》成文社 / バックナンバー
プリーシヴィンの日記 太田正一
2013 . 05 . 26 up
(百六十三)写真はクリックで拡大されます
1919年10月8日
きのうの朝、チェルニーキンの屋敷の中庭で、教師と医師たちが塩の配給を待っていた。4フント受け取った。これで刻みキャベツが食べられる。建物はないが〈課は機能している)し、新しい課長(クローコフ)さえ決まっている。エレーツから40露里(ヴェルスター)(ドルゴルーコヴォとチェルブヌィの間)で戦闘があったようだ。これはリーヴヌィの部隊(グループ)がチェルブヌィから南東方面へ向かったため。彼らは赤軍部隊(オスコール-カストールノエ間で身動きとれずにいた)をそこで遮断しようとしていたのである。人びとは1プードの砂糖を肩に担いで家に帰った。医師のひとりは村から貰う自分の〔診療〕報酬(ジャガイモ一袋)を持って帰った。バザールで女たちは卵を砂糖1フントと交換している。イズヴォーリエの百姓たちは〔ソヴェートの〕領地を打ち壊している――破壊と略奪を繰り返し、何週間も車馬を好き勝手に乗り回している。月が出た。ひんやりしてくる。まさに秋、極上の美。散歩に出たいところだが、狭い中庭で我慢する。
虚しい心に訪れたある種の均衡状態……コルク張りの心とでも言おうか。
わがエレーツの人民教育課の前の課長(レーベヂェフ)が煽動容疑で逮捕された(ゴルシコーフは秘密警察(オフラーンカ)の職員、ブートフは村の巡査だったらしい。いずれも帝国の老いたる下僕たちだ。あんなに烈しくインテリゲンツィヤを憎んだ理由(わけ)もそれでわかるというもの――ちなみに坊さん連にはそれほど辛く当たらなかった)。だから旧勢力もレーニンの決まり文句〔公式〕の毛皮を被って〔口にして〕活動していたのだ。
カザーク兵が去ったら、人気のない町を酔っ払ったカルムィク人*たちが勝手気儘に押し歩き、赤軍がいなくなったら、今度はチェカーの手先どもが……
*オイラート系のモンゴルの一分派。16世紀、中央アジアの広大な地を占拠したが、内紛のため一部はカスピ海北西部に移住、ロシアの支配下に入り、遊牧から農耕に転じた。ラマ教(チベット仏教)信徒。
同志パコーイニク〔パコーイニクは故人の意〕。きょう、通りを赤い柩が演奏付きで運ばれていった。もし自由を死守しなければ(『同志パコーイニクは自由を守ろうとした!』)、われわれはみな〈同志パコーイニク〉と同じ運命を辿ることになる!――そんな演説があった。それに対して聴衆は口々に――「守ってパコーイニクになるなら、守らん〔わしらは〕どうなるんだい?」
南西方向(チェルノーヴォ)。町の先で砲声。スタローワヤには騎兵斥候隊が、ペンザにはマーモントフがいる(新聞には『〔マーモントフ〕捕縛!』の文字)という噂。暖衣〔外套〕を物色しているというので、神経がぴりぴりしている〔この時期シューバを盗られたらお仕舞いである〕。負傷した兵士は自分でジャガイモを掘り、パンがなくなって住人たちは町の牛をどこかへ連れ出した。食糧を山と積んでやって来るデニーキン――これも噂。
10月9日
喜びとは、未来(この先どうなるのか?)とは関係のない単に恵沢(ブラーゴ)であるところのもの――そう言われると、まあわからなくもない。じっさい大喜びし、得るところもあったのだし。じゃあ明日は? それはまったく別問題である。きょう「犂と槌」紙を読む。ヴォローネジもグラーフスカヤも占拠された、エレーツから40露里の地点で戦闘があった、こんなこともあんなこともあった――もうそれだけで嬉しい。そのうえ自分のシューバがコミュニストたちから強奪されずに済みそうだとわかったら、そこでも大喜びである。
〔軍〕病院の中庭で騒ぎがあった。頭に来た赤軍の傷病兵たちは自分たちが食うジャガイモを自分たちで掘りながら、白軍の負傷兵たちを殺す話をしている。
