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プリーシヴィンの日記        太田正一

2010 . 09 . 19 up
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編訳者の参考メモ(2)(つづき)――家の霊ドモヴォーイについて

 ドモヴォーイは深夜、何か起ころうとする家の拭き掃除、床板削り、その他もろもろの世話をしだすことがある。とりわけ馬には目がないので、馬櫛で掻いてやるとか、やさしく撫でるとか、とにかくとことん面倒をみるのである。たてがみや尻尾も編むし、耳の毛や蹄毛の刈り込みさえする。夜更けに、馬に乗って村をひとめぐりすることだってあるのだ。旦那に馬の歩調が変になったと怒鳴られると、御者や馬丁は、腹立たしげにこんなことを言う――「ドモヴォーイめ、勝手に乗り回しやがって、おかげで側対歩も三脚駆歩も、なんもかも調子が狂っちまった。まったく、ジプシー並みだよ、あいつぁあ」。ドモヴォーイはその馬が嫌いになると、餌をやらなかったり、耳を掴んで無理やり首を振らせたりといろんな意地悪をする。それで馬は夜っぴてもがいて、足踏みしたり嘶いたりするのだ。たてがみを変にいじれば糾髪病〔ポーランド、リトワニア地方の風土病。馬や人の皮膚病〕になるし、梳りだって毎日同じようにやってくれたらよさそうなものを、夜には余計また縺れさせてくれるから、もういっそ何もしないでくれと言いたいほどである。こういった俗信が生まれる背景には、馬が糾髪病に罹り――それが碌な餌も与えられず、あまり世話も行き届かない場合はなおさらだが――刈り込みも危険なら、梳りなどもってのほかというほどの深刻な事態が生じたということがある。もし乗った馬が気に入らないと、その馬は朝から大汗かいて、たちまち痩せ細って、いずれ厄介払いにされてしまう。廐舎の仕切りの中を引き回して、わざと飼葉桶にぶっつける、頭から突っ込む――そんなのはまだ序の口で、ドモヴォーイは本気で腹を立てると、腰骨をへし折ったり、無理やり狭い門のくぐり戸に引き入れたりと、かなりひどいことまでしでかすのだ。またよくあることだが、夜遊びの過ぎた御者が、轡を咬ませたまま仕切りに入れてしまい、あとはぐうぐう高鼾、したがって迎え酒どころでないような朝も早くに、旦那にそのだらしない現場を見咎められる。とすると、この種の俗信がインチキ臭いもので、御者たちの手前勝手さから出たことは明らかである。たとえば、ある御者が旦那に向かって、うちの馬はドモヴォーイが嫌っていずれ死なせてしまうから、ここはひとつ自分の知ってる博労の馬と取り替えるべきであるとかどうとか、そんなことを言ったとする。しかし、旦那はなかなかうんと言わない。約束の謝礼をフイにしたくないので、早くなんとかしようと焦っている矢先もやさき、馬のほうが先にドモヴォーイのいじめに参って狂い死にしてしまう。ところが、じつはこれは、御者が馬の耳に何かの粉末を入れたせいなのだ。ご承知のように、馬の耳管はそうとう曲がりくねっているから、そんな妙なことをされると、哀れ馬は、実際には存在しないドモヴォーイの悪意の犠牲にされてしまう。ドモヴォーイのお気に入りは黒毛と灰色で、最も頻繁に害をなすのは、尻尾とたてがみの白っぽい、淡黄色の馬(いわゆるソローヴイ)、それと、やはり尻尾とたてがみが黒く、全体が淡い赤茶色をした馬(いわゆるブゥラーヌイ)のようである。
