2013 . 06 . 23 up
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砲台を据えると、どこに向かってか(?)霧の中へ撃ち始めた。一時は逃げ出した住民も、そのうち慣れてしまい、娘っ子も小僧っ子も『ねえ撃たせて!』などと。それが許されると、もう朝から晩までドカスカ撃ちまくった。一方、町では誰もが耳を澄まし、互いに囁き合っている――『今はどこで撃ち合ってるのかな?』。地図を広げて、駅や村の研究・里程の計算に余念がない。日は過ぎ、百姓たちは町へ足を向けなくなった。寒気が到来し、凄まじい飢餓がみなを脅かし始めた。砲弾の飛び交う中で、こんなことを言う者たちも――『すべて同じ場所(ところ)で起こってる』、また別の誰かは――『どうやら少しずつ動いているようだ。だんだん音が近くなる』。そんなふうにして一日一日が過ぎていった。
脱走兵の一人(マクシーム)が巧いこと姿を消した。もう一人は成功しなかった。きのう、その男を見た。びくびくしながら女と歩いていた。悪魔の臼みたいな顔の女だ。えらく汚いプラトークで頬を縛っている。呼び止めると、男は低い声で――『駄目です、今は駄目です。連隊長の奥さんを市場(ルィノク)へお連れするとこですから』。
塗油者〔皇帝、皇后〕と僭称者〔勝手に皇帝を名乗る人物〕――アンチキリストの角。自分が他者に『行け!』と命ずることができるとき、それは第一に自らを最高の存在(神か神像)と決定づける一瞬(モメント)であり、他者に『どこへ行かれるのですか?』と問われて、『あっちだ』と答えるとき、それは自らの血筋を神あるいは神像と決定する第二のモメントなのである。
神々と神像たち。人間は神のあとを追い、神は人間に呼びかける。だが神の像を造るのは人間自身であり、造り終わるとそこへ(神像の中へ)消える(自ら行くのではなく服従する)。とても理解できない〔まったく理解困難な〕モメントがある――神が自分を呼んでいるのか、それとも自分が神像を造っているのか(僭称者出現の瞬間)? それとこれとがЯ(わたし)という感情の中で交錯する(ドストエーフスキイはロシアのインテリゲンツィヤを定義している。イデーを我物にしているのは彼ではない、イデーが彼を支配しているのだ)。服従しつつ自らを保持し、意識し、つまり何者に服従しているのかを知り、何のために〔何の名において〕自らを委ねるのかをはっきりと見きわめること、あるいは〔おのれを捨て〕身を委ねること(フルィストとデカダン主義者がそうだ)。(兄弟がいた。一人は父のもとで働き、一人は出世するために家を出た)。
通りで二人のコミサールが話していた――
「食糧問題は深刻だ。破局的な性格を帯びてきている」
「どうってこたないさ。なんでそんな詰まらんことにかかずらってんだ?」
夜、相変わらず続く赤の輜重兵、車馬。水兵たちがいつもの歌を引っぱっている。そのリフレーン――《Ёб твою веру...*》。
*《おいらはおめえの***を信じてるぜ……》ёбは卑語。
*聖ソフィヤとソフィヤ・パーヴロヴナ。そのソーニャ(ソフィヤ)はわれらが聖母なり。マット(мат)言葉――мать(マーチ、母親)を含む下品な言葉のこと(「卑猥な言葉で(по-матерному)」にもматьが)。水兵(マトロース)がマット言葉満載の下品な歌をがなりながら通る。
*少ししつこいようだが、水兵=матрос=マット(мат)+ロス(росс)。ロス=ロシア人(旧)の意。
わたしと医師は大通りでおおっぴらに立小便。誰も気にしない。わたしたちは小便をしながら、来るべき冬について語り合う。
「もうそこまで来てます……本物の死がね。でかくて、黒い、毛むくじゃらの、恐ろしい奴が、どんどんどんどん。白い寒さ。ほら、白いのが、駆け足で。たちまちこちらへ。わしらを取り囲む。そして魂の真ん中へ這いずり込む。声をかけ、手を振ってね――『おい、こっちだ、こっちへ来い!』」
笑い飛ばそうとするあらゆる試みが消える。寒さが頬に枷をはめ、かじかむ指で〈遺言〉の最後の章を書き始める。誰にそれを渡すかわからないのだが、とにかく書き上げる。遺言は保存される――その使命が全うされるために。
12月、1月、2月と、これら三月は恐ろしいまでに冬の性格をむき出しにするのが、でも、そこには、純真無垢な鳩が、明るい月が、聖なる暮らしがあるし、見上げれば美しい小さな星も輝いている……そこはすでに冬の埒外だ。
……今から自分は偵察に出かけるのだが、気持は別のことにある――みなと議論し会話を重ねて、もうじきやって来る悲劇の日常生活に一刻も早く慣れようとしているのだ。
