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プリーシヴィンの日記        太田正一

2011 . 08 . 28 up
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 あるとき――よく憶えているのだが、商人だの救いがたいペテン師みたいな連中だのが一堂に会して口角泡を飛ばしたことがあった――この地上には永遠なものなど何もない、と。
 「永遠なものとは何か?」そうひとりが言って、ポケットから1ルーブリを取り出した。「これこそ永遠。ルーブリは永遠だ!」
 「まあたしかに、永遠だ!」商人たちは同意する。
 ところが、今や外国にでも住んでいるかのように、たえず心の中で大事なルーブリを安いマルクやクローネに替えながら暮らしている。たえずお金の価値が変動するから、結果として、信用もモラルも失くしてしまったのだ。

 П.Н.Д.(未詳)は二等大尉となって帰還した。『もしわしが陸軍中佐になったら、戦争が終わっても軍に留まるつもりだ。そして5年くらい経って大佐に昇進し、年金が80ルーブリになったところで退役して地方行政長官になろうと思っている』(まあ戦場のヒーローの夢もせいぜいこんなものだ――大いにありそうなことだが、この男もおそらくヒーローだったにちがいない)。

 アネクドート。
 これはとても有名な小話である。男の子が泣いている。『なにを泣いているんだね?』――『とても泣かずにいられません。うちじゃあみんな泣いています。パパはロシア人がやられたといって泣くし、ママはドイツ人がやっつけられたといっては泣くんです』。
 エレーツの小話。男がハンカチを取り出すと、それと一緒に白墨の粉がぱらぱらとこぼれ落ちる。それを見て驚いている人に向かって、男が言う――『なにをそんなにびっくりされるんです? 自分は戦場にはいつも白墨を持っていくんですよ。主の御手には常に白墨ありと言いますからね』

с мелом=白墨持参で、とсмелым=勇士を――のことば遊びから、「常に主は勇士を従える(Бог владеет)」。

 「どうしてわが軍は前線に向かおうとしないのだろう?」――「それはね、前線が勝手にわが軍の方へ寄ってくるからですよ〔負けて退却ばかりしているの意〕。
 「もしН.Н.(未詳)がわたしを撃てと命じたら、おまえさんはどうする?」――「とてもそんなこと……」――「なぜ撃てない?」――「じつはその……弾丸(たま)がないんです」
 「わが軍には資金が渡されるが、ウィルヘルムには渡さない。なぜか? そりゃウィルヘルムは受け取ったものは返さないで、わがロシア軍は受け取っても常に返納するからさ」

2月14日

 ボコグレイ(бокогрей)の2月〔お腹の温いぽかぽか陽気の意〕。

 汚れなき光のおとぎ話(スカースカ)、ここに始まる。素晴らしい朝だった。夜が明けると、すでにあたりは光の氾濫――それはまるでわれわれのために何かいいことが思いつかれたというような朝だった。きみはまだ床の中だが、彼らはもうあちらで合意していた。いや、彼は眠っていたってかまわないが、われわれは彼に対してちょっとした悪戯を用意しておこうじゃないか――どっちみち彼は喜ぶに決まってるのだから!
 「じゃあ、どんな悪戯を用意したのか見せてほしいな。さあ早く見せてごらん」

