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プリーシヴィンの日記        太田正一

2010 . 12 . 12 up
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 わたしの道づれは、顔こそ若者だが、唇は薄くて老人のよう。薄い青色の目、ひん曲がった脚、感覚のない指先。藁束か老いぼれ爺さんか、まあそんなところだが、まだ32歳である。
 「おたくはいったい何者だね?」
 あるとき、わたしは訊いてみた。彼は自分のことを〈全権代表〉と名乗っていた。
 「僕が何者かって?」彼は嬉しくなった。「僕が何者か、彼らに訊いたらいい。僕は自分が何者か何をしているか、自分でもわからないんだ。僕は〔傷兵のために〕それなりに金を遣ったし仕事もしてやった。有り金ぜんぶ賭けたことだってある。でも、それでもやっぱり今でも自分が何者かわからない」
 「なんでそう自分のことがわからないのだろう?」
 「なんでかって? そりゃ簡単ですよ。僕は前線に出たい、でも出してくれない」
 あたりが、大停車場が薄暗くなってきた。物資を運ぶ車輌の列。まるで太いワイヤーだ、ぴりぴりと神経ばった巨大な生きもの。その中のどこかにわれわれの貨車があるはずだが、さてどこだろう?
 やっと入ってきた。4番線か、トンネルのようなところを通ってそちらへ移動。わが全権代表はふらふら状態だ。あちこちぶつかっては悪態をつきまくるが、同時に「うう」だの「ああ」だのと呻いている。何かを演じているようで、口の利き方がいかにも全権代表である。それで、あっちからもこっちからも、こんな声が返ってくる――「もううんざり!」、「やりきれんなあ!」
 貨車はからっぽ。毛布が100枚ほど、伝票が数束、ガーゼが少々。ここから脱するために仕組まれた移動であることは明らかだ。全権代表は戦闘地域を目指している。
 「モイ・ヴァゴン!」「モイ・ヴァゴン!」〔「おれの貨車だ!」の意〕という声が耳について離れない。彼はわたしを避けようとしている。自分でヴァゴンを運転し、最重要任務を遂行しようとしているのだ。司令部に貨車の件で何か報告する。そうしたらラーチカ〔ラートゥコ〕・ドミートリエフ〔ロシア軍の将軍、ブルガリア人で本名をルスコ・ヂミトロフ〕が振り向いてくれて、前線での戦闘に備えて新たな任務を授けてくれるにちがいない。おそらくそんなとこだろう。

 貨車が一両、その傍らに待機。深夜、もう何時間も突っ立ったまま。じめじめしている。将校連と曹長が一人やってくる。彼は補給廠の責任者だ。(初めは口を噤んでいた)わが全権代表が突然、その責任者に向かって自分のことを喋りだした――自分は全権代表でありこれは自分の貨車であります。が、将校の一人も、いやこれはこっちの貨車だと〔言う〕。将校の貨車には榴散弾が積まれているが、全権代表の貨車はからっぽだ。
 拵えられた苦行用の寝床。旅客列車。コニャックが一杯ずつ配られる。何か読むはものないか? 行軍用ベッド、作業着、スリッパはすでに役立っている。
 移送作業、そればかり――前線には砲弾が、前線からは負傷兵が。夜の砲火、人の声。列車が待避線に入って停まる。明かり、また声が飛ぶ。看護婦たちが見てまわり、食事の世話をしながら訊いている――「軽傷ですか? 重傷の方はおられますか?」。藁の上に何やら灰色のどんよりしたものが層を成している。そんな中から声がかかる――「薄めの榴散弾(シラプネリ)〔大麦の固めのカーシャ〕はあるかね? やっぱし余っちゃいねえな、ここでも」

 カーメンカの朝。地面に1サージェン〔2メートル強〕ほどの漏斗状の穴。水が溜まってきらきらしている。そんな小さな湖があっちにもこっちにも。(灰色の看護服よろしく)どんよりした顔の将校は病院からの原隊復帰。快復したのだ。彼は戦場と砲弾に詳しく軍事技術方面の話もできる。背嚢、機関銃の弾薬帯の山。こちらは雷管を埋める作業だ。

