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プリーシヴィンの日記        太田正一

2010 . 12 . 19 up
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11月9日〔フルシチョーヴォ〕

 追善供養(ポミーンキ)が考え出されたのにはそれなりの理由がある――死後9日目、我に返って夢に出てくる。変な夢だった。どこかのホテルの一室で、母と姉〔リーヂヤ〕に会うが、自分は母が死んだことを忘れていた。何か話していて、ふとそのことを思い出し、ぎょっとする。『お母さんは死んだんだよ!』――が、母は何事もないように応じる。わざとそうしているのだ。『どういうつもり? どうしてみんなを苦しめるの?』――母はちょっと狡るそうな笑みを浮かべると、リーヂヤの方を見た。『ひょっとしたら、お母さんは遺産のことで僕らを試そうと思ってるのかな。じつは今日、そのことでリーヂヤに手紙を書いたんですよ。自分の相続分には興味がない、領地は母が生きてたときのままにしておいてくれたらそれでいいし、あなたはお母さんのようなプリーシヴィン家の主婦でいてくださいってね』。すると母は、また何か妙な目でリーヂヤの方を見た……

正教の追善供養は、死後3日目、9日目、40日目に。

 

 この日の夜(9日目の晩)に、初めて母が夢に出てきた。菩提樹の下のテーブルでお茶を飲んでいる。そこにもうひとり誰かいた。わたしたちはドストエーフスキイとカチェリーナ・イワーノヴナの話をした。

ドストエーフスキイの作品には二人のカチェリーナ・イワーノヴナが出てくる。マルメラードフの妻でソーニャの義母(『罪と罰』)と、カラマーゾフ家の長男ドミートリイに裏切られた婚約者(『カラマーゾフの兄弟』)だが、プリーシヴィンの日記には後者への言及が多いようだ。

 生きて還りたいと母に書き、それを書留で送った日に、母は亡くなったのだ。

12月15日

 明るい朝。大きな星。炉に火が入る。家並が白くなった。これすべて戦時下初の平和の朝、初めての平和の感覚なり。一方、きのうの新聞には、わが軍がクリスマスプレゼントを満載したドイツ軍の輸送車を大量鹵(ろ)獲したという記事。夢の中でわたしは致命傷を負った人たちの方へ歩いて行き、仰向けに寝転がった。そして世界に向かって何か叫ぼうとするのだが、舌がしびれて動かない。声になったのは、芝居じみた『おお慈悲深き神よ!』だけで、それもすぐに途切れてしまった。

12月23日

 母が夢に出てきた。生き返って、またぞろあくせくしだす。町へ行って本当の遺言状を作ってきた。以前の〔遺言状の〕間違いは、公園〔プリーシヴィンの実家の庭園〕が誰かわからぬ相続人の手に渡って売却される可能性があったこと。所有権をはっきりさせるために共有財産とし、たとえば学校などに供与する云々。わたしには――『ところであなたはもう大丈夫やっていけるのね?』――そう言って、母はなぜか照れくさそうな顔をした。

12月24日

 繰り返し見る同じ夢。本当に何度も見てるのだろうか? 自分はよく空を飛ぶ。飛ぶと言っても、飛行機ではなく自分の腕で、腕を振って空を飛ぶのだ。今夜、ひょいと通りで舞い上がった。下の方で驚きの声――『まあ素敵、最高だわね!』
 ローゼンベルグとかいう医師のところに立ち寄り、この自分の飛行を科学的に調べて、その結果を世界に発表してくれるよう頼んだ。医師はわたしの脈を取り、わたしは彼にすべてを話し、飛行は純粋に心理的なものであるかのように語った。ついては完全にこれに没頭する必要がある――すれば必ず飛べるようになる。まるまる2時間も医師を独り占めしたので、医師の奥方が二度三度と診察室に入ってきては、わたしに診療時間についてほのめかす。ついに医師が腰を上げ、わたしと一緒にトロイツカヤ通りの腸詰屋〈トレイガ〉へ。そこでわたしに見事なハムを見せてくれた。

 母がわたしに遺してくれた庭――それで母に対する気持に変化は起こったか? だが、いつだって、わたしたちの土地への愛には小さき庭があったのである。死ぬほどに愛された者たちは崇高なるおのが思いを語り、その崇高なる思いはいつでも小さき庭の歌なのだ。

 村の冬。絶たれた世界との接触の道――吹雪が吼え、何もかもがどんよりと曇っている。そんなときだ、なぜか少しずつ少しずつ母の思いが、村での暮らし、子どもらの行く末を案ずる人の思いの深さが、わかりかけてくる。
 母はよく言っていた――『こんな時代に、たとえ小さくても自分の土地を持つのは、いいことだわね』。わたしは驚いて言い返す――『世界戦争が起こっているこんなときに、ひとかけらの土地のことなどどうして考えられるんです?』。ところが母は平然と――『いつだって戦争は土地の奪い合いから起きてるじゃないの』
 母が死んで土地が遺された。ちっぽけだが公園あり森ありの素晴らしい土地。何かあると、わたしはよくその歓喜と平和の感情世界へ還っていった。わたしにもそんな小さな〈はげ山(ルィスィ・ゴールィ)〉があるのだ。それが戦時下に分配された。