 ドモヴォーイは概して、夜、活動する。日中どこにいるのか、よくわからない。周知のことだが、ドモヴォーイはときどき気晴らしをする――寝ているヒトの胸にぴょんと乗って、さしたる理由もないのに、息をつけなくするのだ。よその国では、この種の発作を「アレツ」とか「コシェマール(またはコシマール、フランス語で「悪夢」の意)」とか称しているが、わが国には、「ドモヴォーイが息を詰まらした」といった言い回しがあるだけで、圧迫を加えて死に至らしめるようなことではない。胸にのっかると、ときに臆面もなく、それこそまじりっけなしのロシア語で口汚く罵ることがある。その声は、ひどく荒々しい、野卑な、陰にこもったもので、いきなり四方八方から響いてくるような印象を与える。それを追い払おうと思えば、同じようなロシア語の罵詈雑言がいちばん効き目がある。すぐに罵り返すことができたら、ドモヴォーイはあっさり諦める。これは間違いない。悪態だろうが何だろうが、息が詰まっても声さえ出れば、ヒトは我に返って身を起こすことができるからである。なかにはそのとき「吉凶いずれの徴か」問う者もいて、それに対して「爺さん」は、くぐもったような声で「き、き、凶!」などと唸ったりする。ドモヴォーイの相手はたいていの場合、男だが、たまには女にも――ことにでっかい声の口喧し屋とか、物分かりの悪い女とかには、結構いたずらを仕掛けるようである。家中を、足を引きずるような音を立てて歩き回り、足踏みしたり(トントン、ドスンドスン、戸がバタン!)、そのあと、そこらにあるものを次から次と投げつける。が、けっしてヒトにはぶつけない。たまに、「あとをも見ずに一目散」といった面倒を起こすこともある。ただし、やはりこれも夜中で、場所は地下の穴蔵か、物置、玄関の間、納戸の中、空き部屋、屋根裏部屋など――。手当たり次第にでっかいものを引きずるかと思うと、いきなりドタッと引き倒してみたり――いずれにしても厄介な話ではある。その家の主が亡くなるまえなど、ドモヴォーイが主人のいつもの席に腰を下ろして、彼の仕事をしたり、その帽子を被ることもある。それでよく言われることだが、帽子を被ったドモヴォーイは見てはいけない、つまりそれは凶も凶、大凶なのだ。新居に移るときは、だから、まず「赤い隅〔神棚〕」に十字を切り、そのあといちいちドアに向かって、こう口上を述べなくてはいけない――「ドモヴォーイさん、さあ、わたしと一緒にあちらの家へ参りましょう」。新居での暮らしが気に入ったら、なにごともなく、これまでどおり馬のまわりをうろつくだろうし、気に食わなければ、またぞろ悪さを始めるだろう。ドモヴォーイの声を聞くことはほとんどないが、誰かを罵るとか、中庭で声をかけるとか、馬そっくりに嘶いて当の馬たちをからかってる現場に居合わせれば、当然、話は別である――。ドモヴォーイのいたずらの形跡(証拠)は、日中でもよく見かける。たとえば、食器が夜中にそっくりごみ桶の中で見つかったり、フライパン挟みがいつもの場所ではなく、鍋挟みと一緒に角鉤に掛かっていたり、また長いこと打ち棄てられていた調度(テーブルやベンチや椅子)が、壊されて一か所に山と積まれていたりする。ドモヴォーイが鏡を嫌うというのは、なかなかに面白い。鏡を使って、いたずらの過ぎる部屋からドモヴォーイをいぶし出せると思っている人もいるほどだ。ところで、ドモヴォーイがどうしても我慢できないのが鳥のカササギである。死んだカササギでも効き目があるので、廐舎にそれをぶらさげておけば、それはそれでけっこう役に立つ。ドモヴォーイと山羊との関係はよくわからないが、馬小屋に山羊の牡を繋いでおくだけで、ドモヴォーイを遠ざけたり、適当にあしらったりしてくれるようだ。だが、山羊が魔女(ヴェーヂマ)の手下であることと、この俗信は関係がない。少なくともドモヴォーイが山羊に跨がっているところを目撃した者はいないからである。それをこんなふうに説明する連中もいる。つまり、馬小屋にイイズナ(コエゾイタチ)が棲みつくと――イイズナはイイズナで山羊が嫌いで近寄らないというところから――馬は汗をかいて病気になる、と。
