2011 . 01 . 23 up
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*作戦軍の後方で車輌・軍需品の輸送・補給・後方連絡線の確保を任務とする機関。エタップ。
「何も知らない、何も知りたくない。とうにこんなつまらん仕事に興味がなくなりました。今はただ命令されたことだけ聞いてるんです。こんなむなしい仕事はやめたほうがいいです……。誰も何も知っちゃいないんだ!」
そう言ったのは、初老の、体格のいい、でっかい赤紫の鼻をした――平時には大酒呑みだったのだろう――シベリア出身の大尉である。
「呆れるね、どうも――」と、彼。かなり興奮している。「50年も生きてるんだ。軍務に就いてからでも30年、大尉にまでなったが、わしの精神教育なんか誰もどうとも思ってないんだ。ミチューヒなんぞクソ食らえ、ミチューヒはミチューヒさ、こちとらは大尉なんだ」
相当腹を立てている。
「ほらな、ドイツの奴ら、まる見えの塹壕ん中で呑んだり声を張り上げたりしてる。まったくとんでもない豚野郎だ! 棒の先に壜をひっかけて塹壕から――『こっちへ来いよ、ビールを飲もうぜ!』ときたもんだ。下司野郎だ! 酔っ払ったのがひとりわが軍の塹壕に落っこちてきた。正気づいて、あたりを見まわす。ロシアの〔兵〕だらけ。逃げようとして――『ロシア人、立派(ハラショー)! ロシア人、立派(ハラショー)!』などと自信たっぷりに胸を叩く。こっちも負けずに――『ドイツ人、とても立派(ゼール・グート)!』」
あるとき、丘の向こうで敵情視察をした。見ると、5人のドイツ兵が〔電話線の〕巻枠を転がしている。その前を丸々と太ったドイツ兵が。まるでビア樽だ。奴らが来るまで待って一斉射撃を食らわした。3人が倒れ、2人が姿をくらました。近寄ってみたが、太っちょがいない。壕を見ると、そこに仰向けになっていた。壜を口に突っ込んだまま。ごぼごぼごぼ。まったくの無傷。馬が一頭死んだだけ。ミチューハたちは奴が何か飲んでいるのに気づいて、すっ飛んでいく。口から壜を引き抜く。中身は何だったと思う? そいつがなくっちゃ、このさき話も進まんやつさ」
「アルコール……」
「シュストフのコニャック*だよ。みんな一口ずつお相伴にあずかった。太っちょは捕虜にした」
*二十世紀初頭、商人シュストフ一族のコニャック(商標は鐘)は宮廷御用達、国内外で広く知られたブランドだった。
深夜、子どものころのように目を覚ました。耳元で誰かが童謡を歌ってくれていたようだった。いやそうでない。通りを軍隊が行進していたのだ。歌っていたのは彼らだった。そうだっけ、今は戦争の最中なんだ――やっと我に返る。それで、この戦争のいかにも威嚇的かつ仮借のなさが、今やわが人生の時の時、今日あるわが成長の年の年であるように思われた。それにしても、こんな厳しい戦のさなかに、なぜ童謡なんかが飛び込んできたのか? わたしは窓から通りを眺めた。一つしかない街灯が、行進する軍隊を照らしていた。兵士の姿こそ見えないが、暗いその影は、向かいの家の壁をどんどん移動してゆくのがわかった。白い壁を過ぎる黒い死の影たち。腕を振り、口が開いたり閉じたりしている。まる見えだ! 死体の群れがわたしの幼いころの懐かしい歌をうたっていたのである。
駅に行く。壮麗なヴィリノの包帯・補給所を見てまわった。将官服をまとった重要人物らしき代表者は、いろんなものをわたしに示しながら、こう言った――わたしは清潔の徹底をはかりました。炊事場などは素晴らしいものです。設備も万全です。独立義勇部隊も組織しました。わたしはあらゆる方面に過酸化マンガン〔過酸化水素か? 消毒殺菌剤〕を送付する責任者でして、軍の機関と赤十字社の友好関係の維持に日々心を砕いています。現在そういったこと編集してまして、いずれ出版するつもりです。
「ヴェチェールニャヤ・ガゼータ(夕刊)」紙の編集部でのドイツ人論。わたしの持論が裏付けられた感じ。ベロルーシ人〔白ロシア人、現ベラルーシ人〕は物静かだ。はにかむような微笑。薄青の目をした森の人(女性の手にキスをする習慣がある)。ベロルーシ人は心理的にはウクライナ人よりロシア人に近いと言われている。キーエフ(キーエフはステップ)よりモスクワに近い。彼らの文化に対する迫害と強制的なロシア化政策が、植民地化を促進している。ベロルーシ人たちは個人主義者であるかのようだ。
揺籃期よりわれわれに秩序と法と、概して物事の〔配列法〕を教えてきたドイツ人、そのドイツ人が、おのれの原則を曲げること、無秩序な散開隊形(縦隊の破滅)を組むことを潔しとせずに今、全縦隊が滅びようとしている。
text - 太田正一 //scripts - Lightbox PageDesign - kzhk