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プリーシヴィンの日記 太田正一
2011 . 07 . 31 up
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偵察兵。2等クラスの車輌の通路に将校たち――参謀部か中央管理局付きかは憶えていない――が屯していた。ひとことで言うなら、戦闘要員ではなく、軍の形式主義〔杓子定規〕に文句ばかりつけている連中だ。にもかかわらず、彼らのそばには、手を後ろに回しこちらに背を向けた恰好で、志願兵がひとり、立って何か話していた。将校たちは恭しいというか、ほとんど取り入るような態度で、聴き入っている。そんな光景が目に飛び込んできたので、わたしは、その理由に興味を抱いた。と、急に志願兵が振り返った。見れば、彼の胸には4つのゲオールギイ! ははあ、これが理由だなと、すぐに納得した……志願兵は砲兵だった。砲兵隊が砲兵隊を捕縛するという前代未聞の珍事とか、ある上官〔について〕の噂が話題になっている。『あの方は金のサーベルを授けられたのですが、でもあれはいったい何に対しての褒章なんでしょう? 前方に偵察兵がいて、わたしが彼に合図を送る、ま、それが〔自分の〕務めなわけですが……』
もうひとりの志願兵は、騎兵(プロの猟人)だ。偵察兵たちが言い合いを始める――でも、こんな仕事がほんとに面白いか?
真の勇士(ルバーキ)は躊躇(ためら)わない。
槍騎兵――タバコを〔貰う〕。
少年兵ヴラーソフ。
道路の分岐点。ギーブィのアウグストフの森の道は放射状に分かれている。1本は街道で、森のいちばん端のところを通っている。ドイツ軍に占拠されており、じっさい2つに分かれている。1本はほんの小さな分岐点で、そこの窪地に輜重が集まっている。電柱のそばでは、将校たちが議論の真っ最中。右側は危険だと主張する者がいれば、いや左の方はもっと恐ろしい、と。大勢は左の道に同意し、輜重の山はその方に突き進んだ。〔追い抜こうとして〕互いに押し合いへし合いし、ときどき停止したり。
アウグストフには、敵側に占拠されている誰も知らない道がまだあった。ここはアウグストフなのか? 考え考え、左側の道を進んでいく。自動車が出発したのも、同じその道だった。
〈ノートの余白に〉――ロプーヒン(赤十字)。彼が味わった恐怖を描くこと。最も厭うべき人格のうちに恐怖の真実を発見すること。全員が虜囚の身となる運命だったのだが、そうはならない、なったら銃剣でひと突きだ。おそらくそうだろう。ロプーヒンは弾かれた絃みたいに〔全身を震わせている〕。この男はドイツ的なるもの(ニェメーツコエ)に首ったけなのだ。
1、電信手スピリドーノフ、衛生兵の部隊と出会う。公爵、医師、看護婦たち、配属兵1名。〔振られている番号は1だけで、2以下の数字はない〕
町、カトリックの教会、病院。大尉の言葉――自分は曹長の言うこと〔声〕しか聞かないんだ。
負傷したドイツ兵。槍騎兵にタバコをやった。
ドイツ人。砲兵、6門の砲がみな陽を浴びてキラキラ輝いている。将校、双眼鏡を持つ手を振って、進めの合図――そっちだ、いやこっちだ〔こっちへ来い〕。
道路のことで言い合っている。輜重と同じ道がいい。わが砲兵隊は左の道を退却し始めた。輜重隊は左へ、自動車〔が出発したの〕は右の道。
自動車はその道を飛ぶように走り出す。森、阻塞(ザヴァール)、看護婦、公爵、負傷者たちの死……
ロプーヒンは脱走を図ったのだ。ずぶ濡れで、ドイツ兵の軍服を着ている。捕虜になりたかったのだという。ロシア兵が彼を〔捕まえた〕。10名のロシア兵が100名のドイツ人捕虜を引き連れていた。捕虜の移送――オオカミども……通信手段もなく任務を続けている。
分岐点でその道へ曲がった。全員通過し、森が静かになると、通信手たちは森に分け入って、枝々に電話線を架け始めた。