ドーザ・ドーラ。エッフェル塔が夢に出てきた。いるはずのない自分の娘のドーザ・ドーラが塔の上にいる。娘の親戚筋に当たるのが、皇女でバレリーナのイザドラ・ダンカン*だ。その子がわたしに――『塔の最上階を占拠した〈赤〉が階段をすべて破壊したから用心してね』などと言う。
*イザドラ・ダンカン(1878-1927)はアメリカの女性舞踏家。因習的なバレエを嫌い、ギリシアの舞踏を理想として、ギリシアふうのチュニックを纏い、裸足で即興的に自由な動きで踊った。ロシア=バレエ団のミハイル・フォーキンらに影響を与えた。詩人のエセーニンとの恋愛は有名。著書に『わが生涯』。
ワインの王様が読み上げた声明文はこうである――ワインの効用は心を和ませること、ひと口飲んだら、どんなに頑なな心も柔らかくなる云々。
10月10日
〔誰もが〕旦那(バーリン)を待っている。
エレーツではスタホーヴィチ〔プリーシヴィン家の隣人で有力な地主。前出〕の支援部隊を待っているが、どこでもそうである。どの町も自分のバーリンに期待をかけている。革命家も反革命家もまったく同じ。革命家はネズミ捕りからの脱出を願い、反革命家は恐ろしい捜査の手を逃れて〈生活(ジチエー)〉の自由を得たいと思っている。
デニーキンが中学生と大学生の一連隊を引き連れてやって来るらしい。食糧をいっぱい持って。今はそんな話ばかり。
こちらは塹壕掘りだ。きのう攻撃を試みたが失敗したなどと言っている。天気はぎりぎり持っている。雨になるだろうが、暖かい。いっとき風は吹いても、すぐに止むはず。
ザドーンスクとリペーツクの〈自治〉。いずれエレーツもそうなるだろう。つまり権力は消えてなくなり、百姓たちのバザールが日々の暮らしを決定するようになる。
熊。赤い荷馬車の熊。レスラーたち*が熊と格闘した。
*ロシアでは昔から放浪楽師(スコモローヒ)の連れ歩く熊たちの芸が大変な人気を博した。市の立つ日の見世物小屋ではよく力自慢のレスラーたちが熊と格闘を演じて見せた。作家のクプリーンも力自慢で、サーカス小屋の常連だった。
セックス。真実(ファクト)は種の放出。先立つ高揚とその後の墜落。行為自体は愛の小宇宙(ミクロコスム)*。ミクロコスム=アクトの本性。われわれの愛の感覚は――空の青い旗には雲と光線によって、黒い大地には花々によって、宝石店ではダイヤモンドのきらめきによって、すべて記録される。秋の庭では何によって記録されるか? シジュウカラの悲しげな鳴き声(その他)によって、である。妊娠―義務―労働―養育。子どもたち――過去の感覚がすべて映っている鏡。
*ミクロコスモス(小宇宙)に同じ。宇宙の縮図としての人間(16世紀の哲学)。
N.が白〔軍〕から逃亡。ハーリコフでは白パン1フント6ルーブリ。黒パン5ルーブリ、しかも大量に〔あり〕。兵士の配給が多く、食い過ぎから忽ち病気に(なにせ飢餓人がかぶりつくのだ!)。それでもN.は逃げ出した。プリシケーヴィチ*1は『君主制を下から!』と説き、外国人には偉大なロシアは必要ない*2と言っている。だが、外国軍はクリミアを包囲した。
*1プリシケーヴィチについては(二十八)を。極右団体のリーダーで、十月革命以後は反ソ組織の首魁。
*2ストルィピンの有名なパラフレーズ――『われわれに偉大なロシアが必要であるように、彼らには大変動が必要である』(1907年11月16日の国会でのストルィピン首相の演説)。
地主たちに3分の1の耕地(播種用)が戻される。
ユダヤ人が殺(や)られている。
ロシア人コミュニスト〈ワーニカ〉の背後にИцка〔不詳〕がいるからだ。教義はまだないが、旧体制を堅持するのだろう。
要するに、白の勝利は、彼らには食糧がこちらには飢餓という事実によって保証されている。だが、食糧のほかには何もないという状況にいずれなる……
一方は〈平等にする(パラヴニャッチ)〉(がそのあと追い出す)と言い、もう一方は〈均等にする(ウラヴニャッチ)〉(永久に)と言う。
