2011 . 07 . 10 up
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この戦争はそうすぐには決着がつかないかも、戦争慣れしてズルズルいくかも――そんなことが脳裡をよぎる。いま15ヵ月を経て、戦争への慣れが誰のうちにも見て取れる。何かが鈍磨して、とうとう盗みまで働くようになった。心理的には少しも新しいものはなく、人びとはいつでも蚊帳の外に置かれている。
戦争についてのさまざまな説明を集めたら、面白いかも。そもそも戦争の原因は何であるか? 帝国のため? 工業のためか? その他いろいろ考えられるが、戦争原因を知るところからは遠く離れている(社会的状況・立場の)せいで、われわれには、戦争が善と悪の闘争であるように思われている。そういうわけで、俗人たちは概して自分のほうから戦争の心理的原因みたようなものを引っぱり出してきて、永遠の(とはいえ人間によって失われた)基盤(ナチャーロ)が、世界的規模の大釜の中で今まさに煮え返っている――そんな光景をわれわれに思い描かせようと躍起になるのである。*妻のエフロシーニヤ(フローシャ)・パーヴロヴナとワルワーラ(ワーリャ)・イズマルコーワについての話。日記に出てくるワルワーラは、いまだに彼の《許婚(ニェヴェースタ)》であり、《あこがれ(メチター)》であり《詩の女神(ムーザ)》であり続けている。
祖国(ローヂナ)。祖国について祖国の子は何を語るか何を発見するか――異人も通りすがりの者も発見することはないし、また異人が目にしたものを祖国の子は知ることがない。
アウグストフの森で
――戦地報道・1915年2月15日~3月5日――
*グロドノ市の東方に位置するアウグストフの町〔ポーランド語でアウグストゥフ〕とその有名な大森林地帯(アウグストフの森)は、第一次大戦での東プロシアにおける露対独の激戦地のひとつ。ロシア軍には開戦後50日にして早くも兵員の輸送難と砲弾物資の補給難が生じていて、14年末にはそれがまったく危険な状態に立ち至った。プリーシヴィンが特派記者の任務を終えて帰国した1カ月後の15年4月、ドイツ軍はガリツィアでロシア軍の第一線を突破し、7月初めまでにロシア軍を完全にガリツィアから退却させると、引き続きポーランドからも敗走させた。この「戦地報道」は、記者の直接体験というより、攻勢と退却を繰り返す自軍の兵士たちからの聞き書きのようなもの。時間が前後する未整理の箇所がかなりある。
活人画〔台詞も動きもない舞台〕。深夜に森の街道を行く部隊。戦闘後に同じ街道を走る連隊。〈敗残連隊〉の司祭が歩いている――走るのをやめて、いきなりとぼとぼと。ドイツ人がいる! どんなドイツ人だよ? 捕虜か? いんや、でもそっくりだぜ! この阿呆、脅かすんじゃねえよ、すっとこどっこいめ!
〔われわれは〕窓に腰かけていて、たえず目のふちで様子を窺っている――街道を走ってるんだ、軍隊が。それがずうっと。〔軍隊は〕飛行機を見ようとあちこち歩き回って、戻ってきた。走って走って、輸送隊を送り出し、また戻ってきた――そのあいだ走りっぱなしである。誰も足を止めない、止まれと命ずる者もいない。
木炭片、それと焚火。火のそばに男がひとり横になっている。足で蹴ってみた。『なにを寝てる、おい、起きろ!』――よく見ると、男の鼻が喰いちぎられている。
これまで身内の誰かを戦場に送り出してきた女たちだが、今回はちょっと様子が変である。泣き喚きが尋常一様でない。当然だ。以前なら若い衆が何台もの馬車に木材を山と積んで出たものだが、今はそれが爺さん婆さんばっかりなのだから。
兵士はなんとかズルを決め込む。ドイツの一負傷兵のためにわざわざ荷橇が出され、セイヌィ〔アウグストフの森の北、ポーランドはスヴァルキ県下セイナ湖畔の町〕まで運んだのだという。青い目のドイツ人。
故郷はどこだと訊いたら、ライン川だと。自分の許婚(いいなずけ)の話か何かをしたらしい。
負傷者――中にぶるぶる震えている兵士がいて、それも一緒に運ばれていった。そのときついでにドイツ兵(一名)も連れていこうとしたが、結局ひとり残されて可哀そうなくらいだった、一緒に連れてったらよかったのに(これは看護婦のマーラの気持ち)。
負傷兵が5名、徒歩で送られてきた。2匹の犬も一緒。どこまでも中隊についてきた2匹の子犬は、負傷したひとりの下士官のあとを追ってきたのだという。それまで子犬たちはずっとアウグストフの森の中にいたのである。
師団本部の置かれたギーブィ村〔セイヌィの行政区、郷〕の農家。ソファーに藁が敷かれ、そこに師団長が腰かけて、藁しべでお茶をかき混ぜている。
望楼のある小丘。よくもまあ! 全部で6門の砲が陽光を浴びてきらきら輝いている。双眼鏡を手に将校が歩きながら手を振っている。1弾目は不着、2弾目は遠着、3弾目は命中したが、そのあと、あっちからもこっちからも火砲が飛び交い始める――ほんとにこっちからもあっちからも。
〔榴散弾の〕話の中に出てきた話。
「松という松のてっぺんが吹き飛ばされたが、場所が場所、ラッパ手が駆けてきて、『二等大尉殿、やられてしまいます!』とご注進だ。だがここは荒涼たる原生林の中。〈まともに一戦交えるほうが〉嬉しいのだろうが、もとよりそんなことを考えてる余裕はなかった。
「われわれは最後の歩兵、とぼとぼ歩くしかない。
「自軍の飛行機も猛射を浴びせる。パニック。みなして連射、狂暴化し、20歩先の小川に突っ込んでいく。仆れてもまだ連射を続けた。
「ネマンの対岸では、渡河のための防備にあたって……おれは挙手の礼をして氷の上に乗った。氷に乗って向こうに渡るんだ。すると自分の周囲にピシッピシッと弾が飛んでくる。それだけかと思っていると、またしてもピシッピシッピシッ。
「捕虜になる恐怖。捕虜に食わせるものなんかありゃしない。奴らは斬って捨てるんだ……。
「投降は可能なりや? とんでもない。自分が自分の体の主人というわけじゃない……虜囚の恐怖、拷問を受けた者たちの噂、その惨めな光景。そうしたものが、降伏は死よりも恐ろしく、ちょうど心臓がぎゅっと締めつけられるようなものだという、銃後とはおよそ正反対の考え〔理解〕を生むのだ。敵が近づいていると聞いただけで、恐怖はいや増す」
2匹の犬を連れた電信手たちは、当然といった顔で――使命感に燃え、威厳に満ちている――真っ先に森へ潜入する。まず巻枠を運び込み、枝や杭に電話線を架け渡していく。それは、あらゆる音という音(雑音だろうが何だろうが)を後方に送るためだ……上級通信手が戻ってきた。任務を終えて、今はちょっと虚脱状態。焚火が幾つか。火のそばには見張り〔の通信手たち〕がばらばらに立っている。ひょっとして、それは、わざと騒音(シュム・ガーム)を起こそうとしているのかも――森に潜む敵〔の待ち伏せ〕を攪乱するために。
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