2010 . 09 . 12 up
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エレーツ市は炎熱地獄。石灰質の細かい埃がまんべんなく積もっている。なにやらここのインテリたちは帽子屋にでもなってしまったようである。エレーツのカルトゥース〔固い前庇の帽子〕製造人のタイプ。チュイカ〔裾の長い男物のラシャ上衣〕がコートに造りかえられている。穴居人である黒百人組*もいまだにいる。この町の店舗の事務所みたいなところが、黒百人組のクラブと旗持ちたち〔教会旗を掲げて十字架行進などで先頭に立つ〕の社交場になっている。9月になると、百姓たちが町にやってくる。穀物を売るためだ。地主連はゼームストヴォ〔地方自治体〕の会合に、商人たちは取引所で息を吹き返す(この時期、必ず町に来て状況を把握し、実務上の問題、たとえば相場などのことをちゃんと勉強しなくてはならない)。
*モスクワの北北東70キロにあるロシア正教の総本山。セールギエフ・ポサード。1345年ごろに、尊者セールギイ・ラドネーシスキイが起こした修道院。ラーヴラ(лавра)=《大修道院》と呼ばれる男子修道院であり、初め総主教にその後シノード〔宗務院〕に直属した。大修道院はロシアに四つだけ――アレクサンドロ・ネーフスカヤ、キーエヴォ・ぺチェールスカヤ、ポチャーエフスコ・ウスペーンスカヤ、それとこのトロイツェ・セールギエワ(語尾が女性形なのはラーヴラが女性名詞であるため)。この大門前町は、革命後の1930年に、革命家(ザゴールスキイ)の名をとってザゴールスク市と改称されたが、体制崩壊後もとに復した。モスクワ神学大学と神学校がある。プリーシヴィンは1926年から10年ほどこの修道院町で暮らした。木彫りの民芸品、人形、とくにマトリョーシカが有名。
どうしたら正気を保ちつつ恋に落ちることができるか……それを知っているのは悪魔だけだが、でも本当にそうだったのである。肝腎なのは、おのれ自身をまるごと評価判定する基準が存在するということ。女はまだそこに居続けるが、男は去ろうとしている。救いがあるとすれば――女のほうがこれからもずっと男と一緒にいたいと願っていることだ。男は自分の人生をやり直すつもりでいるが、でもどうだろう、じっさい女はもともとそういう人間だったのか、それともただの思い込み? 女はたしかに平凡な人間だったが、それでもその平凡さが、まことの自身の凡ならざる価値を発揮した――そういうことではないかと思う。平凡さとは、ここでは家族、仕事、定常性(いつものこと)、世間、祖国、国民(全世界)との関わり合いのこと。〔女のテーマ。エフロシーニヤ・パーヴロヴナのこと〕
家の霊(ドモヴォーイ)*がキリスト教と少しも解け合わなかった〔融合しなかった〕のは驚くべきことである。*東スラヴ族の民間信仰で、家の守り神。家の霊(また精、ダマヴォーイ)。この霊については改めて紹介する(「編訳者の参考メモ(2)」)。
二つの建物をつなぐ塹壕みたいな回廊が走っていて、ここから見えるのは黒いゴキブリのような人間たち〔黒衣と黒のプラトーク〕、それとフィラレート*時代からの精神(ドゥーフ)だ。ありとあらゆる物質と非物質のごたまぜ――禁欲の、茸のまた香(ラーダン)の、ライ麦の――要するに、小麦粉と百姓臭さとビザンチンとをブレンドしたあの独特の匂いや精神が、ここにあるすべてのものに染み込んでしまっているのだ。
世俗の十全的受容。修道院のホテルでは堂々とヴォトカが売られている。
巡礼たちがラーヴラを仰ぎ見ては、しきりに十字を切る。階下(した)には食べ物があふれかえっており、女たちが群れなす黒いゴキブリよろしくそっちへ向かっている。
