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プリーシヴィンの日記        太田正一

2011 . 07 . 24 up
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 カザーク兵たちは最後になって、市の爆破された橋の前で引き留められ、ようやく夕方近くに、市街に入った。まだ暗くなる前に〔退却中の〕敵を捕らえ痛めつけたいと思っていたが、彼らを通りで出迎えたのは巨大なバリケード――山のように折り重なった馬の死骸だった。退却するドイツ軍が、当てにできない〔役立たずと判断した〕馬たちをすべて撃ち殺していったのである。カザーク兵が馬の死骸をどけているあいだに、あたりはすっかり暗くなって、追撃は不可能になったが、わずか数百サージェン先では、ドイツの電信手たちが電話線を回収しながら脱出しようとしていた。時を同じくして、町の反対の端から、〔枝〕や杭に電話線を架けながら、ロシアの電信手たちが入ってきた。
 すでに街道沿いには大小さまざまの車場や救護所が出来ていて、あっちもこっちも巻毛を突っ立てたロシア軍のゲオールギイ十字勲章所持者(カヴァレール)たちで溢れ返っていた。そう、チェーホフの心にヴァイオリンの灰色を――当然ながら〈永遠の第2ヴァイオリン〉であるヴァイオリンのあの灰色を吹き込んだカヴァレールたちである。いま彼らはいずれも、浅黒い、日焼けした顔をし、分厚い兵隊外套を着ていたから、ついこの間まで小さな駅舎に屯(たむろ)していた兵隊と同じ人間とはとても思えなかった。
 カザーク兵も電信手たちも闇の中でごちゃごちゃになっては見分けがつかないが、動揺する住民たちの暗い家々を回って秣(まぐさ)と宿を探す者、〔命令を伝えながら〕小槌のようなものでそこらを叩いて回る者、街灯に火を点ずる者、水道を修理する者――いろいろだ。
 薬局の前で電信手は電柱によじ登らなくてはならなかった。登った電柱の上から二階を覗くと、明かりが見えた。大きな部屋で、品のいい家具が備え付けられている。人影はなかった。電信手はふと思った――『ああ、あんなとこに泊まれたらなあ、たとえひと晩だけでも!』
 作業を終えると、彼は用心深く薬局のドアを叩く。誰も彼のために扉を開けてくれなかった。仕方がない。立ち去ろうとしたとき、なぜかカザーク兵のことを――どっかで失くしたゲオールギイの、ぼろ同然の二本のリボンだけを後生大事に持っている民兵のことを、思い出した。誘われるままにやってきたカザーク兵は、拳で思いきりドアを叩くと、叫んだ――  「おおい開けてくれ。さもなきゃ戸を叩き壊すぞ!」
 すぐにドアが開き、ケロシンランプを手にした、顔色の悪い女が出てきた。
 「うちには家族がいます。病気の夫と祖母(はは)と子どもたちが……」
 カザーク兵と通信手は〔信じられんといった表情で〕ちらっと見合った。町を占領したその夜に、自分の部隊からこんなに離れたところに宿を借りるのは、危険すぎないか?

 亭主である薬剤師が出てきて、ふたりを暖かい部屋(ベッドが2つあった)に通すと、言った――『ドイツ兵が去ったので、こちらも嬉しいのです。きれいなシーツをあげましょう』
 きのうこのベッドにはドイツ人の薬剤師とその助手が横になったのである……
 台所で老婆がサモワールに火をつけ、テーブルの用意をしながら、何かぼそぼそ言っている。ドイツ人たちは――これは第一印象だが、長居する感じではなく――すぐに横になったという。ベッドのまわりはドイツ語の新聞だらけで、刷られたばかりのものもあった。(一語判読不能)の鏡面反射。
 翌朝、城館に病院が移ってきた。カザーク兵と電信手は自分の部隊に戻った……
 その町の名はマグラーベン〔未詳〕(一語判読不能)。

 マグラーベンに滞在――陣地戦。
 電信手は野戦病院用の建物を確保する任務を負っていた――それを、強制によらぬ、あくまで〔自覚的な〕自主的な任務と心得ていた。

 オートバイがのっぺりした街道を素早く駆け抜けたが、ゲラーシモフはここずっと自分が高い山を登っているような気がしている。疲れてもうへとへとで、とうていそんな高いところまで登れないことは自分でもわかっていた。肝腎なのは、自分が何のために登っていくのかわからないということだった。こんなことがなければ、自分はもっとちゃんとした暮らしが出来たはず。手柄なんか立てて何になるのだ。そんなものは欲しくないし、山になんか登りたくない。なのに、モーターの爆音とともに、山頂をめざしてどんどん登っていく自分。何のためだ?! 麓には、自分の後方にはしかし、訳のわからぬ〔不可解な〕マスと呼ばれる多くの人間がまだいっぱい居残っている――なぜかそんな気がして仕方がない。

