとした身なり――山羊革の靴に赤いシャツ、それにトゥループ、どこから見ても本物の商人かピーテル〔ペテルブルグの俗称〕あたりの番頭だ。紙入れにはお金がぎっしり詰まっていて、一村まるごと養っていけそうである。男には兄弟もおっかさんもいる。こりゃ盛大な婚礼になりそうだ。すんなり話はまとまった。男が言った――『ナンも要りませんよ、娘さんだけで結構です……』。ところが、娘は嫁ぐとすぐに行方知れずになった。それでようやく6週間後のある真夜中、娘はほんのちょっと顔を見せる。それも父親に自分の十字架を渡すためだった。女は言った――『暮らしは悪くないけど、お祈りだけは禁じられているの』と。レーシイの婚礼は相当に喧しい。「婚礼参烈者の馬車の列には、常に強風と突風が伴うので、行列が村を通ると、多くの家の屋根や乾燥場や刈り取った穀物の山が吹き飛ばされ、森の木も何百本もなぎ倒されてしまう」(ヴャートカ県)。
ロシアは広い。森の魔も土地によってさまざまな呼ばれ方をする――
レーシイ、レーシイ王、レサーク、レスニーク、レスノーイ、レスノーイ・ヂェードゥ シカ(ヂェードゥシコ)、レスノーイ・ヂャーヂャ、レスノーイ・ヘルヴィーム、レソヴィーク、レソヴォーイ、レソヴォーイ・ヂェードゥシカ、レソヴォーイ・ハジャイン、レシャーク、レショーイ。訳して、森の霊、森の精、森の魔、森のツァーリなど。女房はレシャチーハ、レサチーハ、レスニーハ、レソヴィーハ、レシャヴィーツァ、レーシェンカ、レシーハ、レシューハ、レーシイの女房、またたまにルサールカと呼ばれることもある。(太田正一)
田舎でこれを本当の生活と考えている人間などひとりもいない。過渡期の生活だくらいに思っているし、仕事も何か密かにこっそりとやっている。終わればいいという感じだ。あっちでどうやっても、こちらには証人がいない。だからこっちでは後ろめたい不正なやり方になる。彼らはよく言うのだ――なに、戦争が終わったら、正々堂々とマーケットに出向くさ。あそこはぜんぜん違う商いをやるだろうからな。
この戦争では二つのものが互いに力比べをし合っている。つまり、意図〔自覚〕的人間の力と非意図〔無自覚〕的人間の力とが。われわらロシア人は非意図的勢力であり、われわれのモノは配備・配列がきちんとなされていない。すべてバラバラだ。幸福が微笑みかけると、われわれはおのれの無自覚たるところを信じようとし、不幸や不運ににっこりされると、秩序を秩序をと訴える。秩序がないのは自覚がないということ。
NB. われらの歓びは無自覚の歓びだ。誰にも知られない辺境、地方、どっちつかずの中間の土地の切れ端が、今ようやく目覚めようとしている。ということは、わが国が不当に〔評価されて〕いるということなのか? いやそれが当然なのかもしれない。
たとえば農民(うちの農民たちでさえ)はわたしに小作料(オブローク)を払おうとはしない。レスコーフのある長編にこんな会話がある――『おそらくそんなことをしたって〔小作料を払ったって〕何の益もないからだろうね』と主人は答えた。『しかし、どうしたらいいんだね、こっちは地主なんだよ。わしらだって生きていかなきゃならんのだ』――『そんなこと言っても、むこうはそのことに何らの必要性も見出していないんだよ』と、穏やかな声で主人が応じる。これがレスコーフの地主たちのやりとりだ。
小作料を賃借料(アレンダ)と言い替えたら、この会話のやりとりだけで、そっくりそのまま現在の地主の立場と家屋敷について語ることになるだろう。
わたしたちは夕べの茶会を楽しんでいた。そこへ召使がやって来て――
「呼んでますが!」
「誰が呼んでるって?」主人が訊く。
「百姓たちです」
『百姓たちが呼んでます』――近ごろはどこでもこんな言い方をする。
主人は百姓たちに会うために玄関口へ出ていった。30分ほどして戻ってきた。かなり気分を害している様子。
「なんてことだ、奴らはアレンダを払おうとしないんだ」
「おそらくそれには何の益もないと見たんだろうね」。わたしたちは〔レスコーフの会話の繰り返しでもって〕応じる。
