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プリーシヴィンの日記        太田正一

2013 . 07 . 07 up
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1919年11月9日

 おとといは一日中、雨。これで冬も終わりか、そうと思っていたら、きのうは朝からえらい冷え込み。マロースである。何もかも凍ってしまった。冬が持ち堪(こた)えたのだ。ソヴェート権力も同じで、もう終わりもうおしまいだと思われながら、まだ持ち堪えている。それでわれわれもこうして今、〔この冬は持つだろうとの予測から〕せっせと備蓄に励んでいる。
 ボゴマーゾフ(スミルノーフ)はある日(それは彼の自裁(じさい)について問題が持ち上がったときのことだが)、人間には期待できない、人間たちに完全なものを求めても無駄、彼らには算盤勘定(二重帳簿とちっぽけな店)のほかに何もない、とそうはっきりと悟って死んだのだ――自由で喜びに満ちた普通の人間として、人生の幕を自ら閉じたのである。その時点ではまだ自分の仕事を続けていくつもりでいた。人びとのためではなく自分自身のために。そしてそういう思いが多くの優れた人たちを惹きつけた。至るところにそういう人たち(大きな人たち)が現われた。多くの小さい人たちは黙って(それとは気づかずに)彼に従い始めた。顔色は冴えず、黄色いぽちぽち、あばたやそばかすができていた。赤鬚と束子(たわし)のような髪――そんなものが、それほど美しいとは思わなかったものが、慎み深い表情、しぐさ、態度を通して、いきなりぱっと輝きだしたのだ。そして見る間にそれが、いかにも人間臭い、善良この上なしの、自然な美しさに変わったのである。仕事をしている彼に見惚れ、敬愛しながらも、わたしにはどこか臆するところがあったようだ。二人だけになると、話すことがなかった。思うにそれは――たいていのことは独りでやってしまう反面、他人(ひと)と話をしたり論議(これがまた厄介だ!)したり検討を加えたりすること、他人と生活上の発見を分かち合うことが不得手だったせいではなかったか。

プリーシヴィンの知人だが、不詳。医師のスミルノーフともエスエルのスミルノーフとも別人。

 「どうしてあんたはわれわれの側に走らなかったのかね? あんたには健全な男の子さえいるのに。二人一緒にできたろうに」
 「できたかもしれないが、わたしには一緒に走れない心やさしい友人知人がいて、可哀そうで、どうしても別れられなかったのだ。一緒に逃げるというのもひとつの手。でも自分だけなら、それは個人的なことだから、耐えることも待つこともできる。〔一緒ならとてもそうはいかない〕。それに、このまま動かずにいても、ひょっとして、市民〔国内〕戦争など終わってしまうかも……」
 「ところで、どうしてあんたはわれわれの側に走らなかったのかね?」
      〔以下、何度も同じ質問が繰り返される〕
 「わたしはこれまでずっと〔監獄を〕脱走してきてるんだ。騙したり巧く立ち回ったりしてね。で、今は収監されていない。ずっと〔彼らを〕瞞着してきたからだ。でももうくたびれた。逃亡に疲れた。〈逃亡〉――言葉の普通の意味での逃亡、要するに脱獄して街道だの町だのを走って逃げる力は少しも残ってないということだ。監獄なんて言ったが、じつはこれまで自分が脱獄したのはちっぽけな牢屋ばかりだった。ところが奇っ怪千万、今度のはソヴェート・ロシアという正真正銘、巨大も巨大な大監獄。おまけにうちの女房は逃亡にはまったく不向きな、病気勝ちの臆病な女。そんな女房を捨てるなんて、とてもできなかった……」
 「そういうわけで、おまえさんは自分の解放者たちは反対なんだ?」
 「わたしは捕虜だ。ガレー船の奴隷なんだよ。リズムにあわせてオールを漕がなきゃ、隣の奴がもっとちゃんとやれしっかり漕げと責め立てる。それは道理だ。なんてったって自分はガレー船の奴隷なんだから」
 「ところで、どうしてあんたは……」
 「自殺で決着をつけようか? いいや、わたしは自殺は反対だ。いつかは自由の身になれると思っているし、ガレー船の奴隷としてこんなことも考えている――結局のところ、白も黒も同じことをやってるんじゃないかってね。ガレー船はそのことでは、どうも赤をも白をも超えているから、わたしは自由なんだ……」

 わが同居人である兵士=コミュニストたちにわたしはとても気に入られてしまった。
 「あんたは教師なんだから」と、ひとりが言った。「コミサールになるべきだ。あんたは教師だ、インテリゲンツィヤじゃないか。インテリゲンツィヤがわれわれと一緒でないのはとてもよくない」
 「自分らにはインテリがいないと言うがね、白はインテリがソヴェート権力と組んでるといって非難している。赤だってインテリがいなくちゃ闘えないんだ。一方、百姓もあらゆることでインテリを弾劾している。インテリさえいなけりゃ革命は起こらなかったし、おれたち〔百姓〕もちゃんと暮らしていけたんだ、とね」
 「いや、それでも、同志よ、あんたはコミサールになったほうがいいんだ」

