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プリーシヴィンの日記 太田正一
2011 . 02 . 20 up
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3月21日
死は最大の失敗。失敗はどれもちっぽけな死と同じ。失敗すれば、どんなに幸福な生活も物質的な障害につきまとわれて(障害物が立ち塞がって)、幸福な霊的生活を送ることができない。
自分の場合、最大の失敗が崇高な感情と低劣な〔感情〕の混同から生じたと、これは自分でもはっきりと跡づけできる。運命の力に自分の全〔生命〕を委ねて、そこから何が起こるかを待っていた。私は不正なものを感じつつも、良きもの〔感情〕をもって先回りし、(性急さの諸原因)を凌駕しようとした――そして凌駕し、異常な光〔世界〕の視力を獲得したのだが、そいつはわたしに追いつきわたしを追い越して……生の骨格(スケレット)が露わになった、つまり、わたしを虜にしてしまった。幸福のために必要なのは、力のバランスであり、善悪の意識であり、献身の覚悟であって、自分自身たらんとする志向や渇望ではなかったのである。時どきわたしはものが見えるようになって、自分は彼女〔ワルワーラ〕のためにだけ生き、頭を使い、行動しようと思い、結果、素晴らしい答えを得るようになった。その後、自尊心が勝ったり、すべてがぼんやり曖昧になったりした。現在の目標はまあソコローフ〔イワン・ソコロフ=ミキトーフとは別人か、未詳〕のように、幸福の達成、ということにしておこう。それはもしかしたら、別の、未完成な何かであるかもしれない……人生の踏み段が落っこちなければいいのだが。
概してポエジーはせっかちだ。それは不幸な作業、個人的な仕事だ。ポエジー自体、その存在の合法性という問題も同様である。ポエジーはおいでおいではするが、実行しない。問題はそのことにあるのではない。われわれは生〔活〕がポエジーを素通りしていくのを、たえず目にしている。
3月22日
復活大祭(パスハ)。新聞にこんな記事――「コンスタンチノープルの安定確保〔支配権の確立〕は、ロシアを広大にして世界的な活動舞台へ導くだろう。その道を突き進むことは、民族主義的なイデオロギーを打ち壊すにちがいない」(コトリャレーフスキイ、「ロシア報知」1915・№13)*
*ロシアの南の出口としてのダーダネルス・ボスフォラス両海峡の獲得と、英国のインドとの通路としてのスエズ運河の防衛確保は、この大戦において非常に重大な問題だった。ダーダネルス・ボスフォラス両海峡突破によってロシアの東部戦線と連絡しようしたガルポリ半島への英仏軍の上陸作戦(これを主張したのは英国海相チャーチル)は、15年4月に開始されたが、ドイツ=トルコ(独土)連合軍の巧みな戦術の前に大敗を喫した。英仏軍の戦没者11万人、戦艦7隻(のほかに艦船10隻余)が沈没。セルゲイ・コトリャレーフスキイ(1873-1939)―歴史家、リベラル。著名な立憲民主党員(カデット)。
そのことからはっきりとわかるのは、いつも仮面をかぶっている政治家――リベラル派の姿が見えてくること。ひょっとしたら、未来の県知事たちの姿さえ。
誰かがさらに書いている――アルコールが戦争よりも多くの犠牲者を出す(疫病についても同じ論調だ)ことを認めなくてはならない、と。これは、じつに恐ろしい、じつに不道徳な、まるで戦意を挫かんとする言い草ではないか。戦争の犠牲者たちをこの目で見、その苦を胸にしみこませた身には、統計上の計算なんかで証明された顔のない死は、あまり意味がない……
