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プリーシヴィンの日記        太田正一

2011 . 02 . 13 up
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3月7日

 胸に十字章(クレストゥイ)か、頭を藪(クストゥイ)にか。ありがたいことに、若者は生きて胸にゲオールギイのリボンを付けている。十字章はひっちぎれて、最後の攻撃のときに、どっかへいってしまった。

詩人のアレクサンドル・ヤーシン(1913-1968)の短編「兵士を見送る」(1954)に同様の表現がある。第一次大戦で戦地に赴く若い父が隣人たちに向かって(赤ん坊だった詩人には父の記憶はほとんどなかったが)、『十字勲章(クレスト)が胸に輝くか、藪(クスト)に頭を突っ込むか』ともかく頑張ってくる、と力強く挨拶した」という。よく使われた言い回しだったのだろう。

 「残念なことに、〔十字章の〕番号を忘れてしまった。報告書を書かなくては。殺し合いが7ヶ月。あの感覚、思い出すのは手が覚えてるあの最初の感触だ」

 マフ〔手にはめる筒状の毛皮製品〕。軍人的な世界観のあと。ごく普通の旅をしたあとみたいに、こまごましたことをよく思い出し、同時にそれらを障害物でも越えるように克服して、自分の経験を、一幅の絵を描こうと努力しているが、あきらかに力量不足である。これは常軌を逸した旅だ。最も奇妙なのは、3日のうちにすべてが起こったこと。まるで3年間の出来事のようだった。非常な短期間に、いや一瞬のうちに生の意味を悟ってしまって、あとは空しくただ上へ上へとよじ登るだけであるのは明らかだ。世界的課題の解決にかくも苦しみながら、なぜ解決できないのか。われわれは、充実した生を生きていないばかりか、自らの献身によっても生の何たるかを理解するまでには至っていない。

 そしてむろん戦争は、個々人によってではなく、すべての人間によって理解されるべきものだ。
 わたしは、その3日の間に自分が味わったものを一枚の絵にしようと頑張っているが、でも、眼前に浮かんでくるのは……一枚のマフ。そう、まったくどうということもない平凡なマフと、やんごとなき奥方(ダーマ)、気品あふれる既婚婦人なのだ。その女人は停車場でわれわれに背を向けて、何か考えごとをしながら、じつに静かにスプーンを口に運んでいた。茶を嗜んでいるのである。ぼろをまとい、騎兵の靴を履いて、胸に例のひっち切れたゲオールギイのリボンを付けた若者が、その奥方をわれわれに指し示した。
 「どうです、女ですよ、本物の女……しかしまあ、なんて豪華なマフだろう!」
 激戦場は目と鼻の先、〔ほんの〕ひとっ走りだ。場所も場所、そんな危険地帯でわれわれが最初に目にしたのがマフ、貴婦人のマフと〈本物の女〉なのである。自分もその場に居合わせたので、いろいろ思い出した――(移動)病院、叩き割られた窓ガラス、看護婦たちの顔、その表情、凍えてどす黒くなった看護婦がよく走り回っていたこと……。そうだ、アウグストフの森では、壊れた自動車に出会って、中を覗き込んだら、『マーラさん!』と看護婦を呼ぶ声。そうだ、よく憶えている。荷馬車に女の子みたいな少年兵が乗っていて、にこにこしながら、わたしに向かって敬礼をした。わたしが返すと、少年兵は何度も何度もそれを繰り返した。引き返すとき、またその荷馬車と出会った。少年兵がまた何度か敬礼した。そのとき自分は思ったものだ――あれ〔マフと貴婦人のこと〕は、(驚くべきことだが)どうかした事情から戦場の真っ只中に身を置いてしまった、女冒険家のひとりだったのかも、と。
 だが待てよ、女、あのマフ、ほんとの話だろうか? 本物の女なんか戦場にいるわけはないし、あり得ない。どうも変だ……
 世間知らずの令嬢が――小鳥みたいな娘たちが戦場への道を模索している(余すところなき生を求めて)のだ。

