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プリーシヴィンの日記        太田正一

2013 . 06 . 16 up
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10月25日

 現在、二つの党が存在する。一つはわれわれの市(ゴロツカーヤ)の党(赤)とザソーセンスカヤ、すなわちソスナーの川向こうの党(白)で、その他の党はこれら二つの人道的啓蒙教化的遮蔽物によって分離されている。住人は白軍の連中に何とかしてヒューマニティの紗(さ)のヴェールを掛けようとしている。つまり市が標的とならぬよう画策する一方で、市のど真ん中に砲台を据えたのである。それゆえ、両者の〈モラル〉といってもせいぜい――白にとって個(インヂヴィードゥム)の破壊はスチヒーヤ(自然災害)と不運の問題に過ぎず、個(君主)こそ国家体制の目的となる。一方、赤にとっての目的はあくまでも集団化(コレクチーフ)であり、そのため個の破壊が意識的に行なわれている。たとえば、オリョール市は2時間だけ赤に占領されたが、そのたった2時間をさえチェカーは最大限活用したのである。赤が戻ってきた日に、法令(ヂェクレット)を目にしたわたしは、友人のユダヤ人たちにこんなことを訊いた――『組織のようなものが作られたから、分捕り合戦もこれからは好き放題というわけにはいかなくなるようね?』それに対して彼らは答えた――『うん、ユダヤ人たちにはいつだって組織ってものがあるからね』と。『ところで、あの司令官のラーザレフ*1というのは何者だい?』――『あれはソフォーン・ダヴィードヴィチ。わしらの従兄だよ』。確かに、チェカーのプリンシプルはユダヤ人の発想である。では、センセーショナルなものの報道〔トップ記事の掲載〕をめぐって、なぜいつも雑報記者の間であんな論争や騒ぎ(カガール)*2が起こるのか? それは、原則的にはどの記者も自分の一票を投ずる権利(〈原則的に〉平等な権利)を持っているが、みなが個々に緊密に(というか窮屈に)なり過ぎているせいで、平等平等を高唱しながらも、何とか〈原則的に〉出し抜こうと、相手の記者たちを押し分けてデスクの最前列へ出ようとするからである。

*1エレーツ市の秘密警察(チェカー)のコメンダント。

*2「カガール」とは俗語で「騒がしい群衆」「喧しく飛び交う声」を意味する。もともとは16~19世紀のポーランドでユダヤ人自治共同体を、その代表者会議(長老会)を指す言葉。

 いいや、自分なら、チェカーによって有罪にされるくらいなら、酔っ払ったカルムィク人に射殺されたほうがまだマシだ!
 カルムィク人〔から来る〕恐怖は確かに尋常一様なものではないが、でもそのあとには青い旗が翻るし、愛がある。ところが、チェカーの恐怖は人間への憎悪、生命・生活に対する無関心(冷ややかさ)だから、芯から参ってしまうのだ。
 そこで明らかになったのは、社会主義のモラルが(原則的に)紙の上に記されたものであること、そしてチェカーの組織が日々、法令(ヂェクレット)にのみ従い、毎時毎分、許可なく(根拠もなしに)活動しているという事実だった。が、しかし個(インヂヴィードゥム)はチェカーの活動圏内にはない。対象となるのはもっぱら大衆(マス)であり、顔(特徴)のない犠牲者であり、俗物(個人的利害のみを考える人)である。
 もちろん君主国家の時代にも窃盗や不正取得は大それた犯罪ではあったが、しかしそれは避けられないものではなかった(自治制度と個人の自由の発達(進化)は君主制と完全に共存する)。さらにまた、わが国の過去における個への弾圧は時代の機構(メカニズム)が不完全だったことの証(あかし)でもあった……

