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プリーシヴィンの日記        太田正一

2011 . 01 . 30 up
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2月22日――グロドノへ。

2月23日

   きょう23日、グロドノにそそぐ春の陽光。看護婦たちの朝のティータイム。
 グロドノでは、郵便局を見下ろす赤十字の予備隊内に宿泊。そこが宿泊所になったのは、委託を受けたもののひとつに、赤十字の前線施設の視察というのがあったからである。看護婦と医師たちは現在ここの移動病院のスタッフだが、最近までルィク(Лык)で何事もなく活動していたのだ。ルィクから退却するさい、持っているものをすべて失くしてしまったので、看護婦も医師も自分の着るものは何でも自分で縫ったり繕ったり、また新たな攻勢に備えて必要なものはみな自前で購入しなくてはならないような状況にあった。どうやらしかし、その準備は整っているらしく、消毒殺菌器さえ入手できれば明日にでも移動可能のようである。そんなわけで、誰もが春には以前いたルィクに戻りたいと思っていた――看護婦長のイリーナ・イワーノヴナを除いては。
 「わたし、全然ついてませんわ……従軍看護婦として3度目の戦争も、なぜかまた退却……」
 ルィクには何とかいう美しい湖があるそうで、みなしきりに恋しがって、たえずそこでの暮らしをロシアの暮らしと比較する! ひとたび陣を構えれば、しっかりとそこで暮らす覚悟ができたはずなのに、春はルィクの城館で迎えるなどと夢見ていた。そして何日かして突然、所持品も医療器具もなく仕事もなく、ほとんど手ぶらでグロドノの、郵便局を見下ろす坂のあたりに移ってきたのである。
 最初の攻撃のとき、ルィクの住民は、ロシア兵を待ち伏せと機関銃とで出迎えたが、報復を恐れてすぐに町を捨ててしまった。ロシア軍は物資の豊かな町に進駐したものの、しかし、そこには人影ひとつなかった……そこで発揮されたのがドイツ式の組織力だった! 移動赤十字病院の主任医師(とその心理学)には、どこかちょっぴり家庭教師を連想させるところがある。看護婦たちの勇敢さについて何を語ろうと、やはり彼女たちは女であり……疲れて言い合いを始める。医師のほうはもちろん、できるだけ便利で快適な自分のパンシオンを設けようと精を出す。
 ともかく真っ先に飛び込んで一等地を確保しなければ。ルィクで医師は湖を見下ろす城館に目星をつけ、数人の看護兵と視察に出かけた。日が暮れ始めたが、町に明かりはつかず、電気も水道を停まったまま騨。ただ店はあいていて、馬車も走っていた。蠟燭を手にその城館に足を踏み入れる。何でもそろっていた。なんだか人が住んでいて、どこかそこらの戸棚か奥の部屋にでも隠れているのではないか――そんな感じがした。子供部屋には壊れた古いおもちゃまで――ついさっきまで遊んでいたのでは、そう思われるほど散らかっていた。医師は家庭人として、そうしたおもちゃが何を意味しているか、わかっていた。できれば早くそれらを子どもたちの手に届けたいと思ったことだろう。でも、彼らはどこに……いや、彼らはここに、この城館のどこかにいるのだ。寝室には豪華なベッドがあった。戸棚には下着類が、食堂のテーブルには出されたばかりのメインディッシュが……食堂にカミンがあったので、火を起こし、口も利かずに、腰を下ろした。暗い町の暗い部屋の、ちょっぴりカミンの明かりはあるものの、物悲しく、どっか薄気味悪い、奇妙な感じでもあった。と、不意に、何かの爆ぜる音。火だ! 真っ赤な炭が破裂したようで、煙が充満する。火薬だろうか。そのあともう一度ボンと爆発音がし、そしてあたりは真っ暗くらのくら。

きのう医師が話してくれたことをそのまま記す。

 「大袈裟ですが、なんだか城館そのものが吹き飛んだ気がしました。でも、爆発したのは炉の炭、燃料である炭だけで、とくべつ何もありませんでした。炉を丹念に調べて、火をつけ直しました。暖かくなり明るくなりました。食事を済ませ、寝床をこしらえたのですが、なかなか寝付けません。まだ何か起こりそうな気がしてならないのです。起き出して、館の中をじっくり見て回りました。屋根裏にも上ってみました。何もありません。それでまた横になりました。でも、駄目です。移動であれほどへとへとになっていたのに、眠れなかったのです。すると今度は、暗い窓の外で何かが烈しく燃え上がりました。窓辺に寄ってよく見ますと、隣の大きな屋敷に〔ロシアの〕部隊が突入し、部屋という部屋に火を放っているところです。そうしてその火が闇の中のあらゆるものを照らし出していたのでした。なんだか嬉しくなって、ほっとしたのを憶えています。それでわたしたちは落ち着きを取り戻し、各自、自分の寝床で深い眠りに落ちました」
 「翌日、兵隊の中に技師やあらゆる技能を有する職人たちがいることがわかりました。水道も電気も復旧し、路面電車も動き出しました……どの店にも無料の備蓄品が並びました。生活が始まったのです。」
「ああ、ルィクは本当に素敵ですよ!」と看護婦たち。「あの湖の美しいこと! 春になったらあそこに行くんですよ、わたしたち」  ただイリーナ・イワーノヴナだけは頭を振っている。
 「わたしは運がありません。今度もまた退却……」

