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プリーシヴィンの日記        太田正一

2011 . 03 . 06 up
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4月12日

生活創造のモメントとしての戦争。それを個の問題として監視追跡する。個なしに進めれば、まったく意味がない(が、では国家の成長発展は?)。ともあれ、戦時における孤立(孤独)は愚かというか問題外だ! 独りで戦うなど不可能である。そこから見えてくる二つの道、二つの結論。一つは国家建設の必要性、もう一つは苦のための苦に沈潜すること。して一方は苦のための苦に終結を宣して新世界の創造をめざし、もう一方はその国家建設(綿入上衣を縫う―〈これぞロシアでありロシアである〉曰くローザノフ……聖物エトセトラ)を承認する。
 だが、これ〔この声〕は自然のもの(質的に高い生きもの)とは一線を画している。この声には不屈の力と(自然の)法があって、それは〈生活の〉ないしは〈大地の宗教〉と呼ばれる。祈り――ことばの喜び、悲哀は、針葉樹林の音楽そのもの、鳥の歌、草のそよぎ(人間の声は自然の音楽からつくられる)。だが、それらはみなまだ人間ではない。人間は大地に、新しい、自然の延長でない、まったく新しい、人間的な法規を与える。新しい声、新しい、贖われた世界、新しい空、新しい大地――それを認めようとしないのは〈生活の〉宗教の予言者たちだ。

 もしかしたら、かつて鳶は白鳥になったことがあるのかも? 鷹からメボソムシクイが生まれたのかも? 自然は創造のただ一つの方法(道)であるのかも? では人間の声を作る方法とはいったいいかなるものか? 個の心的体験を描き、他者の経験を叙する方法。そのやり方で個人と社会とが一つになるのだ。個人的なものは生活、社会的なものは言い伝え(プレダーニエ)。声のモメントとは自分の声と言い伝えとの合体、自然の言い伝えと人間のそれとの。
 人間の経験は自然(生活)の中にしかあり得ない。生あるものは死に行くもの、人間的なものは不死である。死すべきものから不死が生まれる――それは不可能だ。死すべきもののうちに不死不滅の〈ことば〉が具現するのである。
 新世界が旧世界の証明にしかならない人びとと、新しい未来世界が実際に新しい世界になると信ずる人びと。
 あるとき――少し前のことだが、自分は村を通り抜けようとしていた。村びとたちはこっちが戦場から戻ったことを知っているから、みんな寄ってくる。戦場(むこう)の様子は? 戦況は? これからどうなるのか、としつこく聞いてくる。自分が語るどんな些細なことも、深く彼らの胸に刻まれる。ところが今、村を通り抜けようとしても、誰も近寄ってこない。何も訊かない。もういいと思っている。自分なりに納得してしまって、戦場から戻った者からニュースや自分の痛みを改めて知りたいと思っていないかのようである。ただ、ある小屋からひとりの老婆――少し緑がかった顔色の、血の気のない老婆が出てきて、わたしにこう言った――
 「倅(せがれ)は戦死してしもうたですがの、あたしは何か戴けるのでしょうか? ゲオールギイ〔勲章〕を4つも貰って少尉補まで昇進しとりましたので。どんなお手当てが戴けるんでしょうかの?」 
 老婆は力を貸してくれとすがる……息子さんはなんという連隊にいたのかね、とわたし。
 「ゲローイスキイの連隊でした」老婆が答える。
 ゲローイスキイ〔ゲロイ=ヒーローの形容詞。英雄的な勇ましい連隊の意〕ではわからない、連隊や部隊には名称があるのだと言ってきかせる。老婆はしばらくじっとしていたが、こちらの説明がさっぱりわからない。将校から手紙を〔受け取った〕。それには――ご子息は名誉の(ゲローイスキイ)戦死をなされました、と。わたしが、その手紙は今ここにあるの、と訊くと、いや、遠いところにある、隣村に、と老婆。
 「将校さんは書いとったです」老婆は繰り返す。「ゲローイスキイ連隊だとね。ほかには何(なあ)も」
 人里はなれた場所に、ひと月、ふた月、み月とどこにも出かけずに閉じこもっていると、素朴な村人でさえ、徐々にだが成長をとげて、なかなか興味ある存在になってくるのがわかる。教育のある人間に特有のあの、人間を等級分けする癖が、少しずつ失われてゆく。そんなふうにして山の上から見下ろせば、いかにも小さく見える人間が、近寄ってみると、けっこう大きな人物になってくる。

3月15日――〔ここで日付がもう一度3月に戻っている〕

酷寒(マロース)、豪雪、きしみ雪。昼ごろ、道は人参色だ。照りつける太陽。目を閉じれば、目蓋の裏はひかりがいっぱい。暖気なし。
ナヂョージャ〔ナヂェージダの愛称、未詳〕のとこの息子がこんなことを――なんでもドイツの一中隊が全滅した戦場というのがあって、現場を見たい人は格安の3ルーブリで行けるのとかどうとか。

