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プリーシヴィンの日記        太田正一

2013 . 07 . 21 up
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1919年12月1日

 神の日の102日。きのう、С.П.〔ソフィヤ・パーヴロヴナ〕のところへ行った。
 「きみがリョーヴァのことをそんなふうに言うと、僕らの道がなんだか秋の終わりの凍てついた道みたいに感じられる。身にしみるような冷たい霧に覆われて、最後の秋が僕らのトーポリの最後の葉を落としてしまう……」

 昔からナロードが、国家権力をアンチキリストの所業と見なす国家の、国家的コムーナ。ところが、宗教的コムーナのほうは社会において最高の理想と見なされているのである。自分は、このソヴェートの雄牛であるボンチがこれら二つのコムーナの底なしの淵の上に必死に橋を架けようとしているところを示したかった。

ウラヂーミル・ドミートリエヴィチ・ボンチ=ブルーエヴィチ(1873-1955)のこと。前出。「示したかった」は講義でということか?

 ひとはよく『コミュニズムの理念にはぜんぜん反対じゃないんだ』などと言う。本当はこう言わなくてはいけない――『宗教的コムーナにはぜんぜん反対じゃないんだ』と。
 コムーナに誘い込めるのは夢(メチター)だけ、あるいは追い込めるのは国家の革鞭(クヌート)だけである。

 アグラマーチへ蒸気製粉所を探しに行った。どこにあるのかわからなかったので、後ろを歩いていた若者に訊いた。若者はちらっとわたしを見た。何も答えない。わたしも彼を見た。目と目が合った。しなやかな、この上なく優美な眼鏡の奥の青い目がこうわたしに語りかけている――『そんなざっくばらんにおれにものを訊いてくるおまえさんは、いったい何者か? おれはそう簡単には答えてやらないかもよ』。わたしは叫んだ――『同志、ここらに製粉所はあるかね?』―『知らないよ!』。相手は仕方なさそうに答えたが、その目は――『仕方がないから答えてるんだ。でもやっぱりあんたはおれから何も聞き出せないぜ』。そこでわたしは同じ質問を別の男にした。男は親切にこう言ってくれた――『ほら、あそこ。鴉が何羽かとまってる屋根が見えるでしょう。あそこが製粉所です』
 メレシコーフスキイの思想はこう言い表わすことができるようだ――『もしあなたが受け容れるのがキリストのすべてでないなら、残りのキリストはあなたが受け容れたものをアンチキリストとして反対するだろう』と。
 あるいはこうだ――天地創造(ミロズダーニエ)すなわち宇宙を唯一の世界認識としようとする人間のどんな試みもうまくいかない。捉えきれない部分が(神と捉えられたもの)と対立するからである――神(ボーフ)と悪魔(ヂヤーヴォル)。

 朝まだき。
 わが幸福は、透明に近いブルーの曙光の中を、この上もなく美しい一羽のコクマルガラスが飛びながら鳴く早朝の刻限にある。声を発するのはコクマルガラスだけ、それ以外はみな黙りこくっている。鐘楼はどこまでも高く……いのちと再生と自分自身の原初の力が全世界の美の前に戦慄を感じるのは、その刻限だ。思うに、美(その唯一の光の空焼け(ザリャー))の源とは、大胆不敵な人間がそれを「神」と名付けて、さらに大胆にも「神よ!」と呼びかけるや、たちまち神と悪魔とにまっぷたつに裂けてしまう源を言うのではないのだろうか。われわれの生活は神を呼び出そうとする努力なのだ。われわれは神の名を呼び、悪魔を呼び出す。荒野(あらの)に叫ぶ声。

 画家――そう、その空焼け(ザリャー)が〔描ける〕のは画家だけなので、あらゆる人間――坊主どもが画家をつついて唆(そそのか)す。魅せられた画家はずばり光の根源〔光源〕そのものを描きたくなってくる。それでつい夢中になって奈落の底に落ちてしまう。よくあることだ。

 1週間ぶっ続けの講義の報酬が300ルーブリ、それがすぐにマホルカ3フントに。半月分の給料〔授業〕が1320ルーブリ、それも薪(20プード)代1000ルーブリと1チェトヴェルク〔約3リットル〕のミルク代に。

12月2日

 神の日の101日。赤のオリエンテーション。ペトログラードの占拠をフォン・デル・ゴリツとユデーニチが画策しているという。それを同盟国の艦隊が粉砕したらしい。一方、南部ではデニーキン軍が完全崩壊(すべて噂)。
 ある労働者がわたしに異議を申し立てた――彼が真の国家と考えるのは、強制によってではなく自覚をもって行動する国家なのだ、と。