それでもやはり、そうしたものが社会の疲労や、あらゆる個人的災難や、個人的恐怖ないし恐慌の印象であり感想であるにもかかわらず、われわれ(つまりロシア)にいま必要なものについての国家的レゲンダ〔ありそうもない作り話、伝説〕が、連日紙上をにぎわせている。たえず目にするのは、われわれ人間の心とはまったく別個に、無性無縁の魂、存在――すでにみながそれを神と崇めだし、あたかもその名においてありとあらゆる非人間的なことがなされているかのごとき――すなわちロシア国家のレゲンダの濃い影である。そんなレゲンダに救いを求めるのは、死ぬまである〈人間〉に仕えることを繰り返してきた人びとなのだ。
これに似たものを見つけよう。まず社会から兵士の個人的な運命を隠しているカーテンを、逆に、兵士の個人的な運命から社会生活を見えなくしている遮蔽物を撥ね上げなくてはならない。そこにあるのは、全体の完全な不明〔性〕、戦争のディテールのまったき不明性である。一方に、個人の運命を見落とし自らを生贄に供する怪物的なレゲンダを作り出す能力があるかと思えば、また一方には信仰が――個人の運命にあたかも社会が本気になるような信仰が生ずるのだ。母、妻、姉妹はただひとつこと――近き者〔近親者〕を殺さぬようにと祈る――これは犠牲者(抹殺者たちの神話である!)についてのレゲンダとは逆のこと。そのあとに贈り物が、暖かい綿入上衣が――これらは善き人びとの慰めとなる――バラの花、キャンデー、タバコ、共同の追善供養、死亡通知書が続き、そして最後の最後に、「国家の拡大」「海への進出」などという戦意高揚のための檄や訓示が調子よく登場する。そんなざわめきの中で、幾百万の貪欲な人間たち――商人、納入業者、請負人、警察、知事、財界有力者たち――は、自分らの未来の〈戦争犠牲者〉に対する権力の、新しい堅牢な礎を築いていくのである(ところでユダヤ人――人間的感情をあれだけ搾り取られながらも、言うところのわがインテリゲンツィヤの揺るぎなき基盤であるユダヤ人もまた、磐石の基盤を築いているのだ)。
ユダヤ人とは、根がむき出しの水耕栽培の植物のような、土のない人たちである。他の民族にあっては、撒かれた土くれの下に根は隠れているのに、ユダヤ人のそれは地上に露出したままなので、こちらからは見えない、こちらとそっくりな同じものを彼らの鏡の中に見てしまう。ただそれだけで憤慨したりする。土地を持たない(奪われた)ユダヤ人は、不幸な人びとなのだ!
「彼らは幸せではないか!」わたしが思う幸せな人間とは、ツァーリがおらず、上官上司がおらず、居住地もない人びと。ユダヤ人は幸せな人びと……
ロシア人を表わすキーワードは、はにかみ屋、内気、引っ込み思案*。
*ウトゥーリチヴォスチ(утульчивость)は、ダーリの詳解辞典によれば、「こわごわびくびく臆病(プスコフ地方)」とある。
以下はテーマ。老人の息子はいま戦場だ。彼のいのちは細い一本の糸(戦地からの手紙)でつながっている。息子が死んだら、老人は羽の抜けた鳥のようになるだろう。息子のいのち、過去とのつながり。彼のいのちは、わが軍がコンスタンチノープルを奪取し海へ出るという希望ひとつにかかっている。
深夜、お百姓が七頭の馬を駆って泥棒みたいにこっそりとノーヴゴロド県からペトログラードへ燕麦を運んでいる(燕麦はノーヴゴロドやペトログラードで1クーリ〔約9プード≒147キログラム〕いくらで取引されている)。お百姓はノーヴゴロド県からペテルブルグ県への持ち出しが禁じられていることを知っているのだが、それでもやはりやめられない――戦火のガリツィアとまったく同じだ。馬鹿な法律がつくられれば、頭のいい精力的な〈一家の稼ぎ手〉はどうしたって犯罪者になる。
「何もやらんよ」老人が声を上げる。「何ひとつな!」
「じゃ、ガリツィアは?」
「そいつはやってもいいさ。もういっぺんポーランドの一部を切り取って、それでボロ布団でもこさえろって言ってやりゃいいんだ。ああそれよか、君主が自分の持ってるポーランドのひと切れをドイツの奴らに投げてやったらもっといいかもな。さあ食え、この腹ぺこの牡犬ども、もう二度と入ってくるんじゃねえぞってな。そうなりゃロシアにはもう、ドイツ人もポーランド人もユダヤ人もひとりもいなくなるさ」