「たまったもんじゃない。こっちは酒だって断ったんだ。官の配給で食べてるんだよ。収穫したら物価の高騰……いったいどういうことだい、これは? なのに奴らはアレンダを払おうとしない。どうしろと言うんだね、わしらだって生きてかなくちゃならんのだよ。でも、奴らはそこに何らの必要性も見出していない」
そのうち、ストライキをやっていた農民たちは帰っていったが、そのあと召使がまたご注進に及ぶ。
「呼んでますが……」
「誰がだ?」
そこで召使は5人の裕福な百姓の名を挙げた。数分後、地主屋敷とこれからの生活問題が解決されかけた。つまり裕福なお百姓たちが、〔農民〕組合の開設さえ許可されれば即刻アレンダの支払いに応ずると言ってきたからである。
百姓がさまざまな瞞着を繰り返し、しばしば正反対の意見を述べる村の小さなグループを構成していることは、誰が見たってわかる。働き手を戦争に取られた者もいるし、なんとか無事な家族もある。家族が無事でお金があればアレンダなど払わずに領地を包囲し、徐々にそれをわが物とすることだってできるだろう。それに賃借料の問題は首尾よく解決できそうな雲行きだ。地主は、残された母屋に近い最良の土地(何デシャチーナという)に一家の需要を満たすものを作付けしようと思っている。冬場の仕事は、レンズ豆、エンドウ、ソラマメの種を注文し、家の前面には花の種だ。レンズ豆も家の近くに、そうだ、家の裏にでも蒔くとするか。ああでも奴らはどうせ引っこ抜いてしまうだろう――なんにせよ策略をめぐらしているんだ。そこで急に気が変わって、レンズ豆は母屋の真ん前に蒔くことになった。主人は花のこと〔花壇造り〕はすっかり忘れて、レンズ豆のまずいスープのために地主の特権(первенство)*を売ってしまったのである。
*この特権をプリーシヴィンはどうやら、旧約聖書の創世記第25章31-34節に出てくる〈長子の特権(первородство)〉と絡めて語っているようだ。アブラハムの子のイサクに双子の息子――長子のエサウ(野の人、巧みな狩人)とヤコブ(天幕のまわりで働く者)がいた。あるとき、腹を空かして帰ってきたエサウがヤコブに食いものをくれと言う。弟は長子の権利を譲ればあげると答える。長子の権利より今すぐ食いものが欲しい兄は、それを譲ってしまう。それほど腹が減っていたのである。ヤコブがエサウに与えた食いものというのは、パンとレンズ豆(чечевица)の煮物だった。長子の権利はヤコブに移った。
*のちに書かれる『森のしずく』所収の「交響詩ファツェーリヤ」の〈荒野〉の出だしの部分。ただしズブリーリンの名は伏して。
親愛なるドゥーニチカ!
貴女の大いなる祝祭日〔名の日の祝い*〕を心より祝います。リーヂャ〔姉のリーヂヤの愛称〕と一緒にあなたのところへ行こうと思っていたのでしたが、仕事〔農業経営〕上の問題がいろいろ出来(しゅったい)し、そうも行かなくなりました。早く何もかも片付けて出かけたい――モスクワへもせめて1週間くらい……
これまで、エヴドキーヤ(3月の)と聞いて、貴女を思い出さないことなど一度もありませんでした。貴女の名の日、貴女の天使(アーンゲル)の日だというのに――いつも自分で驚いているのです――どうしてお手紙を差し上げなかったのだろうと。
*ナロードニキの従姉のドゥーニチカ。ドゥーニチカはエウドキーヤの愛称。エヴドキーヤはギリシア語で〈愛顧〉の意。旧暦3月1日(新暦3月14日)。春の最初の迎え。
ロパーチン(貴族階級)とジャーヴォロンコフ(商人階級)の家族はとても質素で、その暮らしぶりには調和がとれている――つまり幸福である。イグナートフ=プリーシヴィン家はどこか遠くへ向かおうとする(個人主義)。
貴族階級(血縁同士の婚姻)では、花婿花嫁の姻戚関係が意味を持ち、それが潜在的に定着している――キルギス族のように(花婿花嫁がお腹にいるときから、すでに親たち同士は婚姻を約束している)。text - 太田正一 //scripts - Lightbox PageDesign - kzhk