12月3日

 神の日の100日。暖冬。この動乱のコムーナの魂の中身は当然、馬鹿げたほら話(ザヴィラーリノエ)――たとえばトルストイの。
 人民大学でメレシコーフスキイの(〈輝ける異邦人〉)について語らなくては(Д.С.メレシコーフスキイ)。詩人にして世界通信(関係)の説教者。

12月4日

 神の日の99日(神の日だって? 何を今さら!)。聖母宮入祭(ヴヴェヂェーニエ)――氷がを割る。

十二大祭の一つで、旧暦11月21日(新暦12月4日)。聖母マリアが3歳でエルサレムの聖堂に奉献せられたことを記念する。

 リョーヴァの〔夢の〕話――
 「僕が予科に行ってたころ、パパが帰ってきたのがわかったから、僕はホテルに駆け込んだんだ。パパはベッドに横になっていた。それで僕はパパのお腹に乗って――『ねえパパ、面白いことを話してあげようか、人間の先祖は猿なんだよ』と言ったら、パパはこう答えたんだ――『猿じゃないさ。人間の起源は神だ。猿は猿、神は神、別々なんだよ』。

革命前の中等学校の予科。これを終了して1学年に進む。

12月5日

 神の日の98日。わが青春時代の恋人、高官の娘〔ワルワーラ・ペトローヴナ・イズマルコーワ〕が夢に出てきた。自分はペテルブルグの彼らの家に行き、そこの玄関番に『お嬢さんの部屋はどこか、お会いできるか?』と訊いた。『できますよ、少々お待ちを。間もなく女官が来ますから』―『えっ、なぜまた女官が?』―『なぜって、この家の人たちには女官が付けられておるからです。2時間だけ来て、部屋の片付けをします……やはり身分の高いお方ですから』―『身分だって? そんなに高いのかい?』 ―『現在のあの方たちの官位はセントバーナード〔犬〕です』。
 そのあとお嬢さんと面会し一緒に散歩をし、近いうちにまた会う約束をしたが、次のランデヴーには出かけなかった。確かに愛なんだが、それはなんだか融けだした蠟人形みたいだった。
 玄関番もまるでゴルシコーフ―スメルヂャコーフのラインだ。とてもデリケートな男で、地位はセントバーナードだと答えたとき、その言葉にはじつにデリケートな毒々しさがあった。
 この恋は一瞬の発火だったのに、一生を通じて夢に出てきた――明るい光線(ビーム)のように。それは確かに、自分にとっていちばん肝腎なこと・大事なことだった。ものを書く、遍歴する――それはみなその夢のビームから来ているのだ。その辺に自分の悲劇の萌芽がある。そう言えば、そのころ、わたしのことを〈ムィシキン公爵〉と呼んでいた連中がいたっけ。

パリでのワルワーラとの恋。ワルワーラとは友人のアンナ・イワーノヴナ・カーリ〔旧姓グリートワ〕を介して知り合った。アンナは音楽理論家アレクセイ・フョードロヴィチ・カーリの妻。パリでプリーシヴィンは初めアンナ・カーリの美(画家のソーモフ描くところの「青衣の貴婦人」(1897-1900)によく似ている)と天性の複雑矛盾(地獄)とあけっぴろげな会話(善(ドブロー)なんて嫌い、退屈だもの。美は苦しみから生まれるのよ)に魅せられた。彼女に逢わなかったら、ワルワーラを知ることもなかった。「アンナは家に戻ると、夫に――『あの人〔プリーシヴィン〕とは何も……特別な男と女の関係なんか、なかったわ』と言った……数年後(これはロシアで)、アンナはあるロマンスのあと自殺してしまった」(ワレーリヤ・ドミートリエヴナ『言葉への道』)。プリーシヴィン自身の晩年(1935)の手記にも、「長編『白痴』……グロートワ」の走り書き(РГАЛИ)。

 (はっきり言って)反ヨーロッパ的で新しいものなど何ひとつないが、こちらが見事に素っ裸にされたということが、それが新しい〔もの〕と言えば言える。ヨーロッパはまだそこまで行っていない。そこまで行ったら、そのときはヨーロッパもまったく〔われわれと〕同じように素っ裸になるだろう。

