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プリーシヴィンの日記        太田正一

2010 . 10 . 24 up
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……雷鳴と稲光。深夜の大雨の中。男がひとり駆け込んできて――「村長、村長!」。みんなは寝てたり寝ていなかったり。聞こえた者もあれば、そうでない者もいた。農夫は夢を見ていた。雨雲の色がどんどん赤くなっていく。朝になって、〈戦争が始まった〉と聞いて、農夫は夢に見た真っ赤な雨雲のことを話した。『それだ、それだ!』と、みなが相槌を打つ。そうさ、赤い雨雲ってのは戦争の前兆なんだよ。
 夜、村長が書類を受け取った。受領書を書く必要があるのと、〔目に一丁字も無いので〕パーヴロフのとこの12歳になる娘を起こしてサインさせると、自分はランプの硝子を外して、蝋を燻り〔融かして〕封をしたのだった。
 死の馬車が走りだした。
 民兵〔徴募〕。
 団長は民兵に関する書類の送付を忘れてしまう。年齢・階級・証票の別を記した肝腎要の書類ではなく、同封されてきた印刷物――〈予備役〉が赤鉛筆で抹消されて、代わりに〈民兵〉と記されてあるほうだけを送付してしまった。村長はそれを見て、〈民兵だけを〉と判断したのだった。あらゆる年齢から成る民兵――緑も、青も、白も〔色分けされた証票で、順次、未成年者、老齢者、徴兵免除者〕が召集された。みなに応えて村長が言い放つ――『総動員だぞォ!』

 志願兵のラーコフ〔知人〕は徴発された自分の馬を救い出すために戦地へ行った。兵士になれば馬は戻るにちがいないと考えたのだ。さらに、輜重(しちょう)隊にくっついていれば何かと儲け口があるらしいということも耳にしていた。それで出征したのである。

 頑固で片意地な産婆。
 馬車で年寄りの産婆と一緒になった。 
 この婆さんが言い張る――「松という木はいつだって砂地に生えとります!」こちらは話し相手になりたくない。馬が足を止めて、鼻嵐を吹いた。そのあとまた馬車が停まる。
 どの馬も足を止めるちゅうのは〈戦争だ〉ってことだ、などと言い出す。
 「鴉がいないことに気がつかれたかね?」
 「いや」
 「じゃあ、おたくらの目は節穴だってことだ。鴉がいなくなったのだよ」
 「どこへ行ったんだろう?」
 「わからんのだね? 不思議な話だが、戦争になると鴉は姿を消すのさ」
 「いったいどこに?」
 「ほんとにわからんのですか?」と、今度は御者が言う。彼にはわかったらしい。「ほら、あっち。もの凄い数ですぜ」
 「だから、どこに?」
 「戦場に決まってるじゃねえですか……」

 将軍と看護婦が話している。
 「でもやっぱり、戦争は軍人さんのお仕事ですわね、ああ怖い!」
 「生きていたいんじゃ、人間は!」
 「人を殺(あや)めなくちゃなりませんわ」
 「たかが命……」
 「でも、昔の聖者さまのような生き方だってありますわ……」
 「あのおめでたい人のことかな? みんなおめでたい聖者になりたいのかね? 人間なんて血に飢えた生きものだよ」
 「ほんとにもうここは人間らしい匂いがしない!」

 こっち〔ロシア〕は!〔こっちは、に下線〕
 ドイツからやって来たフランス野郎が、下手なロシア語で、今のドイツの様子を話していた。
 「呆れるです、塩1フントが1マルクなのですから!」
 「こっちは2分の1コペイカだ!」と、若い商人。
 「肉も1マルク」
 「こっちの市での説明だと、肉は1フントで25コペイカだがね」
 「卵が1ピャターク〔5コペイカ〕」
 「卵はこっちじゃ30コペイカだ」
 「ミルクが20コペイカ……これ、食費」
 「こっちにゃ何でもある。何だって好きなだけ買える」

 国営ヴォトカ販売店が閉鎖になってみんな喜んでいる――呑んだくれさえ。

 ロシアは膨れた泡になり――戦争へ突入、膨れに膨れて、しまいにパチン!

