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プリーシヴィンの日記        太田正一

2011 . 06 . 26 up
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 当面の課題――報道記事(オーチェルク)の表現形式を再考し、観察をシステム化すること。

 わが国の地方における反動派が――より正確には、その圧倒的多数派が抱いているのは、べつに原理原則ではない。現時点で有利で手堅いと思われるもの、言うなれば「寄らば大樹の陰」である。もし社会主義的なものが確かなら、彼らは社会主義だって認めるだろう。

 アレクセイ・フョードロヴィチ・シェレメーチェフ(リーヴヌィの貴族団長、〔18〕60年代人で君主制主義者)は、以下のようなものから、ツァーリの思想を生じせしめる。すなわち、1)ナロードには自ら欲するところのものを与える必要あり。2)ロシアは政府に占拠されている。

 夢。自分の新しい家のどこかで客たちに写真を見せているが、部屋を幾つか抜けた先にあるテラスの、古いリーパ〔菩提樹〕の木陰に、母が坐っていて、そばにうちの子どもたちがいた。わたしがそっちへ行くと、母は腰を上げた。母は背が高い。上から下まで黒ずくめの衣装。頑健そうな、赤銅色に日焼けした顔。わたしは母を見るなり、声を上げて泣き出す……
 母が亡くなって、もう一年になろうとしている。
 前線と後方がひとつになろうとしている。国民はあらゆる手を使ってドイツをぶちのめそうとしている。

 シェレメーチェフの誤り。民衆は、インテリゲンツィヤが通ってきたと同じ道を、その独自の成長と発展に従って歩むはずである。

 戦争。トルストイの歴史的長編(エポペーヤ)では、戦争の裏表(内幕)、つまり軍に物資を供給し軍隊と銃後を繋いでいるもの――ミミズみたいに蠢いて、戦場から戦場へ、してまた新たな戦争を期待しながら生きている、ありとあらゆる請負業者たち(百年に一度の戦争じゃないか、いま稼がんでどうする!?)が描かれていない。

『戦争と平和』の執筆期間は1863年から69年まで。

10月18日

 まる1年、首都を遠く離れて暮らしているので、よくこんな自問を発する。いまメレシコーフスキイは何をしているだろう? 自分は彼に期待をかけていた。彼を人間として好きだったし、大作家いや教師としても尊敬していたからだ。

〈宗教・哲学会〉について敵どもがどう言おうと、後世の歴史家はきっと世界的カタストロフィーを前にしてのあの神の探求を特筆大書するにちがいない。それは、民間の年代記編者なら当然書き込むだろう〔19〕14年7月の森林大火災や、煙に覆われて光輝を失った太陽と同断だからである。

 現代の惨めな芸術、盗品じみた……その他もろもろ。

10月26日

 メレシコーフスキイのサークルには旧い宗教に対して寛大な恋慕といっても言い過ぎでない態度が見られたが、一方、メレシコーフスキイ自身にはどこか抜き身の剣を振りかざすようなポーズがあって、それは正しくないし、本物ではなかった。旧い宗教、それは幾分かは芸術のための源泉であり、幾分かは最深の発見、ナロードの魂との最深の接触(触れ合い)のパースペクティヴを持つロマーンのための資料でもあるのだ。で、ロシアの前衛社会(先進的社会)の宗教に対する態度は、じっさい否定的なものである。なぜなら、現実にロシア人を宗教から遠ざけているのが、宗教界の代表者たちの嘘であるからだ。
 ジナイーダ・ギッピウスのフェリエトン「アーメンなしに」を読む。
 小話(アネグドート)だが、これは霊的個我によってではなく社会によって発せられた〈アーメン〉、つまり、社会性のあるアーメンだ。
 ギュイヨーを読む。宗教的探求という場合、おそらく本質的にあまり知ることのない原始人(民族)を研究対象にするのは無駄だ(いや根拠がない)と、自分は思っている。大衆(マス)というかたちで今日のプリミティヴな人びとを捉えれば、つまり自前の荷馬車で定期市にでかけ、そこで商いをし派手に殴り合ったあと、終夜祈禱式に出て、互いに十字を切ったりする人びとというのは、ほとんど古代の異教徒の定義と符合するのである。しかし、マスの中の個々の人格と心から(そう心から)触れ合って、そこで自身の経験とよく似たものを目にすれば、原始的な魂の内にも複雑この上ない内的体験(ペレジヴァーニエ)を余すところなく見出すことになるだろう。そしてわれわれにもし鳥や四足獣の心が理解できるとしたら、そこにも同様のものを発見するはずである。自然界は、表面的にはみな一様に見えても、その奥は多様性の世界だ。こちらの心にあるようなものはすべて在るのである。自然には一切があって、われら人間の仕事はただに意識の(意識的個我の)仕事に尽きている。人間の為すべきことは、沈黙のうちに世界が体感しつつあることを吐露すること。とはいえ、この発話から世界そのものも変化するのである。

マリー・ジャン・ギュイヨー(1854-88)はフランスの詩人で哲学者。20歳でパリのリセ‐コンドルセーの哲学教授。進化論的生命哲学を展開、倫理・芸術にもそれを適用した。著書に『社会学上より見たる芸術』(1889)、詩「ある哲学者の詩」(1881)など。

