成文社 / バックナンバー

プリーシヴィンの日記        太田正一

2011 . 03 . 27 up
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4月12日

 午後3時、この日最初の雷鳴と雨。それは白樺の照明に映える大粒の雨。あす、白樺の森は緑一色になるだろう。
 寝る前に降りてくるのは、小さな黄金(きん)のイヤリング〔尾状花序〕をつけた長い枝(し)垂れ白樺の細枝だ。

4月13日

 家畜の群れが野に放たれていた。森の中からは牧童のラッパ。

4月15日

 きのうは雪だった。夜になって晴れたと思ったら、にわかにマロースの到来。春は足踏みか……

4月16日

 ずっと風、寒気、夜はマロース。春が足を止めてしまった。

日付なし――

 でっかいほうは岩盤、崩落、轟音。小さいのは割れて砕けてぱらぱら降りかかる。
 山(過去という)の粉砕――生活。新生活を始めるには、ひと山そっくり粉砕されなくてはならない。
 人間は世界の魂(ドゥシャー)、すなわちその破壊と創造の苦と歓喜、であるなら、われわれは世界をもっとまざまざとさらに鮮やかに生きいきと感ずることができるはず。
 自然を観察しながら自分をまるごと描くことができる。たとえば、〈わたしは小さな人間だ〉という意識は何を意味するか。それは粉砕、それは部分的な死(不首尾)。
 わたしの大きな崩壊とそのあとのこっぱ微塵。何かが一滴また一滴、止むことなくぽたりぽたり。そして時おり光が射して、生あるものが造られる。
 破壊と創造に架かる橋はどこにあるのか? 誕生、結合、春。

〔ペトログラード〕

4月18日

 「株式通報」紙と近東。編集者の振舞いとこちらの愚行。Г(ゲー)〔未詳〕とのやりとり。ダーダネルスは愉快で結構だが、しかしロシアは燕麦でひと儲けした婆さんではないか。ロシアの青年革命家たちは埒外に出始めた。
 目的は立派。ツァリグラードへ船を進める必要あり。
 路面電車に乗っていた。太陽(光線をではなく)をまともに見たら、太陽は真っ黒なのだろう。

ビザンチン帝国の都であるコンスタンチノープルを昔のロシア人たちはこう呼んだ。コンスタンチノープル(ダーダネルス海峡)の獲得は第一次大戦でのロシア帝国の主要目的の一つであった。

4月19日

 シャリャーピン*1と過ごした夜。N*2に似た若い女性と出会って、ふと記憶が甦る。自分は彼女に何を望み何を夢見たのかを。昔かたぎの地主たち*3。彼女を母〔大文字〕に、プリヘーリヤに変えること。そして彼女の方にも〈変わりたい〉という本望があったこと。しかし自分たちはすでに以前の世界の壊れ残りであって、さらに細かく砕かれなくてはならなかったのだ。

*1ロシア生まれの世界的バス歌手フョードル・シャリャーピン(1873-1938)はプリーシヴィンと同い年。ゴーリキイを介して二人はこの年の1月に顔を合わせた。大歌手の印象については、1917年10月14日の日記に。ここでは、ワシーリイ・ローザノフが「ノーヴォエ・ヴレーミャ」紙(1913年4月28日)に載せた記事『シャリャーピンのコンサートにて』の一部を紹介しておこう。「素晴らしきルーシの〈神〉――古代ギリシアの〈神〉にしてブィリーナの〈神〉であるその歌い手は、ヴォルガの暗い森からでも出てきたような〔ちなみに、シャリャーピン(カザン)もローザノフ(ヴォルガの支流ヴェトルーガ)も母なる大河の産湯に浸かった〕、まるで似合わないフロックなぞを着て……だが彼は、そんなフロックやわれわれ聴衆のことなどすっかり忘れて、ただ広大なロシアの掌(たなごころ)に頬をのせて歌いだした……あたかも緑なすわが心地よきヴォルガの大森林がシャリャーピンとひとつになって朗々と歌いだしたかのようだった」。(『巡礼ロシア』および『裸の春』の「訳者ノート」を参照のこと)

*2ワルワーラ・イズマルコーワのこと。彼女に似た若い女性との出会いのエピソードはさまざまある。のちに『森のしずく』(「交響詩ファツェーリヤ」所収の「ファツェーリヤの娘」もそのひとつ。『プリーシヴィンの森の手帳』にも再録した。

*3ニコライ・ゴーゴリの短編『昔かたぎの地主たち』の主人公である老夫婦。プ   リヘーリヤは妻の名。(十二)に詳しい記述あり。

 (神によって)造られた世界が存在し人間がその魂(ドゥシャー)であると〔そう自分は〕信じている。

4月26日

ペルシャへ行かずに〔駄洒落?〕ペソチキ村に帰ってきた。ピーチェル〔ペトログラード〕での死んだような〔成果なしの〕1週間。その間に自然界では何が起こっていたか?
 エゴーリイの日、ツバメが飛んできた。電線にとまってから冬麦の畑の方へ……カッコウは森の中だが、まだ裸同然の森は口をつぐんで、何も応えない。春の装いに忙しく、まるで余裕がない。蜜蜂が飛びまわっている。