   フローシャ〔妻のエフロシーニヤ・パーヴロヴナ〕が最終的に底意地悪いクサンチッペに変身を遂げた今、思い出されるのは、わたしが大好きだった昔の彼女の、可憐な立ち居振舞い。サラファン、プラトーク、水の上の櫂、森、茸、それとあらゆるものとひとつになった優しさ、飾り気なしのあの言葉の数かず。だがそれが今や、不平不満のふくれっつらで、友人知人をわが家から遠ざけてしまう、愚かしい要求ばかり繰り返す存在になってしまった。

 みなが徴〔前兆〕のことを思い出したのは、すべて〔戦争の勃発〕を知った日の翌日のこと。そういや空の雲が赤かったな、と。徴、表象としての――ニーチェその他。

 何か新しいものが――最後の戦争が、生まれるにちがいない。

 そもそも最初からロシア人は侮辱を忘れ、恨みを忘れ、手で蚊を追い払うようにそれを払って、新たな巧い生き方を、それも立派に始めている。プリシケーヴィチなどはヨーロッパ人に赦しを乞い、そして上層部は――どうだい、有難いことに、蚊なんていやしないんだ――と思っている。

ウラヂーミル・プリシケーヴィチ(1870-1920)――1905年10月に結成された極右団体〈ロシア国民同盟〉及び〈ミハイル・アルハーンゲル同盟〉のリーダー。この団体は、国内のインテリやユダヤ人を攻撃、ポグローム〔ユダヤ人などへ組織的虐殺・略奪〕を引き起こす引き金となった。プリシケーヴィチは怪僧ラスプーチンの殺害にも加担した。十月革命以後は反ソ組織の首魁。

 ロシア人は侮辱や不信を抱いたままではいられない。自分がへとへとになってしまうのだ。

 夕刻。品のいい奥さんが、きのうの新聞を1部1コペイカで売っている。

「誰もが抱いている感情は、最も厳粛なこの戦争が、計り知れない規模を有する、恐ろしく重大な世界的事件であるということ。戦後は、新しい世界、新しいヨーロッパ、新しいロシア、新しい人びと、新しい心理学、新しい芸術が出現するだろう」(タヴリーダ宮殿での演説――これは7月26日か6月の記事)。

「株式通報」紙の記事――国境辺の憲兵の目に映ったロシア軍の装備のひどさ、その負けっぷり、多くの兵がヒステリー状態に陥った、と。

 ペテルブルグに来てもう一週間近くになる。慣れてきた。市内は軍のキャンプ地だ。戦時下にもかかわらず、生活はずいぶん自由な感じを受ける。ならず者と乞食はどっかへ行ってしまったし、雑多、ピンからキリの暮らしの花々、予想外のことはあらかた姿を消して、誰もが同じ顔付き、互いによく似た顔になってしまった。ペテルブルグそのものが車馬の行き交う大道、つまりは戦場に直結する一本の通りなのである。今では目下の敵を〈打ち砕く〉などとは言わない。逆にやられなけりゃいいがと密かな懸念も生じている。もしやられたら、待っているのはそら恐ろしい革命だからだ。
 コーリャ〔前出。国会議員のニコライ・ロストーフツェフ〕によれば、姿を見せた国王〔ニコライ二世〕は青ざめていた、次第に生きいきした美しい顔にはなってきたものの、泣きだしたいのをなんとか堪(こら)えてるといった話し方で、とても好感が持てた、まさに英雄ツァーリの現身(うつしみ)の始まりである、と。

 コーヒー店にいると、わたしの方へとても顔色の悪い売春婦がやってきて、こう言った――
 「ケーキがないの!」
 わたしはその女を見つめた。
 「イーストが高いんだわ」
 「そんなに高い?」
 「高いわよ。だからケーキをご馳走して!」
 わたしは女に15コペイカ玉をあげた。女はケーキを三つ平らげた。まったくがっついて(一語判読不能)。

 ところで、ソログープは、すべてわかっているし、ヒーローは収まるべき棚にみな収まっていると言う。したがって、このさき新たにわかるようなことは何もない、思いはいつでもわれらが歴史の英雄たるウィルヘルム〔ドイツ皇帝ウィルヘルム二世〕に、いやまったく、あいつはどういう人間なんだ、あいつの狂気を解く鍵はどこにあるんだ――に還ってゆく。

フョードル・ソログープ(1863-1927)――作家・詩人。前期シンボリズムを代表。現世を嫌悪し、幻想の世界に逃避、唯美主義的傾向に走った。モダニズム文学といわれるもので、代表作に『小悪魔』。

 「面白くおかしく暮らせたらいいのに!」と、女〔売春婦〕が言う。
 「どうしてそんなことが! 本気〔戦争に対して〕じゃないってことだわ」
 「もういいかげんにしなさい!」――修道女が叫ぶ。「必要なのはほんのわずかな希望なんです。あとはわたしたちが頑張れば」
 兵士たちの場合も同じだ。その希望の一滴からパトリオティズムが生まれ、放浪生活への憧れや一片の衝動からミリタリズムが生まれるのだ。それで一瞬にして農夫が兵士に変身する。

 乞食もならず者もどこかへ消えてしまった。出会った二人の乞食が言っていた――
 「今じゃ、人さまを当てにはできんよ。みんな自分のことで精一杯だからね」
 でも、実際はその逆のようだ、そんなに自分にかまけてはいない。乞食の言い分が正しいのは、今はもっとずっと自分にかまけているが、しかしそのかまけ方が、気まぐれや突拍子もない馬鹿げたものではなくなったという点だ。