3月16日

 きらきらと日の照るマロース。昼になって再び暖かくなる。みなして〔村の衆のことか?〕川沿いのアイスバーンの上を散策。誰もが厳しい春になると思っている。厳しい春は村を水が襲い、穀物小屋は流されてしまうだろう。雄鶏たちはひとかたまりになって水の上にじっとしている。捕まえるどころか、近づくこともままならない。

3月17日

 なんという陽光! 鳩たちが朝から気張っている。これは本物の冬だ。目にするものはただ光、光のみ。散乱する光の時の時。  

3月18日

 長靴をイワン・コンスタンチーノヴィチに注文した。〔手早い〕確かな仕事をする男だと言ったのは、ゴールキのブリャーンツェフ。親切な男――『わし、行ってこようか?』
 まるでクリスマスのころのマロースである。大きな、月明かりの夜。議論が始まる――『こいつぁあ厳しい春になるぞ』―『なぁに、そうはならんさ、寒さにはうんざりするだろうがな』
 凍った川のふちを歩く。世間はめったなことでは驚かない。いま固い地面を歩いている。1、2週間後にはぬかるみになるのだが、そんなことには誰も驚かない。戦争も同じだ。爆弾にだって死体にだってすぐ慣れてしまう。それでも、人それぞれが(個々に)出遭う驚きは不思議なほどだ。

3月20日

 深夜に西南の風。嵐になり吹雪となって、これが一日中吹き荒れて、どっか〈ひっちぎれた〉みたいだ。体のネジがもうぐらぐらしだした。道が暗くなり、島が暗くなりかけ、夕方近く、風は北に方向を転じた。雪が吹き払われ、夜に入って、冬がまた古い爪を地面に引っかけた。
 突飛なことをする坊さん――金曜の早朝の祈祷(ザウートレニャ)で12の福音書を講じた*1という。戦時下だし、本当はどっか暗い暗い隅の方にでも身を隠していたいところだが、なんせ煌々と明かりは灯り、夥しい数の聖像がじっと目を凝らしてこっちを見ているから大変だ。わたしはといえば、脇の方に腰を下ろして、パイプを吹かしている(12の福音書を聴きながら*2 )。

*1いつもは復活大祭前の洗足木曜日の夜の祈祷のさい行なわれる。

*2最後のカッコの部分は抹消。

3月22日

 復活大祭(パスハ)。粉雪。狐狩りにはもってこいの日だ。パスハの星月夜。家々はきらきらと輝いて、これは奇蹟ではないか! キリストは甦りぬ! 神父さんの門口には旗が。プロメテウスの火がシチー〔シチュー〕用の2つの土鍋の中で燃えていた。2つの火と火の間で、キリストは甦った。なんとも不思議なのは、哀しみ(苦しみ)を抱えた人間が精進と祈りのあとで味わう晴れやかな喜び。それは心の打ち上げ花火さながらで、輔祭の姿もなかなか立派である。そうして神父と輔祭たちの声が、〈キリストは甦り給えり(フリストース・ヴァスクレッセ)!〉が中空に高らかに響きわたる。そのあいだ、坊さんたちを受け入れる主婦たちはてんてこ舞いだ。ほぼ3日がかり――パン生地を捏ね、クリーチ〔パスハに食べる円筒形の大型甘パン〕 を焼く。ときには焼き方のことで(言い合いになったり)。やることがいっぱいあるのだ。床を洗い、あっちこっちをごしごし擦り、蜘蛛の巣を払ったり……ついに坊さんがやってくる。坊さんは腰を下ろそうとしない。坊さんは坐らないし、鶏雌鳥も卵を抱かない。

 プロメテウスはニコライ神父、ゼウス神はシェミャーキン*1。シェミャーキン(ポベドノースツェフ*2の秘書だ)は地方(クライ)であらゆることをやった。庭園を造り、学校や教会を建て、信用組合(銀行)から教員養成所(お百姓そっくりの教師たち)まで創設したけれど、それらはみな興るべくして興ったこと、つまり自然の流れだが、ニコライ神父は不可能なことを欲したのだ。そしてよき人同士が敵に――人間のために規約〔環境条件〕を用意しようとする者(保守主義者)と、その規約を破る人間をつくろうとする者とが、同じことをしようとして互いに敵同士になったのである。

*1エレーツ市のニコライ神父(ニコライ・ブリャーンツェフのことか?)、シェミャーキンは ノーヴゴロド県の地主で、コンスタンチン・ポベドノースツェフの元秘書だった男。

*2ポベドノースツェフ(1827-1907)はアレクサンドル三世の皇太子時代の教導者で、宗務院(シノード)総裁。アレクサンドル三世の反動的な政治の理論的指導者だった。ナロードニキや分離派宗徒(ラスコール)を弾圧したが、1905年の革命で失脚。1907年に彼の死の報を聞いたウラルの作家マーミン=シビリャークは、母への手紙でこう書いている――「この男はまるまる四半世紀、ロシアの歴史のブレーキをかけ続け……文学は首に重石をつけられていたのです」

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