スピリドーノフ。焚火のそば。カトリックの教会で〔鐘が〕鳴っていた。老人が鳴らしている。彼〔プリーシヴィンは自分を作中人物のように描いている〕はふと、〈死もて死を〉という言葉を思い出した。しかし、あれは老人が撞いているのじゃない、でも、それが真新しいこと(ノーヴォエ)であるのは明らかだった……ノーヴォエ? 何のことだ? 人間……でも人間なんて、少しも新しいことではないではないか……彼は公爵と看護婦たちの遺体にぶつかった……火が見える。傍らに男がいるが、鼻を齧られた男だ。続いて塹壕があり、そこから声がかかった。軍服を着たドイツ軍の将校が横たわっている。続いて、連れられていくドイツの捕虜たち――まるで殺された人間の表情である。死者たち〔だった〕が、彼らの中に何か新しいものがあって、生き生きとしている。悦ばしい感情。苦もて苦を――あれは失神しているだけかも。(一語判読不能)。村の教会の鐘が鳴っている――〈死もて死を〉、大地は傷だらけ。そしてこれら数百人ものもの言わぬ人間が無個性に見えるのは、彼らが苦もて、無個性な苦もて一切を〔為してきたために〕、個の苦が万人のためであることから、無個性なものに見えるのである。彼らは苦を苦と感じない……一人びとりがそうなのだ。一人はやはり万人のためにあるのだから。また教会の鐘が鳴りだした。撞いているのは老人だ。通信手たちが歩いている。彼らは死体のそばに転がっていたアルコールを見つけ、みなしてそれを回し飲みした。死人は微笑んでいる。ああこいつ、死の世界にも生の世界にも顔を向け、どっちがどっちを邪魔することもなく笑ってやがる――そう兵士たちは思った。しかし、それと昔の(三語判読不能)とをごっちゃにしないために、死人は同じ言葉――〈ニンゲンだ、ニンゲンだ!〉を繰り返していた。
すべてを見届けたあとに、スピリドーノフが言い遺していったのは唯ひとつ――ドイツ野郎を粉砕しなくては、だった。そしてその最期の言葉は、次なる人物によってぐらつかされたのだった。ツシマの英雄〔移動病院の経理課長、前出〕は、何も言わず、黙々と仕事をこなしていて、いつもそばには中年の看護婦が寄り添っていた。二人はいつも一緒で同じことを思い同じことを考えていたから、何ごとも〔すべてが〕彼ら次第なのだった。
瀕死の将校が運び込まれた。若くて美しい、意地の悪い男――来るべき死をまだ知らずに、ただもがいていた。医師は彼のまわりをめぐるばかりで、体に触れる決心がつかないようだった。看護婦がお茶はいかがですと言うと、凝血した唇がひらいて――
「ほっといてくれませんか!」
コニャックを2本持っていたのを思い出したので、わたしは訊いた――『コニャックはどうかな?』
「ください!」将校が言った。
すると、軽傷の将校たちが屯していた部屋から出てきた赤鼻大尉が、わたしに向かって叫んだ――
「おたくはコニャックを持ってるんだ、なんでまた今まで黙ってたんだい!」
わたしは急いで自分の宿舎になっている薬局に戻る。そしてコニャックの壜を両ポケットに突っ込むと、開いている薬剤師の〔女房の〕食器棚から(棚にぎっしりときれいな歯みたいに並んでいた脚付きグラスのうちから)小さいやつを2つばかり失敬した。そのとき、青白い顔をした女房が台所に入ってきたので、わたしはきまりが悪かった。でも女房はうわの空だった。
「教えてください、もうギーブィへは自由に行けるのですか? (六語判読不能)。
どうしてわたしにわかるだろう。早く向こうへ行ってくれ。こっちは急いでるんだ。死にかけた人間にコニャックを一杯飲ませてやらなきゃならないんだよ。おもてに飛び出す。わずか数分の間に、事態は一変していた。どんどん近づいてくる黒雲。ひゅーっと風のひと吹き、ついで大嵐がすべてを――静まっていた輜重をも押し黙っていた人間たちをも、それこそ一切がっさいを――一気に吹き飛ばしてしまったような。誰もが忙しく駈けずり回っていた。が、それでもことさら浮き足立っているというのではなかった。
包帯所にいる負傷者たちはまだもう少し落ち着いていた。彼らは将校用の部屋へ工兵大佐の様子を見にいった。『大佐の額、大学教授みたいに広いですね』――そう言ったのは、若い軽騎兵。
赤鼻大尉が話をしていた。
「そうだよ、もう五十路だ。ふふ、どうやらやっと成年に達したらしい……」