きょう、こんなことを思った――社会主義的平等の理念は最後にはナショナルな理念をも栄養源にする、と。(自分はイグナートフ*によく似た男を知っている。百姓イグナートと編集者イグナートフ。両者の違いは技量の差だけで、その本性(国家(ネーション)において)は同じ。異なるところはない。イグナートフは高慢〔得意〕ゆえに自制心を失い、イグナートは平等主義の復権を図っている)。革命のこの「ブルジョア的」理解、社会主義的平等は、単にこの状態を永久的に固定したいだけであり、社会主義はその手段に過ぎない。
*母方の従兄のイリヤー・イワーノヴィチ・イグナートフ(1852-1936)。「ロシア通報」の共同経営者の一人で、社会政治評論家。(前出)。
10月11日
N.が言う――自分の白軍での活動は短期間。故郷の町の門を開け、鍵を渡して、それでお仕舞いだ。とにかくよその町に行く。白に鍵を渡すのは、時代(、、)がそれを必要としているから。何事にも潮時〔時期〕というものがあるんです。
社会主義者、セクタント、狂信者――これらの人びとは、永遠の価値を胸に抱いて人生を始めながら、ほんらい溌溂たるはずのそれ〔生活〕をおのれの公式〔決まり文句〕でがんじがらめにしてしまう。堤はしかし水を堰き止めるが、いずれ生命の水はどんなダムをも決壊させずにはおかない。もちろん、今はプリシケーヴィチが問題なのでない。問題なのはシャベル、〔堤に〕穴を開けんとしている彼のシャベルのほうだ。だからこそ、あんなに烈しく白の報復を待っていたК(カー)がプリシケーヴィチの噂を耳にすると、たちまち赤〔軍〕に身を翻したのである。プリシケーヴィチ輩が何をしようと(黙っていようと)どうでもいい……その名がやたらおぞましく不愉快なだけ。
唯一許された鐘楼の、ミサを告げる鐘が鳴る。そのひび割れた音。そぼ降る秋雨。遠くの砲声が窓ガラスを震わせる。今は誰も〈自然〉どころではない――寒いのに薪が足りない、そこで改めて自然の推移に気づかされる――それだけのこと。きょう教会のそばを通ったら、歌声が聞こえてきた。人間たちの歌声だ。ふと気がつくと、傍らの美しい楓(カエデ)の木からぱらぱらと葉が落ちてきた。自分は思った――ああ、こここそ唯一くつろぎ(ウユート)の場所=教会なのだ、と。だから教会の歌声で、葉を散らす楓の存在に気づいたのである。われわれの宇宙的(コズミック)な調和のイメージはこのように、われわれの生活建設(だが、ひょっとすると、反対にわれわれは、宇宙のハーモニーを観照することでウユートをつくってきたのかも?)の影響の下に、出来上がったのだ。しかしいずれせよ、家の竃(かまど)(家庭)を失くした人間には宇宙も宇宙論もどうでもいいのだ。外が吹雪だろうと雨だろうと、明かりがテーブルのまわりを照らしている家は居心地がいいのである。どんなに心が荒れ模様でも、家の中ならまだ救われる。だが、家の中がめちゃくちゃ(国家も家も同じ)なら、月も星もどうでもよくなってしまう。今は誰にも家が無く、残されたのは教会だけである。信仰を失っていない者の心にあるのは家。その家の石碑にこんな遺訓が記されている――
Ⅰ)生きているわれわれはみな、死者たちの奴隷のように生きている。
Ⅱ)生きているわれわれはみな、勝者が死(スメルチ)で、虜囚が生命(ジヴォート)である。たった一度の戦争の結果を今、われわれは耐え忍んでいる。
Ⅲ)真の権力を手にしているのは死者たち。生者の権力は暴動(ブント)、烈しい要求、暴力だ。である。
10月12日
数学教師のアントニーナ・ニコラーエヴナ・サフォーノワは毎週、新しい問題を解きながら暮らしている。この実務に長けた女性の前に毎日毎時立ちはだかる新たな問題は、すべて自身によって正しく確実に解決されていく。でも、その心には未知の問題が残っている……彼女の心は未知なるものが存在する方程式の半分であり、その生活は解かれたものの半分にすぎない。この時代、共に生きていることが嬉しい(ハラショー)と思える人たちは貴重な存在である――彼女はそういう人間。