母は誰かに対して怒っているときは、きまって別の誰かの前で自分の正しさを弁明し、その人を同盟を結ぼうとする。どういうことか? われわれのうちの誰かに不満を覚えると、もうひとりの誰かに度を越した優しさを発揮し始める(その種の優しさを〈ペーチキ・ラーヴォチキ*〉と称する)。自分の黒い目で、それでもやっぱり女の目で、彼女はいっさいを――ヘアスタイルからひょいと目線を逸らす仕種まで――一瞬にして見抜くことができた。そして相手の動きが彼女の中で快か不快か、ともかく一本の鎖のようなものが形づくられ、もしそれが快であれば不快の方は忘れられ、不快であれば快が忘れられて、最後にはまったくつまらないものから〔自分が〕溜め込んでいる悪意の全エネルギーないし、喜ばしくも寛大な全幅的好意が流出するのだった。これには例外がなかった。怒っているときの母にうれしい補佐役がいないことはなかったし、嬉しいときには不審の念はまったく生じなかった。そんなふうにして彼女はたえず誰かと同盟を組んで、要するに、まるで子どもたちの仲を裂こうとして、いつも誰かの噂を言い触らしていたのである。
*печки=лавочки〈暖炉と小さな店〉――よからぬことに悪用される〈親密な関係〉、また悪事をなすために手を組む(気脈を通じ合っている)の意。〈小さな店〉自体にインチキ、悪だくみ、それに加わる連中の意味が含まれている。
戦傷者や瀕死者の苦悩は、どうもこっちが想像しているほど恐ろしいものではないと思う。しかし、他人の苦を見続けると、わたしたちは無意識に自分の心にその苦のための苦を受け入れ、そしてその苦を贖おうとするわれわれの苦がまた、人間の心の玄妙不可思議な法則を通して、自然の苦より恐ろしいものになるのである。苦のための苦がより大きいのだ――これが人間の法則! 自然な苦の多さから言えば、現在の戦争は歴史上類がない。この戦争で受けた精神的な苦痛ほど大なるものはない。前代未聞、まさに未曾有の苦であるにちがいない。にもかかわらず、大多数の人間は、歓び(戦争のオゾン、雷雨の電気、海峡)を期待しているのだ。
羽の抜けつつあるミハイル・エフチーヒエヴィチ老人と息子のミハイル・ミハーイロヴィチ。手紙が届けば、海峡〔ダーダネルス〕は息を吹き返し活気を帯びてくるのだが、手紙は来ない。呪うべき戦争だ。
4月2日
空色の春。自然の法則に叶ったエゴイズム――絶えざる侮辱と不公正の意識の源。不公正をしんから〔われわれは〕感じており、ほかのことは信じていない。このエゴイズム、この殻、この戸惑いを打破するために一生を使い切る必要がある。
彼女(難攻不落の人〔ワルワーラ〕)、真実の鏡、わたしには手の届かぬ、永遠の存在。すべては――手紙は手渡されている。今やいっさいが違ったものになるだろう。自分はもはや、これまでの自分としては存在せず、あらゆるものがひとつの流れとなって――空色の、水色の女神。
参考資料(2)戦況一覧――カフカースの戦い
O 1月、トルコ軍、カフカースの戦いで露軍から退却。
O 2月19日、英国海軍、ダーダネルスを砲撃し始める。
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O 3月10日、英国海軍、ヌーヴ・シャペルを攻撃(~12日)。
O 3月18日、英国海軍、ダーダネルスを通過(19日)。
O 3月22日、露軍によるガリツィア再攻撃、プシェミスルの墺軍が降伏。
O ガリポリの戦い――15年3月18日~16年1月、英艦隊がトルコの港ガルポリを攻撃するも、
独土軍の守りが堅く、作戦は失敗に終わる。
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