2013 . 06 . 16 up
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*1エレーツ市の秘密警察(チェカー)のコメンダント。
*2「カガール」とは俗語で「騒がしい群衆」「喧しく飛び交う声」を意味する。もともとは16~19世紀のポーランドでユダヤ人自治共同体を、その代表者会議(長老会)を指す言葉。
明け方、庭に出て気がついた。ずぶ濡れのコクマルガラスたちがスレーチェニエ(奉献)教会の丸屋根に舞い降りるさい、えらく騒々しい音を立てた。はじめは何の音かわからなくて、これはひょっとしたら、北(エフレーモフあたり)からの砲撃かも、白軍がこっちへ向かっているのかもしれない――そう思った。教会の横を騎馬が7つ通過するとき、そのうちの上級中尉が訊いてきた――『この教会は使ったか?』―『使ったとはどういう意味です?』―『機関銃の銃座を置いたか、撃ったかと訊いている』―『いえ、使ってません』―『じゃあ、試してみるべきだ』
……したがって、君主体制とはおそらく社会についての無政府主義的な教義の国家的(つまり日常的)一形態、アナーキズムの生活の(進化の)一形態ということになり、一方コムーナは社会主義の原則的(つまり非現実的)形態、すなわち無限を有限に取り込んだ〔閉じ込めた〕ものということになる。
狂気の理性――神の創造〔神をでっち上げる〕と、神を2×2=4の公式とする理性の狂気。そうした勢力の出現を心理学的に追跡する必要がある。なぜならそれは、現代なるものの能因(刑事犯罪という形をとった理性の大胆不敵)の一つであるからだ。ロシアのコムーナこそはじつに、刑事犯罪の形でもって表現された理性の大胆不敵な志向なのである。こうしたものはどれも新しいものではなく、以前にもあったし未来にもあり続けるだろう――どんなことがあっても。しかし、この力の正体を知って、やり手の製粉屋、エレーツ商人ミトロファン・セルゲーエヴィチ・ジャーヴォロンコフとその従業員たるバルダー(阿呆)の幸せのために、最後の最後に2×2=4が社会主義イコール資本主義となるよう巧みに舵を切り、お互い儲けの分配のことで喧嘩をせず、誰をもそんな争いに巻き込まずに、ただもっぱら生きるために愛の力を解き放つようもっていくべきなのである。
彼らは、個の高度な教養と教育を火薬や鉄路その他の力のように、自らの議論の要求のために使おうとする。そして実行した。赤軍は、精神世界を対岸に置き去りにしたものの、インテリゲンツィヤの持つこの力には過分に執着した。〈羊頭〉のピーサレフが他と異なるところは、おのれの茫々たる岸なき精神的目的と意味をこちら〔赤〕へ引き渡してしまったこと……かくて一方はソスナー川を挟んで白となり、もう一方は赤となった……
きょう、電話機取り外しの委任状〔令状〕を持ってやって来た兵士(3名)を撃退。うち1人は部屋に入ってくるなりメチルアルコールを要求したが、なんとか追い払う。
同じ話題ばかり――ペトログラードの奪還、ボロゴーエの占拠、『白から軍師が来て町を24時間内に明け渡せと言った』も、話の定番。相も変わらず作られるのは希望的世界。
これは霧との戦争だ! 噂話がみな実現し、きのう言ったことがきょう事実になったとしても、人間について何か語られたわけではない。噂が実現しなければ、それは人間の創造物(作品)――希望的世界を示すに過ぎず、われわれは未来をその希望的世界からしか知ることができなかった。なぜなら、それこそが望むところのものだったから……
……夕方、通りの小さな店でニュースを耳にした。ターリツァにカザーク兵の姿あり。ということは、彼らがソスナー川の向こうで何かしている――北の方面から軍隊を強奪しにかかっているのだ。確かにありそうな話だし、期待に適っている。丸屋根に舞い降りたずぶ濡れのカモメたち〔前にはコクマルガラスと〕の鳴き声を今朝、〔北からの〕射撃の音と勘違いした……