社会主義――数限りない問題を解かんとする試み。
暮らしの中でわれわれは解決を時によって限定し、結果を強調しつつ部分的に問題を解いている。一日二日一年に限れば、それは正しい。だが社会主義は、永久に解いて解いて解き続け、しまいには神そのものをおのれの公式〔決まり文句〕に封じ込めてしまうはず。
ミサを告げる鐘の音が町中に響き渡る。大村(スロボダ)の教会の割れ鐘(アグラマーチ)だが。
正午近くになって完全に夜が明けた。南西の方角から一斉砲撃があり、次第に烈しくなる。部屋にいても聞こえる。
「マーモントフ捕縛」の謎が解けた。「マーモント村占拠さる」が真相。誤解も甚だしい。
10月13日
今は大砲の音が新聞代わりだ。だいたいをそれで推し計る。きのう、だいぶ近くで撃ち合いがあった。あすはどうか? 誰もが変化を期待しているが、通りを歩いているのが誰なのか、われわれはまったく知らない。人気のない村を歩きながら、ときどき聞こえてくる断続音だけで、自分なりに予測を立てる。コミュニストのサリコーフは、〈君主制を下から!〉と呼びかけたプリシケーヴィチのことを話してくれた。それから、外国勢は今ロシアどころではないこと、われわれはすぐにも新たな大戦争に備えなくてはならない――そんな話をしていった。そのことから自分は、プリシケーヴィチがドイツ志であること、現在南にはカデットとおそらく協商国(ボリシェヴィキと戦うために一時的に同盟を結んだ)であろう二つのパーティーしかいないことを読み取った。われわれは今、遠く近く砲声を聞きながら自由の到来を待っている。明かりがなかったころの村の百姓たちのような暮らしをしながら、かつて百姓たちが土地を期待したように、われわれも今、解放者のパンを待っている。
理念(イデー)なしの生活。イデーが今では、秘密の、悪賢い、敵意に満ちた陰謀(ザームィスルィ)のように思われる。
そして冬に向けてあれこれ計算をしながら、いやこれはなんとか生き延びられるのではと自らを慰めているようなとき、われわれは、残りの人生があと数年、いや数ヵ月か数日かもしれないということには気づかない。たとえ生きながらえても、何のために生きながらえているのか、わからない。本能のようなものが呟くだけだ――こうした経験こそ真の平和な生活なのだ、と。もうあと一歩で本当の人生(あの世の)だ。(同志パコーイニック、教会の心地よさ(ウユート))。
あの世の生活の理念(イデー)とその起源。
われわれはみなひとつの戦争の結果(帰結)であり、その罪と呪詛を身に負っているが、生きている人間はそれに服することができない。われわれは一本の藁(わら)にしがみついているのだ。わたしは自分を幸福な脱走兵のように見なして*、遠くカフカースの海のほとりで暮らすこと、戦争から遠く離れて、新しい庭をつくることを夢見る。
*後年、プリーシヴィンはそれを中編『生命の根―チョウセンニンジン』(1933)で描く。こちらは第一次大戦でもカフカースでもなく日露戦争。舞台は極東沿海州の森の中。
罪は恐怖ゆえにあるし、しばしば恐怖は受けるだろう罰を身近に感ずるときに生ずる。だが恐怖と危機がなければ罪悪感は生まれない。何をやってもいいような気になる。ラーンスカヤ〔またはランスカーヤ。ソフィヤ・パーヴロヴナのこと〕はその「堕落」のあとで(彼女はその状態を勝利と見なした)おのれの罪深さに懊悩した(『あたし、本当の嘘つきになったわ』)。それがナニゴトもなく〔罰を受けずに〕過ぎたとき、彼女は子どものように喜んだ。それで再び罪を痛覚したら、もうそれを勝利のように思い始めたのだった。かくして無思慮は偶然(スルーチャイ)の軍馬に跨り、しばらくは罪(グレーフ)の狼穽(ろうせい)を避けながら、堂々疾駆した。
