2010 . 10 . 03 up
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ソースニツィ村〔ノーヴゴロドの南、イーリメニ湖の西岸の村か?〕。各戸が入江で隔てられている。小さな筏のロープを手繰って往き来しているのだ。坊さんが乗ったとき、そのロープがぷっつり切れた。流された筏は見当ちがいの岸に着いてしまう。修理を待つあいだ、坊さんは歌をうたった。『父なる聖者ニコーラ*1よ、われらがために主に祈り給え!』。〔村の〕百姓たちも合唱でもってそれに応える。『父なるニコーラよ、われらを主に祈り給え! 至聖聖母よ、われらを救い給え!』
*1西暦270年ごろ、小アジアの半島南岸のパタルで生まれたニコラウス(ニコーラ)は、(ロシア人は容易に信じないが)生涯一度もロシアの地を踏まなかった。祈りと実践とで人びとを貧困と飢餓から救った慈愛の人は、リキアのミラ市の大主教であったことから、《ミラ・リキアの奇蹟者ニコライ》と呼ばれている。イェルサレムへの巡礼中、船に入ってきた悪魔を幻(み)、荒れ騒ぐ海を静めて、たびたび神の声を聞く。ロシアでは名もなき民衆の第一の守護聖人だが、ロシアにかぎらず聖人の概念を持つすべての教派で聖人として崇敬されている。サンタクロースの元となったといわれるローマ帝国の聖人・大主教。
*2クロオドリまたコウノトリ。昔からの言い伝えに、鳥の姿をして遠い異国から来る者のことを〈黒尾〉と呼んだ。ついでに言えば、コウノトリの尾は黒くはなく、翼の黒い部分がそれをたたんだとき黒く見えるだけ。
黒尾に関して疑い深い面々は口々に言った――
「ありゃあ(一語判読不能)が飛ばしたやつじゃないか」
よくよく見れば、たしかに飛んでいる、コウノトリそっくりの黒いやつが。しかも一羽や二羽でない。
「アエロプラン〔飛空器とでも訳そうか。初めは飛行機(サマリョート)をそう呼んだ〕じゃあ!」
村中に叫び声。空を見上げていた坊さんがまた歌いだした。
「父なる聖者ニコーラよ、われらがために主に祈り給え!」
お百姓のひとりは激しく魂を揺さぶられている。概して中農は中農らしい反応だ。暦で物事を判断する癖がついているから、中農を驚かすことなどドダイ無理。『鳥がいつ飛んで来るか暦を見りゃあわかるだろ!』――これだもの。彼らが驚いているのは、今にも〔飛空器に〕問いかけそうな様子の男のほうだ。
わたしは、その驚いている男のそばへ寄って、こう言った――
「もしあれが爆弾を投下しようと思ってるなら、どうするかね?」
「そりゃ爆弾を落とすだろうよ」
「落としたければ落とす、か! そうなったら、うちの小屋は燃えちゃうな」
「なんのなんの小屋どころか、村は火の海さ」
「そうだ、村全部だ!」
「畑も焼けちまう」
「畑も丸焼けだね」
「やりたい放題さ!」
男はそうとうショックを受けているようだが、坊さんは歌をうたっている。
「父なる聖者ニコーラよ、われらがために主に祈り給え!」
飛空器――新たな事実、あからさまな。そいつが墜ちたという噂、苦しい体験の始まりだ。つくられる数々のレゲンダ――〔村の〕そばの野菜畑に墜落して、たくさん人がやられた、飛空器乗りは瀕死の状態でこう言った――畑は補償するが、死んだ人間の責任まではとらない、と。
ルケーリヤ〔構想中のヒロインの一人か。モデルは実母のマリヤ・イワーノヴナと思われる〕が夢に見たのは、大きな川の切り立った岸辺で、そのとても透きとおった水の底を自分が覗き込んでいる光景である。川底の様子がはっきりと見てとれる。髭を震わす4匹のザリガニ。カワスズキの口は小さな指輪のよう。底の砂の上にカワカマスがいて、その鋭いぎざぎざの歯でもってきれいな小石をすすっと転がしていく。何でも見えるが、息子はいない。太陽も、月も、出ていない――星のひとつも。でも、明るくて、ずっと遠くまで、まるで鏡に映ったように、森が、野原が、白い道が、見える。道の方にようやく何かが――そう、息子が歩いているのだ。彼の声が遠くから聞こえてくる。まるですぐそこに立ってでもいるかのように。
「お母さん、ぼくはずっとこうして歩いてるんですよ。もうくたくたです。こっちへ来てください」