 銀行頭取の室に入ろうとしたとき、ちょっと信じられない、ほとんど人間ばなれした高笑いがして、思わず敷居の上で足を止めてしまった。笑っていたのは市長で、頭取とその同僚は、真面目腐った顔をして椅子に坐っていた。市長の高笑いは常軌を逸していた。真っ赤な頬に皺が寄って、犬が笑ったときの〔犬が笑うか?〕鼻にそっくりである。狭い額。灰色のぱさぱさ髪。そのぱさぱさが眉を覆っているから、目がどこにあるのかわからない。見えているのは象牙のように白い歯で、口から飛び出す声はとても人類のものとは思えない。オーストラリアの森に棲むサルか何かの鳴き声だ。要するにそれは、本人だけの、誰の世話にもならない、したがって他人に対してはまったく聞く耳を持たない笑い声だったのである。
 「そりゃあ、あり得ない!」頭取の同僚(手形貸付の委員である)が言った。
 「それがね、確かに孵したんだよ!」笑いながら市長が言った。
 何の話か自分も説明を受けた。市長が言うには、鶏の卵を七面鳥に抱かせたところ、ちゃんと雛を孵したばかりか、夏じゅう嬉々として雛たちを連れまわったらしい。
 「孵したのはわかりますが、夏じゅうずっと連れて歩いたというのは、どうですかね?」
 「いや、嘘じゃない。本当に連れて歩いてたんだよ!」
 そう言って、またしばしオーストラリア語でげらげら笑っている。笑いの音量が落ち始めて、市長の小さな目が見えてきたところで、まだ閉めてないドアの奥(わたしの背後)の何かにみなが気づいた。いきなり市長は椅子を蹴って全速力でと、行内に響き渡るような声で叫んだ――「おい誰か、彼を帰さないでくれ、捕まえてくれたまえ!」。すると、その誰かが、銀行から出て行こうとするビーバー革の毛皮外套(シューバ)を着た人物に追いついた。市長はその人物と互いにキスをし合う。
 そのとき、わたしの脳裡に浮かんだのは――自分が市長を追ってどっか遠くまで走って、やっと追いつき、さあ捕まえるぞと身構えたそのとたん、どこから現われたのか、ふつうでない高さ大きさで、樹皮のないつるつる丸裸のオーストラリア産の大木が目の前に立ち塞がった――とまあ、そんな光景だった。それで市長はそのあとどうしたかと言うと、突然その木によじ登り始めたのである。わたしの頭のずっと上の繁茂した葉の中から、ハッハッハという例の大変けたたましいあの笑い声が轟き渡って――
 「おい、わかったか? 何を手に入れた?」

 茶を飲みながら、もうちょっと明るい愉快な気分でいたいと思ったときなど、われわれはよく、市長について何かお喋りを始めたものだ。ひとりが始めれば、すぐに誰かがそのあとに続いた。各自、市長にまつわる滑稽なエピソードを披露する。嘲笑の対象となるのは彼のいつもの口癖――『おいおい、そうズラスもんじゃないよ!』〔焦らす(苛々させる)が訛って〕。 

 地方でよくなされる会話に、ゴーゴリの登場人物のさまざまなタイプの話が出る。ゴーゴリの天才はあんなタイプが本当に存在するかのように信じ込ませるけれど、なに実際にはそんな連中はどこにもいないよ、誰かがそんなことを言うと、残りの全部が驚いた顔をして――『それじゃ、現代文学は何をしようとしているんだね?』
 「いや、ゴーゴリ的タイプは今もいるさ、むしろ増えてるかもよ」
 「なら、ここの市長はゴーゴリの生き証人だ……」

 現今における内なるドイツ人……
 レストラン〈アルプスの薔薇〉に陣取って、小さな水差しから〔酒を〕飲んでいる。戦争の話になった。ひとりの男が前線から戻ってきたからだ。
 「それで、士気のほうはどうかね?」
 「申し分ないさ!」
 「ブルガリア人の士気はどうも最悪らしい」
 「ドイツの奴らだよ、問題は。あん畜生め、悪魔に食われろだ!」
 「ドイツ人……ふむ、それで〈内なる奴ら〉はどうなってる?」
 「内なる奴らは今のとこは危険じゃない。外なる奴ら同様、包囲されている。第一の封鎖は進歩的(プログレッシヴ)だし、それはデモクラーチヤが監視している。デモクラーチヤを国民が見張っているし、今は奴らにゃ鼻を突っ込む隙もないよ」

 売り物の星型勲章をつけた将軍が、警察官同伴で金持ちの商人の家々をまわって歩いて、勲章を売りつけている。ナンとかいうペトログラードの慈善団体のためと称して、25ルーブリの星型勲章から、さらに高いのは1000ルーブリだという。勲章を胸に吊るす権利を証した勲記と併せて後日送らせると約束して。多くの商人が買った。ある者は見栄から、ある者は一度は仕方がないと諦めて、ある者はその慈善家将軍が現われるや、二つ返事で金を差し出した。商人たちは星型勲章をそれこそ大量購入し、将軍のほうも相当の金額を持ち去った。ほどなく勲記なるものが送られてくると、待ってたように受勲者たちは予審判事の取調べを受けた。そして慈善家将軍に関して調書を取られただけでなく、勲章もひとつ残らず取り上げられてしまった。
 「どういうことでしょう、あれは偽将軍だったというわけですか?」受勲者たちは訊ねた。
 「いや、将軍は全権委任状を持ってました」
 「じゃ、どういうこと?」
 「問題は将軍が代金を自分の懐に入れたということさ*1
 「それじゃ何のために勲章を没収したのですか?」
 「お金は届いてないわけだから」
 「どういうことです、お金が届いてないとは? わたしらは払いましたよ。それとも将軍は全権を委任されていなかったということですか?」
 「そうじゃありません、将軍は委任状を持ってました」――といういふうに、白い雄牛の話*2になってしまった。