中学生のロストーフツェフが信任のプリーシヴィン先生を気に入ったかと訊かれて、こう答えたという――『僕は彼を知っているし、ママもお祖母ちゃんも知っている。二人は僕に彼は馬鹿だと言いました。お祖母ちゃんは彼の書いたものを何か読んだのです。そして彼は馬鹿だと言いました』。そのときアレ〔クサンドル〕・ミハーイロ〔ヴィチ〕〔コノプリャーンツェフ〕は、わたしが昔、自分の地理の先生だったヴェ・ヴェ・ローザノフを馬鹿呼ばわりしたことを思い出させてくれた(自分はそれが因で退学になった)。それで今、わたし自身がそう言われたのである。わたしに何かいいことがあり、そのことにС.パーヴロヴナ〔ソーニャ〕が関わってないと、どうも嫉み〔嫉妬〕から〔彼女は〕わたしをちくちく刺す〔針を含んだ言葉を口にする〕ようだ……女の瑣末、下らぬ気紛れの世界、そんなのを見せつけられると、男の自由なゆったりした心の動きも散りじりになっていく。
労働者、教師その他の大衆に支配的な世界観は、マテリアリスティックなマルクス主義的なものである。だが、それに反対するわれわれは高等インテリゲンツィヤで、神秘主義やプログマティズム、アナーキズムや宗教的探求を満喫してきた。ベルクソン、ニーチェ、ジェイムス、メーテルリンク、オカルティスト、マルクシズム……でも、これは何だろう、これらを一つの言葉で何と呼べばいいのだろう?*イワン・アレクセーエヴィチ・ルースロフ(1855-?)はエレーツ市の医師。
*旧約聖書「創世記」第25章31-34節。アブラハムの双子の息子――エサウとヤコブの逸話から(1916年2月25日の日記にも)。
忘れないためにきのうのことを繰り返し書く。1)狂気の理性、すなわち神(不死)のでっち上げ。さらに理性の狂気というもの、すなわち神を2×2=4の公式と取り決める。2)チェカーとカルムィクの時代。3)君主国とアナーキズム。4)希望の世界――現実世界。5)マルクシズムとオカルティズム。
いつも午前10時に医師と自分は偵察に出かける。カザークが〔われわれを〕見捨てたのか追い出された(25露里先へなどという噂)のか、すぐには結論が出せない。12時ごろには町の様子から、「赤を受け容れた」らしいことがわかってきた。至るところで軍人や、なんとか食糧と燃料を確保しようする住民の姿を見かける。露天商や行商人がお菓子、林檎、ボタンなどを売っている。カザーク兵の姿は多くない――12人(12人のカザーク)から始まったが、今でも80人以上ではない。白軍の中央がベリョーフ〔トゥーラ県下の町〕付近にあることははっきりしている。10月18日付の「中央イズヴェスチヤ」紙が、ツァールスコエ〔・セロー〕とペテルゴーフとオラニエンバーウムが占領されたと報じている。誰もがかなりペシミスティックな噂――ヴォローネジ、キーエフ(オリョール市も)が白軍に占領されたという噂を信じようとしているようだ。だが、われわれの波(動揺)は完全に収まった。
最後の試練の時、最後の生存競争の時が近づいている。何か救う方策(てだて)を考え出さなくてはならない。エレーツ市の5万の住民が飢えと寒さから恐ろしい破滅の淵に立たされている。もうちょっとで白から逃れられるのだ、どうして待てないことがあるだろう? 波は収まった……自分はこう理解する――あれは偵察、デモンストレーションだったのだ。新たな攻撃はあるか、いや、ないかもしれないが、どっちだって同じこと。トゥーラ近郊での戦闘がわれわれの運命を決めるだろう――もし赤軍がそこで粉砕されれば。もし〔戦争が〕長引いて冬を越し、個の救われる状況が作られるようなら、いずれわれわれは自由になるだろう……偶然だ、偶然が引き離してしまったのだ。でももしN〔ソフィヤ・パーヴロヴナ〕との出会いがなかったら、もし自分に誰かと一緒だという気持ちがなかったら、ほんとに自分はたった独りになっていたのだろうか? いや、別れさせたのは偶然ではない。〈無意識に〉行動する――それはふつう、希望どおりに行動することを意味するのであって、ひとが〈意識的に〉行動するというときは、(希望通りではなく)希望に逆らって行動するという意味だ。