……果してそうなった。努力は実った。怪物を舐めるようにしゃぶるように研究したおかげで、サタンだろうが何だろうが、もう心配ない――どんな環境にだって適応できるはず。噂では、ヴォローネジが5時間だけ赤に占拠されたらしい。5時間だけというのは、何か暴動(マフノーによるものか?)のようなことが起こって、守備隊が鎮圧に乗り出したからだ。チェルナワ近郊で戦闘が行なわれているが、鉄道連絡(チェルブヌィからとカストールナヤの白からの)は〈平常どおり〉だ。アレク〔クサンドル〕・ミハーイ〔ロヴィチ〕〔・コノプリャーンツェフ〕は言う――スレプーハに行って聖歌詠唱者*1にでもなろうかと。とまれかくまれ、そのほうが彼のためかもしれない。今ではほとんど誰が誰やら見分けがつかないありさまだ。極めて古い元素(エレメント)にまで舞い戻ってしまい、誰もが曽祖父の堂務者(ヂヤチョーク)だの小商人(こあきんど)だのの本能によって生きている。崩壊の仕方もこんなだ――体中が痛み出し、もう死にそうだ。どうしようもなくなって放免される。ほったらかしにされてるあいだに、なんとか頑張って、手荷物などを調べ、もうちょっとは生き延びられるかな? 大丈夫だ、生き延びられるとわかれば、次なる打撃がやって来るまで、とにかく生きて生きて生き延びて、真の生活の星(希望の星)を仰ぎ見るのだ。そんなささやかな希望を胸に抱いて、とにかく過去との和平を締結するのだ。それでその真の生活とやらを思い描くわけだが、それに対して労働者は――『憲兵(イヌ)畜生と一緒の生活かい?』などを言ってくれるし、カザークはカザークで――『じゃあなんだ、おめえはイヌが見てる前でパンを食ってきたってわけか?』とこうである。要するに、今はもうツァーリの問題ではなく、腹や胃袋、要するに生命(ジヴォート)の問題なのだ。まず喰わなきゃ。何か口に入れなきゃな。そのあとはそのあとのこと。塩水の海。人間はもう真水のことしか頭にない。真水をゴクリとやることしか〔頭にない〕。今や生活は日々のパンへの渇望そのもの。キリストだって、飢えた群衆に話しかけただけじゃない、彼らの胃袋を満たしてやったのだ*2。
*1読経者(プサロームシチク。ロシア正教会の下級聖職者。ヂヤチョークはその最下位勤務者。
*2マルコによる福音書8章2-9節。
兵隊が出て行ったあとの家。窓もドアも取り外されている。窓なしドアなしの家ばかり。ぼろ屑や茣蓙が風で通りへ。それを集めて焚付けに。
寒風、マロース、大地は凍っている。3人の裸足の兵が機関銃を運んでいく――ガチャガチャ音立てて。
「上官が言ったんだ――『遊んで来い(略奪して来い)! 何か言われたら、教導隊の者だと言え!』ってな」
負傷者を積んだ荷車が3台、機関銃一丁、通過。
わが赤軍は撃破されたらしい(熊も退却中だ)。マーモントフの12の連隊もヴォローネジの近くで撃破されたらしい。マーモントフがトゥーラを占拠したという噂も耳にした。が、ペトリューリャとデニーキンがキーエフ近郊で戦っているとか、全軍がトゥーラからウクライナ方面へ敗走しているとか、ほかにもいろいろ飛び交っている……
凄まじい寒さ、それに恐怖。このままだとみんなやられる、確実に身ぐるみ剥がされる! 《マロースを愛す。われは遠くの国の灰色の、あの冬の脅威を愛す*》などと歌ったのは、どこのどいつだ!? 毛皮のコートを着込んだ〈ブルジョイ野郎〉に決まってる。
*プーシキンの詩「秋」(1833)からの不正確な引用。
*ミハイル・カリーニン(1875-1946)はこの年、全ロシア・ソヴェート中央執行委議長に選ばれた。これより死ぬまでソ連元首(最高ソヴェート幹部会議長)の地位にあった。国民の信望が厚く、党最高幹部(政治局員)の一人。
*同志(タワーリシチ)ではなく、わざと古臭い友垣(ドウルーギ)などと呼びかけている。
天国の白痴たちはС.Р.Ф.Р.*のロシアで説教するために降臨されたのである。
*Р.С.Ф.С.Р.(エルエスエフエスエル=ロシア・ソヴェート連邦社会主義共和国)の間違い。
起訴状。「じゃ社会性はどうなんだ?」と労働者が言ったとき、しどろもどろにならぬために、自分の毒と悪意の出所(でどころ)をしかと調査点検しておく必要がある。
マルクス主義の立法者は大でも小でも学者みたいな行動をする。まさに外科医。『われわれ現代人は未来の出産〔の苦痛〕を軽減する義務を負った助産婦である』というマルクスの教えを思いながら、外科医のように振舞っている。
text - 太田正一 //scripts - Lightbox PageDesign - kzhk