ルケーリヤは朝、教父と話し合って、険しい崖の川を探しに出かけた。
やってきたのは老婆。わたしたちは事情を老婆に話す。息子が将軍夫人の借地人だったことを老婆は知っているのだ。老婆にはそれこそ一切がっさい話して聞かせたかったのだが、ナロードというのはどうしようもない。みなして老婆を取り囲むや、あることないこと(わかってもわからなくても)、ただ心に生じ胸に溜まったものを残らず一気にぶちまけ始めた。そうでもしなければ、耳の奥は蝉しぐれ歯はむずがゆくなり、じっさい死ぬほど辛いのである。問題はすべて将軍夫人にある、ようだ。老いたるとはいえ、将軍夫人はまだまだ〈コルセットをきつく締め上げている奥方(クソワーヤ・バールィニャ)〉なのである。ところが彼〔放蕩息子〕は、将軍夫人の玄関の間で眠ってしまった……妻も初めのころはいちいち反抗やら何やらやらかしていて……。〔いきなり出てきたこの〈妻〉はフローシャ(プリーシヴィンの妻)である。身分違いの結婚を許そうとしない実母=将軍夫人。じっさい気位の高い母は侯爵夫人(マルキーザ)と渾名されていた。妻の回想「ミハイル・ミハーイロヴィチとの生活」(『森のしずく』所収)および『巡礼ロシア』第二部「キーテジ――湖底の鐘の音」第一章を参照されたし〕
人間について考える。宗教――それはおのれの人間的感情(意識)に対する答えを宇宙に発見せんとする、気狂いじみた試み。
老婆は気高く上品そのもの――エゾマツのそばで泣く代哭。入江の方まで土手が延びている。アラクチェーエフの百姓〔農奴〕たちが築いたものだ。少し崩れたところは、土をかぶせて踏み固めてある。入江を鶏の嘴に似た筏が往き来している。夜は、北では一瞬の間も足を止めることはなく、暗くならないうちは、南でもずっと魔法の覆い布が掛けられている。そこに彼ら〔彼女たち〕の不安な心がある。私がここ数年暮らしているノーヴゴロド県のアラクチェーエフの移住地〔6月17日の*1〕には、古老たちのこんなレゲンダがのこっている。ほんの些細なことでも鞭を喰らわされたのだが、叩かれる百姓はその鞭を自分で原っぱ〔刑の場〕に持って行かされたという。
イワン・クパーラ*1の前夜に、ステーブト育種場の経営陣は、クパーラの火のために小さく束ねた薪を半サージェン放出している。ウグルィやボールィから人びとがやってきて、ランタンに明かりがともされ、テーブルが並べられ、寮の建物にも食堂にも白樺の花輪が飾りつけられ、あっちで大コーラスならこっちではオーケストラという具合である。土手と小さな林の中のあいだで火が焚かれ、その火をペアになった若い娘たちが〔ぴょんぴょん〕飛び越す。*1露暦6月23日から24日にかけての夜。イワンの夜とも、洗礼者ヨハネ(ロシアふうに発音すればイォアン(イワン)、クパーラは水に浸す人の意)の生誕祭とも呼ばれる。もとはロシア、白ロシア、ポーランド、リトアニア、ラトヴィア、エストニア、ウクライナなどで祝われた夏至祭(太陽神の祭り)だったのが、時とともにキリストの教会が洗礼者ヨハネの伝説に豊穣・健康・平安を祈る俗間の農業儀礼をマッチさせていった。この夜、草が薬効を持つとして採りに行く。
*2イワンの夜に花ひらくという不思議な羊歯の言い伝え。夜中の12時に蕾が弾けて真っ赤な熾(おき)となり、《炎の花(ツヴェト・アゴーニ)》が現われる。それを引き抜くことができたら、どんな願い事でも叶うという。森の樹木が勝手に移動を始め、葉と葉が囁き合い、動物も(草さえも)仲間同士で会話を交わすこの夜、若い娘たちは火のついた木っぱか蝋燭を立てた花冠の小舟を小川に流して、恋占いや人生占いに興ずる。高等女子農業専門学校生たちの大はしゃぎはイワン・クパーラの夜にこそふさわしい。*3膝の上に置いて爪弾く古楽器。吟遊詩人が英雄叙事詩(ブイリーナ)の伴奏に用いた。
永遠はつねにひと瞬き
子らは永遠の瞬間を生きる
愛は永遠の一瞬
永遠の渇望は死に臨む母の祈り
永遠の感情は死の床にある人の母性、そうではないか?
(禁欲主義の起源―永遠崇拝、肉欲の抑え)
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