 ラヴァ・ルースカヤ〔リヴォーフの北西の町〕。戦闘はラヴァを迂回した。負傷兵で満杯の〔列車〕。例の将校が127連隊を見つける。彼の古巣だ。第3中隊の子どもといった兵士たち。将校は怖くて仲間の消息を訊こうとしない。全員〈パーリチキ〉なのだ。
 将校連は行ってしまったが、わたしたちは駄目だ。全権男がわたしを自由にしない。こっちはからっぽだから動かすわけがないのだ。指揮官はラヴァに住む叔母さんのところへ消えたが、温かいミルクを飲んだら、また自分の貨車に戻ってきた。貨車はやはり動かない。夜、闇、小雨、寒さ、負傷兵、弾丸――灰色。巨大堆積物と雪と忍耐――こんなものをどんな巨大な人格が鼓舞し双肩に担って運び去るというのか? ロプーヒンはぐったりしている。水が手に入らない。負傷兵たちが有るだけ飲んでしまったのだ。孤立無援。いつものことが行なわれない。
 深更。銃声か。でも、わたしは出ていかなかった。本格的な撃ち合いだった。悪夢。角灯が消えた。ああまずい、明かりを何とかしなくては!

 ボブローフカ、早朝。軍医のアレク〔セイ〕・パーヴ〔ロヴィチ〕・シテイン〔病院列車の医師〕に会った。傷病兵支援組織のプラン。ロビンソン・クルーソーのテント、大鍋、カーシャ、看護婦クジミーナ。夜戦のあと負傷者が運ばれてきた。山、人間の山。軍医マリーニンと〈パーリチキ〉、軍医ぺシリン、ゲンリフ・エルネーストヴィチ・ギーマ、アレクセイ・ニコラーエヴィチ・ホミャコーフ、学生ドミートリエフ。まさに退却の図なり。なぜ陣地は明け渡されたのか? 最前線の村。先頭車輌。引込み線。車内で〔食事は〕乾パンだけ。寒い。凄まじい湿気。神父は聖礼を行なわず、輔祭が部隊の中へ。森の傍らに同胞の墓、われわれもそっちへ向かう。志願兵たちがぶらついていて、話題はいつでもオーヴァシューズとダムダム弾、〈パーリチキ〉の処罰のこと。ただぶらぶら。

 ヤロスラーフの陣地。退却、逃亡。どうしてヤロスラーフの要塞を見捨ててサン川の先へ撤退したのか。問題はそれ。敵はヤロスラーフから四方八方へ砲撃を開始した。9月28日以来、〔軍は〕粉砕されて半分に。

 補給所の貨車。燭台は壊れた拳銃で、灰皿は榴散弾の薬莢で〔できている〕。貨車のまわりは空の薬莢の山。薬莢のイリュミネーション。車室に4人、朦々とタバコの煙。ほどよい温(ぬく)さ。ガラスが汗をかいている。野原に常時、歩哨がひとり。

 教育も地位も身分も関係なく、余計なものはみな取っ払われて、およそ雑多な人間が一堂に会している。大きく分けて2つの階級――指揮官連と「もううんざり(トーシナ・ターク)」!」組である。
 砲撃の振動で手製の燭台がずるりずるり、窓がガタガタいっている。誰もが「トーシナ・ターク!」。
 墓地の方へ輔祭が歩いてゆく。戦場から送られてくる負傷者たち捕虜たち。
 また新たな生活、砲撃の中で交わされる新たな会話。大鍋の脇の箱に腰かけて、新たな会話の始まり。砲声と一脈相通じた新たな生活よ!  新聞が回ってこない。カルルが死んだ――どこのカルルだろう? 知らなかった。
 警報が鳴る。負傷者なし。負傷者は別のルートでここを発った。左右の翼、地平線上の包囲環。邪魔なのは右手前の薪の山、林、左手前の木立、輜重、それと包帯所の建物だ。
 夜戦のあと、みなが話しかけてくる。負傷者を待っているのだ。輔祭が僧服に着替えた。準備完了。突破できるだろうか。
 「いずれ突破できるさ、一時間かそこらで、必ず!」
 弾けるような音がした。すぐにはわからない。何だろう? 銃声? 
 行ってみたい気もしないではない。外套は先頭車輌に置いたままである。銃撃戦らしい。どうする? 行ってみようか……やってるやってる!
 おお、この奇妙な嬉しさ……

