》成文社 / バックナンバー
プリーシヴィンの日記 太田正一
2011 . 02 . 06 up
(四十三)写真はクリックで拡大されます
2月28日
ポーランド北東部、アウグストフの森の戦場では危うく捕虜になるところだったが、そのあと、たまたまカトリックの修道院にぶつかった。修道士はまだぜんぜん若い親切な人で、わたしに部屋を提供してくれた――おかげでそこで戦場の印象を書き留めることができたのだ。17世紀の創建になる修道院の壁の中でのカトリック僧とのやりとりから始めよう。話の根幹は、混沌の巷からわたしが自分で持ち来たったもの、すなわち『苦もて苦を克服す』であった。わが部隊が死を運命づけられた400人ほどの人間を戦火から救ったこと、3日のあいだ、食べるものもなくへとへとになりながらも負傷者に包帯を巻いていた医師たちの姿を〔自分がこの目で〕見続けたこと、彼らのどこからそんな気力がわいてくるのかと、しんそこ驚いたこと。それから、敵の手中に落ちるか、騎兵斥候隊のために破滅するか、そんな恐怖と戦いながら、アウグストフの森を抜けて逃げようと、凄まじいマロースの中を歩き続けたこと。ようやく安全地帯に逃げ込んで仕事を開始したとき、わたしは自問自答した――どこからこんな活力が湧いてきたのだろうか、と。それは苦痛そのものだった。でも、その苦痛でもって他人(ひと)の苦痛を贖ったのではないか。仕事を続けながらヒトはどんどん上に登ってゆく、近づくことすら叶わなかった山の頂めざして。苦が力を与え、苦で苦を乗り越えようとしたのだ。
神父はわたしの話を聞きながら、叫ぶように言った。
「ああそれは『死もて死を正せ!』*ということですね」
*パスハの奉神礼における讃詞(トロパリ)―祭日や聖者を讃える短い聖歌の一つ。
彼はよほど驚いたようだ。同時にわたしも、その突然の発見に驚いた。わたしたちは幼いころから、その『死もて死を』という言葉を繰り返してきたのだ。わたしがただ自分の経験を自分の言葉――「苦もて苦を」を口にしたとき、たちまちその意味が明らかになったのである。
おかげでつい話し込んでしまい、結局その晩は、一行も書けなかった……
数百年後、アウグストフの森でのこの民族同士の戦いは、どんな語られ方をしているだろう? 人間の血に染まったあの太い幹は大方死んでしまって、そこにはまた別の木々が生えていることだろう。〔新しい木々の〕新しい幹はしかし、往時の軍人(いくさびと)を思ってざわめくか? いや断じてそんなことはない!
きょうまだ人間と動物の(一語判読不能)した死体は放置されたままである。今も白旗をつけた2本の木が見えるはず――そこで最後のロシアの部隊が降伏したのだ。そこに埋められた軍旗も近日中に届けられるはず。敵は勝利こそすれ、多くが餓死しており、その後、飢えた兵士は全員が捕虜になった。森を出るとき、いくつかのロシア兵の小さな集団が、数百人の敵の捕虜を連れていたこと、彼らも飢えに苦しんで、捕虜たちを見捨てようとしたこと、いくら追い払っても、パンのかけらが欲しくて、どこまでもついてきたことを、わたしは知っている。飢えが祖国を忘れさせたのだ。主人のあとを、腹を空かせた犬のように。
そんな人間の屈辱を樹々は耐え忍ぶにちがいない。何百年か過ぎれば、新しい幹が新しい世界を語り出すだろう――しかしはたして、新しい樹々は遠い昔の人間たちのことを思って葉をそよがすだろうか?
工兵将校――大佐、40を越えたあたりか、禿頭、長い顎鬚、いかにも神経質そうな顔。砲弾が〔彼の〕そばに転がっている。叫び声。彼は何か(一語判読不能)を憶えていて、ずっと考え続けていた。傷はどうってことない、包帯は要らない、脚に破片が突き刺さっている。服を脱がされた。肩甲骨がやられている。もしかしたら致命傷かも。いや、そんなことは誰にもわからない。『くそ、忌々しい。おれはなんも手当てをしなかった。これはただの傷ではないのかも』――ともかく傷が彼には似つかわしくないものだった。それで(一語判読不能)など見たくもなかった(子どもじみた怒りの始まり)。
きょう感じたことをきょう書き付けておかなければ、あすはもう書けなくなるだろう。来る日も来る日も、新しい体験がわたしの〈きのう〉を責めた。なんだかわたしは、新しい地平線に驚きながら、山を上へ上へと登って行くようだった。そしてきょうもまた、新しいものが発見されるのだ。麓のどこかであれほど〔感動した〕ものが、上に行くたびに、どこか奇妙な、失われた時間のようにさえ思われるのである。
森が〔人間の声で〕あふれかえる――電信技手がやってきたのだ。巻枠が運び込まれ、〔電話線が〕大枝にかけられ、警護はとかれた。焚火のそばに男がひとり立っている。あっちの森の中では、敵が、こちらの騒ぎが収まるのを待っているのかも(最後に町を出るのは電信技手たちだ)。
ロシアの部隊が東プロシアでとったような行動を、わたしたちはしないだろう。平和な住民とは争わない。でも、命令の実行は要求する。
事件のクロノロジー