 彼は自分に言い聞かせた――必要なのは〈自覚的な〉〔行動〕、敵軍粉砕の〈個人的な〉打開法を見出すことだ。電話線を電柱に架け渡すことができれば、それは大きなひとつの達成――背後の無数の人間たちに関係を築くことなのだから。いずれにせよ(一語判読不能)は血と血のつながり。

 つながりとは、文字どおり〈繋げること〉、伝えること。新聞で知る戦争と内側から見る戦争との比較によって伝えること。これが報道の役割。まだ個々の段階にすぎぬのに、これがすべてであるかのように装った報道がある。
 結婚のために戦争が終わるのを待っている医師。
 「しかし、ドイツの奴らは粉砕しなくちゃならんでしょう」
 「何のために彼らを粉砕するかって?」
 そう言ったのは、医師ではなく、移動病院の経理課長――ふだんは口数の少ない元の掌帆長(ツシマ)と、そのそばにいた看護婦である。ふたりはいつも同じ意見だ。郵便局の階上(うえ)が予備役たちの部屋になっていて、男性の部屋は女性の部屋の奥。無口の経理課長がまた言った――
 「何のために彼らを粉砕するかって?」

どうやら彼は日露戦争(1904~05)で、日本海海戦(対馬沖―05年(明治38)5月27日から28日にかけての)を経験した人のようである。ロシア海軍の分艦隊(エスカードラ)の掌帆長(甲板上の用具・備品の総責任者)の意。ちなみに、プリーシヴィンの友人で作家のアレクセイ・ノヴィコフ=プリボーイ(1877-1944)は水兵として日露戦争に従軍、捕虜になっている。代表作は『ツシマ』。海洋小説を得意とした。彼についてのエピソードが『裸の春』に出てくる。

 「捕虜か死か。死ぬほうがまし。でも、どうでもいい、同じことだ……あなた方は(諸君!)はおわかりでないのです。囚われの身になったら、人間に何が残るというのです、自分の体は自分の言うことを聞かない、ぼろみたいな肉片が骨の上でぶらぶら揺れて、つまり、どうでもいいんだ、同じことだよ」

 森の中では自動車が真っ先にドイツの兵の中に突っ込んだ――それきりだ。が、輜重隊はぞくぞくと後に続く。〔兵士たちが〕歌っている。通信手たちも〔通過した〕。巻枠が枝に固定されて……焚火……歩哨が立っている。スピリドーノフも火のそばにいた。

この一行は、「株式通報」紙(15年4月と7月)の記事に。見出しは「アウグストフの森(干戈の響き)。

 ヒトがヒトに触れて火傷(やけど)する(互いに勢力圏(オルビータ)を侵して)――薬剤師。
 道――森の中のお墓。結束機〔穀物を束ねる機械〕が煙を吐いている……少年の戦闘……
 次第に森の中へ。輜重、軍隊、通信手……スピリドーノフが死んだ……狼たちは森へ入っていく。血の気のないベロルシア〔白ロシア〕人。  人間の死を自然の絵画の中で展開さす。

 塹壕生活。朝、バケツが鳴ってお茶の時間……それが習慣になったので、お茶の時間にドンパチはやらなくなった。塹壕のヒーローである赤鼻の歩兵大尉とミチューヒ〔下級兵たちの蔑称〕。ひと騒ぎあって、ドイツ軍は後方へ。

 半年間、町は活気に満ちていた。老婆がひとり外へ出てきた。ついに春の到来か〔しかし今は冬!〕。物を担いでどっかへ向かう人びと……ゲラーシモフは兜を横っちょに。退却だ……彼らはみな町の住人だった。〔城館〕は今や野戦病院である。小鳥みたいな看護婦たち……
 ゲラーシモフはよくわれわれのところにやってくる。ベニヒワ(カザーク兵)。退却が手間取る。しんがりは通信手たちだ。保弾帯をみなはずしている。

 瀕死の傷を負った兵が塹壕へ飛び込んで、息絶えた。

 つのる恐怖。教会〔カトリック〕から少し離れている病院。負傷者にはまず入院治療の準備をさせ、包帯所へ送ったのち収容(チェマダーン〔スーツケースの意、大型砲弾をそう呼んだ〕から捕虜たちへの憐憫の情まで。スピリドーノフはその段階でこの世とおさらばしたのだ。〔従軍司祭の〕ネーストル〔ノーヴゴロドの修道院長、前出〕と顔面蒼白の将校が姿を見せる……薬剤師の女房のコニャック、それと小さな脚付きグラス……)
 さっぱりした顔の負傷者。何か言いたげで――自分の体験を他人(ひと)に話したくてたまらない様子。誰かに言おうとするのだが、痛みがそれを許さない……だめだ。