*1慈善家将軍以上に有名なのは、自分の公費で(つまり軍資金を着服して)、32歳年下の妻に贅沢三昧の暮らしをさせていた陸海軍大臣(ウラヂーミル・スホムリーノフ将軍)。こちらは直ちに罷免、国家反逆罪で告訴された。

*2「白い雄牛についての話」とは、同じ会話が際限なく繰り返されること。出典は「お話してして!」とうるさくせがむ子どもをからかって話した「お話」の表題(Сказка про белого бычка)から。

2月10日

 灰。夢の啓示。灰色の町(ペテルブルグ)。だがそこにはネヴァ川に通ずる大きな通りのようなものがあって、そこは物凄く明るいものがいっぱいあるものだから、さして灰色の印象はない。舗装されているがアスファルトではない。敷き詰められているのは、ゴツゴツした黒と白の木煉瓦である。建物は黒衣の老人や白衣の若い男や娘たちの彫像で飾られている。そこはどうも以前に何度か歩いた気がする――ある家を訪ねたときに。そう、その家には何度か行ったことがあるのだ。ただし誰にも言わずに(こっそりと)。今はしかし、堂々と入っていく――昔とは事情が違うので。以前はそっと忍んで行ったものだ。今は相手も少しも気にせず(あっけらかんと)迎えてくれる。その彼女は今では灰色になり、頭が白くなりかけている。わたしたちは自分たちには関係のない話をする。自分にも彼女にも、昔のことを思い出す力が不足しているのだ。そして今、自分はそんな彼女の部屋にいる。彼女はさっき顔を洗いに行ったので、自分は独り残っている。室内をつくづく眺めながら考えている――かつてこの部屋には自分の部屋みたいに自由に入れたんだなあ、と。ああ、今はものが高すぎる。なんという暮らしだろう! いやもう彼女には言ってしまおう、そして昔のことを思い出してもらうんだ。戻ってきたら、すぐにも……
 (夢で味わったあの現実の一瞬の体験。早く逢いたくて駆け込んだ――彼女はいた! キスをしながら、いやこれは彼女じゃない、あの人ではないと感じているが、いややっぱりこれはあの人だ! そうだと敢えて自分に信じさせようとする夢の現実の、あの一瞬の体験)

 図像画的(イコノグラフィック)な主題。セル〔ゲイ〕・ワシ〔ーリエヴィチ〕・コジュホーフはまったくのイコン顔、でありながら、同時にその印象を言えば、まったくもってルバーシカなしに〔一文なしで〕ほおって置かれた男という感じ。その彼が県知事のところへやってきた。彼は軍隊に長靴を納入する請負業者なのだ。知事邸に入るや、なぜかすぐにお祈りを始めた……これがまた自分でも気に入ってしまったらしいのだ。ひととおりお祈りを終える。いやもっと祈ろう――そう独りごとを言い、祈りはまだ終わってないぞ、さあどうする? さあみなさん一緒に祈りましょう! そんなことを言いながらイコンに近づいて、また祈り始めた。知事も彼のあとに続いて、やはり祈り始める。常任委員のひとりが入りかけたが、敷居の手前で足を止めた。見ると、老人が祈っており、その後ろには知事が立っているではないか。そんなふうにしてこのコジュホーフという男は、自分の納入品が差し押さえを食らわないようにもっていったのである(自分のイコン顔と真剣(そう)な祈りを十二分に活用して)。おかげで彼は、軍には何ひとつ納入することなしに結構な高値で自分の品物を売った〔ことにした〕のである。まあこの男なら、べつに祈らなくても、契約〔の手続き〕をうまいこと誤魔化してお金をせしめたにちがいない。

 公然たる詐欺師。
仲買人ワシーリエフは銅匠だ。こんなことを言う――『わしがいなきゃハンダ付けはできん〔話をまとめるのは不可能だの意〕』。

 セリヴェールスト〔フ〕はイワノーフカ村のレーシイ*1だ。陽気で、涙もろくて……彼には親戚縁者が多い。母親は90歳、いちばん下の妹はまだ若い。親戚全部が略奪をはたらく。彼の住むイワノーフカ村のその一部はなぜか〈トゥーラ*2〉と呼ばれているのだが、そのトゥーラの住人がこぞって略奪をはたらく。何でもかんでも盗み、盗んだ馬鍬(まぐわ)は切り刻んで、その歯をイコンの裏に隠し〔迷信か呪いか?〕たりするという。