熊と戦車。深夜、腫物が破れる。第42師団が後退して、白軍はスチェパノーフカからカザキーまで攻撃前進中。またもや民族移動。通りの車列に馴染みの熊が現われた。熊は馬車ともども南のドルゴルーコヴォへ行っていたのだが、今は北の古巣に戻るところだ。雄牛も駱駝も歩いている。白軍の渋滞はナーベレジナヤで跳ね橋を揚げるのに手間取っているせいだという。だが本当は戦車が原因なのである。恐ろしいのはカザーク兵だけではない。
まさに大洪水。またもわれわれは新たな岸が姿を現わすまで、潜ったり沈んだりいていなくてはならない。
町から消防車を運び去る(盗み出す)――こんなことがどうして頭に浮かんだのだろう? 自分たちは今、産院の医療器具を持ち出すか置いていくかを議論している。
きょう地理の教師に任命された。それも、子どものころアメリカへ逃亡を図り、そのあと地理の教師のВ(ヴェ).В(ヴェ).ローザノフ(今は故人となった*)によって退学させられた〔母校〕エレーツ高等中学の教師に、だ。
*ワシーリイ・ローザノフは1856年に生まれ、この年(1919)に亡くなった。
10月14日
聖母祭(ポクローフ)〔新暦10月14日〕。狭い中庭がマロースのレースをすっぽり被っている。朝早くからリョーヴァが――『ねえ、お父さん、ここは白なの?』。それにはこう答えた――『いや、たぶんまだ赤だ、教会の鐘が鳴らないから』と。通りに目をやる。南から歩いてくる者、てんでんばらばら。凍りついた体を寄せ合いながら退却していく者。みな第42師団の兵たちだ……
10月15日
現状の評価に際してはリョーヴァのことも熟慮すべし。彼の曰く――僕には今がいちばん好い時(ハラショー)なんだ。こんなこと、これまで一度もなかったからね。
きのう二人で窓枠を嵌める。それで夜の音量が変わった。目を覚ます。耳を澄ます。戦闘らしい! 音が途切れないので、逃亡中のバネ無し馬車のガタゴトだろうと思っていたが、そのうち波のようにドーンドーンと爆発音。逃亡兵をめがけて大砲を撃っているのだ。寒くて堪らないが、起きて服を着る。ランプに火を点けて外へ出た。なんと戦争の真最中である! 雨がざあざあ降っている。庭を吹き抜ける突風。屋根がバタバタ鳴っている。
緑*がやって来て、地下の穴蔵を借りると言う。〔家賃代わりに〕塩1フント。彼らは赤と白の隙間〔空白〕で一時しのぎをし、そのあとウクライナへ〈ずらかる〉算段なのである。
*緑軍――この時代(1918~20年の国内戦時代)に白軍とも赤軍とも闘った、主として農民脱走兵から成る非正規軍部隊(農民パルチザン)。クリミアやカフカースで活動。森林に隠れていたことから〈緑軍〉と呼ばれた。
赤と白の空白は一時しのぎでは済まないかも。ザドーンスクでのそれ〔一時しのぎ〕は住人たちの思いと合致したのか〔どうか〕、自由な取引が始まり、物価は安くなった。やって来たのはカザーク兵なのに、白軍兵と勘違いして歓待(フレープ・ダ・ソーリ)*したらしい。しかし実際は、赤が白を装ったのである。それでザドーンスクの市民はこっぴどくやっつけられた。わがエレーツ市民もそうならない保証はない。いや、わからない! マーモントフが何をしたか、エレーツの市民はよく憶えている。もしかしたらザドーンスクの事例を彼らは自分たちへの警鐘にしているのかも。
*パンと塩(フレープ・ダ・ソーリ、またフレープ=ソーリ)。大型の丸パンに塩を添えて客を迎えるのは、ロシアの古くからの習慣。
通りの光景――住人たちは引きずっていく、それこそありとあらゆるものを。権力はひとつ去り、またひとつ消え……
不確かな話ばかり。〔全〕地区が〔以前の〕郡警察分区に組み込まれるとか、すぐにもカザーク兵がやって来るとか。どの課も閉鎖されると思っていたら、突然、「〔課は〕機能しています」、給料を払うなどと言い出す……
〈空白〉への期待と不安(自己嫌悪症)、緑〔軍〕の出現。
text - 太田正一 //scripts - Lightbox PageDesign - kzhk
》成文社 / バックナンバー