 明け方、庭に出て気がついた。ずぶ濡れのコクマルガラスたちがスレーチェニエ(奉献)教会の丸屋根に舞い降りるさい、えらく騒々しい音を立てた。はじめは何の音かわからなくて、これはひょっとしたら、北(エフレーモフあたり)からの砲撃かも、白軍がこっちへ向かっているのかもしれない――そう思った。教会の横を騎馬が7つ通過するとき、そのうちの上級中尉が訊いてきた――『この教会は使ったか?』―『使ったとはどういう意味です?』―『機関銃の銃座を置いたか、撃ったかと訊いている』―『いえ、使ってません』―『じゃあ、試してみるべきだ』
 ……したがって、君主体制とはおそらく社会についての無政府主義的な教義の国家的(つまり日常的)一形態、アナーキズムの生活の(進化の)一形態ということになり、一方コムーナは社会主義の原則的(つまり非現実的)形態、すなわち無限を有限に取り込んだ〔閉じ込めた〕ものということになる。
 狂気の理性――神の創造〔神をでっち上げる〕と、神を2×2=4の公式とする理性の狂気。そうした勢力の出現を心理学的に追跡する必要がある。なぜならそれは、現代なるものの能因(刑事犯罪という形をとった理性の大胆不敵)の一つであるからだ。ロシアのコムーナこそはじつに、刑事犯罪の形でもって表現された理性の大胆不敵な志向なのである。こうしたものはどれも新しいものではなく、以前にもあったし未来にもあり続けるだろう――どんなことがあっても。しかし、この力の正体を知って、やり手の製粉屋、エレーツ商人ミトロファン・セルゲーエヴィチ・ジャーヴォロンコフとその従業員たるバルダー(阿呆)の幸せのために、最後の最後に2×2=4が社会主義イコール資本主義となるよう巧みに舵を切り、お互い儲けの分配のことで喧嘩をせず、誰をもそんな争いに巻き込まずに、ただもっぱら生きるために愛の力を解き放つようもっていくべきなのである。
 彼らは、個の高度な教養と教育を火薬や鉄路その他の力のように、自らの議論の要求のために使おうとする。そして実行した。赤軍は、精神世界を対岸に置き去りにしたものの、インテリゲンツィヤの持つこの力には過分に執着した。〈羊頭〉のピーサレフが他と異なるところは、おのれの茫々たる岸なき精神的目的と意味をこちら〔赤〕へ引き渡してしまったこと……かくて一方はソスナー川を挟んで白となり、もう一方は赤となった……

 朝8時。静かだ。通りに人影なく、鳩が2羽……。
 アンナ・ニコラーエヴナの夢は3日目。うちの中庭にやさしい性格の大きな熊が入ってきたとかいう夢だ。夢は3日も続いている。その間ずっと何かしら影響を及ぼしているのである。われわれの夢と予言。もし実現しなくても、それはわれわれの現実(観念)世界を指し示している。
 また一日ずっと霧の中。カザーク兵が去ったという噂。ではなぜ大砲や機関銃の音がするのか? この近くまで砲台を引きずってきて撃っているので、食後の眠りは諦めなくてはならない。リョーヴァももう興味を失っている。『知恵の悲しみ』を読む。ウラヂー〔ミル〕・ヴィーク〔トロヴィチ〕はヴィクトル・ユゴーを、リョーヴァとオーリャはディケンズだ。窓越しに会話――装甲車が橋の上から撃っていると言う。『何を狙ってるんだい?』―『霧をさ』―『それでカザークは?』―『奴らはトゥーラの近くまで追い払われた』―『よし、じゃあ、プレフェランス〔トランプ遊び〕でもやろうか』