*1「編訳者の参考メモ(5)」を。

*2有名なトゥーラ市は、モスクワの南にある都市、サモワールの産地で有名。レフ・トルストイの領地ヤースナヤ・ポリャーナもこの近郊にある。

 「これはこれは身内のおひとよ!」――これが自分がうけた挨拶だった。旦那(バーリン)ではない、身内の〔血縁の〕おひとよ、と。
 ブローカーのミハ〔イル〕・ミハ〔ーイロヴィチ〕・ロストーフツェフは感情の失われていないエレーツ人だ。
 ユダヤ人のコソ泥とロシア人のコソ泥を比較してみる。

 小話。天国の入口でロシアの兵士が問われている―ーおまえはどんな死に方をした? 戦死です。通ってよろしい! 次に入ってきたのはフランス人だ。おまえはどんな死に方をしたか? 戦死です。嘘をつけ、おまえのとこはいつでも『異状なし』だったではないか! そう言って追い返された。

2月15日

 もし普通に売られていないものを市場に持ち込んだら、そいつには高値をつけてやろう。だが、そんな珍品が市場に出たとたん、本人が受け取るのは半コペイカ〔1銭5厘〕になってしまうのだ。そんなだから、これほど多くの才能豊かな新人が生まれる国に、天命を全うする本物の詩人は数えるほどしかいないのである。

2月16日

 イワノーフカ的詐欺師。イワノーフカ村の中で、大泥棒とコソ泥から成る一部の地域は、なぜかトゥーラと呼ばれている。そしてトゥーラにあるものはほとんどが盗品――よそから略奪ないしちょろまかしてきたものである。盗品でないのは鶏だけらしい。
 「良心的な仕事をする人を探しているのだが……」
 「そんな人間がいるなんて、断じてわしは信じない」
 「人間がすっかり狡くなってしまったんだよ。目も当てられん、まったくのすれっからしばかりだ!」

 愛は唯一の(――家族への、社会への、人間への、神への)感情だ。

2月22日

 水が流れている! ぼろぼろ雪、積もらずに融けて、そんなどろどろに足を突っ込なだら、体ごと埋まってしまう。ムクドリの飛来。水が溢れて突堤を越えた。急いで水渠を開けなければ。犂はみな修理に出す。巣籠りしていた雌鶏たちが一斉に鳴き始めた。

 精進(ポスト)の第1日目。もの悲しい月曜日きちんと説明できたらいいのだが……なぜロシア人はこうもばらばらなのか。ペテン師、泥棒、酔っ払い……なのに、いずれもヒーローにもなる。たとえば、びっこのエフチューハなど何かの役に立つのだろうか? 
 どこかの外国人が言っていた――ロシアはちっとも制御されていない。ずっと固まって、ただぶら下がっているだけだ。

編訳者の参考メモ(5)――森の魔レーシイ

 「イワーノーフカ村のセリヴェールストフはレーシィだ。陽気で、涙もろくて……」とプリーシヴィンは日記に書いている。この男、泥棒村トゥーラの住人のひとりだが、まるでレーシイ=森の魔だ、ばけものだと言われているからには、たしかに相当な悪党、碌でなしであったにちがいない。だが、レーシイは単なる悪党でも魔物でもない。森の精とも訳されるにはそれだけの理由があるのである。セリヴェールストフ某のことはほっといて、ここでは、古来ロシア人の口の端にのぼったレーシイがいかなる存在だったのか、ちょっと書いておこう。
 〈森の魔〉の形象は多岐のわたって複雑だ。呼び名だけで50以上あるというのも驚きだが、それだけこの〈魔〉の風貌や仕業が多方面にわたっているということである。森はロシア語でレース(より正確にはリェース、лес)。煩瑣を避けて、通称は最後にまとめて記すが――少し例を示すと、次のようになる。
 「レソヴィーク(あるいは〈森の爺さん〉)の体は青味がかった灰色だ。顎髭も葦毛で、えらく背が高い。百姓が着るような、だぶだぶの、裾長の上衣をきている。家畜を追い出したり勝手に草を喰わせたりする。そいつのせいで、よく百姓は森で道に迷う」(旧ノーヴゴロド県、以下すべて帝政ロシア時代の県)。「窓の外を見て、わしゃあ、ぞっとした。レスノーイの奴らがぞろぞろ歩いとるでねえか、どいつもこいつも帽子をかぶってな。そんで、背丈は家の屋根より高いんだ」(オローネツ県)。「わしらの村のまわりは鬱蒼とした森だが、アヴドーチヤ〔女〕はその森ん中でレシャークを見たらしい」(クラスノヤールスク地方)。「わしらんとこに名の知れた取り上げ婆さんがいたんだが、レーシイに餓鬼が産まれるもんでよ、攫われちまった」(アルハーンゲル県)。

