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プリーシヴィンの日記 太田正一
2013 . 05 . 06 up
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1919年4月15日(の続き)
軋轢の真相。「何によって宗教上の真理は定義されるか? 教会権力の決定によってか、それとも民衆の古くからの信仰への忠誠心によってか」。論争は教会権力が〈優しくも勇敢なる将校〉の権力と交替することで幕となったが、俗人〔僧侶に対する〕の忠誠心は導きの星(これは自分なりの言い方)を失った。
「わたしは彼〔ピョートル〕を偉人と呼ぶことをためらう。それはそう呼ばれるほど偉大でなかったからではなく、彼が神話的巨人たちにより近かったためである。神話に出てくる巨人たちのように、彼は人間の姿をした大なる自然力、自らの内よりもっぱら外へ働くスチヒーヤだった。ピョートル大帝は自分の行動の最終目的やキリスト教国家、とくにロシアにおけるより高い使命についての明確な意識を持ってはいなかった」〔ソロヴィヨーフの「ピョートル大帝を擁護して」〕
スタホーヴィチの蔵書を救出する件でナヂェ〔ージダ〕・アレク〔サーンドロヴナ?〕・オガリョーワの家に行ったが、こちらに向けられた(自分に由来するものか?)貴族に対する以前の階級的憎悪が感じられた。確かに、自ら味わった未曾有の苦の経験から何かを学んだ人は多くない……
彼らが夢見ているのは、かつての自分の領地へ戻ることだけ。だから戻る道みち祖国(ローヂナ)を思い出すことは決してない。木々が彼らに向かってお辞儀することはなく、ローヂナの木は残らず伐り倒されるにちがいない。
通りで立ち話――
「コルチャーク*1が来るぞ!」
「こっちへか?」
「そうだ、来るんだよ!」
彼らはこれまでも飽きることなく外からの救助を待っている……
見えざる城市キーテジの待望。
これでわたしの本は完成。題を付けたいので、いろいろ考える。見えざる城市というイメージはいったいどこから出てきたのだろう? 奥ヴォルガの旧教徒(スタロヴェール)*2に会う前からあったのか? いや、それはない。では、誰がその話〔湖底の鐘の音〕をわたしにしたのだろう? すると自然にメレシコーフスキイの顔が浮かんできた。キーテジで彼に会ったという人たちのことを思い出した。そのことを手紙に書いてやった(そうだ、そうだ)ら、メレシコーフスキイからもすぐに返事が届いた――会う日を指定してきたのだ。
*1前出。アレクサンドル・ワシーリエヴィチは帝政ロシアの提督(1873-1920)。1918年、イギリスの支持で反革命政府(オムスク政府)の陸海相、ついでクーデターで軍事独裁権を握り、ロシアの最高統治者を自称。連合軍(シベリア出兵)と呼応し、対ソ干渉戦を主導した。のち赤軍に敗北し、イルクーツクで銃殺された。プリーシヴィンと同い年。
*2プリーシヴィンの奥ヴォルガへの旅(1908)については『巡礼ロシア』を。自分の前にメレシコーフスキイと詩人で妻のギッピウスがかの地を訪れたことを知る。『巡礼ロシア』の最後のところで、のちにペテルブルグからメレシコーフスキイが送ってきた手紙や本や雑誌の話になった――「その作家〔メレシコーフスキイ〕は、いったいおたくたち〔奥ヴォルガの宗教セクトのこと〕に何を書いてきたんだろう? 話してくれないか?」―「あの人は、霊によってすべてを知ることができんということと、キリストはまことに現身(うつしみ)のまま復活したと言っておったですな』(中略)「……宗教・哲学会のすべての会員について質問される。彼らの話を聴きながら、わたし〔プリーシヴィン〕の方はこんなことを考えている――『きっと秘密の地下道のようなものが、これら文化人とこの森の非祈禱派をつないでいるんだ。まるであっちとこっちと、同じ岩層の露頭鉱脈が、二つ同時に見えたみたいだ』」
郷土誌(地誌)学の講義に寄せて――
森の中か冬の野原で道に迷ったときのことを思い出してみるといい。ほら、ここは森だ。
