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プリーシヴィンの日記 太田正一
2011 . 01 . 09 up
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村の農家を借りた。借りるとき、こう言われた――酒を呑んだら出て行ってもらう。呑むと人間が変わるからね、今はなんでもないが……。男は4人も娘のいる男やもめだ。以前は、大酒くらっては娘たちを物置に追いやった。暴れまわり、通りに出ると、石に腰を下ろして、あたり散らし、イヌみたいに吼えたらしい。今は見たところすっかりおとなしい人間のようだが、なに、これでなかなかの吝(しわ)ん坊、しかも気分屋である。小銭を貯めこみ、出し惜しみして、いちいちくだらぬことでしつこくお金を要求してくる。ほんとにうんざりする。娘たちには小言ばかり。娘たちは働き過ぎでへとへとだった。息子がいなかったから、戦争犠牲者も出ず、何ひとつ失わなかった。古い自宅の小さな隙間に、ただ干からびた南京虫みたいにじっとしている。
〔編訳者注――以下の箇所はあとで挿入されたと思われる。プリーシヴィンはまだ戦地へ赴いていない〕
戦時下、同郷の4人の兵が一堂に会する。歩兵、砲兵(斥候)、看護兵、それと騎兵、いずれもミチューハ〔間抜けの意、兵卒への蔑称〕である。同じ村の出だから、嬉しくてもう言葉にならない。腰を下ろして、まず茶を沸かす。(戦時下の日常を描くなら、こうすっきりと描かなくては!)。
「おれは大した教育を受けてない。工業学校を出てからずっと村に住んでた。だから、話せるのは、学歴のことじゃなくて真実そのものさ。村のこともロシア人のことも、おれはよく知ってる。おたく、訊いてましたね、ロシア人に興味はあるかって? おたくは記者だから、じゃあひとつ、そのロシア人に教えちゃくれませんか……いま捕虜になってるロシア人の数は? 死傷者の数はどのくらいなんですかね?」
わたしは答えた――面白いものを書くという自分の課題以外に、自分はこの戦争でもっと人びとの士気を鼓舞したいと思ってるが、逆の結果になるかもしれない、と。
「なるほど。そりゃそのとおりだ、士気ってのはそんなに長くもたんし、神経だって弱ってくる。おたくは、なんとしてでも士気を鼓舞しなくちゃね……ひとつ頑張っておくんなさい」
「ということは、〔戦場の〕空気なんか書かなくていいと?」
「なんで書かなくていいなどと。たとえ嘘でも書いてくださいよ!」
去年の11月のガリツィアからの帰還以来、わたしはほとんどどこへも出かけず、ノーヴゴロド県下の村(ペソチキ村)で暮らしていた。
干戈(かんか)の響き*
*「干戈の響き」という同名の記事を3月4日付の『ロシア報知』に掲載している。
2月15日
ペトログラード出立の日。ここ数日、準備がてら友人知人を訪ねている。なんだかみんな急に老けた感じ。精進中かなと思ったほど。
必要なものを買うために店をまわって歩いたが、ずっと変だった――どうもここは首都の商店じゃないぞ。値段を掛け合うのがあたりまえの、どっか田舎の売台の前にでもいるみたいだ。軒並み物価が上がったので、売り手は買い手の様子や態度や顔色を見ながら値を言ってくるのである。
文学者たちのなかにも大変動が起きている。洗練されたかつてのデカダン主義者たちは、以前は道徳派の例外であった問題を解決しようと額を集めている。美学が戦争にへばりついた恰好だ。ある大物画家〔クジマ・ペトロフ=ヴォートキンのこと。プリーシヴィンとは当時いい仲だった。(三十七)に写真〕は、戦争に走ろうとして、会派をすべて捨て去った。
戦争終結の予感あり。だいじょうぶ、勝利はわが方にある。誰もがいちだんと年を取った――これを意気消沈とわたしはとらないが。ある大画家はわたしに言った――自分はまだ一度もこれはと思う仕事をしていない。ただ、来るべきより良き生活を信じて生きている。それは仕事に新たな活力を与えてくれるし、社会活動においても然りである、と。