エゴーリイの日(祭日)は4月24日、預言者エレミヤの日は5月1日。昔から春の種まきの目安にされた。

 ここずっと冬との戦争は続いているが、すでに多くは、いや大半はきっちり体勢を整えていたのである。朝は牧童のラッパ、なかなか散会しない女たちの井戸端会議(クラブ)。目に飛び込んでくるのは、路傍のグリーンと水たまりをかこむ草――草はエメラルド。白樺の黄金(きん)のイヤリングとその小さな小さな胡蝶の葉陰。

4月28日

 わたしはいつも自分をまるで天与の才の不足した不完全な存在であるかのように思っていた。自分がどんな存在か、そんなこととても言えたものではない。なぜなら自分などは……なにもゲーテやシェイクスピアやトルストイを引き合いに出すような話じゃないのだ。自分が思い描く存在とは、そんな立派な人物たちではなく、ただの(と言っては失礼だが)年長者――学校の先生、堅実な家庭人、実務家、労働者その他の人たちのこと。だが、日々の暮らしの中で彼らの方へ近づこうとすると、すうっと消えてしまって(誰が? 彼らが)、実際には、そうした存在が、高級にして完全なる存在――誰もが恐れ、恥じ、気おくれするような――要するに、人びとの中ではなく人びとの上にあぐらをかいている存在にすぎないことは、明らかなのである。

 たとえば神について語るときの気おくれや圧迫感といったもの――。ロシア人なら、もっぱら神を信じて黙りこくるか、喋り散らすかのどちらかだろう。

 ときどき通りで、知った顔に出会っても、それが誰でどこでいつ知り合ったか、すぐには思い出せないことがある。向こうが微笑いながら挨拶してくれるのに、こちらはまだどこでいつ会ったのか、見当がつかない……

 ヒトの年齢は、単なる時間の長さや、カタストロフィーを伴う〈自分がそうと思っているところの変化・変動などによってではなく、自身の内なる同一人物の光線(ルーチ)によって推し量るべきである。歳月――それはルーチ、明るいのもあれば、ぼんやりしたのもある……自分の結婚のルーチもそんなふうだった。結婚を決めたとたんに、人間としての心の地平が大きく開いた。自分は悩みをすべて受け容れ、ずいぶん人間らしくなった。

最初の妻であるエフロシーニヤ・パーヴロヴナの回想)にこんな記述が――「そのころ(二人の独身男の宿舎の賄い婦に雇われたころ)、ミハイル・ミハーイロヴィ チはとても生きいきしていて、すばしっこく、お喋りで、タバコを吸っておりました。はたから見たら、中身のない、つまらぬ男に映ったようです。現にピョートル・カールロヴィチ(もう一人の独身男)はわたしにこう言ったものです――「いいかね、フローシャ、気をつけるんだよ。あいつはからっぽの、当てにならん男だ。どうせきみを騙して捨てる気さ」。しかし、そんなことはありませんでした」(長男レフの妻フォスによる聞き書きから)

 7月の静かな空焼け(ザリャー)。かすかに耳の中でキリギリスが鳴いているような静かな人生のザリャーに、過去の、間然するところのない面影がふと立ち現われることがあった。マーシャ、ドゥーニチカ、母、リーヂヤ〔姉〕、リュボーフィ・アレクサーンドロヴナ〔ロストーフツェワ〕。それぞれの人生についてあれこれ考えると、彼女たちがみなしっかりとつながっていることに改めて気づかされる。

マーシャ(マリヤ・ワシーリエヴナ・イグナートワ)は母方の、ずっと年長の従姉、若くして逝った。「従姉のドゥーニチカは人を愛すること(ネクラーソフによって)を教え、もう一人の従姉マーシャは高遠にして超俗的なるもの(レールモントフによって)を示してくれた。これは(五)の略年譜に。

 兄弟たちの立場(位置)と母の関係。その焦点(フォークス)としての〔フォークスはフォーカスに同じ。ただしロシア語には奇術・手練・仕掛けの意味もある〕母が死んで、すべてが消えた(遺言状は母の妄想、われわれの妄想なのだ。母が消え、つながりも消えて、もう誰に遠慮が要るものか、それで相続争いである。堕ちるところまで堕ちて、いよいよ最後の妄想=遺産の懇請)。
 間然するところのない面影、今は亡き人たちへの思い。
 イーリメニ湖の水の逆流。水と増大――土地は水ならず。自分の土地を拡げるようにはいかない。だが水は、向かうところがこの世のすべて。  森は今、耳の奥でキリギリスが鳴くほどの静寂に包まれている。どこから流れてくるのか、白樺の小枝を揺するそよ風の(音楽のような)声は心地よい。きょう、森の中で、冬には知ることのなかった新しい話し声がした。木々(葉と風)が喋り始めた。

 さらに新しいもの――水たまりのぴちゃぴちゃ、茂みがざわめく。何かでっかいやつがひょいと跳び退いたような。変だぞ、何かな? カモ? 穴熊? 狼か? いきなり嘶(いなな)いた――馬だ! 森に入った最初の馬たち。シャンシャン鳴る小鈴。

4月29日

 4月半ばから5月1日までは、黄金の白樺の〈時〉、そのあとに、輝く緑の〈時〉……

 ブリーム〔コイ科〕が動きだした。農夫が畑に向かうのように、川漁師たちが水辺に下りてくる――あっちの岸からこっちの岸から。すると、教会区域であるあたりからも輔祭がひとり、姿を現わした。輔祭はみんなと巧くやっていて、銀行(バンク)を開き、子どもたちを教え、勤行も抜かりない。酒を飲み、遊びもやり、小魚を獲っては岸辺でウハー〔魚スープ〕をつくりもする。

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