2011 . 04 . 17 up
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*母のマリヤ・イワーノヴナは、ことプリーシヴィン家の財産その他に関して、三男ミハイルにはなかなか厳しかったが、晩年に至っていくらか寛大になった。経済的にいつまでも頼りない息子とその家族の行く末がそれほど案じられたということだろう。
地球回転の夢。停車場に人が集まり、世の終わりを前にして、旅行かばんの上に腰を下ろしている。どうして誰も倒れないのだろう? みなそれぞれ地面にひっついてしまっているのだ。以前はそれだけで侮辱されたような気持ちになったのだろうが、ひょっとすると、死を目前にして(自由を目前にして)恐怖に駆られているのかも。それで各人に自己保存本能が目覚めて、それぞれ藁(わら)にすがったということか。いいや藁なんかじゃどうにもならないぞ。しかし彼ら一人びとりの目には、しっかりした藁に、自分だけの藁に見えているのかもしれない、そう、自分だけのとっておきの藁に。そしてその瞬間(とき)から、一本の藁しべとしての世界を思い浮かべられるようになってきた――そうだ、掴まれ、その藁にしっかりと掴まっていろ! そうしてそれぞれが厚かましくもぴったり地面に癒着してしまったのだ。もう自分のことしかわからない。これこそ揺るぎなき権利であり、したがって、《汝は汝自身の藁を捨てよ、されば全人類が幸福になれるであろう》などと説いたところで、誰も藁を捨てやしない――なぜか。それは不公正に思われるから。藁はご先祖様の努力によって、自分らの労働によって手に入れたものである。世界に抗してヒトは立ち上がるのだ、自分の藁を捨てはしないのだ。(コーリャ〔次兄〕と人類――「人類のために自分の土地の杭を負けてやれよ」〔安値で譲っちゃどうなんだい?〕の意)
*ドストエーフスキイの長編『カラマーゾフの兄弟』の登場人物。長男ドミートリイと次男イワン三男アレクセイは母親が違うが、スメルジャコーフはそれとはまた別の異母兄弟で父フョードルが町の白痴女の産ませたとされる人物(下男扱いされている)。父親殺しの真犯人。〜シチナとは、主義、気質、〜的傾向などを表わすロシア語の派生語尾。カラマーゾフシチナ、オブローモフシチナなど。
*1チェーホフの短編『可愛い女』のヒロイン。本名はオーレンカ(オリガ)だが、男女を問わず町では誰からも、思わず「可愛い女(ひと)ねえ(ドゥーシェチカ)!」と口走られる。『オーレンカは可愛い女か』(原卓也著・集英社)。
*2メーイエルシャの語尾のシャは女性の個人名の愛称。本名はクセーニヤ・アナトーリエヴナ・ポーロフツェワ(1886-1948)、線描画家にして建築家。1915〜17年までペトログラード〈宗教・哲学会〉の書記を務める。同じ〈宗教・哲学会〉の会員だった哲学者・宗教思想家のアレクサンドル・メーイエル(1875-1939)の妻。1913年にぺソチキ村を訪ねたこともあって、そのころ彼女はプリーシヴィンにとって〈ドゥーシェチカ〉だった。
宙ぶらりんな暮らしの中にも非常に活発な決定的一瞬というのがある。そのあとその人間は大人っぽくなって、小さな人間にとってはいっそう謎めいた存在になる。大人の秘密は自分が大人になって初めてわかることだ。そうした秘密のまわりにはたいてい瞞着がある。彼らには何か(大人だけの秘密、受胎などなど)ある、何か持っている――そう感じられるだけなのだが。それで、道徳の本などいくら読んでも、どのみちそれを体験することも理解することもできないのである。人間がいきなり宙ぶらりんになるその運命的な一瞬に、ほとんどの人間はびくつき、恐怖に駆られて、何かにすがりつく。そしてそのままの恰好で居つづける。とてもまともでない小さな島(しがみついた小島)に固まっていくのだが、所詮それは小島でさえなく、ただの一本の藁しべ(溺れる者は藁をも掴む)にすぎない。掴まったままじっとしている――掴まっていろ、離すんじゃないぞ! そこで始まるのが、ファンタスティックな、偶然の〈生の結び目〉で、このファンタスティックな一点を実体=現実と思っている(驚き、恐怖の根底に突然、何かが見つかったりすると、誰もが昂然と頭を上げて(〈おれは、おれは生きているんだ!〉とこうくる)が、実際はリアリティなどとうになくなっており、気づかぬままに生は通り過ぎて、もはや過去のことなのである。手に残ったものは何だろう? 自らやってきたのは、偶然通りかかった効き目のないもの、たとえばそれは、司祭の娘(ポポーヴナ)*1、工場(ファーブリカ)、(二語判読不能)、狭隘で、部分的で、細かく、インディヴィデュアルで、偶然的なもの、専門化、ルーティン、軽さ、安穏、体制、身分地位――だいたいそんなもので、大人たち(大いなる騙りの例としてはミハイル・スターホヴィチ*2)は騙すのだ。そしてそこから社会〈生活〉、現実、『真の人生は!』などという、ファンタスティックな不思議千万の糸玉ができてくるのである。なぜファンタスティックかと言えば、いま挙げたいっさいが、初めは驚きの、次には自己欺瞞の、そして気づいたときには他人の欺瞞の土壌の上に建てられてしまっているからなのだ。
*1親友アレクサンドル・コノプリャーンツェフの妻であるソフィヤ・パーヴロヴナ(1883-?)を指すと思われる。旧姓ポクローフスカヤ――この女性については後述。
*2フルシチョーヴォの地主、隣人のミハイル・スターホヴィチについてはすでにドゥーニチカの学校を褒め上げたことが記されている(十四)。教育行政に携わった人物のようで、しばしば「日記」に登場する。
text - 太田正一 //scripts - Lightbox PageDesign - kzhk