『戦争と平和』(レフ・トルストイ)に描かれている、ロシア屈指の名門ボルコーンスキイ公爵家の領地。はげ山はその通称。

領地の分配――見事なテーマではないか。

12月27日

 この戦争の意味を探るには、地球儀の地殻をなぞって大地の相貌(かお)を見きわめる必要がある。試みに自分の家宅(フートル)から地球儀に思いを馳せ、ここぞとおぼしき箇所に微視的一点を打つ。はたして戦時下の世界(の地球儀)に自分の家宅たる点(トーチカ)が浮かび出た!

12月29日

 家族争議はさながら荒野を渡る疾風(はやて)のごとし。だが、子どもたちは荒野の防風林だ……。いくら言っておいても、ボタンが付いてない――そんな些細なことが、ボタンならいつでもちゃんと付いているはずの(いつでもそうでなくてはいけない)世界に、いきなり入り込んでくる。そこで、その幸福の想像世界に苛立ちと非難が生じてしまう。一方、女の口からぽんぽん雪つぶてのように「屁理屈」が返ってくるに及んで、ついに生活の場たるわが家はすっぽり雪に埋まってしまうのである。おお吹雪よ!
 それでどうなるかというと……驚くべきものは母性なり! 雪嵐が過ぎたら、けろりとして何事もなかったかのようだ……。  生活の縫い目がほつれ始めている。たとえどうなろうと、家作をきちんと整えるまでは辛抱しなければいけない。生活の目処(めど)が立ったら、たぶん自分はここを出ていくだろう。あとは勝手にやってくれ、こっちは漂泊の人生だ。

前述のフートルに同じ。財産分与で入手した故郷フルシチョーヴォの土地の一部(30ヘクタール)。作家はそこに家を建てて畑を耕すことを決意した。

 アレク〔セイ〕・ミハ〔ーイロヴィチ〕が死にかけている。気狂いじみた花卉(かき)園芸家。婿選びで悩んでいたリュボ〔ーフィ〕・アレク〔サーンドロヴナ〕は、長老アムヴローシイのことを女中から聞いて、さっそく会いに出かけた。(長老(スターレツ)の真髄とはすべてを預けること)。長老は結婚をとどまるよう忠告したが、彼女はそれを無視した。その怪物(狂人アレク)と暮らし始めて1週間後に、彼女は長老に後悔の手紙をしたためた。それに対する回答は『耐えよ(チェルピー)!』のひと言だった。それからは一切を長老の裁量に任せて迷わなかった。つまり、耐え抜いたわけだ!
 驚くのはその暮らしぶり、エゴイズム(すべては自分のため!)。そんな状態から抜け出すいい方法はないものか。離婚?

ロストーフツェワはプリーシヴィン家と領地を接する地主の娘。

 ヤーシャ〔妻の連れ子〕が学校に行かなくなった。『ヤーシャを家族とは見なさない。学校に行かないなら、田舎へ帰す』と言ったら、妻は『それなら子どもたちを連れて出ていきます』ときた。で、そのあとは例によって、身に覚えのない非難、ありったけの女のたわごとを臭い汚水みたいにぶちまけられた。生活の縫い目がほつれ始めている。でも……

1915年1月1日〔ノーヴゴロド近郊ぺソチキ村〕

 降り立ての雪――狩猟家にはありがたい。雪の上に足跡がてんてんと。野ウサギの三角、キツネの小鎖、オコジョが通った跡には小道ができている。いちばん立派なのは小ネズミだ。戦時下でも人目を気にせず楽しんでいる。谷地(やち)坊主にウサギの食べ残し。右往左往した跡あり。キツネは自分の足跡をウサギのそれに重ねている。跡をつけたのだ。吹雪の予感――ウサギたちは気づいている。月夜なので、まる見えである。冬麦の畑。凄い数だが、月が照りだすと、あっと言う間に姿を消してしまった。と、そこへ黒雲。粉雪が舞う(ウサギは雪の上に足跡を残したくないので姿を消したのだ)。リスの足跡は扇形。エゾマツの葉陰に小さな顔が見えている。鳥の跡(シャコだろう)。キバシオオライチョウが一羽、ずっとそこらをうろついていた。
 「アレクセイ・イワーノヴィチ、さあ話してくれ。おたくは野ウサギの心をどう理解してるのかね?」――輔祭が訊いた。「夜ごと夜ごとのこんな暮らし……なんて暮らしだろう……」
 「静寂ですか、ウサギの力はみなこの静けさの中にあるですな」

 時計が止まってしまったので、時刻を明かりの加減で知る。目安は向かいの婆さんのペチカの火である。夕方、息子が〔兵隊に〕取られて――呻き声が。翌日、火が弱くなる。あれは燈明のかぼそい明かり。ペチカに火を入れなかったのだ。

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