 きょう、電話機取り外しの委任状〔令状〕を持ってやって来た兵士(3名)を撃退。うち1人は部屋に入ってくるなりメチルアルコールを要求したが、なんとか追い払う。
 同じ話題ばかり――ペトログラードの奪還、ボロゴーエの占拠、『白から軍師が来て町を24時間内に明け渡せと言った』も、話の定番。相も変わらず作られるのは希望的世界。
 これは霧との戦争だ! 噂話がみな実現し、きのう言ったことがきょう事実になったとしても、人間について何か語られたわけではない。噂が実現しなければ、それは人間の創造物(作品)――希望的世界を示すに過ぎず、われわれは未来をその希望的世界からしか知ることができなかった。なぜなら、それこそが望むところのものだったから……
 ……夕方、通りの小さな店でニュースを耳にした。ターリツァにカザーク兵の姿あり。ということは、彼らがソスナー川の向こうで何かしている――北の方面から軍隊を強奪しにかかっているのだ。確かにありそうな話だし、期待に適っている。丸屋根に舞い降りたずぶ濡れのカモメたち〔前にはコクマルガラスと〕の鳴き声を今朝、〔北からの〕射撃の音と勘違いした……

 素晴らしい講演者であるシチェーキンは、声色を使う自分の語りに夢中だ。その手法は非常に危うい。今では射撃音が〈タフ・タフ・タフ!〉(これは機関銃)、〈ジジ、シュ・シュ・シュ!〉(砲弾の飛び交う音)、〈パフ・パフ!〉(炸裂音)などなど。聞いていると、ほんとに気分が悪くなってくる。

 中学生のロストーフツェフが信任のプリーシヴィン先生を気に入ったかと訊かれて、こう答えたという――『僕は彼を知っているし、ママもお祖母ちゃんも知っている。二人は僕に彼は馬鹿だと言いました。お祖母ちゃんは彼の書いたものを何か読んだのです。そして彼は馬鹿だと言いました』。そのときアレ〔クサンドル〕・ミハーイロ〔ヴィチ〕〔コノプリャーンツェフ〕は、わたしが昔、自分の地理の先生だったヴェ・ヴェ・ローザノフを馬鹿呼ばわりしたことを思い出させてくれた(自分はそれが因で退学になった)。それで今、わたし自身がそう言われたのである。わたしに何かいいことがあり、そのことにС.パーヴロヴナ〔ソーニャ〕が関わってないと、どうも嫉み〔嫉妬〕から〔彼女は〕わたしをちくちく刺す〔針を含んだ言葉を口にする〕ようだ……女の瑣末、下らぬ気紛れの世界、そんなのを見せつけられると、男の自由なゆったりした心の動きも散りじりになっていく。

 労働者、教師その他の大衆に支配的な世界観は、マテリアリスティックなマルクス主義的なものである。だが、それに反対するわれわれは高等インテリゲンツィヤで、神秘主義やプログマティズム、アナーキズムや宗教的探求を満喫してきた。ベルクソン、ニーチェ、ジェイムス、メーテルリンク、オカルティスト、マルクシズム……でも、これは何だろう、これらを一つの言葉で何と呼べばいいのだろう?
 ……これを書いているとき、この家の屋根の上で砲声が鳴った。かなりはっきりした音である。どこから飛んできたかまではわからない。10露里先からか。

10月26日

 厭な臭いのするゲートルで人生を包(くる)んでしまったのだ。この国では清潔なオシメが見つからない。おお、ロシアの暮らしよ、生活よ!
 産科医のルースロフから聞いた話。体が大きく胎盤の広い健康な女からよく異常な赤子が生まれるという。なぜか? 骨盤が広いと揺られた胎児が横向きになるから。健康な女性のほうが体の弱い女性より産科医の世話になる率が高いということだ。そんな話になったのは、われらが〈主人たち(ガスパダー)〔ボリシェヴィキ〕〉が産院の医療器具を疎開させようとしてことを知ったからだ。