 ある土地では、誰もドモヴォーイの名を口にしない。そのため、恐ろしいもの、たとえば熱病などについては何も語らないし、はっきりとその名を呼ぶこともしない。したがって、ドモヴォーイには寓意的な呼び名がいっぱいある。「ヂェードゥシカ(爺さま)」とは、そのうちの尊称に属する。またある土地では、ドモヴォーイに「オーボロチェニ(妖怪ないし化けもの)」の特性まで与えて、ときどき雪や干草の玉になって転がっていく、とか、犬っころみたいに駆けまわる、などと言う。
 臆病な人間にとって、真夜中、何かがギーと鳴り、トントン叩く音がする場所ならどこにでも、ドモヴォーイはいるのだ。なぜなら、ドモヴォーイはほかの霊やお化け、幻影などと同じように、真夜中、とくに夜明け前にしか徘徊しないからである。でも、霊やお化けというのはたいていそうだが、ドモヴォーイも一番鶏の鳴き声にたじろぐようなことはない。察しの悪い無教養な人間にも、理屈の立たないさまざまな現象は、みなドモヴォーイであっさり説明がついてしまうのである。ところで、ペテン師、詐欺師の類いは、どれだけドモヴォーイの引き立てを悪用してきたことか。いや、これからだって、どれだけ悪用するかわからないくらいだ。御者たちは、夜通し馬を走らせて、ドモヴォーイのせいで馬が大汗かいたとか、あいつに餌をやるなと言われたなどとごまかしては、燕麦のちょろまかしや横流しをしている。一方、こずるい家主は、いやな間借り人や隣人を追い出したり立ち退かせるために、三、四晩立て続けに玄関の間や廐舎の天井裏でガタゴトやって、ときどき功を奏している。しかし、偶然がドモヴォーイの迷信を助ける、というか後押しする場合もないわけではない。先頃の対ポーランド戦で、わが軍の騎兵中隊がプワビの有名な城館に駐留中、ドモヴォーイが招かざる投宿者たちを追い出しにかかったことがあった。城館の、とくに将校たちの部屋だったが――夜通し、恐ろしい物音がして、誰も一睡もできなかった。皆で手分けしてどんなに入念に調べても、何ら原因らしきものは発見できない。音そのものはたしかに誰の耳にも聞こえているのに、ドモヴォーイがいったいどこでどの部屋で騒ぎ回っているのか、どうしても突き止められないのである。ずるがしこい城番は、肩をすくめながら、じつはあれはこの城の主――ドモヴォーイに好かれて、日頃から敬意を払われている――が留守しているあいだは、いつでも起こるのです。主人がおられたら、あんな音は立てません、ドモヴォーイはとても行儀がいいですから、などと言う。だが、この一件は、ドモヴォーイが主の留守中も温和しく、夜、廐舎に馬がいないときにも起こったために、ばれてしまった。いくつか実験を試みて、以下のことが判明した――まず廐舎が中庭の先にあったこと、しかも城館の一室が、その廐舎で立てる音の一種の反響板のごとき働きをなしていたこと。そのために馬たちの蹄の音が、まるで地下室か壁の中からでも響いてくるような大きな音になったのである。この発見は、城番にはいたくお気に召さなかったらしい。
 自分のこの目でドモヴォーイをというとき、それが可能な場所と方法がたしかに存在すると、一般には信じられている。それにはまず、聖大金曜日のキリスト受難の祈りか、土曜や日曜なら早課[早朝の祈祷]のあいだは十分灯りつづけるくらいの蝋燭を作っておく必要がある。そして、復活祭の日曜の早課とミサ〔聖体礼儀を伴う礼拝〕のあいだに火を点じ、それを持って、すぐに自分の家の家畜小屋か牛小屋に戻る。すると、小屋の隅に隠れて、じっと身じろぎひとつしない「お爺さん」を見かけるはずである。見かけたら、ちょっとは話もできるだろう。(太田正一訳) 