鬱蒼としたふるさとの森、きみを育ててくれた土地の森なのだが、きみはそこがどこかわからず、まるでよその国の人間のような目でただ眺めている。そこはきみに目にどう映っているのだろう? しかしふと気がつく――そこには心惹かれるものが何もないことに。自分が生まれ育った場所、花……ひと息つけるという、まったく別の喜びをよろこんだけで、魅するがごとき夢、心惹かれるようなものはすでに忘却の彼方である。それらはまったく異なる二つの感情だ。きみは大地と花でいっぱいの野を眺めやる。すると、そこだけは自分の国ながら素晴らしく思えてくる。でも河川の氾濫に目がいくと、ああこの大洪水はまるで海、大海原ではないか、これこそ世界の歓びではないか! 自らの土地をよく知りよく理解するには、そこで道に迷うこと、そして改めて見、驚き、愛することが――新しい目が必要だ。
詩人、作家、学者は、われわれの内に新しい感情を発見し新しい知識を提供する者たちである。新しいものを提供するために、詩人たちは、おのれの内なる古いものを破壊し、廃墟をさ迷って、新たな光を見出した。
それができるのは、個々の、ごくわずかな人たちだった。しかし今では誰もが自分の古いものを壊している。そうしたいと思えば、誰にでもそうすることができるし、そうしなくてはならない――しっかと自分の目で自分の故郷(ローヂナ)を見なければならない。
そのとき、個人的に経験のある者たちは人びとに力を貸して、彼らがよく見えるように見晴らしのいい丘を教えてやることだ。
牽引(チャーガ)と愛(リュボーフィ)。〔тяга=引き寄せる力〕
二つの感情が――大地と海への思い。
大地のチャーガ――内へ、家の中へ向かう力と、海のチャーガ――家を出て神の世界へ向かう力。
われわれの歴史。その第一期(ペリオド)はモスクワ――大地のチャーガ、第二期はペテルブルグ――海のチャーガ。
現在は二つのチャーガが交錯した時代る。
いま必要なのはその二つの感情を一つにすること。ルーシ集合の事業と人間集合の事業。何がこれとそれとを合体させるのか? 人間――創造的存在たる人間はその創造の過程で二つのチャーガを一つにしなければならない。
われらの為すべきことは、その道に立つことを望む人に手を貸すこと、大事に一人ひとりを援けること。
4月17日
愛には周期的停滞がつきもの。そのとき、愛する人たちは――『いいえ、あなたはわたしを愛してない!』と言う。だが、そのあと〔愛の〕発作が始まれば――『わたし、あなたを愛してるわ!』を繰り返す。そのためモチーフはいつも『〔花びらを毟りながら〕愛してる、愛してない』なのだ。
ロシアにおける民族的(ナショナル)な問い。ウラヂーミル・ソロヴィヨーフ――「個人的利益の放棄、エゴイズムへの勝利は、エゴそのもの人格そのものの廃棄ではなく、反対に、そのエゴをさらに高度な段階へと押し上げることである」
《道徳と政治の間の完全分離の中身は、現代を支配する謬見・誤解・悪意である》
(この国家〔ソヴェート体制〕は戦時下に現われた赤い惑星(プラネット)。われわれ人間の諸法則とは似ても似つかない動きをする)。
「放棄するなら良心より愛国心だ」
「エムピーリキ――経験のみによる知識〔理論的に分析されていない知識〕。イギリス人はファクトを相手にし、思想家たるドイツ人はイデーを相手にする。一方はナロード〔民族・国民〕を収奪し抑圧し、一方はナロードノスチ〔民族性・国民性〕を抹殺する」
「文化的使命のイデーが自立的かつ有益的(実り多い)であるのは、それが見せかけの特権ではなく実際的な義務と、支配権ではなく奉仕と見なされるときだけである」
「われわれはナロードノスチをその成果(結果)によるナショナリズムと区別している」
ナショナリズムとは〈人力(兵力)〉から抽出されたナロードノスチ――自覚的(意識的)な特異性(優位)にまで研ぎ澄まされて、その切っ先がすべての生きものに向けられところのナロードノスのこと。
(コミュニズムについてもまた然り)
〈偽称のミッション〉……(ボリシェヴィキ)あるいは〈歴史的義務〉。