短編のテーマ。人嫌いの老婆と私講師〔革命前また西欧の大学講師〕。こんな講師がいた。すごい寂しがり屋で、気が滅入ると老婆に話しかけるが、婆さんは陰気な顔をする。会話にならない。冗談を言っても、何も応えない。学者は老婆を相手にするのをやめて、本に向かった。2年間、勉強に没頭した。そのあいだ老婆とは一言も口を利かなかった。あるとき、勉強がどうかなってしまって、再び沈み込んだ。帰宅すると、夕食の仕度が出来ていない――婆さんがどこかへ出かけたのである。翌日、彼は、怒った(いやそうではない、もともと怒るということができないタチなのだ)のではなく、怒った素振りを見せた――ステッキもコートも抛り出したのだ。すると突然、老婆の中の何かが爆発し、驚くべき女に変身したのである。人間がヒラカレタのだ。主人と女奴隷。
ある日、この老婆がこんなことを言った――壁が迫ってきて自分は息ができなくなった。それで唱えた――「神さま、甦りくださりませ!」。すると、壁の中から声が聞こえてきた――「やっとおまえは気がついたな!」
ドモヴォーイ、ドモヴィーク、ヂェードゥシカ(お爺さん)、スタリーク(老人)、ポスチェーンあるいはポースチェニ、また鼠たちと一緒の地下室の住人だったりする場合はリズゥーン(シベリアではスセートコ)などと呼ばれて、姿恰好もじつにさまざまだが、たいていは、中肉中背の、がっしりした体格の男、と思っていい。身につけているのは黒っぽい粗ラシャの、ちょっと短めの上衣で、祭日にはこれが、青いカフタンと真紅の帯に替わる。夏はシャツ一枚だ。いつもは裸足で、帽子は被らない。おそらく、マロース〔氷点下の寒さ〕でも平気なのと、外を出歩く習慣がないからだろう。顔はと見ると、なかなか立派な灰色の顎髭をたくわえている。髪はおかっぱ刈り。しかし、相当のもじゃもじゃ頭で、ときにはすっぽり顔が埋まってしまうこともある。からだも柔毛に覆われている。足の裏や手のひらにまでびっしりだが、なぜか目と鼻のまわりには生えていない。冬、その毛むくじゃらの足跡が馬小屋の辺で見つかることがある。手のひらに生えてるやつは、これはもう、寝ているときに顔を撫でられた人なら誰でも知っていることだ。その手はちくちくして、爪が長く、冷たい感じがする。ドモヴォーイはよく夜中にひとを抓って歩くので、知らないうちに青痣ができていたりするが、たぶん、少しも痛くない。そういう悪さは熟睡中にしかやらないからである。この程度のことは、次のようにきわめて自然に説明できるだろう。つまり仕事や家事をしながら、ヒトは知らずにどこかをぶつけていて、2,3日して、たまたま痣を見つけると、ただびっくりして、それをドモヴォーイのせいにする、というわけだ。だが、なかには、抓られたときにすぐに気づいて、これは好意でしたことだろうか、それとも悪意から出たことだろうか、吉凶いずれなりやとわが身に問うて、なんとかその答えを得ようとする御仁もいる。しかし、ドモヴォーイのすることは、泣くか笑うか、毛むくじゃらの手で撫でさするか意地悪く抓りつづけるか、はたまた罵るか優しい言葉をかけるか、ともかく二つに一つしかないのである。それにドモヴォーイはめったに口を利かない。ふわふわした手で撫でられたら金持ちになれるようだし、その手が温かければたいてい吉、ひんやりしたりブラシみたいにざらざらしてたら、きっと厭なことが起こる――そういうことだ。ときにドモヴォーイは、夜半その家の主を小突いて、しきりに起こそうとすることがある。何か吉いことでもあるのかね、という主の問いには、いま挙げたような合図が答えと考えてよろしい。クロテンの毛皮みたいな手だったなどと自慢するのを聞いたことがあるが、ドモヴォーイは概して悪人ではなく、まあどちらかと言えば、気紛れないたずら者なのだ。だが、相手が好きになったり家そのものが気に入ったりすると、ほとんど奴僕みたいに仕えてしまう一方で、いったん嫌になれば、すぐにもいびり出そうとするし、ひどいときにはこの世から追っ払ってしまうような真似までする。(二十三)につづく。
text - 太田正一 //scripts - Lightbox PageDesign - kzhk