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プリーシヴィンの日記        太田正一

2011 . 03 . 20 up
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3月31日

 どこかに流氷の山ができているのだ。水が草地全体を侵し、こちらの根かせに、百姓家の建っている方に迫ってくる。氷は川の淀みという淀みをみな越えて、草地を浸した。ついさっき生まれたばかりの小さな氷塊まで流れ込んでいる。魚を釣るためにあけた氷穴はさながら噴水のようである。
 冬と太陽の〈春の決闘〉が始まった。空が明るいと昼も夜もさして変わらない。同じ条件下では深夜にマロースがすべてを凍りつかせる――冬の王国である。満天の星。朝、灼けた火の玉が昇って、深夜に凍結したものをことごとく打ち砕く。
 太陽がいっぱいだ! 餌をやるために牝牛を小屋に追い立てている。その牛がじつに音楽的な声で啼き始める。そこらじゅう陽光の縞々模様。牛たちの音楽的才能にはびっくりだ。
 熱せられた窓。熱いガラスの上で羽音をブーンブーン、これは一番に目を覚ました蝿……融けた地面から立ち昇る湯気が根かせの方に流れていく。
 日が強く当たるところに蒸気が沸いて、水色の有翼天使たちが残らず天国の入口に集まってきた。上流の白一色の氷原――春の氾濫のうす青い空々獏々(プラストール)がうごめいている。
 遠くとおく森と森とが手をつなぎ、野の地平を荘厳な半円劇場(アンフィテアトル)のごとくに取り囲んで今、大祝典の真っ最中である。黒い男が根かせに立って三角網を降ろしている。別の男は流れてくる重い丸太を引き揚げるのに懸命だ。嬉しくてたまらない――暗くなる前にあと何本か手に入れるだろう。たとえへとへとになっても、これは嬉しい。ぼろぼろの雪の中から、わたしはやっと這い出た。日差しを浴びた地面に足の先が、触れた! 初顔合わせ。なんという歓び――野の初花の香りのように清らかな、言葉にならない歓びだ。
 いま自分は生きている、いま誰よりもそれを感じている。そして誰もわたしを亡ぼすことはできない。わたしは信じているのだ――唯一知られざるわが財産〔ここではフェノーロクとしての、すなわち生物気象学的な自然の推移を的確に表現する自分の才能〕がもうすぐみんなの歓びとなるだろうことを。

4月2日

 春の第2段階(雨)。風立ち、鳥たち、すっきり浄められたあとに、水のざわめき。

4月3日

 暑い一日。マガモ撃ち。最初のタシギ。寒夜。寒さ厳しくなる(第3段階)。切株に腰かけていた。日が落ちたとたん、ものみな凍りつく。真の闇、聞こえてくる水の音。起ち上がってなにやら祈るような恰好。勤行のイメージ、ずうっとイメージし続ける――丘の上に立つ司祭の姿まで。しかし身内の人間たちを思い描いたところで、すべてが停止し、すべてお芝居になってしまった。

4月4日

 炎暑の一日のあと、昨夜はマロースが。鳥は鳴かずに姿を消した。きょうは霧が立ち込めている(ナーヴォロチ)。雨しとしと。冬と春の格闘は何度も繰り返されて、ついに最後の決戦の様相。明るい窓が暑い昼とマロースの夜を誘引する。姿を見せぬ冬の攻撃は深夜で、春の行動は明るい日中だ……夜更けにわたしは、床の中で雄鶏の声を聞く。もうわかっているのだ――夜半前に鶏が鳴けば熱と霧が出て春が勝利し、夜半過ぎに鶏が鳴けば冬とマロースの勝利であること、寒暖計など見なくても寒いということは。
 どこへやらこの日初めてのヤマシギが飛んでいった。きのう、最初のタシギは1羽、きょうは群れなして……小雨の空焼け(ザリャー)はふさぎ込んでいる……鳥たちも歌おうとしない。日没後、雨がやんだらヤマシギが飛び立った(地の底が融けだしている)。以前道だったところは、赤茶色の薄い膜みたいになっていて、その下を水が流れている――大きな決定的な融水だ。フクロウ。

4月5日

 晴れ。夜もだいぶ遅くなって、少し凍る。

4月6日

 晴れ。夜に入って少々凍る。冬の絶望的な抵抗。すぐそこの広葉樹の林に、カモ。クロライチョウが鳴いている〔求愛〕。

4月7日

 霧が立ち込めている。夜雨。渡り、かなり大きな(夜8時、最初の本格的な渡りがあった。それが8時半まで〕。ハンノキと胡桃の花。白樺の蕾が青みを増した。イラクサの登場。

4月8日

 ようやく4月らしい春の一日。自然界全体が(内部にまで熱が浸透して)暖かい。雪に圧しつけられていたゼムリャニーカ〔オランダイチゴ〕が葉をひろげる。イラクサ伸び、雄鶏が喧嘩をしている。ひょいと裸足の女の子。
 いま赤髭男が通り過ぎた――あれこそ四月馬鹿(アプレーリ)。(赤髭男を忘れるな!)