 曇り。靄がかかってる。靄さえなければ、ヤロスラーフの町が見えるのだが……いや、カトリックの教会は見えている。靄がどんどん流れて、横っちょを兵隊が――負傷兵だか浮浪者だか。兵士がひとりミルクの壺を抱えて原っぱを横切る。
 「こぼしてやがる!」
 榴弾砲が側溝に。
 「なんてこった!」
 樹の上で小鳥たちが歌っている。灰色のシャコ、雛の大家族。小さな林、苗木と茸の。今では誰も塹壕のことなど気にしない。牝牛がうろつき、人間は働いている。サン川に架かる橋。そうだ、橋の方へ行こう! サン川を渡る。銃声がした。谺(こだま)だろうか? 森の右っ方。
 男の子が歌をうたっている。その子を襲っているのは恐怖と歓喜。羽ばたく鳥の群れ。何もかもが海のよう。波が打ち寄せる。割れる音、叩く音。橋を造っている。機関銃のタッタッタ。命中! 機関銃は1人あて7発まで。ああまた海が揺れだした。みな大波の方へ引き寄せられていく。次第につのってくる船酔いの予感。恐怖。
 村の教会の上空にぽっかり浮かぶのは、堅牢なること要塞のごとき雲。だが、徐々にそれは解けだしてくる。右隣の桃色の雲にも漏斗状の穴があいた。なにやら細い棒杭のようなもの。鉄条網、堡塁。電線は四列、切通し。塹壕、薬包、コンクリート小屋。そこは死の空間。砲弾が小屋に命中して、ひとり兵士が吹き飛ばされた。我に返ったときには全身血だらけ。必死に血を拭うが、肉も髪もみな他人のそれ。いったい何が起こったのか。訳がわからず、今ようやく自分自身と出会ったみたいな顔付きである。
 フガス地雷が爆裂。ばらばらの農婦の体。〔鉄条網の〕針金を引っぱっていたのだ。
 男の子が銃弾をいじっていて、目を火傷した。弾はそこらじゅうに転がっている。
 背後で轟音。すでに砲台を通り過ぎていたので、こちらは何事もなかった。前方でピカッ。塹壕の中には歩兵部隊。塹壕は狭く細くどこまでも続いている。これが延々400露里?

 ザモーイスキイ伯爵の城。
 貨車住まい。夢。榴散弾で起こされた。

 戦争はちょうどシベリアの密林(タイガ)にでもいる感じ。わたしは圧倒され、息が詰まって、無力だ。でも、タイガなら誰かしら定住者も見つかるだろうが、戦場に住人などあり得ない。ここでは誰しもわたしのように圧し潰されている。

〔編訳者の注――9月24日に始まった戦地特派員としての仕事は10月18日をもってひとまず終了。戦地での最後のノートには日付がないが、「ロシア通報」「レーチ」「株式通報」各紙には着実に記事を送っている〕

11月3日〔ペテルブルグ〕

 夜の8時に電報を受理――11月1日に母が死んだ、と。葬式は4日、明日だ。間に合わない。
 今日がフルシチョーヴォの家〔実家〕での最後の夜になる。母と最後に会ったのが8月だった。林檎の花が……庭に咲き誇っていた……歯をむき出し……痩せ細って……母の最後の手紙はキーエフで受け取った。スターホヴィチ〔実家の隣人〕の人たちにわたしに手を貸してくれるよう頼み、林檎はどこ宛に送ればいいか訊いたという。

参考資料(1)戦況一覧――タンネンベルクからイープルの戦いまで

○ タンネンベルクの戦い――1914年8月26〜30日、ドイツ国境での独・露両軍の戦闘。独軍が露軍を包囲・全滅させた。北西部方面軍(第二軍の司令官はサムソーノフ将軍)の東プロシア南部戦線における戦闘については、ソルジェニーツィンの『一九一四年八月』(江川卓訳・新潮社)を。1410年、このタンネンベルクの地(当時は村)で、統一スラヴの軍勢がチュートン騎士団を壊滅させたことを独軍は忘れていなかった。

○ ヘリゴランドの海戦――14年8月28日、北海のヘリゴランド島にある独海軍要塞へ、英海軍が奇襲攻撃。軍艦4隻をを撃沈した。

○ マルヌの会戦――14年9月、最初の独仏会戦で仏軍がマルヌ河畔で独軍を阻止。以降西部戦線は膠着状態となる。レマルクの『西部戦線異状なし』を。

○ イープルの戦い――14年10月19日〜11月22日、15年4月22日〜5月25日、17年夏〜秋の3回にわたって、ベルギーのイープル付近で、英軍を中心とする連合軍と独軍が戦った。15年4月22日、独軍は史上初めて致死毒ガスを使用。アドルフ・ヒトラー伍長が一時失明。

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