イワン・アレクセーエヴィチ・ルースロフ(1855-?)はエレーツ市の医師。

 ボリシェヴィキ革命のこの2年間、あまりに多くの碌でなしを輩出したので、最もヒューマンな人間でさえ(鞭打ちだリンチだと言い出すほど)とことん人間の内なる悪を憎悪するようになった。それで初めて農民たちの馬泥棒へのあの仕打ち(なぜああまで残酷になれるのか)もわかるというもの。(忘れてならないのは、たとえば警察の書記のイェルショーフ(今では人民教育課の事務主任で、常に表裏ある意見を有する食わせ者)など、ここ〔この職場〕を去ってもまた巧いこと警察勤務に戻るはずだし、きのう電話機取り外しの命令書を振りかざしてきたあのアル中患者の水兵だって、たぶん村の巡査になっていることだろう。レンズ豆が食いたくて長子の権利を売ったインテリのピーサレフだって、やっぱり管区監督官になっているはずである。

旧約聖書「創世記」第25章31-34節。アブラハムの双子の息子――エサウとヤコブの逸話から(1916年2月25日の日記にも)。

 朝7時、外に出た。雨の向こうからゆっくりと日が射してくる。霧が晴れて太陽が雨雲を打ち負かしたら、また朝からドンパチだなと思う。鐘楼がとても近くに感じられる。鐘楼を狙った砲弾が一発でもわれわれの木造小屋に当たれば、リョーヴァは父親と離ればなれになるか、自分がリョーヴァと(二人一緒ならいいが!)……怖いのは別れわかれになることだ……コクマルガラスが鳴きだした。夜が明ける。鳴き声も陽光もどんどん大きくなってくる。なんと卑しい生活だ! それでも、自分たちはこんな暮らしをしながらも、全一性、純粋さ、連帯を意味あるものと思っているのだが、しかし死は、分離や生き別れによる死は、恐ろしい。死は切断だ(一気でないのが恐ろしい。片輪にされたり、片脚だけ切り落とされるのは堪らない、いっそのことバッサリやってもらいたい)……堪らないのは、徹底した捜査、家捜し、町から一切がっさい運び出されて、パンの配給はストップ、薬品が消え……射撃で威嚇し、それもとことん! してまた疫病だ、寒さだ! それでも生きていたい!

 忘れないためにきのうのことを繰り返し書く。1)狂気の理性、すなわち神(不死)のでっち上げ。さらに理性の狂気というもの、すなわち神を2×2=4の公式と取り決める。2)チェカーとカルムィクの時代。3)君主国とアナーキズム。4)希望の世界――現実世界。5)マルクシズムとオカルティズム。

 いつも午前10時に医師と自分は偵察に出かける。カザークが〔われわれを〕見捨てたのか追い出された(25露里先へなどという噂)のか、すぐには結論が出せない。12時ごろには町の様子から、「赤を受け容れた」らしいことがわかってきた。至るところで軍人や、なんとか食糧と燃料を確保しようする住民の姿を見かける。露天商や行商人がお菓子、林檎、ボタンなどを売っている。カザーク兵の姿は多くない――12人(12人のカザーク)から始まったが、今でも80人以上ではない。白軍の中央がベリョーフ〔トゥーラ県下の町〕付近にあることははっきりしている。10月18日付の「中央イズヴェスチヤ」紙が、ツァールスコエ〔・セロー〕とペテルゴーフとオラニエンバーウムが占領されたと報じている。誰もがかなりペシミスティックな噂――ヴォローネジ、キーエフ(オリョール市も)が白軍に占領されたという噂を信じようとしているようだ。だが、われわれの波(動揺)は完全に収まった。
 夜。暗い。じめっとした空気。完全な静寂。屋根からぼたぼた雫が落ちる。空にうっすらと最後の停車場の明かり。

10月27日

 青い海の上でブエノス・アイレスの町の夢を見た。30年かそれ以上も〔前に〕、自分は地図でその都市の名を知ったが、その後の人生では一度も出会わなかったので、そんな町があるとは思わなかった。調べてみると、驚いたことに、南アメリカにその名を発見したのである。
 雨は夜っぴて降り続いたらしい。きのうより早く夜が明けようとしている……