「すごく太ったドイツ人が前方を行くんだ。で、そのあとから電話線の巻枠を運んでるのが5人ばかり……」
わたしは瀕死の将校の方へ。驚いたことに、死にかけていた若い男は毛布の下から手を伸ばすと、ぐいと一杯、飲み干した。なんとも素早い。まるで名の日*の祝いの席にでも着いたようだ。
「もう一杯?」
*名の日(イメニーヌィ)は本来、自分の洗礼名となっている聖者の祭日。誕生日のように祝いの席を設けるが、誕生日ではない。
彼は黙っている。赤鼻大尉の話はまだ続く。
「わしらは奴らを100歩くらい呼び込んだ。そして一斉にぶっ放した! 2人ばかり倒れ、残りは逃げた。わしらは突進する。ドイツ兵が死に、馬が2頭〔死んでいたが〕、もう1人がなかなか見つからなかった。太った奴だ。みんな見てたんだ。馬が倒れ、鞍からデブも落っこちたはずなんだが。1分足らずの間にどこへ逃げやがったのか? あたりを見回すが、どこにもいない。溝を覗く。いない。でも考えてもみろ、あんな奴がそうそう死なずにいるわけはないんだ。案の定、仰向けになってくたばってやがった――口の中に壜を突っ立てて。まだゴボゴボ音がしていた。そのとき、わしは思ったのさ――奴は〔死ぬ前に〕ひと壜ぜんぶ飲み干したかったんだな、とね」
「わがミチューヒどもは、それっとばかりにすっ飛んでった。そしてデブの口から壜を引き抜くと(まだ半分は残っていたから)、さっそくその場で回し飲み……」〔ここの部分既述〕
「さあ、こっちもやるか!」
並んで順番に一杯ずつ、のつもりだったが、あっと言う間に壜は空っぽ。最後の一杯を楽しんだのは、無傷の、ぜんぜん達者な工兵と軽騎兵だった。
「どうして行っちゃうのかね、もう1本あるんだよ。ちょっと待って」
引き留めようとしたが、彼らは別れの挨拶をして出ていった。続いてドカーンという爆発音……
「チェマダーン〔大型砲弾〕だ、チェマダーンだ!」
誰かの叫ぶ声。みなして外に飛び出す。〔病院〕前の路上に横たわっていたのは、今さっき出ていったばかりの工兵と軽騎兵。〔工兵〕大佐がこれまた妙な恰好で倒れていた。笑っているような顔。軽騎兵はと見ると、ひょいと立ち上がったので、そのままこっちへ歩いてくるかに見えたが、すぐにガクンと膝を落として、頭を壁にもたせかけた。
また通りに〔青ざめた〕薬剤師の女房の姿――
「ああ、お願いです。ギーブィには行けるのでしょうか、道路は自由に通れるのでしょうか?」
前を走る者、それに続く者。
公爵――もうお仕舞いだ。うまく脱出できるだろうか?
「包帯はもういい!」公爵が声を張り上げる。だが、医師たちは巻き続けた。
軽騎兵が腰かけている――足を伸ばしたまま。彼にも包帯。傷口が開いてきたのだ。傷ついた動物。ゴリラというあだ名の衛生兵がその動物の前に立っている。それと絶世の美人看護婦(美女と野獣)。もうほとんどおとぎ話の世界である。
わたしは1分もう1分と指折り数えながら待っている。恐怖だ……でも、それが何なのか、恐怖なのか憂悶(トスカ)なのか、わからない。
ドイツ兵が残された……われわれにも彼らを捕まえようとのもくろみがあったのだ。しかしそれにしても、なんでこんな奴を残していくのか? ……そのあと急に思い返した――あれは置いていったほうがいいのだ、と。公爵が全員を自分の自動車に呼んだ。わたし、〔わたしの同行者である〕工兵、それと負傷した軽騎兵。
十字架。(一語判読不能)を目で送りながら。女がひとり、こっちへやってくる。
「ねえほら、見て。閣下たちはお互いに席を譲り合ってるわ!」
いま思い出したが、わたしが他人の戸棚から無断でグラスを拝借しようとしたとき、たしかテーブルの上にもう1本酒壜が置いてあって、〔捕虜の〕ドイツ人もそれを飲んだのである。
ギーブィ。師団本部(スレサレーンコが藁しべで茶をかき混ぜている)。お茶は医師の所有物だ。負傷兵は徐々に退院していく。看護婦は何かを洩らさず詳しく書き込んでいる……と、そこへ近づいてくる射撃音……分岐点……負傷者5名に犬2匹。
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