いいや、親愛なる友よ、きみを妻と別れさせたのは偶然ではない、それはきみ自身の望みだった。きみがそう欲したのだ。そしてきみはそれを利用したのだよ。概してきみは、どんな自分の希望もなぜか唯一最上の自由意志(ヴォーリャ)に適っていると考えて、そのため人生を、まるで前もって指示されていたことを実行するかのようにおのれの人生を歩んできたのだ。が、もし、きみの召命であるところの至上の自由意志(ヴォーリャ)の感情が弱い人間の添え木だったり、幼いころから〈エゴイズム〉に脅かされたエゴイストの偽善だったとしたら、どうだろう? きみの召命を正当化〔立証〕するものはどこにある? 著作か? 著作の意義はひとに読まれた時点ですでに著者自身を離れている。書かれたものはきみにとって意義を失うが、他人はそれについて自由に論じ合う。それが論争の意味であり価値であって……
……ほかならぬ人生の意義とは、経験された生の、幸福の充溢だ……幸福を危険に晒さぬよう心がけて、きみは常に自分自身のために生きてきた。そのため一段いちだんゆっくりと確実に、気持を抑え、おのれ自身の二次的希望を排除してきたのだ。きみの人生を描くとすれば、自由な猟人でありたいという一つの思いを全うしようとする苦行者のそれ……第2には塩漬けの茸(アカモミタケ)の風味を味わい尽くそうとする苦行者、第3には人類救済のために社会主義的な組織の道を歩もうとする人、そして第4に、宇宙を支配する神を内感する人(чувство Бога)。自ら選んだ希望の名において、あらゆるところに制限(抑制)と禁欲主義がある。富農(クラーク)にしてチーホン・ザドーンスキイ……。天のシシュフォス*だ。輝けるシシュフォスは便所を掃除している(なんせ春である!)。積もりに積もった糞は山となるが、空はいよいよ蒼くなる。シシュフォスは便所掃除……シシュフォスの妻は窓枠をはずしながら、夫の仕事ぶりを驚きの目で見ている。いったいうちのシシュフォスは何に微笑んでいるのかしら?
*シジフォスの神話で知られる強欲なコリントス王。罰として冥界で永久に急斜面を岩を転がし上げる仕事を課された。
ソスナー川を偵察してきた。プシカーリから来た赤を猛追したものの、白が翌日には退却したこと、白の数はほんのひと握りであること、各おの軽機関銃を手にし英国製の服を着ていることなどを確認する。その部隊はターリツァから途中エレーツに寄ろうとして川を渡ったが、やはり引き返したのだ。作戦は敵中偵察だったらしいが、われわれには大砲で雀を狙っているとしか思えなかった。あるメンシェヴィキが兵士と交わした話をしてくれた――『どこの連隊だい?』―『第二マールコフ連隊*です』―『どんな政府を作りたいのかね?』―『旧政府みたいなやつ』―『憲兵隊の?』―『でも、憲兵たちがいたころは、まだパンがあったでしょう?』。明らかにこれは君主制に怯えるデモクラートの作り話だ。住民の負傷者は30名どまり、しかも全員「赤」。「白は市内で妄(みだ)りに発砲しない」――どれも民衆のレゲンダ、作り話である。
*マールコフ師団(白軍)。これは、詩人のユーリイ・ミロリューボフの所謂『ヴェレースの書』の元の所有者だったアリ・イゼンベック(砲兵大佐)がかつて指揮した砲兵中隊(拙著『森のロシア野のロシア』第七章)。
*チビーソフカ? チビーゾフカはタムボーフ県の村、現在のジェールヂェフカ市(エレーツの東南、ヴォローネジの東)。
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