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プリーシヴィンの日記        太田正一

2011 . 06 . 12 up
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9月25日

 財産分与の日。20日の日曜日にフルシチョーヴォ着。
 自伝的なもの。あるときから誰かに後をつけられているような気になった。自分の動きも気になってしようがないのだ。動きや人の姿がいつまでも消えずに残って、しばしばどえらいことを引き起こす。そう、生の夢(メチター)……
 戦争のさなか、秋のオークの古木の黄葉みたいに、いっぱい年寄りたちが散った……
 トルストイの作品中、秀逸なのは、人間たちを何か生きいきしたもので象(かたど)る才能だ。読み進めながら、たえず自分の意識下に顔の無い自然力(スチヒーヤ)(ひとはそう呼んでいるのだが)、あるいはポトポーチヴァ(подпочва)、すなわち登場人物たちがいずれもそこから創造者の思いのままにさらりと姿を現わし、跳んだりはねたり自由に動き回っては、やがてどこかへ消えていく下層土〔心土、また内在因〕の存在を感じているのである。

 ものにはすべて〔存在〕理由がある!
 なんと多くの人間が、群れをなし、幽霊のように空しく傍らを過ぎて行くことか。そのうえそれらがみなニセ臭く面白くもなんともない生きもののように見えることか。ところがじっさい、彼らは贋物どころか正真正銘の本物でしかも面白い連中だ。誰でもいい、そんな彼らと小道でぱったり出会いでもすれば、すぐにも彼らの本性(プリローダ)が恐ろしい力で明らかになるにちがいない。それで現実が理解できるようになるだろう――ちょうど、光芒を引いて墜ちてくる流星を目の当たりにして、思いのほかの速度で飛び去る現実の天空のプリローダに想到するように。

 アンチキリスト。お百姓の胸のうちでは、聖ニコーラの下にウィルヘルム=アンチクリストがぶら下がっている。お百姓は言う――『あいつをニコーラの下に吊るしておけば、あいつの力は消えてしまう』。

 避難民。『これでまる二日、何も喰ってないんだ! 嘘じゃない、嘘ついてる暇なんかない。吐き気がする。いっそ窓からゲエッとやりたいよ』
 尿瓶でジャガイモを煮ている。こっちでもの煮て、あっちでゲロ吐いて。肉親を見失った原因というのが、焚付けを探しにいってるあいだに汽車が出てしまったのである。『身内がいなくちゃ死んだ人間は浮かばれまいよ』。
 なのに、列車の中では毎日、誰かが死んで誰かが生まれている。霊のおかげだ〔霊的援助〕。教子だ。母と息子の偶然の出会い。夕べに焚火が燃え盛る。寒気が増し、話し声も冬の蜜蜂の巣の中のよう。小さなパイプをくわえた男。そいつにとってはもうどうでもいいのだ――どこへ連れていかれようと。でも、行き先はどこ? 避難民たちは知らない――どこへ何のために、何が何やら。そこでベフチェーエフ〔未詳〕の意見だが、彼によれば、すべての人間の所属を決定し、マスを無個性化〔類型化〕する権力が必要なのだ。ボリソグレープスクへやられることに決まった男がこっちへ来る。彼としてはツァリーツィンに行きたいのだ、ツァリーツィンには親戚がいる、なのに、送られる先はボリソグレープスクなのである。
 近くの豊かな町には、去年は負傷兵たちが、今年に入って難民たちが殺到した。どう見ても、住民たちは犠牲を覚悟している(パンを出し、バランカ〔輪形のパン〕を供し)。必要なのは権力組織をつくり上げることだけである。
 何もできないし動きも取れないが、可能なことがひとつだけある。絶対に必要なもの――たとえば、子どもにやる砂糖のひとかけら。権力のひとかけら……それぐらいはまあ、獲ろうと思えば獲れるのだ。
 看護婦たちが車両を見てまわっている。子どもは何人? 8人! なら、角砂糖8つと茶葉をひとつまみ。
 軍の補給所が使われているが、軍用列車が入ってきたら、当然そちらが最優先で、〔食糧〕補給機能は停止してしまう。そのかわり切符は次の補給所までオーケイだ。『切符は持っているか?』と訊かれると、誰もが『あります』と答えたりしているが、切符なんか持ってたところで、ここではどっちみち〔食糧は〕支給されないのである。

 エレーツ〜グロドノ〜ペーンザ間のどこかが詰まっていて、やむなく進路が変更になる。これでは親戚も捜しようがない。
 住民の法律相談委員会で。ある一人の難民は、よその赤子を孤児院に入れようと走り回っているあいだに、自分の乗るはずの集団輸送列車が行ってしまったという。結局、男は赤ん坊と取り残された。自分の家族がどこにいるのかわからないでいる。

 8月24日から9月24日までに、避難民は10万人、うち1万の女が乳呑み児を抱えていただろう。
 ブルガリアがセルビアに宣戦布告。今や戦争とそれにつながる一切があまりに深く生活に浸透し、あまりにありふれた周知の事実となっているので、それを描くためにはどこか別の惑星の読者たちを想定しなくてはならないほどである。今や最高に面白くファンタスティックにさえ思えてくるのは、おそらく戦前の、どこかの旧い一族の地の、この上なく平和でこの上なく平凡な生活誌ではないだろうか?