 干戈の響き。この戦争には〈工業〉の刻印が押されている。正教ロシアは〈工場(ファーブリカ)〉の敷居に蹴つまずいたのだ――弾丸・砲弾の不足、豊かな富源を有しながらも社会の必要な要求を満たすべき物資の不足があった。
 食料品の高騰の最終的原因をたどれば、つまるところ人手の高騰に行き着く。誰もが食料品の値上がりと答えるのは、人手が値上がっているからだ。人手が高騰しているのは、必需品が高騰しているからである。それで悪循環が生じる。要するに、わが郡全体とわれらが社会的新事業に対して退廃的影響力を有する人物の投機〔不純な目的のために悪用すること〕だ。この人物の勢力はしかし、県全体を管理統治するある(、、)常任会員との関係にある。そしてこの常任会員の力は、県知事の軟弱さ(力量不足)に存する。知事の弱さが何から生ずるかと言えば、彼の個人的な弱さ(力量不足)ではなく、そもそも権力というものの本性が、そのマテリアルな部分を特別な(別仕立ての専門の)人物に任せているていのものであるせいなのだ。そういうわけで、責任のことで喚きたてる住民からその特別な人物を通して金を巻き上げるのを目的のすべてとする土地持ちの役人貴族と工業貴族との繋がりができるのである。
 それでも、それを通していかに社会性(世論・社会活動)が浸透するものか、研究調査する必要はある。

 第三階級の歴史をどう学ぶか? エレーツの商人一族を研究する……

 ロシアの知識人の運命――ナロードをナロードとの接触(交流)から分離する宗教の壁(万里の長城)の向こうで、ヨーロッパ的教養と不信心のテーブルから零れ落ちるパン屑だけで生きていくことになる。

 株式仲買人社会の代表との懇談。
 キリストと商売人たち。福音書を読みながら、いつも自分を驚かしたのは、キリストが警告もなしに神殿から鞭で商売人たちを追い出したことだった。彼らは鳩を売っていたのだが、これはいつもやっていた商いだった。ところが、いきなり鞭で叩かれた……以前は自分にはこれが理解できなかった。しかし戦時下にある今はなるほどと思うようになった。商売人に有効な手は唯ひとつ鞭、どんな警告も無用だ。

「縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し」という記述は、ヨハネによる福音書(第2章15節)にあるだけで、他の福音書にはない。さらに続けて「両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。『このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家にしてはならない』。弟子たちは、『あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす』と書いてあるのを思い出した」

 悪循環――なぜ生活必需品である食料の値段が高いのか? 答え――人手が高いからである。労働者に訊く――どうして人手が高いのか? 彼らは答える――生活必需品が高いからだ、と。地球は複数の鯨の上に乗っかっている。鯨は水の上に、でも水は大地の上にのっかっているのだ。
 都市部では薪が手に入らない。なぜならユダヤ人が薪をすべて買い占めて、そのため1プード当たり30コペイカもする。ユダヤ人に訊く――なんでそんなに高いのか? 彼らは答える――高いのは自分たちも同じだ、と。
 スキーム。商人階級が悪いわけではない――他人の菜園にどうして山羊を入れられるだろう。悪いのは他人の菜園に山羊を放させる奴だ。じっさい山羊をそうする者もいるし、山羊を放っておく者もいる。しかしわたしは誰が悪いかを知っている。県を管理している県庁のある(、、)人物である。権力にはすべて、精神的な部分と物質的な部分がある――物質的な部分は秘書に、精神的な部分は権力者の代表者に委ねられる。分担〔分割〕なしには不可能なのだ。そして問題は、権力の物質的部分を指揮下に置くのに、精神的部分はそうとう強力でなくてはならないということだ。権力は最良の企てのかたまりだが、いかんせん孤立無援(無力)である場合がある。自分の物質的部分をうまくコントロールできないことがあるからである。わたしは戦場で、高邁この上なき欲求を遂行すべく、種々の経済物資買付けのための資金を受理した人物に会ったことがある。その人物はそれらの物資についても買い付ける物資のリストについても、よくわかっていなかったので、その仕事を部下たちに任せたのだ。それで部下たちが事態を左右するようになった。そうしたケースをあれこれ勘案すると、悲哀を味わうのは悪人ではなく、権力欲の強くない人間であるという結論に達する。

 周知のごとく、トルストイの戦争の長編叙事詩(エポペーヤ)には、まったくと言っていいほど戦争の物質的側面――軍への食糧その他の補給について――が描かれていない。
 この戦争でまざまざと見せつけられたことがある。それは、前線と後方の連絡――両者がどこでどう繋がっているのかという問題だ。あちらでは敵と面つき合わせているわけだが、こちらでは、敵はこっちに尻向けて、休養をとり、飲み食いし、眠ったり、懐を肥やしたりしている。フロント――それは非常に細いラインで、存在するのは一瞬、長い待機のあとの一瞬にすぎない。敵軍と額をつき合わせるその一瞬だけが問題なのだが、そのほかの時間はと言えば、〔敵軍は〕戦闘地帯からはずいぶん離れたところで休養も食事も摂っている……
 めったにないが、相手の顔がちらっと見えたりすることもある。フロントと呼ばれる細長く延びた塹壕の中で、ぞくぞくドキドキじりじりしながら待機している一瞬(とき)である。それ以外のときは、可愛いと思うことさえある――なんせ教会の終夜祈禱式にだって出かけていくのだから。

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