2010 . 10 . 10 up
(二十六)写真はクリックで拡大されます
敵にすべてを差し出しながら勝利するもまた可なり……
何があっても停滞は許されぬ。ぐずぐずすれば、他のもの(生命)を逸することになる。
文明への来るべき隷属。技術上の発明は、新たな国の発見――最初の発見は軍人の、そののち僧侶階級。高位聖職者は〔宙を飛んで〕、穂の出たライ麦を祝福する。
飛空器とモレーベン――健康・幸福――新しい土地(健康)と〔旧套の〕墨守――空飛ぶ高位聖職者で決着。
地上は恐ろしいが、空中なら怖くない。
地上の人びとは、不幸で貧乏なうちは祈ることをやめない。
オクローシカのことでさらに言えば――母親だけでなく、何かしら自分のものを持っているような人間なら誰しも、それのためにおのれを抑え、身を捧げ、精進する。それは意志、意欲の法であり、あらゆる意欲の発端(もと)である、その一方で、意欲は自らを犠牲に供するもの(自分のもの)と獲得されるもの(一般の、みんなのもの)とに分ける《個》のうちに生ずる。
すべての創造物のもとは個によって実現されるところの意欲である。この意欲する個……個の特性とは選択、選ぶこと……。
創造的意欲とは自分のもののみを自分のものと呼ぶ才能、おのれのより良きもののためにおのれのより低きものを犠牲に供するところの才能だ。そのより良きものとは同時に、誰の目にも見え誰もが手に取ることのできる、無料の、つまり天与の美しいもの(美はみんなの無償のもの)でもある。
この自然のアスケチズムはかつて体系化されていた。わたしのおばはまったく神の存在など信じない人だったが、あるとき、わたしと一緒にシャモルヂノの僧院〔(十)に少し出てくる〕へ行った(おばは心を静めるために秋をそこで過ごす予定だった)。で、そのとき、驚いたことに、修道尼たちが口にしたのは――
「そのままでよろしいですよ、何も要りません。修道生活に接すれば、必要なものは向こうからやってきます。修道生活における親和と平等はそのように出来ておるのですから」
修道院の実体を捉えるには、現代の出家生活でのナイーヴな修練法に目を向ければいい。現代における真の生活の創造者とは誰であるか? 修道僧では、苦行者ではないのか?
*「ロシア通報」(Русские ведомости)――1863年から1918年までモスクワで発行された有力紙の一つ。1870年代からリベラル派インテリ層の機関紙のごときものになり、綱領は政治的経済的改革。1905年以降は立憲民主党(カデット)に移って、十月革命後、廃刊。「カインの伝説」は、前年に載ったレオニード・アンドレーエフの戯曲を指すか?
ロシアはただのデブ女――そう侮られているのはわかっている。なにごとも議論する神秘家たちは、異口同音に、ロシアにおける女性的原理、パッシヴな基盤、を口にする(ラスプーチン*の成功)。
*グリゴーリイ・エフィーモヴィチ・ラスプーチン(本名ノヴイフ、生年は1864年か65年、72年とする説もある)――〈怪僧〉とあだ名された。トボーリスク県の農民だったが、各地の修道院を遍歴した。貴族と知り合って皇室に接近。皇太子アレクセイの不治の(当時)病(血友病)を祈りによって治癒し、ニコライ二世と皇后アレクサンドラの信任を得た。この年(1914)から16年まで絶大な権力をふるう。国権に関与し、大臣の任命・罷免まで取り仕切った。その不思議な怪しい力に魅せられた上流階級の婦女子(皇后も含むラスプーチン信者たち)とのスキャンダルは当時、新聞雑誌の格好のネタになった。ドイツとの交戦がロシア帝国の破滅への道であることを説くが、1916年12月16日の深夜、彼を憎むフェーリクス・ユスーポフ公爵(妻はニコライ二世の姪)、ドミートリイ大公(ニコライ二世の従弟)、プリシケーヴィチ(極右の君主制主義者で国会議員)らによって殺害された。
*ロシアの暦、とくに汎用カレンダーと呼ばれるものは、正教会の年間行事、聖人の〈名の日〉から、諺、一日一善式の教訓、簡単な科学知識、歴史読物、皇帝一家の紹介、電報の略語までを網羅した、生活一般のためのいわば実用書であって、意識的無意識的を問わず、長い間に人びとの生き方やものの考え方に大きな影響を及ぼしたことは間違いない。
〔編訳者の注――ちょうどこの時期、ヨーロッパのど真ん中で重大事件が起こっているのだが、日記にはそれについての具体的な記述がない。「黒尾」、「飛空器」、「致命的敗北と決着」、「宇宙空間の〔闇〕」、「敵」、「勝利」は、もちろんこの事件を暗示している。1914年6月28日(6月15日)、サライェヴォで、オーストリア=ハンガリー(ハプスブルグ)二重帝国のフェルディナンド皇太子夫妻が暗殺され、それがそのまま人類未曾有の大量殺戮戦へ(第一次世界大戦)。〈プラズマ的個〉論、女性論、自然のメモのほうはもう少し続くが、いずれにせよ帝国ロシアの参戦は時間の問題である〕
セミョーン・カールポヴィチ・ザベーリンがやって来た。労働者、電気技手。3時間ぶっ続けで自分の世界観を喋りまくる。諸原理だの創造的個性だのいろいろ飛び出すものの、話題はころころ変わる。あれこれ作家の暮らしから例を引いて――しまいには、自分にとって生きるのは困難だが、作家は生きるのが面白くて楽なんだなどと文句を言って、つい本音が漏れ出る。その妬ましさの響きは労働運動一般に共通したもので、宗教運動とは最も際立った特徴である。
われわれの運動に特徴的なのは、大衆(マス)の労働者が農民の心を抱いていることだ。アレクサンドル・クズネツォーフ――20年ペテルブルグ暮らしをして自分のフートルに帰ったが、本物の百姓(ムジーク)よりずっとムジークのムジークたるところを残している。その間に村の男たちは、都市住民であったクズネツォーフよりはるかに多く都会の影響を受けていたのである。
労働者大衆は農民大衆と同じ、顔のない〔個性・特徴のない〕プラズマ――それは巡礼(創造的蝗)のごとき、希望するプラズマ、ヒーローを待望するプラズマである。
〈宗教・哲学会〉でのセミョーン・カールポヴィチ・ザベーリン、それとその貴顕紳士たちへの憎悪。未来の労働者はあんな要求を学者たちに突きつけまい。教育ある人びとの社会では、彼らはもう労働者では、〈政治的動物〉ではないであろう。政治は今、労働者の基本的特性であるかのようだ。
労働者階級のこのマテリアリズムには多くの確かなものがある。穀物生産者としてムジークが自分の麦1俵(クーリ)でぎりぎりイデアリストであるように、労働者もまた自分の〈価値〉の生産でぎりぎりイデアリストなのだ。ムジーク(巡礼)とプラズマ――創造する肉体との不可分性の新たな証明。そしておそらく宗教的背景(プラン)における労働者階級の役割は世界の更新なのである。彼らの〈哲学的〉マテリアリズムは、物質(マテリア)の、プラズマの、土地の社会的役割(価値)への指摘であるにすぎない。労働者は土地の使者(ポスラーンニキ)――ムジークと労働者は互いに敵視し合っているけれど。
わたしは労働者を土地の使者と見なしている……。
text - 太田正一 //scripts - Lightbox PageDesign - kzhk