 もしかしたら、誰もが戦争を直視する必要はないのかも。なにもわざわざ戦争画を衆目にさらす必要などないのかもしれない。ことさら用もないのに、閉ざされた部屋(いま分娩中の女性の)に入る必要があるだろうか? 閉ざされた扉の向こうの愛すべき人びとは、それで、より強力なより深い経験を積むことができるのだろうか? 思うに、戦場に身を置かずとも、深く感ずる人間は、閉ざされた部屋近くの人間よりずっと多くのことを理解するにちがいない。だが、多くはそれほど強い感受性を有してはいないだろう。大半は似たような生き方をしている。しかし、彼らにとって戦争を身近に感ずることは非常に有益だし、われわれ報道人の本分もそこに、彼らが一歩でも戦争に近づけるよう手を貸すことに、あるのだ。

3月15日

   ヴェレビーツイ〔プリーシヴィンが転々としたノーヴゴロド県下の村。1915年2月7日、日記(三十八)〕。きのう、14日に着く。ほぼ1ヶ月の旅だった。13日の金曜日の夜、ザミャーチンのところに行った。12日にゴーリキイと会った。ゴーリキイの話――なぜ神を認めないか? この世が素晴らしいのに、別世界の約束なんか。まるで居酒屋の商売人の話しぶりではないか。ヨーロッパと東方。戦争などぜんぜん必要ない。反戦。トルストイの肖像を見て落涙。戯曲――レーミゾフとゴーリキイ。

エヴゲーニイ・イワーノヴィチ・ザミャーチン(1884-1937)――ロシアの作家。 タムボーフ県レベヂャーニ市出身、ぺテルブルグ理工科大学在学中、政治運動(社会民主党ボリシェヴィキ派)に飛び込み、追放と流刑を経験する。しかし密かに大学に戻って、08年に造船科を卒業。事実上の処女作は『郡部の物語』(1911)―地方色豊かな〈スカースカ〉の文体を生かした新しい試みによって批評家たちから絶賛された。のちにレーミゾフ、プリーシヴィン、セルゲーエフ=ツェーンスキイ、アレクセイ・ニコラーエヴィチ・トルストイ、チャプィギン、シシコーフらととも〈ネオ・リアリズム〉の作家と称されるようになる。造船技師として英国滞在中(1918)に中篇『島の人々』(水野忠雄訳・「現代ソヴェト文学18人集」所収・新潮社)を書きあげ、革命後にはゴーリキイやブロークらと精力的に文学活動を展開、またシクローフスキイとともに文学団体(セラピオン兄弟)を結成した。20年、アンチ・ユートピア小説『われら』(川端香男里訳・新潮社、小笠原豊樹訳・集英社)を発表したが、悪質な反ソ的作家であるとの烙印を押され、これが外国で出版されたことで、さらに激しい弾劾を受けた。31年、フランスに亡命、パリで客死。ゴーゴリ、レスコーフ、レーミゾフらの影響を受けたその特異な言語感覚―対象をデフォルメして真実に迫ろうとする実験―は、次世代の作家たちを大いに刺激した。

 ゴーリキイ。なにゆえ宗教を認めず神を拒絶するのかという問いに、彼はこう答えた――宗教が、この世ではなく来世を約束するからだと。  

3月19日、夜

 夜。誰しも人前で(自分をよく見せようと)気取ったり勿体ぶったりしたがるもので、それでそのためにたいてい自分のテーマというやつを選ぶのだが、しかしすべてのテーマが自分の自由になるわけではない。ときには少しも思いどおりにならなくて、さらに過激に勿体ぶりたいと思うようになる。幸いにも才能が――気取ったり勿体ぶったりするちゃんとした才能があれば、自分もいっぱし気取って、他人に対して『どうだ、おれは立派だろう!』と調子に乗るかもしれないが、そもそも当初のテーマに立ち返ったら、すぐにも『ああ、とんだたわごとだ!』と叫んでしまうだろう。僕にとって〈あなた〉は抑えきれない永遠のテーマなのだ。