 最後の試練の時、最後の生存競争の時が近づいている。何か救う方策(てだて)を考え出さなくてはならない。エレーツ市の5万の住民が飢えと寒さから恐ろしい破滅の淵に立たされている。もうちょっとで白から逃れられるのだ、どうして待てないことがあるだろう? 波は収まった……自分はこう理解する――あれは偵察、デモンストレーションだったのだ。新たな攻撃はあるか、いや、ないかもしれないが、どっちだって同じこと。トゥーラ近郊での戦闘がわれわれの運命を決めるだろう――もし赤軍がそこで粉砕されれば。もし〔戦争が〕長引いて冬を越し、個の救われる状況が作られるようなら、いずれわれわれは自由になるだろう……偶然だ、偶然が引き離してしまったのだ。でももしN〔ソフィヤ・パーヴロヴナ〕との出会いがなかったら、もし自分に誰かと一緒だという気持ちがなかったら、ほんとに自分はたった独りになっていたのだろうか? いや、別れさせたのは偶然ではない。〈無意識に〉行動する――それはふつう、希望どおりに行動することを意味するのであって、ひとが〈意識的に〉行動するというときは、(希望通りではなく)希望に逆らって行動するという意味だ。
 いいや、親愛なる友よ、きみを妻と別れさせたのは偶然ではない、それはきみ自身の望みだった。きみがそう欲したのだ。そしてきみはそれを利用したのだよ。概してきみは、どんな自分の希望もなぜか唯一最上の自由意志(ヴォーリャ)に適っていると考えて、そのため人生を、まるで前もって指示されていたことを実行するかのようにおのれの人生を歩んできたのだ。が、もし、きみの召命であるところの至上の自由意志(ヴォーリャ)の感情が弱い人間の添え木だったり、幼いころから〈エゴイズム〉に脅かされたエゴイストの偽善だったとしたら、どうだろう? きみの召命を正当化〔立証〕するものはどこにある? 著作か? 著作の意義はひとに読まれた時点ですでに著者自身を離れている。書かれたものはきみにとって意義を失うが、他人はそれについて自由に論じ合う。それが論争の意味であり価値であって……
 ……ほかならぬ人生の意義とは、経験された生の、幸福の充溢だ……幸福を危険に晒さぬよう心がけて、きみは常に自分自身のために生きてきた。そのため一段いちだんゆっくりと確実に、気持を抑え、おのれ自身の二次的希望を排除してきたのだ。きみの人生を描くとすれば、自由な猟人でありたいという一つの思いを全うしようとする苦行者のそれ……第2には塩漬けの茸(アカモミタケ)の風味を味わい尽くそうとする苦行者、第3には人類救済のために社会主義的な組織の道を歩もうとする人、そして第4に、宇宙を支配する神を内感する人(чувство Бога)。自ら選んだ希望の名において、あらゆるところに制限(抑制)と禁欲主義がある。富農(クラーク)にしてチーホン・ザドーンスキイ……。天のシシュフォスだ。輝けるシシュフォスは便所を掃除している(なんせ春である!)。積もりに積もった糞は山となるが、空はいよいよ蒼くなる。シシュフォスは便所掃除……シシュフォスの妻は窓枠をはずしながら、夫の仕事ぶりを驚きの目で見ている。いったいうちのシシュフォスは何に微笑んでいるのかしら?