 カザン寺院の主任司祭が、この6月28日に、総司令官ニコライ・ニコラーエヴィチ大公*1を電報で祝福した――『深くふかく感銘。深くふかく感謝。カザンの聖母〔イコン〕の庇護により御国の必勝これあらんことを!』。
 ドイツによる宣戦布告。7月14日の会議で国王〔皇帝ニコライ二世〕は戦争反対を表明。そのときサゾーノフ*2が戦争の必要性を主張した。意見を求められた陸相の答え――わが軍の準備は決して高い段階にはない。

*1ニコライ・ニコラーエヴィチ・ロマーノフ(1856-1929)はニコライ一世の3男ニコライ・ニコラーエヴィチ大公の息子。父子は同名にして大公。根っからの軍人、ニコライ二世の大叔父にあたる。1895年から1905年まで騎兵総監、1905年から近衛およびペテルブルグ軍管区の総司令官(同時に08年まで国家防衛評議会議長)。第一次大戦では最高司令官(14~15)。途中でニコライ二世にとって替わられ、カフカース軍の総司令官に(左遷)。1919年に亡命、余生をイタリアとフランスで。1924年からロシア全軍人同盟(РОВС)最高指導者。

*2セルゲイ・サゾーノフ(1861-1927)――1910年から16年まで外相を務めた。親英仏路線をとり、バルカン問題で独墺と対立、第一次大戦の一因をなす。革命後パリへ亡命し、白衛軍政府の代表となる。

 大道ネーフスキイ、その大通りをどんどん進む。銃剣がきらめく。兵士はそれぞれ物思いに耽っているので、まわりのものなど目に入らない。どうやらすべてが兵士とともに一方へ、開かれた市の門へ向かって行進しているようである。その先には、輝く太陽とそれを迎える銃剣の果てもない列が見えてくるはず。

 人気のないアパートの通風孔。どこだろう、戦闘の気配。女の立場〔銃後〕にあるわれわれは、その闘争については何も知らずに生きながら、読めるものは何でも読んで、そんなものがことごとく思想となってしまった。自分の亭主にぞっこんのソコローワは、夫のために奔走して、ペテルブルグの近くに住めるようにした。わたしに向かってじつに正直に、こんなことを漏らした――『あたしたちはついてるわ、幸せよ』。一方、医師である夫のために縫った見事なルバーシカを見せながら、女房のラーピナが言う――『うちの人をこんなに愛してるなんて思ってもみませんでした』。一緒になって15年くらいだという。ソコローワの夫はマルクス主義者だったが、今は本気で家族の世話を焼き、昇給もしたと。
 幸せが顔を見せるのは、ほんの一瞬。それを掴むには、なるべくものを考えず、なるべく早く何かにキスし、愛撫し、抱擁し合って、おのれを忘れる必要がある……

 何世紀にもわたって実現できなかったことが一瞬にして成就した。すべてがうまくいったとき、ロシアはふと思い当たる――そうだそうだ、ロシアは、奴隷であった過去の時代に自分たちの財産〔全価値〕を貯め込んでいたんだ。

 レーミゾフ夫妻がやって来た。ドイツ人の獣性はやっぱりたわごとだったのだ。国外にいるロシア人たちは同胞のために力を尽くしている。
 進歩(プログレス)の友は今や、大いなる試練を受けることになるだろう。わたしには予見できる――万事(内政外交ともに)順調に事が運べば、ロシアは体制を堅持して、そのままどんどん突き進むにちがいない。

 「シリーン」でのソログープのお喋り――いかに奇妙であれ、ソログープはいつだってお喋りだ。例によって、戦争・アナーキスト・社会主義者についてのナンセンスだが、テーマ〈最後の戦争と社会主義者たち〉は、それでもやはり興味深いものだ。

民間の出版社「シリーン」は実業家のチェレシチェンコとその姉妹によって1912年に創立(14年まで)。ブローク、ベールィ、ソログープが関わり、ソログープ(16巻選集)、レーミゾフ(8巻)、ブリューソフ(8巻)、文芸作品集(3巻)などを出版した。

 これを書いている最中にも、窓からは、凄まじいグラモフォンの音、女の泣き声、遠ざかってゆく兵士たちの歌声が飛び込んでくる。
 それはさておき、社会主義者はなぜひとりも戦争反対を叫ばず、わざわざ銃殺されに出向いていくのだろう?
 П・Н・ラーピンなどは、こっちが戦争反対を口にしようとしたら、それこそ目ン玉をひんむかんばかりの形相である。なんという変化!

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