『裸の春』(1939)に赤髭男のことが出てくる。ヴォルガの解氷期に上流のコストロマーから馬に乗ってやってきた「アッシリア人のごとき黒髪黒髭男」、しかし地元の男たちからは「ああほれ、いいあんばいに赤毛(ルィジイ)のお出ましだ」とからかわれる。プリーシヴィンはこれこそロシアの民衆の独特の言い回しであると。ルィジイには「劣った人あるいは間抜け」の意あり。それで『赤毛野郎に押し付けてやれ、奴ならたいてい我慢するからな』と、赤毛でもないのに赤毛にされたりする。

 6日、蛇を殺した。湿ったところから乾いた方へ這い出てきたのだ。
 8日、どの水溜りにも蛙たち(みな口をつぐんでいるが、かすかに鼻息)。蝿が自由に飛び始めた。日没前、真っ赤な夕焼けを背に鳥たちの大コーラス。日没後、(日陰は)たしかに春寒(ポトスヴェーシカ)だがマロースではない。クロライチョウがしきりに鳴く。暗くなるまで小鳥たちが歌い、この日初めての甲虫(こうちゅう)がジージージー。冬の格闘で水溜りには細い氷の針。ドゥルーク・ストゥーク、ドゥルーク・ストゥークと押韻(リーフマ)の尻取りゲームが始まったら、それらの韻と韻とが重なりひとつになって殷々(いんいん)、川のごとくに流れ去った。
 あれは何だろう? 音楽だよ。
 風――汽車。
 8日、ハンノキの花が咲く。冬麦畑に薄い膜。
 9日、窓下のイラクサが伸びに伸びた。日中はからりと晴れて暑いほど。夜になって雨。

4月10日

 小窓に日差し。奥に隠れていた太った雌鶏が、ドミートリイの小屋からひょこひょこ出てきて、昔の思い出に浸りきったオールドミスみたいに、路傍の4月の藪の淡い霞の中にしゃがみ込んだ。すると、雄鶏たち――強そうなのや赤いのや小さいのや黒っぽいのが、その雌鶏を追いかけるように姿を現わすと、騎士(ルイツァリ)みたいに互いに戦いを始める。黒っぽいのが転(こ)け、起き上がってはまた転けて、ついに全身ぼろぼろにされて退散した。強い雄鶏もどうやら自分の勝利でへとへとになって戦線離脱の体(てい)。雌鶏なんかそっちのけで何かを啄ばみだす。やっつけられた黒っぽいいたずら好きの雄鶏は、その勝利者の方を振り返り振り返りしながら、ゆっくりと雌鶏に近寄っていく。それに気づいて、雌鶏はさっさと小屋の中へ。やられて面目を失った雄鶏も、こうなってはもう霞のかかった4月の藪の中で微睡眠(まどろ)むしかない。太った雄鶏は相変わらず何かを突(つつ)き、突きまくっては羽を膨らませて、いよいよでっかくなっていく。

4月11日

 溌剌とした夏のザリャーだが、そのあとこの日初めての霧が草原の上にかかる。蛙の、これもこの日最初のグワッグワッグワッの大合唱(これはただの喧騒ではなく、さながら小川のせせらぎ)。森は白樺の濃い霧に包まれて、視界はあまり利かない。緑が濃くなっているように見えるが、あれは針葉〔樹の枝〕が光を透しているのだ。若い白樺の上に緑がかった霧が降り、蕾の頭はグリーン一色。甲虫が鈍く弱い連続音を発している。
今もし暖かい雨がざあと降ったら、窓の前の白樺は一気に開花だ。これが4月――黄金の、最良の春の月だ。ムクドリたちが白樺の枝にとまったので、夜間はとりあえず、あの喧しい鳴き声に悩まされることはなかった。この日最初の甲虫。ブヨたちのダンス。黄色い花。アミガサダケ。キュウリウオとアセリナ〔鰭に大きな刺のある淡水魚〕が動きだした。もうすぐ牧童のラッパが聞こえ、家畜(牛)が、人間が、姿を見せるはず。気が触れたような野ウサギたちは出水に呑み込まれるのが怖くて、日中は草むらにじっとしている。月光を浴びてまず霧が、それから(これはきのうのこと)白樺の森に樹液の匂いが。どの木も生気に溢れ、樹液でぱんぱん。小枝がちょっと傷ついても、ぽたぽた垂れるにちがいない。夜の草原にマガモ。渡りの音は汽笛のようだ。コガモもずっと騒いでいた。黒い大地に月が顔を出す。自分が日没前にいた茂みにピカッとこの日最初の稲光。これには音がなかった。蟻塚のある丘にはもうだいぶ前から動きがあった。
 猟人と川漁師――目で追えば捕まえたくなるし、耳を澄ましていればやはり仕留めたくなる。ゼムリャニーカの葉が立った。暗い大地に最初の月、最初の霧。立っているネズの木はまるで黒い糸杉のようである。そのまわりに〔残んの〕白雪。

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