知り合いの女性(外科医)に会った。悩み、疲れて、いかにも老けたという顔をしている。文学の副業は放擲したが、その代わり事業の計画はいっぱいある。そうした計画のひとつ――全ロシア療養所(国民サナトリウム)の組織化――が実現しつつある。集められた巨額の資金。近いうちにその準備作業の成果が公表されるはずだという。全ロシア療養院、別名国民サナトリウムは、英国のをモデルにしている。事業は純粋に社会的……(一語判読不能)なものだが、役人の思い付きが、ただの〈勤勉の家〉で終わってしまわなければいいが。いやそうにはならないという期待はある。何かもっと良い別のものへの……。銃後にこそ憐れみが〔あって然るべきなのに〕、でも、そこには苦しむ人との和解がない。
東プロシアにおける諸々の事件が、こちらの旅程に若干の変更をもたらした。わたしの行く先は前線だ、ガリツィアの(一語判読不能)。
ヴィリノへの途次、ピーテルで(大停車場で)別れのキス、車輌、すべて終わり。女と子どもたちが戦地へ赴く者たちへ最後のキス。自分も狩場でこれとそっくり同じことを経験している。瀕死の鳥の最後の痙攣だ。狩猟家はそれを知っているから、目をつぶる。みんなが喜びに浸っているのだ、つまらんことさ(大したことじゃない)。だが、非常に多くの人間がこの「つまらんことさ」のせいで狩猟を完全否定するのである。
見送りに来てくれた友とわたしは、顔を背けて、黙ったままだ。友がぼそっと――『たまらんね』と言う。わたしはなぜかばつが悪かった。しかし列車が動き出すと、すべてが一変。さっきまで泣いていた若い志願兵がもう、幸せな狩人の顔になっている。
対日戦役〔日露戦争〕で授かった3つのゲオールギイ勲章と有名なメダル――《主が時を得て汝を召されんことを》と彫り込まれている――を胸に飾った砲兵を、将校たちが取り囲む。ゲオールギイは彼がその戦いでまさに「時を得て」授けられたもの。まだ実戦を経験していない若い将校たちは、かしこまった顔で砲兵(斥候)の話に聞き入っている。話題の中心は、最近の対東プロシア作戦である。口角泡を飛ばすが、砲兵はただにこにこ笑って聞いている。
「そういうことには――」と、
砲兵。「わが軍はまったく疎(うと)い。肝腎なことが何ひとつわかっていないのです。ドイツ人はわしらの敵じゃない。とてもとても相手じゃありませんよ」
わたしはどっかで読んだあること――ドイツ人などロシアの敵じゃないというのは、要するに、国家機構と苛酷な大軍事教練によって個人が抑圧され、散開隊形なるものによって個人のイニシャティヴがまったく発揮されていない(その点はロシア兵も同じなのだが)という意味なのか――そこのところを確かめたかった。
「嘘ですよ、そんなことじゃありません」砲兵はそう言うと、熱くなってドイツ兵の優秀さを立証し始めた。
「それでは、なぜロシアの敵じゃないのだろう?」
「なぜって? そりゃあ敵じゃないからです。どう言ったらいいのかな。ま、たとえば、わが軍の兵ですが、みなぐったり、疲労困憊だ。しかも怖気づいています。でも、『突撃!』の号令がかかれば、雄々しく立ち上がって敵に突進するんです。ドイツ兵にはそれができない」
「それはなぜ?」
「いや、わかりません……」
またもや砲兵を質問攻めにする。彼の方もまた何かわからないものに逢着する。そうした未知量(こちらも全員感染しつつある)に対する彼の信仰とこれまでの批評とは、どうやら銃後の弱気のように思えてくる。わたしはそれを経験で知っている――この気分は反対の立場に近づくにつれて少しずつ増大して、とどのつまり、〈友軍のフロント〉と〈分析する銃後〉の間にあの大きな差が生じてくるのである。
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