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プリーシヴィンの日記 太田正一
2010 . 08 . 22 up
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4月1日(火)――土曜日にペソチキ村へ。
引越しだ!
フローシャ〔妻〕にはことさら引越し仕度など要らないのだが、それでも何かしらやっている。それで溜息をつき、ぼやいたりしながら、あちこち駆け回っている。わたしは出発を遅らせたくなくて、じりじりいらいら。そしてついに出立――手間ひま要らず、あんまり荷物も積まずに。
自分は母にそっくりだ。せかせかして気短である。いちばんの特徴は、とにかく急ぎ慌てまくること。攻撃にかかったら(一語判読不能)。われわれみたいな人間には重い錘(おもり)をつける必要がある。母にはリーヂヤ〔長女で姉〕を、わたしにはエフロシーニヤ・パーヴロヴナ〔妻=フローシャは愛称〕を。まったく、気の短いところは母ゆずりだ。リーヂヤとフローシャはよく似ている。急いで動き回るのは男の仕事だろうが、仕度ののろくささと計画性の無さ、やれ縄がないやれピンがないと騒ぎ立てるが、肝腎要をすぐに忘れてしまうのは女である。この女の真面目は気短とせっかちの矯正にある――なにも急がなくたってったていいのだから(もっとも、母とリーヂヤの性格と痛ましいまでの情愛を描くためには絶対欠かせないものではあるのだが)。
道中、厭なことがあった。リョーヴァ〔長男レフ。このころ8歳〕が窓の外を見ている。わたしが彼の耳の後ろをくすぐってやると、息子は癇癪を起こした……わたしはさらにくすぐる……息子は振り向きざま、いきなりわたしの顔を拳で打った。それを見ていても、フローシャにはどうってことないらしい。で、わたしのほうも数分後には忘れている。それほどわれわれはもう慣れっこになっていたのだ。世間の人間はみな憤慨している。どっかの町人女はリョーヴァに向かって説教するし、どっかの親父はリョーヴァと一度話し合ったほうがいいなどと言ってくれる。誰もがこれ以上ないほど自尊心を傷つけられている。裁判所を持ち出す御仁さえいた……たしかにそのために裁判所はあるわけだが……一方、フローシャは他人のいる前でわたしを責める――『あんたが悪いのよ。あんたが子どもを甘やかしたんだから』。彼女はそういうことをリョーヴァのいるところでは口にしない。こちらは、じゃあそれをあの子の前で言ったらどうだとは切り返せない。それで苛立ち、癇癪玉を破裂させる。そんなときは地面がぐらぐらしてきて、なんだか自分の罪障を摑まれたかのように、厭な、じつに厭な、避けがたい一族の血が一気に沸き立ってくる。まるで自分がたえず演技し秘密を隠しながら、世間に向かっては『見たまえ、われわれはみなそれなりの暮らしをしてきた。みなちゃんとした人間なんだ』と言っているような。ところが突然この始末。わたしは母にも似たようなところがあったのを憶えている。まあどこの家庭もこんなものだろう。深い窪地に橋が架けられ土手が築かれる。それは人びとの善意の賜物である。誰しも善を為さんと思っている。そうした精神がいくつも橋を渡してきたのだが、しかし不可避なもの、必然性の上にわれわれが架けようとする橋というのは何なのだろう! 時が来れば、ばらばらになって崖の下だ。
わたしが憶えているのは、突然来客があったときのあの空騒ぎ、ドタバタ、皿のがちゃがちゃ、パニック、そう、母の本物のパニックだ。客たちはわが家に、自分たちとは違う何かを見つけてしまうだろう、わが家の秘密(深い窪地)が明らかになってしまうではないか!