 ポーランド女。テーヂク……人間のこと祖国のことで言い合う。ポーランドのカトリック僧と彼と一緒の人――彼らが何を言ってるのか理解できなかった。昔の平和な時代を心にイメージする……と、そこへ爆弾が降ってくる……
 「人間はじつに嫌悪すべき生きものだ、なんにでもすぐ慣れてしまう」
 「あなたたちにはわたしの言っていることがわからなかった――人間はなぜ嫌悪すべき存在なのか。わたしはこう言いたかったのです――人間は慣れないわけにはいかない、人間が悪いわけじゃないんだ、と。ああ、わたしは自分の人生について語ることが山ほどある、いっぱいいっぱい話さなくてはね。こうして年老いて、あとは何も――幸福なんてありますか? 幸福の尺度は幅(広さ)ですが、不幸の尺度は深さですよ。幸福な人間にはどこかしら欠けたところがあるんです」
 「不幸な人間にも、何かわかってないところがありますわ。不幸な人間にもね……あたしは不幸な人間にはなりたくありませんでした。でも、もう少し幸福になりたいです、今は不幸ですから」。テーヂクは前線基地で本を読んでいる……

 大尉は上の棚に横になって手紙を書いていた。棚が体の重みで折れそうになる――危ない。戦争の話になった。『みんな嘘をついてるのさ』と大尉。『わしは何も知りたくない、聞きたくない。わしが聞くのは自分の曹長の話だけだ。命令があれば、それをするし、命令がなければ、ただ待機している』
 市中の軍人たち。わたしは今、戦争が不幸そのものを意味する人たち〔農民〕を見るような目で、兵士を見ている。そして農民も戦うのだが、彼らは、戦ううちに鉄の規律によって自由を奪われた、ぜんぜん別の生きものに姿を変えてしまう。この規律の中にいると、その規律自体が自由な人間にとっての〈神聖にして必要不可欠なもの〉になってしまうのである。
 しかしながら、生々しい現実はわたしをまったく別の都市型の兵士たちとめぐり合わせた……その兵士たちは英雄(ヒーロー)と呼ばれているが、それは、彼ら自身が自らをヒーローと認めない、もっと正確に言えば、ヒーローたることをまったく自覚しない限りにおいて、なのである。われわれが彼らに見惚(と)れる条件のようなものを挙げるなら、それは、おのれの勲功を口にせぬこと、その謙虚さ、自らが為した偉業の意味を解さぬこと、である。
 しかし、それを目にするのは戦場を措いてはあり得ない。なんとなれば、その兵士は自分の家に近づくにつれて、ぜんぜん別の人間になって、いろんな話を始めるからだ。彼の話は、どんな物語も現実と異なるように、真実とはかけ離れている。わたしはあるとき、戦闘のあと直にあのクリュチコーフ*1に会ったというジャーナリストから、こんな話を聞かされた――有名なその軍人、じつは自分が何をしたのかぜんぜん憶えてないのだという。わたしが話を聞いて回った大勢の兵士たち――もちろん敢然と敵陣に切り込んでいった連中だが、そこですら〈自覚的な〉人間には出会わなかったのである。人は〈英雄(ヒーロー)という言葉についてさほど真剣には考えない。何かのついでにふと思ったりするものだ。世界の偉大な書物は、ヒーローという言葉をその概念とひとつにしようしてきたわけだが、本当はその逆で、それは沈黙とひとつになるものだったのだ。そう言えば、わがブィリーナの英雄豪傑たち*2も、余計なことは何も語らず、やはり沈黙を守っている。

*1クジマー・フィールソヴィチ(1890-1919)はドンのカザーク。14年にゲオールギイ勲章を受けたロシア軍の最初の英雄(前出)。

*2ロシア民衆の間で古くから伝承されている一連の叙事詩(口承文芸)をブィリーナ(былина)と、そこに登場するヒーローのうちでも天下無双の豪傑たちをボガトゥイリ(богатырь)という。キーエフ公ウラヂーミルに仕えるイリヤー・ムーロメツ、ドブルィニャ・ニキーチチ、アリョーシャ・ポポーヴィチなどが代表的な勇士。

 〈われらが英雄〉が意味するのは、一個人ではなく、どうにも抑えがたい盲目的で無意識的な行動の一モメントなのである。
 40人ものゲオールギイ受勲者が通過していったが、みなどことなく似通っているところから、大尉は彼ら全員をひとしなみにミチューヒと称している。
 彼らがゲオールギイを手にしたのではない、ゲオールギイのほうから彼らのところへやってきたのだ。それは、われらが意識〔自覚〕を育んだ良きタイプ、最良の兵士によく見られた典型だったのだが、時代が変わり、大都市の生活に大衆(マス)が流れ込んで人間そのものを変えると、やがて都市型の兵士というものが出現した。戦功は彼らにとって最終目的であり、それとともにゲオールギイは恩賜としてではなく業績となった。灰色一色の兵士たちのうちでも、東プロシアの前線で出会った4名の兵士のことがよく思い出される。彼らはみなゲオールギイを所持する自覚的な兵士たちで、並はずれた才能の、非常に活発な、機転のよく利く都会出の貧困階級出身者――要するにペテログラードっ子たちだった。

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