 言葉は神から、パンは自らの手で。

12月6日

 フルシチョーヴォの柵に寄りかかっていた。嵐がツェッペリン号を雲から雲へ押し流した。そして自分では制御できなくなって、わたしの近くに着陸してしまう。ツェッペリンから赤〔軍〕が出てきて、どこかへ向けて発砲(そんな真似を)し始めた。そのうちの3人が烈しく腕を振っている、何かを宙に投げているようだ。わたしは、何のためにそんなことをするのかと訊いた。すると、『聞こえないか、口笛を吹いてるんだよ』。わたしは惨めだった……わたしは自分が撃たれるのを恐れていた。狙う真似をされただけで、わたしはびくびくした。目が覚めて、こんなことを思った――自分たちは出来損ないの悪鬼(ビェース)だ、われわれの聖書(ピサーニエ)が価値あるなら、それがわれわれ自身をわれわれの魂をつくってきたということだけである、と。

ドイツ人の発明家で伯爵。1900年、飛行船を発明。ツェッペリン式の硬式飛行船は第一次大戦で活躍、その後も改良され多数建造された。

 あるときローザノフがわたしにこんなことを言った――『救いのために、カラマーゾフの兄弟みたいに罪を犯す必要なんかあるのだろうか』。

ローザノフではなく、これはゴーリキイの言葉。

 細分化(分裂)した人びとのための救済――ひとつは(罪を救う)、それともうひとつ、まったく別の道がある。それは身も心も健全な人びと、純粋な素晴らしい魂の持ち主たち、余計なことはをせず、ただ食物をあてがってやればいい人たちのための方法だ。パンと精神(ドゥーフ)――それぞれ別個の問題である。それぞれ正しいが、ただ彼らが出会い、そのために精神と身体の関係を損なうような場所では正しくない(ドストエーフスキイとトルストイ)。
 ゴーリキイはカプリ島の漁師たちを訪ねる。彼らは陽気で明るいが、それに比べるとロシアは退屈で煩わしくて陰気臭い。ゴーリキイはそう言って自問した――「救いにはドストエーフスキイのように罪が必要なのだろうか?」答えはノー。「〔罪も〕ドストエーフスキイも必要ない」と。
 そんなふうにして彼〔ゴーリキイ〕はその漁師たちと二月革命に、芸術省に突っ込んだのである。

 傲慢――従順。苦悩――出来損ないの悪鬼。

 ロシア革命におけるパンの問題。
 だが、大地に接吻すること、つまり、過ぎゆく時を抱擁し、最初に出合った通行人に明るく声をかけること。主よ、わたしはそれをしなかったでしょうか? 本当に大地を抱き締めず、大地もわたしにその喜びの緑の光で応えなかったでしょうか?
 事実はこれ。自身のはにかみ(内気)。メレシコーフスキイのような賢者の率直さなど、せいぜい沈黙(「もう口を閉じようではないか、兄弟たちよ!*1」)か寓話(行動によって検証される)か、そのどちらかで表現する必要があるものに限られている。行動し寓話の意味も理解していたが、彼は行動なしでもそれらをさまざまなやり方(福音書ふう箴言など)で解説できた。メレシコーフスキイはその率直さからどんな秘密も洩らしてしまう。まるで言葉の騎士、綴じ込み書類、ドン・キホーテの実の兄弟(彼はドン・キホーテを〈永遠の伴侶〉に選んでいた)である。厳かに語られた思想はすべて嘘っぱち*2などとつい口を滑らす。そしてすべてその道を言葉が血ように、とめどなくつるつる滑ってゆく。

*1これは詩人のА.М.ドブロリューボフ〔評論家のニコライ・ドブロリューボフではない)の言葉。1898年、彼はデカダン思想と手を切ると、農民姿でセーヴェル地方の村々を遍歴し、1903年に、沿ヴォルガ地方で、「沈黙」を誓う有名な宗教セクト〈ドブロリューボフ派〉を立ち上げた。