窪地などはどこにでもあるのだが、ただし入念に埋め塞がれている。とはいえ、往時は〈野の(полевые)〉家族――たとえば、ロパーチン一族〔プリーシヴィン家の隣人〕のブラトーフカ村、ルィソフカ村――というものがあった。それらは何もかもあけっぴろげだった。自分らは、そういうものは〈貴族の家庭〉だけ(こちらは商人)のことのように思っていた。彼らにはあけっぴろげにする権利のようなものがあった。つまり、開放された家族である。そうした家族の理想を何から得たかと言えば、昔語りやアクサーコフ*、『戦争と平和』に出てくるような大家族、フレーンニコフ家、ロストーフツェフ家〔いずれもプリーシヴィン家と境を接する地主一族〕での外泊、フョードル・ペトローヴィチ〔コールサコフ、やはり隣の地主一家〕のとこでの体験だ。
*セルゲイ・アクサーコフ(1791-1859)――作家。ウファー(バシキール地方)の古い貴族地主の家に生まれた。カザン大学を卒業後、一時地主の生活を送ったが、のち首都ペテルブルグやモスクワに居を移し、検閲官、視学官、測量学校の校長等々を歴任。40歳を過ぎて、ようやくその文学的才能を発揮した。19世紀30〜40年代には、彼の主催する〈土曜の会〉に、作家のゴーゴリ、歴史家のポゴーヂン、教会論者のホミャコーフ、批評家のベリーンスキイらが顔をそろえた。ゴーゴリの勧めで書かれた『釣魚雑筆』(貝沼一郎訳・岩波書店)、『オレンブールグ県の銃猟者の手記』。自伝的長編『家族の記録』(黒田辰男訳・岩波書店)とその続編『幼年時代』(原題は『バグローフ家の孫の幼年時代』(貝沼一郎訳・人力社)は代表作。息子のコンスタンチンとイワンはともに有名なスラヴ派の思想家・文学者である。
だが、それは嘘。どこにもそんなものは存在しなかった。あのフョードル・ペトローヴィチのところでも、あとでは亀裂が生じた。ワルワーラ・アレクサンドロヴナは生涯、夫を愛していないことを隠し続けたし、スターホヴィチ家はたぶんうちの母に取り入ろうとしたか、開放家族に幻想を抱いたかしただけなのだ。どこにも亀裂は走っていたのである。
わが家の不和は、家でのエフロシーニヤ・パーヴロヴナの二言三言で終わりを告げる。
「あなたはあたしを馬鹿だと思ってる。あたしたちは夫婦じゃないの? でももう遅い。手遅れだわ……」
ああ、なんと無駄な一日! 川向こうに見知らぬ国の青い岸辺が見える。雲雀が歌い、人びとは会えば互いに挨拶を交わしている――『なんと好い日ですこと!』。復活祭の挨拶みたいだ。三度の接吻もしかねない。キリストの甦りと祭りを祝うそんな喜びが春の日差しの中から飛び出し、人びとは太陽に歓喜し、叫ぶ――『フリストース・ヴァスクレース〔主は甦られたの意〕!』。
われわれにとっては光明の日〔復活祭〕どころか、不満の出まくり。馬の件ではごたごたばかりだ。
ペテルブルグで冬を越す人は、内なるロシアと新たにひとつになるために苦しい経験をしなければならないようだ。もっとも、それはペテルブルグにかぎったことではない。わたしは子どもの時分から、この恭順の病については知っている。屈服し、あの凄まじい泥濘を引き受け、内なるものを見つめる必要があるのだ。そこが基本。外からでは駄目だ。屈服し恭順の意を示すなら、外側は何の役割も演じない。いっさいは内なるものに在る。道徳性とはそのようなものであり、わが国の人民主義(ナロードニチェストヴォ)と現在の宗教の道徳性がそうなのである。ただし信心深い普通の生活人にとって、内から外へ出るいかなる抜け道もないが、インテリには出口がひとつだけある。それは外的な生活習慣(ブィト)を打ち破ること。でも首都から逃げ出そうというときに、そんな些細なことにまで気が回らない。
現代におけるペテルブルグの生活、暮らしはどんなであるか? すべてが押しボタンひとつで済む。ボタンを押せば、リフトが上がってくる。下に降り、電車に乗って「取引通報」*を読み終えたら、またボタンを押して誰かのアパートへ。移動するのにほとんどエネルギーを費やさずに済む。
*ぺテルブルグで発行されていた政治的かつ文学的な日刊紙で、よく売れた(1861〜1917)。