 朝、目を覚まして、まず医師たちが考えることは、消毒器はどうかな、もう殺菌器は届いているか、出立できるか、まだ待機かと、そればかり。なんとしてでもここを出たい。お茶を飲みながら、看護婦のひとりが思い出したように言う――「きょうはお日さまが照って、まるで春の陽気だわね」
 わたしは元来、この二月の光というやつ――まだ浅いけれど〔しかしすでに春〕の日差しにはとても敏感なのだ。なのに、どうでもよくなったのは戦争のせいである。何もかも圧し潰されてしまった。もう春がどんなものか、わかっている……漂う死臭を思い出しただけで恐ろしくなる。いずれやって来るあらゆる疫病との英雄的な戦い……それが春というものの正体だ。いったいどこのどんな太陽が歓びをもたらすというのか!
 だが、もうひとりの看護婦は――
 「ああ、でも、ルィクのあたしたちの湖の……あの太陽なら!」
 わたしは窓の外に目をやった。みんなが空を見上げていた。
 「あれはドイツ軍の飛行機かもね」冷めた声である。
 わたしはこれまで一度も、自分の目で敵機の爆弾投下を見たことがない。興奮していた。そわそわしだした。
 「どうします? そう、あれはもうじきこっちへ飛んで来ますよ、窓から見えるでしょう?」いやはや、なんとも冷静なものだ。
 わたしはしかし、そうはいかない。おもてに飛び出した。太陽はきらきら輝いて、何もかもがにっこり微笑んでいる。眩し過ぎて、なかなか空を見上げることができない。次第に死を運ぶ鳥(爆撃機)の影が見えてきた。その死の鳥を一斉射撃が出迎えた。どこから迎撃しているのか、わからない。町は軍人でいっぱいで、至るところに巡邏隊がいる。どこからでも迎え撃てるのだ。
 さらにもう一機。いや、あれは敵機かも。続いて何かが爆発する。何発かほとんど同時に炸裂した。わたしたちは煙が上がった方へ駆け出していた。だが、どうということはない。窪地の岩の上に、黒く大きな穴ができている。焼夷弾だ。どこかに落ちた2発目には宣伝ビラが入っていたとか、3発目のやつで馬がやられたとか言っている。わたしは空を仰いだ。一機も見えなかった。不意にもう一機が〔現われ〕たかと思うと、ネマン川の向こうへすうっと墜ち始めた。全員そっちへ走る。阻止線が張られる前に見届けようと、わたしも後に続いた。墜落地点は、カザーク兵も自動車部隊も急行する。
 「墜ちたのはどっちの飛行機だね?」
 「友軍だ、いやドイツのだと言い合っているが、わたしにはまったくわからない」
 予備隊宿舎に戻ったときには、すでに誰もが墜落のことを知っていて、〔敵機か友軍機かで〕議論は空中戦。とはいえ、口調はいたって穏やか。ようやく消毒器が届き、きょう中にも病院の移動が可能だとわかっていたからである。それから何時間か後に、わたしは、赤十字旗を立てた4台の輸送車と医師たちを見送った。
 平和時の装い〔軍服ではなく〕での再会を期して、わたしたちは別れた。みんな飛行機のことなど忘れていた……ペンを走らせながら、自分も、ああそうだっけと改めて思い出したくらいである。
 前方に、黒い遮蔽物による境界線のようなものが見える。後退したり近づいたり。移動を繰り返す〔軍隊の〕劇場だ。聞きたければ、偉い人物たちの会話さえ聞き取れそうだが、でも、誰にも本当の〔意味〕を知ることはできないだろう。
 自分もきょう、汽車で少し移動しなくてはならなかった。戦場という劇場のすぐそばを移動するのはきわめて厄介だったが、何時間か待ったあと、タバコの煙で充満したぎゅう詰めの車室で待っていたのは、軍務にじかに関わる〔ところの人物〕との出会いであった。若い将校のほかに、今回、同じ車室に乗り合わせたのは、砲兵大佐と、年は取ってるが近ごろ下士卒から少尉補に昇進したばかりの、胸に4つもゲオールギイ勲章をさげた古参のカザーク兵である。彼は弱い(一語判読不能)の話をしていた。
 若い将校のほうは、最近のグロドノ近郊での戦闘中のエピソードを披露している。
 会話はかなりはずんでいた。そのとき、ひょいとわたしたちの車室に男の子が――13歳ぐらいだが、軍服に上等兵の袖章が付いている。

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