*2フョードル・チュッチェフの詩篇「Silentium!」(1830)から。「黙るのだ、身を潜めて、おのが気持と夢を隠せ――

 ローザノフは言う――
 「あれ〔メレシコーフスキイ〕は人間じゃない、何か喋り散らすズボンといったようなものだ」

12月7日

 棺桶屋がК(カー)に語った話はこうである。いちいち書いたりしないが、自分が作った棺桶のことはよく憶えている。自分で穴を掘って埋めてきたから、忘れようたって忘れられない。自分がいなかったら、どの死人も犬っころみたいに同じ穴に投げ込まれてお仕舞いだったろうよ。しばらくしてやって来た親戚の者に『あれの墓はどこか?』と訊かれたら、即座に教えてやれる――いちいち憶えてるからだよ。マーモントフのあと赤軍がやって来たときだって、おれは棺桶を20も用意していた。奴らは3人を銃殺した。ヴォローノフにインシャコーフに、もう一人は誰だったっけな? 頭を吹き飛ばされて、割れた頭蓋が壁の下に転がったが、おれは脳味噌と小骨を掻き集めると、捏ねてひとつにした。顔からするとヴィチェープスキイだったように思うが、顎鬚は黒かった。ばらばらになったのを適当にまとめてヴィチェープスキイとして葬ってやった。でもあとで聞くと、どうもヴィチェープスキイはまだ生きとったらしい。あの3人目がいったい誰だったんだろう、あちこち聞いて回ったが、結局わからずじまいだ。いまだに誰の墓だかわからんのはそれひとつだけかな。
 さらに棺桶屋は、自分のある戸惑いを語る。あるとき、彼は低い壁の上に血で固まった髪の束がこびりついているのを見た。髪の長さは約3チェトヴェルチ〔54センチ〕。しかし女は一人も銃殺されていない、聖職者も撃たれていない。では、誰の髪の毛か? それも彼にはいまだに謎のままだである……

 自分の財産は物々交換しながら乞食になるぎりぎりのところ。毛皮の長外套(トゥループ)2万ルーブリ、シューバ1万5000ルーブリ、ひざ掛け5000ルーブリ、リンネル10アルシンが2000ルーブリ、フロックコート5万ルーブリ、モーニングコート8000ルーブリ、締めて5万ルーブリ。それと穀類30プード、家族4人。7.5プードで5ヶ月分の生活費、つまり3月1日までということだ。

 暖冬。前方、真っ白。後方、道の両側も真っ白。道路だけが蒸されて腐ったような赤茶色。暖冬の霧にかかっては天地の境界もない。空も白。赤茶の畜糞の匂いのする道がずっとその先で空の彼方へ昇っていく。馬を御しながら、自分もその畜糞堆肥の道をどんどん空へ昇っていく。しかしなぜか馬たちは後戻りしている! 何か変だぞ、これは! 先へ進んでいるのはわかっている――赤茶の道もそっちへ続いている。だが、後ろへどんどん戻っていく感じ……ああ、母よ母よ、どうしてあなたは、あんなに気を揉み、ひとりでもがいていたのです? なぜわたしのそばであんなに何年も何年も、気を揉み、齷齪(あくせく)していたのです? 本当にあれは、親類縁者や土地のことで、わたしにうるさく言ったりしたのは、あれは、この粉砕された国の〈孤児(みなしご)の冬〉の赤茶色の道を逆走させるためだったのですか?

「暖冬」はロシア語で「孤児の冬」。

 このわれわれの近未来はなんと恐ろしいことか。やりくり算段している先に、黒い波のようなものが迫り上がってきた。目を凝らすと、翻弄されているのは、なんと今にも転覆しそうな自分の丸木舟ではないか。だが、よくよく頭を働かせれば、なに、未来のロシアは何もかも快調に進んでいるのだ。ロシアは必ずしっかりと生きていく。全快し生まれ変わる。そしてどんな勢力もロシアを蹂躙することはできない。わたしは知っている、わたしにはわかる。そうならないほうがおかしい。それは自明のこと。でも、問題はこの〈わたし〉、この〈わたし〉だ! ときどき思うのだが、この〈わたし〉を陽気にするのは、じつは……〈わたし〉はこうと思ったら遮二無二(しゃにむに)突進を試みる。なんとか手綱を断ち切って、飛び出す、自由になるのだ。まわりがどうなろうと〔どうぶっ倒れようと〕、〈わたし〉は抜け出す、脱出だ! そんなことを思っていると、なぜかピョートル・ペトローヴィチの鋳鉄製のストーブ(何と言っても、こいつは、体を温めてくれるし、調理(パンを焼く)もできる大変なスグレモノ!)が、わたしを愉快この上ない気分にしてくれることに気がついた。その便利さは驚嘆に値する! 誰だって嬉しくなってくるだろう。あんなペチカを構いつければ〔相手にしたら〕、どうしたって自分は行動せざるを得ないし、自由にならないわけがないのだ。

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