第一次大戦が勃発すると、ブルガリアはドイツ、オーストリア=ハンガリー側に  立って、15年10月に参戦した。18年9月、連合国側に降伏し、戦勝国とのヌイイー条約によって、西部領土をセルビアに、西トラキアをギリシアに割譲してエーゲ海への出口を失ったうえに多額の賠償金を課せられた。

 以前自分がよく歩いた領地の古い公園の並木道、農民たちが踏み固めた冬麦畑の小道、草の上を行く馬たち、かじかんだワサビの葉、オークとリーパ〔菩提樹〕の裸木と、なぜか春先のうっとりするような緑が――何の木だろう?――遠くに見える。ライラックの緑、わずかに残った葉の緑――黄葉はすべて散り落ちて、残った緑も――それもところどころにあるだけなので、かえって優しい春の色に見えてくる。一方、氷の張った池は鏡のよう。小石を投げれば、春の小鳥の群れかと思うような鳴き声が響き渡ったほどだ。ああほら、厳しい冬が今にも舞い戻ってきそうではないか。わたしは古い庭園をぶらついていた。仔牛がわたしを認めて、あとから付いてくる。ずっといつまでも。そしてわたしの存在に慣れると、ほんの一瞬、草を食いちぎったが、またぞろあとを追いだす。仔牛と一緒に凍った森の池の方に歩いていく。氷にあたる小石の音が面白くて、この土地の新たな所有者としての第一日目は、そんなふうにして過ぎたのだった。数を増したカモたちの喚き声、凍りついた道を行く荷馬車の軋み。あれはお百姓たちが町へジャガイモを運んでいくのだ。みんな、ジャガイモに押し潰されそうになっている。『どこまで?遠いのかね?』。霜柱。地面が凍結しているから、耕すのは無理かも。春用カラス麦の種蒔きはがんがん火でも焚いてやらなきゃならないか。イワン・ミハーイロヴィチ〔フルシチョーヴォ村の住人で、プリーシヴィン家の古くからの使用人。前出〕がジャガイモのことを言う。『どうしようかね? ジャガイモのせいで、ライ麦もカラス麦も売りに行けねえのさ。ジャガイモばっかしでほかに荷馬車が手に入らねえんだ。だから百姓はジャガイモに潰されてヒイヒイ言ってるんだ』。
 ヴォルーイスキイ老人はわたしの父も、祖父も、曽祖父のことも知っているが、こっちは自分の父さえ憶えていない。

 禁酒はお助けだが、砂糖を禁じられたら生皮剝ぎだ。

 わたしの問い。鉄道ダイヤの乱れの主な原因のほかに、各地の農産物の出荷を遅らせているどんな社会的原因があるのか? 答え。第一の原因はまる1月半も続いた長雨による収穫の遅れであり、したがって今、お百姓は大忙しだ。第二の原因は食料品の高騰。そのため彼らは自分のものまで市場に出そうと必死になっている。第三の原因としては、今は自分にかかりきりで、誰も酒など呑まない。つまり福祉の向上だ――節酒、穀物高騰、それと官の配給食糧。
 お百姓がムシャムシャやりだした。ものを喰い始めたのだ。穀類を扱う業者によれば、穀粉の高級志向(最上小麦粉、一等麦粉、二等麦粉)がかなりのところまで行って、二等麦粉の需要が著しく低下したという。
 お百姓に卵を売ってくれとか、どっかへ寄り道してくれ、これこれを運んでくれと頼んだら、どんな返事が返ってくるか? 当然それに見合う茶代を要求されるに決まってる。
 労働力が減ってしまった。ロストーフツェフ〔プリーシヴィン家の隣人、地主で国会議員。前出〕が言っている――いま彼の領地はどれも賃借(アレンダ)の対象になっていないが、貸出した地所の価格だけは好きなように上がっている。知るべし――いかなる状況下にあろうとも、わがムジークは白パンを食している――これが今現在の彼らの姿だ。

10月9日

 文学のわかる人間は音楽のわかる人間と同様、甚だ少ないが、文学の対象となるのはたいてい、誰しも関心のある生活(ジーズニ)だ。それゆえ生活を評価・判定するような頭で評価・判定するのである。