 素晴らしい若者たちよ、ひとは深淵を覗くと、そこへ飛び込みたい衝動に駆られるんだ。〈チャン〉に飛び込めと言われたときの〈新イスラエル*1〉派の信者みたいに、彼らのツァーリに、つまり人民の指導者になろうと思うものだよ(荒野のキリストの誘惑*2)。

*1〈新イスラエル〉はペテルブルグで最も有名だった宗教セクトの鞭身派(フルイスト)のひとつ。前出。

*2ルカによる福音書4章8~13節。イエスはお答えになった。「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」。そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。というの、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる。』また、『あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える。』」イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。

 この同志が口にする〈党〉という言葉は、フルィストたちの所謂〈新イスラエル〉と同じ意味で発せられている。ボリシェヴィキの党も宗教セクトもほとんど同じ。似た者同士だ〔これはプリーシヴィンの持論。これまでも何度か論じている〕。この言葉には宇宙(コースモス)との、また普遍的なもの(ウニヴェルサーリノエ)との断絶がある。これは単なる党であり、単なるセクトであり、同時に普遍性(ウニヴェルサーリノスチ)への野望、厚かましい要求としての〈インターナショナル〉なのだ。

11月10日

 新たな戦争の兆候あり。カザーク兵がチェルブヌィの近くに待機しているらしい。装甲車8台と熊一頭。熊は再び北をめざしている。
 他方、11月14日のソヴェート大会は、すべての党(君主制主義者の党を除き)に対して商取引の完全自由を認めるようだ。新しいソヴェートの選挙の自由も与えられるだろう、これにはデニーキン軍も同意するだろう、とか。一方、君主制派はバルト沿岸地域(プリバールチキ)のフォン・デル・ゴルツと手を組んでいる(もちろん、プリシケーヴィッチも)。

フォン・デル・ゴルツ(1865-1946)はドイツ軍の司令官。第一次大戦で〈バルト海師団〉を指揮し、フィンランドの赤軍と戦って、これに勝利(1918)。翌年(1919)、連合国側の圧力によって召還される。

 人民大学で講義(2時間)あり。革命前夜における言葉の芸術家〔文学者〕の創造について。
 アンドレイ・ベールィ――オカルティズム(オカルトふう長編作品(ロマン))、これは普遍性(輝ける異邦人)への野心。

プリーシヴィンは初期の日記(1905-1913)で、ローザノフとそれに続くメレシコーフスキイを〈輝ける異邦人〉と呼んでいる。『日記』(三)の注8を参照のこと。

 ヴォルィンスキイ*1、メイエル*2――実証主義および理性論との戦い。

*1(本名フレクセル)アキーム・リヴォーヴィチ(1863-1926)――ロシアの批評家・哲学者。このころの実証主義的傾向を批判し、神秘主義的な観念論を唱える。シンボリズムの運動を擁護し、その理論づけも行なった。『偉大なる憤怒の書』(1904)などのドストエーフスキイ論で有名。

*2アレクサンドル・アレクサーンドロヴィチ(1875-1939)――ロシアの哲学者・宗教思想家で、ペテルブルグ〈宗教・哲学会〉の会員。妻(メイエルシャ)は「チェーホフの『可愛い女』にそっくりだ(プリーシヴィンの言葉)」。夫妻はプリーシヴィンと親しかった。前出。

 芸術的創造はすべて信頼〔信仰〕の、〔あるいはそう欲すれば〕自己欺瞞の上に成り立っている。わたしはモノを、自分の目に映じているものとして描き、同時にそれが自分の目に映ずるとおりにおのれの中に存在すると信じている。叙事的作品――ホメーロス、アクサーコフ、トルストイ――それらを、まさにそのにモノの存在(ブイチイェー)のリアリティーを、わたしをも含めて誰もが信じている。抒情的で主観的な作品は(明瞭な)特異性(個)を創出するが、最後には分離して、サークルをつくったり個に帰してしまう……(これがデカダン主義)。
 叙事詩(エーポス)への質疑。宗教的探求(宗教における正教(プラヴォスラーヴィエ)、ドブロリューボフ、セミョーノフ〔不詳〕、メレシコーフスキイ――ローザノフ、レーミゾフ――ゴーリキイ、花と十字架(ブロークとレフコブィトフ、(スチヒーヤとチャン)

レフコブィトフ、スチヒーヤ〔自然的不可抗力、天変地異。また盲目的社会的力、暴動、革命〕、チャンについては日記(十五)を。

 個の確立と個人主義(インヂヴィドゥアリズム)の破綻。Мы(われわれ)、叙事詩(エーポス)。自分の子供時代の信仰について書きだす――書くことでそれを焼き捨てようと。