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 ベレンヂェーイの沼地とは、石の女(каменная баба)のある場所で、現在そこへは石の女(バーバ)を拝みに、村の女たちがツルコケモモの細道〔写真〕をたどって行く。

ユーラシアのステップの小高い丘や塚(クルガン)に遺る古代遊牧民――スキタイ、ポーロヴェツ、フン、タタール人などの女性(また男子戦士)の石像。高さ1~4メートルほど。

 白鳥、ツァーリ(ロシア皇帝)、ゴドゥノーフ

いずれもセールギエフ・ポサードの教会の有名な大鐘の名。革命後、1930年代になってすべて破壊された。プリーシヴィンは息子とともにその破壊のさまを写真に収めている(30年1月4日以降の日記に詳しい)。イワン雷帝の遺子フョードル一世亡きあと、后イリーナの兄のボリス・ゴドゥノーフが帝位に。ボリスの治下に、大災害や大事件(偽のドミートリイ)が発生した。ラーヴラ内にゴドゥノーフ一族の墓所がある。

 黄金の皿の凝った渦巻き模様。繊細優美なラストレッリの鐘楼の最上部。

プリーシヴィンの間違い。ラーヴラの鐘楼の建設にあたったのは、ラストレッリではなく、建築家のイワン・ミチューリン(1700-63)とドミートリイ・ウーフトムスキイ(1719-74)。

 鐘と鐘の間(一語判読不能)、非常に凝った小皿。いちばん下の方に400プード余の鐘が吊るされている。それが重々しくゴーンゴーンと鳴りだすと、そのフランス製の小皿は、笑うがごとく微笑むがごとく(二語判読不能)。ゴォーンゴォーンと〔音は〕つぎつぎに生まれてくるが、下からはズズーンズズーンと地鳴りが上ってくる。
 雷鳴、鐘、落雷。なんとも凄まじい大音響! ゴォ~ンゴゴォ~ン、ゴォ~ンゴゴゴォ~~ン。つぎつぎに繰り出されては中空でそれが大増幅。小さな鐘がさざ波立って――ウォーン~ウォーン~ウォーン。
 徹夜祷の始まる前に、一天にわかに掻き曇り、あたりは真っ暗くらのくら。雷雨の天にラストレッリの金の皿でも突き刺さったか。すると雷鳴ひとしきり轟き渡ると同時に、ロシア最大級の鐘の中にも図抜けた大鐘の縁に舌がぶちあたって、轟音一発また一発、地響きはすでに超弩級である。まさに鐘と雷鳴の一騎打ち。そのときアーチの方に向かっていたわたしは、ちょうど門のところで、トロイツェ・セールギエフ大修道院が天に向かって祈る姿を見たのだった。

6月1日

 暖かな好い天気である。森のどんな茂みの中でももう夜泊まりはオーケイだ。
 聖なるプラズマとサタンの誘惑。聖者がいた。さまざまな誘惑を乗り越えて、ようやく完全な聖性を得るばかりのところで、突然、眼の前に、新たな最後の誘惑が姿を現わした。聖者の住まいへそいつはこっそりと忍び寄ったので、誰も気づかなかった。彼には逃げ出さねばならぬサタンも駆け下りねばならぬ山も*1なかった。すべてがあまりにも平凡だった。川のほとりの井戸の中。彼の井戸……(エゴール神父*2)。あるとき、この井戸で彼は水を飲み、コップに半分ほど飲み残した。それを井戸の持ち主が聖なる水として売り出した……エゴールは禁じたが、誰もが喜んで買っていくようになった。そこで彼は、井戸を祓い清めて≪聖なる井戸≫と名づけた……すると、すぐ近くに別の井戸。そこでも彼の名を騙って水を売り出した……彼自身は一度もそこの水を飲んだことがなかった。怒りがこみ上げてきた。腹が立ったのは、自分が神格化され崇め奉られたからではなく、一度もそこの水を飲んでいなかったからである。それがわかっていたから、厭な気分になった。人びとをまともに見ることができない――あれは人間などではない、プラズマだ。たちまち彼は嫌悪と苛立ちの虜になった。プラズマは〔偶像〕をつくる。嫌悪の誘惑(みなが平等たらんとして)。二律背反だ――対等な人格は必要不可欠なものだが、同時に人格は聖なるプラズマなくしては、崇め奉る原理なくしては、存在し得ない。聖なる肉(欲)は蝗に似て、選り好みせず、あらゆるものを崇め奉る。そうしてわたしも神聖化の穴に陥ってしまう。誘惑はそうした群衆への蔑視にあるのだけれど、彼らを蔑視しながら、彼は自分自身を軽蔑しているのだ。なぜなら、自分が群衆によってつくられたから。でも彼はそれを否定する――そうではない、わしはそんなものによってつくられたのではない。そう言って、その場を立ち去る。

*1荒野での悪魔の誘惑(マタイによる福音書1-11)
*2オリョール県ボールホフ郡スパス=チェクリャク村のゲオールギイ・コーソフ 神父のこと。この神父についてはニコライ・ウーソフ著『生ける水の起源――聖殉難者・長司祭ゲオールギイ・コーソフ』(モスクワ・2004)がある。

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