 レーシイはどこの森にもいる。ことのほか好きなのがエゾマツの森である。アルハーゲル県では、レーシイを〈エゾマツの王〉とさえ呼んでいるくらいだ。人間みたいにカフタンを着て、赤い、幅広の帯を巻いている。カフタンの左の裾が右裾の上にきて、その逆ということはない。履物(ラープチ)も左右あべこべだ。目は緑色して、熾(おき)みたいに燃えている。
 レーシイがいくら必死でおのれの正体を隠そうとしても、うまくいかない。馬の右の耳越しにレーシイを見ると、その姿は青味がかった色に変化してゆく。というのも、奴らの血がもともと青いからである。レーシイには眉も睫毛も見られない。片耳は切り取られている。右耳が欠損していて、頭髪が左側に撫でつけられている。
 レーシイには、ほかの霊(ドゥーフ)にはない際立った特徴がある。森を歩くと、いちばん高い樹木と並ぶほどの背丈になることである。しかし同時に、ぶらりと森の口にやって来て、何かひとふざけするときは、草より低い、ちっぽけな茎ほどの背丈に変身して、自由に、どんなベリーの葉っぱの下にも身を隠すことができる。アルハーンゲル、オローネツ、ノーヴゴロド、ヴャートカの各県、シベリア、スルグートなどで、レーシイの背丈が森ぐらいあると言われているのは、少しも非常識でない。目は緑だと書いたが、髪の毛も緑である。作家のソコロフ=ミキトーフも、セーヴェル〔北ロシア〕の森の中で「緑目のレーシイらしき男」に出遭った話を書いている(『カササギ王国を行く』・1926)。ノーヴゴロドの〈森の王〉は、あたかも木々と「ひとつになっている」ようで、植物の精霊というより森の化身なのだ。不思議な出来事はどれもレーシイの仕業――そんな感じもするが、そこらの報告を少しばかり拾ってみる。
 「体はいちめん苔に被われていて、まだらだ。森全体がざわざわしてくる」(ノーヴゴロド県)。「エゾマツの樹かと思うと、ときには白い苔みたいに大きく手足を伸ばしているときもある」(アルハーンゲル県)。切株にも谷地坊主にも、鳥や獣にさえ変身する。もっと正確に言えば、レーシイは鳥であり獣であり、大昔から森に棲んでいる「神に息を吹き込まれた生きもの」、すなわち森の領主(支配者)なのだ。ヴャートカでは、森の主は熊に、トゥーラ県ではクロライチョウに、シベリアでは野生の山羊や馬に化けると言われている。オリョールやスルグートの人たちはよく、レーシイの顔は兎のようだと言う。犬みたいな面だったと言い張る土地もあるし、いや子牛だ、豚の子そっくりだ、雄鶏だ、猫だ、となかなか収拾がつかない。

 レーシイは草原にはめったに姿を見せない。ポレヴィークとかポレヴォーイ〔いずれも野の魔〕と呼ばれるお隣さんの権利を侵害しないようにしているのである。レーシイは村里にも近づかない。ドモヴォーイ〔家の霊〕やバーイェンニク〔風呂小屋(バーニャ)に棲む悪霊〕と諍いを起こしたくないのだ。真っ黒な雄鶏が鳴いたり、〈四つ目犬〉――これは両目の上にそれぞれ斑点があって四つ目に見える犬――や〈三毛猫〉が飼われているような村などは、もってのほかである。そのかわり、森では完全にして無制限な権利を有する主だ。それが証拠に、あらゆる鳥獣がその支配下に置かれている。唯々諾々と彼の命令に従う。とくに徹底しているのが兎で、いわばレーシイの農奴制下にある。トランプの賭けに負けたレーシイが、自分の兎を手放すこともあるくらいだ。栗鼠の群れもやはり、レーシイとの従属関係から逃れられない。もし栗鼠たちが群れをなして移動し、人間に対する恐怖をまるで忘れて、大きな町の人家の屋根に上がったり暖炉の煙突の中に落っこちたり窓に飛び乗ったりすれば、これはもう明らかだ。それは、賭け事に負けたレーシイが相手の領分に自分の兎たちを追い込んだことを意味しているのである。(つづく)

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