10月12日

 リヴォーフが占領された……
 祖母の死(ロマーンの始め)。一片の土地から、そう、土地が原因で殴り合いを始めるのだ! 不動産目録。問題は地図だ。年寄りに地図を理解してもらう難しさ(不可能)をどう描くか。それと遺書。地図に関して何かが彼女〔母〕を不安に陥らせた。戦争、遺産分与、土地の賃貸もろもろのことが彼女をごちゃごちゃにして……亡くなった。穏やかな星空を、星がひとつ流れた。そして悟ったのだ――この天空の目に見える静寂の下にどんな巨大な動きがあるものか、を。秋の木の葉のように年寄りたちも散ってしまった――敵の弾に当たったのではなく、変な、目に見えない(不明の)、新しい未来世界によって。

10月18日

 自分自身に戻り始めている……
 ヨーロッパの停滞時代とウィルヘルムの勝利。ブルガリアの進出とヨーロッパ外交の破綻。  地方ではカデット〔立憲民主党員〕以上に非難されているものはない――地上最悪であるかのように罵られている。地方においてカデットであるのはまさにユダヤ人と同等。だからこそユダヤ問題は、概して地方の進歩主義者(プログレシスト)とカデットとの境(グラニ)だと言われるのだ。ユダヤ問題で、プログレシストは揺れて曖昧な態度を、カデットは権利の平等を認める。むろん農業問題に関しても同じ意見だが、しかしそれでもユダヤ問題ほどはっきりしたものではないし、重要でもないようだ。やはり自分には綱領〔カデットの〕が問題なわけではないように思われる……ではどこにあるのか? それを正確に言うのは難しい。思うに、良心の人はカデットの綱領を、なかなか達成しがたいが、まあ神聖なものと見なしている。左の人間が実現しそうもない綱領を提示すると、そのために彼は左翼で変節者〔公式イデオロギーの反対者〕で未来人、この世の人間ではなく、先進的アヴァンギャルドなどと呼ばれることになる。で一方、わが国のカデットはどうかと言えば、ほとんどが裁判官とか弁護士とかいう〈元気印の〉活動家ばかりである。カデットだとわかると――
 にやにやしながら、誰かが皮肉たっぷりに『ほう、あいつがカデットだって!』
 『そうさ、カデットさ! そうか、だからイクラ〔キャヴィア〕が好きなんだな』
 『どういうことだい? じゃあカデットはイクラを喰っちゃいかんとでも言うのかい?』
 『そんなことはない。買って、好きなだけ喰ったらいいし、他人(ひと)にご馳走したってかまわんよ。しかし、わしらには確かな徴(しるし)がある。弁護士が商人の家に出入りしてイクラを喰うようになったら、これは碌なことにはならんという徴だ。そいつはイクラを喰い、そのあときっと尾鰭を付けて、こう言うのさ――『われわれはカデットだからな!』

イクラ(икра)はロシア語で魚卵もしくは両生類の卵塊のこと。塩漬け魚卵製品。ふつうキャヴィア(チョウザメの卵の塩漬け)を黒イクラと、鮭の卵の塩漬けを赤イクラと称している。フランス語・英語のキャヴィア(caviar)という言葉はイタリア語またはトルコ語から伝わったもの。起源はペルシャ語のよう。同じくチョウザメの卵を塩漬けにしたもので、チョウザメはカスピ海のヴォルガの入り江、イラン、アムール川などで捕獲される。近年は乱獲が祟って減少。もともと非常に高価なので、「高嶺の花」の代名詞であった。

 要するに、神聖な仕事を為さんと欲すれば、出されたイクラと私的生活においてイクラにまつわる一切のことを斥けよ、そしてただただ聖人たれ、他人がイクラを喰う邪魔をしてはならんということ、である。
 そのかわり進歩主義者がカデットより右寄りで(正しくて)、たとえちょっと中途半端にユダヤ問題で動いたとしても、本質的に、この男は右派そのものとは些かも共通するところがない、ただそういう立場でいることが彼にとってより好都合〔最初だけ大文字でУдобнее〕なだけなのである。肝腎なのは、活動的な事業に随伴する、嬉々とした〈元気虫〉であるということ。それ以外の何ものでもないのだ。必要とあらば、死の王国のフロントで必死の働きを――傷病兵の世話でも看護でも何でもするし、同時に自分が嬉々とした元気虫であることを片時も忘れることはない。だから、ナントカ全権委員をおおせつかったら、もう元気溌剌、いかに難儀な環境だろうと八面六臂の大活躍をしてしまうのである。そんなとき、知人か親戚か同郷の誰かが首相になったと知ったら、どうなるか? すぐにも元気印は、顔を真っ赤にして前線から首相を追ってまっしぐら。そのとき頭にあるのはただひとつ――後れを取ってならじ県知事の椅子!

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