しかし、それがペテルブルグから100露里か200露里離れるとなると、まったく話は別である。こちらはペソチキ村へ行くので、そこから来た馬を雇おうとする。でも、そんな馬はまず見つからない。なぜかペテルブルグへはやってこないのだ。こちらの窮状を見すかして、御者たちは12露里〔1露里は1.067キロメートル〕で8ルーブリはどうかと吹っかけてくる。そこであっさり手を打ったら、それこそ醜態! ゼームストヴォ〔地方自治体〕の宿駅に問い合わせると、5ルーブリでオーケイ――そうでなくては! 馬たちがやってくる。御者たちは大いにぼやく――そりゃ安過ぎると悪態ついて。こちらが『親方のとこへやってくれ!』と言うと、以前わたしが雇ったことのある御者たちが出てきて、そりゃあ安過ぎると嘲り罵る。『いいから親方のとこへやってくれ!』とまた言う。ソロドゥイに着く。だが親方はすでに道の真ん中に突っ立ている。
「安いんだよ!」
「ではなぜ5ルーブリでいいと言ったんだね?」
「たしかにそう言ったが、道が乾いていると思ってたのさ。でも、ぐちゃぐちゃの泥道なんだ」
「おたくらはどこに目をつけてるんだい?」
会話が始まる。脅しをかけたり、やさしく出たり、人間としての良心に訴えたり……しかし、どうにもならない。近くに警察署もない、ほかの御者もさがせない。それに家族を人質に取られているようなありさまだから、始末書云々で脅しても駄目なのである。泥濘と恐怖――一家して南京虫のいる安宿〔トラクチールは飲食店兼業の旅籠〕で一夜を過ごさなければならない恐怖や、何やっても無駄という絶望感から、宿駅の経営者であるクラスノバーエフ某がペテルブルグの住人であるわたしにはただの強盗にしか思えない。ところが実際は、この男、なかなかしっかり者の善人で、警察署長の親友なのである。さて、どうするか? ひとつだけ手があった。自分が友だちになればいいのだ。この地で身内になることだ。自分が旦那(バーリン)で、力があれば……ああ、力とは権力とはなんといいものだろう! 残されているのは権力だけ、ほかに出口はない。クラスノバーエフが気に入るようなことを、誘って一杯やるというのはどうか。ああでも、それはこちらの人格を辱めるだけだ。力だ、やはり力を行使することだ! しかし、このクラスノバーエフが屈服するだろうか、ぺこぺこ頭を下げるかな……一緒に呑んだからって、うまくいくとはかぎるまい。
泥の海の中に、孤立無援の自分はしゃがみ込み、力だ権力だと空想を逞しくしている。すると、クラスノバーエフが口をひらいた。
「フェーヂカ、馬をはずせ!」
「それはないでしょう」わたしは言葉やさしくクラスノバーエフに語りかける。「家族をどうしたらいいんだね? わたしには家族がいるんだよ。おたくは約束した。それ以上何が要るんだね?」
「割増をつけてくれ!」と、クラスノバーエフ。
「いくらだね?」わたしはびくびくしている。
「あと3ルーブリ」
彼はこちらが値切りにかかると思っていたようだが、わたしはなんだか急に愉快な気分になり、じゃあそれでいいと同意した。クラスノバーエフはすぐには信じない。わたしが騙すのではないかと疑る様子。そこでわたしは代金を前払いし、あっさり一件落着。彼は非常に満足であった。愛想がよくなり、ぺこぺこしだした。わたしは言った――
「ありがとう、ほんとに助かったよ!」
「とんでもねえ、お礼なんか」
「いいや、3ルーブリぽっきりで済むんだ。盗賊に身ぐるみ剥がれるより、どれだけいいか」
ロシア人はこんなひと言がたまらなく好きなのだ。わたしたちはもう完全に〈友人〉だった。こんど会うときは〈知り合い〉になっていることだろう。そのときは〈昔からの知り合い〉ということで、もっとずっと安く運んでくれるはずである。
馬車が動きだす。肉屋の店先から男の子が出てきて、牛の膀胱や動物の内臓の薄い皮みたいなものを路上に放った。ふとこちらに目が行った。次のを投げようとしたが、一瞬ためらい、腕を振り上げたなり、固まってしまう。前方を、黒い車輪を二つ結わえ付けられた馬が行く――なぜともいずこへとも知らず、ただ引きずって、黙々と泥の中を前へ前へ。泥んこ道を1時間でたったの2露里。途中何度か、道端に佇む巡礼たちを見かけた。前方に乾いた小道。そこを彼らは歩いていた――のろのろ進む馬たちをどんどん追い抜いて。こちらは12露里にきっかり6時間……
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