二人称複数がここではすべて大文字(Вы)。永遠の女性ワルワーラ・イズマルコーワ。

 最近、自分の最後の手紙〔ワルワーラ宛の〕を読み返して、自分をそんなふうに感じた。関心がよそに向いているときはいいと思うけれど、ひとたび自分自身に向かうと、ただのたわごとになる!
 〈あなた〉は常に僕にとって鏡だった。手紙を書く、書けば後悔するに決まっている。書いているのは下らぬことばかりで、本当のことは言わずじまい。そうしか思えない。どうしたらそうでない生き方が、あるいは自分のためでない生き方が、できるのか。後悔もしたし、廓清(かくせい)もした。ねえほら、もうあのころの僕じゃない、別人だよ。しかし時を経て、またぞろ〈あなた〉に手紙を書き、鏡の自分を見つめる。そしてそのつど、さあ今度こそ本心を、と思うのである。深夜、金色の、電気的に赤みを帯びた空に一瞬の小さな星……何かそんなものを見つけたときには、その明るい一刹那について何か話したいと思うのだけれど、眼前に容赦のない〈あなた〉の姿が立ち現われるや、もう何も言えなくなってしまう――すべてはねつけられると思って。
 こういうことだ。その峻厳な姿は、〔とても〕自負心の勝った聖なる星ではあるが、それでもやっぱり強烈なプリテンションであることにちがいはない。それでわずかなミスでも犯せば、受け取るものは光ではなく、抛られたただの石ころ。ああしかしそれでも、光への新たな、絶望的な試みにはちがいないのである。
 これが書かれているのはまさに今――何日間か続いたぞっとするような殺し合いの現場の、ひりつくような死の感触を味わい尽したあの一瞬一瞬のあとのことだということを、今もその男は12年前のあの束の間の出会い〔パリでの〕を生きているのだということを思うべし。何にせよおのれのものを創造したいと願う男の欲求は、それほどまでに強いのだ。
 人びとは自分を取り巻く世界にさほどの驚きを示さない。きょう自分は川辺を散歩した。堅土(かたつち)だったが、あしたはきっと泥んこ道に変わっているだろう。そんなことには誰も驚かない。あたりまえじゃないか! しかし、星だって草だって蜜蜂だって、子どもたち、いや大人たちだってみな、どれも不思議そのものではないか? 〈あなた〉と出会ったとき、すべてが驚きだった。まるで全世界が〈歌う樹〉のように見えた。それはとてもあり得ないことだった。日ごろから自分はそういうことを大事に思っている。まわりの人間があまり驚かず、よくあることと思ってくれたらいいのだけれど……でも、もし自分が誰かに向かってはっきりと、この世における僕のいちばんの秘密はずっと昔に起こった束の間の出会いに端を発しているなどと告げたら、理解するどころか、気狂い扱いするだろう――なにせ〈あなた〉自身がそうだったのだから。
 支えてくれるものは何もない……でも、〈あなた〉はわかっている、〈あなた〉に書いた言葉を僕がすべて神聖なものとみなしていることを。そんなもの他人が読んでも何の意味もない。なんだねそりゃ、まるでからっぽ、払底のきわみじゃないかとこきおろすに決まっている。それにしても妙な世界だ……手紙を送ることも、打ち明けることもできない。生の根底、その深みを――じつはその生のうわっつらを、幸福を尺度に測ろうとする人間の要求の奥の奥底は、空疎にして無目的の、絶望的な最終決定地であるのに、一方、深さの尺度となる不幸は決して表面(おもて)には浮上しないのだから。不幸は自身のため、もっぱら自分自身のためだけにあって、つまり出口なしなのだ。

text - 太田正一  //scripts - Lightbox PageDesign - kzhk


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