シジフォスの神話で知られる強欲なコリントス王。罰として冥界で永久に急斜面を岩を転がし上げる仕事を課された。

 ……特別なる希望には、濃縮し沈殿し凝結してそのまま偶像(イードル)ないし神(クラークとチーホン・ザドーンスキイ)と化す能力がある。秘鑰(ひやく)は偶像と神の違いを見究めることにある。人間の精神的存在、その求むべき意味の中心はそこにあるのではないか。(悪魔による誘惑、僭称)。
 まず第一に、偶像たちは醜い。神々は美しい。神々には量目(メーラ)とリズムがある。神像(クミール)には不協和音と量目不足が(――フルィストにはさらに両目の色が異なる者、左右非対称の者、犯罪者が多くなる)。しかし美しい偶像もあるらしい……
 ……信者の顔はおのずと神と神像の輪郭を宿す。
 友よ、白と赤と緑による市民戦争を神と神像の戦争と捉え、そして青旗が掲げられたら、ちょうど少年たちが鉛の兵隊を動かすように、赤と白を利して動かすなら、真昼間の光に晒されてそこに神と神像が反射するのを見るだろう。神々と神像たちがしょっちゅう小さな兵隊たちを取っ替え引っ替えしているのがわかるだろう。そうなんだ、神々が赤を動かせば神像たちも赤を、神々が白を選べば神像たちも白を動かしているのだ……
 愛すべき(ミールィ)友らよ、平和な(ミールヌィ)住人たちよ、パンや脱穀キビを赤からも白からも期待してはいけない。彼らにもっと目を凝らさなくちゃ駄目だ。だってそうじゃないか、これは鉛の兵隊なんだから(殊にロシアの兵隊はいつだって鉛の兵隊だったんだ)。
 ……いのちが鉛そのものになって、われわれもみな鉛になってしまった。否でも応でも命令されたことをやっているのだ。
 兵隊さんごっこ(神像その他の虜になった神々)。

 ソスナー川を偵察してきた。プシカーリから来た赤を猛追したものの、白が翌日には退却したこと、白の数はほんのひと握りであること、各おの軽機関銃を手にし英国製の服を着ていることなどを確認する。その部隊はターリツァから途中エレーツに寄ろうとして川を渡ったが、やはり引き返したのだ。作戦は敵中偵察だったらしいが、われわれには大砲で雀を狙っているとしか思えなかった。あるメンシェヴィキが兵士と交わした話をしてくれた――『どこの連隊だい?』―『第二マールコフ連隊です』―『どんな政府を作りたいのかね?』―『旧政府みたいなやつ』―『憲兵隊の?』―『でも、憲兵たちがいたころは、まだパンがあったでしょう?』。明らかにこれは君主制に怯えるデモクラートの作り話だ。住民の負傷者は30名どまり、しかも全員「赤」。「白は市内で妄(みだ)りに発砲しない」――どれも民衆のレゲンダ、作り話である。

マールコフ師団(白軍)。これは、詩人のユーリイ・ミロリューボフの所謂『ヴェレースの書』の元の所有者だったアリ・イゼンベック(砲兵大佐)がかつて指揮した砲兵中隊(拙著『森のロシア野のロシア』第七章)。

 М。彼はオープィトの原からやって来た。すべてはっきりする。プシカーリからの水兵4000人のうちエレーツに戻って来れたのは80人。『なんで白がいつも勝つんだろう?』―『そりゃあ、あっちの将校はみな学者だからね』(ソヴェート権力の破滅はインテリゲンツィヤのサボタージュが原因だ)。
 白が後退したのは、自軍の多くを殺すか市内の多くの建物を破壊するかしなければならなかったからである。大砲(2つの連隊)は全部で8門だった。オープィトの原(チビーソフカ)の合戦はカザークの2つの部隊の間で起こったものらしい。

チビーソフカ? チビーゾフカはタムボーフ県の村、現在のジェールヂェフカ市(エレーツの東南、ヴォローネジの東)。

 チビーソフカ(オープィトの原の近く)でカザーク兵がコミュニストとそれに近い者たちの臓物を抜いて〔こてんぱんにやっつけた〕、略奪の限りを尽くした。このあとさらに詳しく調べて悪い奴らを銃殺すると約束したというのだ(が、もしかすると、第二マールコフという連隊は実在したかもしれない)。赤はカザーク兵を3名ばかり負傷させただけである。

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