11月11日

 1日が過ぎる。いいことだ。〔われわれは〕生き延び、1日を生き延びて、春へまた一歩前進。

11月12日

 目と歯が痛いが、ま、どうってことはない。マルィシェーフスキイ〔エレーツにおける知人〕がやって来た。食べるために馬を買ったと話す。それを聞いて、コノプリャーンツェフが馬の頭を売ってくれないと(舌と脳味噌が非常にうまいらしい)。マルィシェーフスキイは脳味噌がうまいと知って、話を馬から鴉に持っていった。鴉の肉はめちゃくちゃうまいなどと。街道で見た鴉の死骸(凄い数だった)を思い出したので、わたしは言ってやった――鴉がそんなにうまいなら、いくらでも撃ってやるよ、そのかわり馬の頭をコノプリャーンツェフに分けてやれ、と。
 市内のパン1フント4ルーブリ、薪1プード120ルーブリ、塩1フント250ルーブリ。
 エレーツの市民の権力が次第にパルチザン的になってきた。

11月13日

 郵便局が疎開してから、時間がわからなくなった。どこにも正確な時計がない。確かめようとしても、施設によってまちまちだ。〔人びとは〕外で起こっていることにもうまったく関心を示さない。もっとも、習慣からカザーク兵がどこかこの近くにいるなどと噂し合ってる連中もいることはいる……暖冬。

 トルストイのことを書いたメレシコーフスキイの本を読みながら、自分のエピクロス主義について考えた――たとえば、権力を拒否する快楽主義! またキリスト教的な事業への衝動、そのかすかな光について。〔赤旗、白旗ではなく〕〈青旗〉のこと、フルシチョーヴォでの慈善活動のことなどを思い出す。

メレシコーフスキイ著『レフ・トルストイとドストエーフスキイ―生と創造』(1901-1902)

 自分の平安が乱されて動揺(死の恐怖)すること。不安、擾乱。キリスト教的献身への意欲や気分はたいていこんなふうに存在への不安や動揺のあとにやって来る(カルムィク人たちの襲撃)。平安の鎧(よろい)。自分はお金にも権力にも名声にも執着しない。ことさら強い要求も野心もない。わたしは独りで生きていけるしそうしたいと思っているだけである。すべての生きものと同じように、わたしもそうする権利を持っている。自分の主義〔原則〕は誰をも侮辱しないこと。できれば人びとのためになることをすること。(これは簡易ベッドと鋳鉄製ストーヴのコンビネーションだろうか? エゴイストである大型ストーヴは自分のために燃えて燃えきってしまう。ポリカールプィチと二人でストーヴから簡易ベッドにパイプをつなげた。ベッドが暖かくなった。鋳鉄製ストーヴのエゴイズムをどうこうするまでには至らなかったが、それを万人(みんな)に有益なものにすることはできた。まだそんな発明品が出現しなかったころ、この凍てついた市の運命のせいでどれだけ動揺したことだろう! 今は少しも心配しない。自分は思う――誰もが冷淡に無情にエゴイスティックになって、社会的に(外に向かって)プロテストしなくなっているが、どうもそれは個人的な〔自分だけの〕方法であれこれ工夫を凝らすように(つまり機知縦横に)なったからではないか、と。

 権力は貪欲から生まれる。もっともっと欲しいが、持ち堪えられなくなるのが怖い。それで自分の地位をさらにもっと強固にしようとする。献身と偉業のためには時間と方策と十分な基盤が必要で、これを他者に義務づけたり勝手な自分の理想を押しつけてはならない……

11月14日

 兵士たちが躍起になってリョーヴァを説得(プロパガンダ)しにかかっている。『教義の押しつけはまずいでしょう』とリョーヴァが言う。『焚きつけがなくて寒いんです』――『そんなことを言わずに、きみは綱領を読みたまえ。コミサールになれるぞ』。ほかの兵士たちはキリストについて話している。『キリストはいい人だったが、聖母はただの女だ。聖霊から生まれたわけじゃねえんだ。親父はだれか? 大工のヨセフさ』。さらに、月は軌道をめぐっているんだとか、聖書にも少しは正しいことが書いてあるとか、どんな人間も食うためには働かなくちゃならない(『働かざるもの喰うべからず』)とか、いろいろ聞かされて、ついにリョーヴァは、宇宙進化論(コスモゴーニヤ)はポケットと綱領にあり在りとする兵隊アカデミーの生徒になってしまった。
 革命記念日に子どもたちは、約束された1フントの黒パンを貰うために、火の気のない教室に集まった。結局、パンは貰えず、演説を聞かされただけだった――きみたちは将来、宮殿で授業を受けるのだ。いいかな、学校の机も椅子もチョコレートでできてるんだぞ(嘘じゃない、真実も大真実!)。リョーヴァが笑いながら兵士たちにその話をすると、彼らは一斉に――『そうだ、宮殿だよ、まったくそのとおりだ……』。

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