22日の夜、グロドノに到着。予備隊宿舎。23日、朝10時、クラーキン公爵〔赤十字社〕のところへ出向いて話を聞く。「どうぞ、何でも聞いてくれたまえ。すべて順調ですよ。ミハ〔イル〕・アレ〔クサーンドロヴィチ〕*の紹介とあればご協力しましょう。宿舎はサラートフ移動病院がよろしいかな」
*大公。皇帝ニコライ二世の末弟(1878-1918)。
だが、医師への連絡はなく、病院は移動の真っ最中。宿舎どころではない。仕方がない。もう一人の人物――アンプリイ・クロポトキン公爵〔こちらもロシア赤十字社〕に当たってみる。
クラーキンとのやりとり。彼が言う――『ドイツ人を見る目が変わりました』。いいほうにですか、とわたしは言おうとしたが、クラーキンは『恐ろしいほどの野獣性だ』。それで、こちらの意見は差し控えた。彼はさらに続けて――『あんな獣じみた行為は見たことがない、自分の目で見たことは一度もない』(クラーキンの妻はドイツ人)。ともかくいろんな公爵がいた――ドイツ人のあら探しばかりする公爵、彼らのいいとこしか口にしない、明らかに浅薄で、勇ましい、幸せいっぱいの公爵。わたしを移動しない病院に世話する公爵もいれば、車の中で寝起きさせようとする公爵もいた。
24日、朝9時。幸せな公爵の寝床近くで――
「ここでの戦闘はないというその根拠を聞かせてください」「3日後にスヴァルキはわが軍の手に落ちるだろう。そのときは真っ先にいちばん立派な建物を占拠しよう。あなたは12時までここにおるように。わたしが本部に出向いて確かめるから」
きのう、遺体を片付けた。そのさまざまなポーズ――〔拳を〕振り上げた腕、子どもみたいに怒っている男の微笑、銃剣を突き刺した傷口に包帯を巻いている兵士。
修道院近くのソポツキン〔グロドノの北西部の町〕に、4、5日。(前夜、修道院で人間の獣性について書かれたものを読んだ――ほかに読むものがない)。学校がサラートフ野戦病院に早変わり。部屋を見てまわって火を焚く。ピョートル・ロマーノヴィチ・マーリツェフ〔野戦病院の主任医師〕。凍えた看護婦。
夕方、セイン〔ソポツキンからさらに北西部の町〕をめざす。森の中から「おおい!」と呼ぶ声。竜騎兵だ。「スヴァルキ*は占領だ。輸送車を捨てて、みな逃げた。行けばわかる。おれは今、リガの部隊に進撃命令を下しているんだ」。馬の死体の並木道(あとで伝染病のせいと判明)。
*ソポツキンからさらに北西へ。アウグストフの北に位置する比較的大きな町。
スヴァルキへ、スヴァルキへ! 夜、活人画。2つの連隊、台所、ジャガイモを紛失。何とかいう小さな村に参謀部。捕虜になったゲルマン人――ごく普通のドイツ人だ、哀れな。将校を見かける。男爵らし、許婚〔がいるとかどうとか〕。痛みを装っている。公爵がかぶる鉄兜。みながそれを売りたいと思っている。食わせてやったらいい、腹一杯とはいかないが。
3月5日[ペテルブルグ]
3日に着いた。同じ日――ヴィレーンスキイ〔ドミートリイ・ゲルモゲーノヴィチ、友人〕、ラズームニク〔イワノフ=ラズームニク〕。4日にグリゴーリイ〔ホテルの玄関番をしている同郷人(前出)〕のところへ移る。5日、最初のルポ「アウグストフの森」を送付。
誰しもよく知ることだが、モノというのは、所定の位置(つまり予め計画された秩序の下)に置かれるのが好きでない。なぜなら、モノの自然な状態はカオスだから。ドイツ人のイデアはモノの配置・配列、である。わたしはそうした観点から、〈ゲルマンの獣性〉などという言葉を耳にすると、いつもこう自問してしまう。「そうだとすると、秩序のためにそうする必要があるということなのかも?」。普通ならそれは、獣性のカテゴリーないしは高度な合目的性のイデアから出てくるものである。通常のカフカース的獣性ならわたしはまったく興味がないが、合目的的な銃声は熟考を強いる。わたしはドイツ人によるカフカース的獣性を信じないし、どんな新しい事実にも合目的性を探してやまない。
日に〔1度飛来して〕爆弾を投下してゆく。誰もこの爆弾を怖がってはいない。特別な破壊行為というわけではないから。死んだのは、馬1頭、犬、小さな女の子。どこに合目的性があるのか? パニックを引き起こす? そんなものは起きてない。橋の破壊? あんな高いところから命中させるのは無理である。しかし、あの根気、しつこさ、投下時間の規則性(1日1回、決まって午前11時前後だ!)には、単なる獣性ではない、よくよく練られた計画と意志の力が感じられる。いったいこれはどういうことか?
これを〈獣性〉という言葉で片付けるのは全然正しくない。
自動車はとある丘の上で停車した。この丘のことは誰もがよく知っていた――自陣になったり敵陣になったりしていたので。
同行者であるN公爵は、なんとしてでもゲルマンの銃剣と〈旅行用のトランク〉を見つけようと心に決めていた。それで塹壕近くで車を降りた。
text - 太田正一 //scripts - Lightbox PageDesign - kzhk
》成文社 / バックナンバー