「それでもなお人間は論理的な存在であり、個人の主義と政治的活動との間のモンスター的二重性にそう長くは耐えられない」
「義務ないし道徳的奉仕のキリスト教の原則は政治的活動の完全な原則である」
「絶対の最高善は全世界的救済事業……あらゆる自己犠牲のための十分な基礎……であるのに、自国民の利益のためになぜ自分の個人的利益(利益の土壌)を犠牲にしなければならないのか、よくわからないのである」
「ナロードノスチはわれわれが仕えるべき至高のイデーではなく、それ自体が至高のイデーに仕えるべき、自然的かつ歴史的な生きた力なのだ」
これらの意見は「エゴイズムなしにナショナルなもの、カピタリズムなしにユニヴァーサルなもの」である。
「ナロードノスチが信仰と奉仕に値する対象(もの)であるためには、ナロード自身が至高至善の絶対〔的な何か〕を信じてそれに仕えなくてはならない。そうでなければ、ナロードを信じナロードに仕えることが単に群衆を信じ群衆に仕えるだけのことになってしまう。
「ナロードはその天性において偉大な土の力、大地の力そのものである。しかし創造的力となるには、成果をもたらすためには、すべての大地の力として、ナロードノスチは、外からの働きかけによって実り豊かなものにならなければならない。そのためにはそうしたさまざまな外からの働きかけ(感化や影響)に対して開放されていなくてはならない」
「そのためには、ナロードのさまざまな性格を、また宗教上の真理の地上的具現の美と礼拝の象徴(アトリビュート)としての多様な特徴を、大事にしなければいけない」
「民族的自意識の目覚め――すなわち地上に神の王国を実現すべく礼拝手段としての自己認識」
「ナロードたるわれわれが破滅を免れるとすれば、それは民族エゴイズムや自惚れによってではない、民族的な自己犠牲と民族=個人の利益放棄によってなされるのだ」
4月20日
復活大祭(パスハ)の二日目。ブーニン*を読む。彼は貧血気味の貴族の息子だが、でもまあこっちだって、嬉しげそうな顔をした小店主の子孫(堕ちた旦那(パン))であるわけで。
*作家のイワン・ブーニン(前出)。同じ中学の先輩(ブーニン)と後輩。先輩は自主退学、後輩は強制退学。ブーニンはヴォローネジの没落貴族の裔、プリーシヴィンは一度破産した商家の出。初めから肌合いが違うというのか、お互いあまり好きでなかったのに、なぜか現在、出身中学〔エレーツ高等中学〕の壁に2人の名を刻んだ記念のプレートが掲げられている。ちなみに、同輩の友人アレクサンドル・コノプリャーンツェフの妻(ソフィヤ・パーヴロヴナ)の兄(チーホン)も、この中学の地理の教師(のち大いに出世した)。何の因果か、十五の春にプリーシヴィンを退学に追いやったワシーリイ・ローザノフも地理の教師で、コノプリャーンツェフはそのローザノフの愛弟子。コノプリャーンツェフは哲学者で批評家で作家で軍医で外交官で検閲官だったコンスタンチン・レオーンチエフ(1831-1891)の研究家でもある。
二つのプラン――仕事で土地とつながるか、それがかなわなければ、すぐにもここを離れる〔ドロンを決め込む)。
〔ここから約5ヶ月分の「日記」が見つかっていない……〕
9月22日
コミュニストから聞いたのは、マーモントフ*が捕まって「センター」に送られるらしいということ。Nによれば、マーモントフはボブローヴォで包囲されたが、駆けつけたデニーキンに助けられ、そのあと自ら第8軍〔赤軍〕を包囲し、幕僚たちを捕縛したという。クールスクも5日ほど前に占拠された由。
*短編「わたしのノート」(『プリーシヴィン森の手帖』所収)に、白軍将校マーモントフによるエレーツ市占拠時のエピソード。
「今ようやく人びとへの愛を――生きている喜びをアピールするそれらの勢力がどんな黄金であり、どんなに稀有のことであるか、そうした力がいかに貴重であるかを知り始めたところだ」
「新聞は〔学校の〕授業が再開されたこと、ルチコーフの独立農家(フートル)でジャガイモとビートを穫る許可を与えたことなどを報じている。朝、無駄とは知りつつもリョーヴァを中学(ギムナージヤ)に送り出した。はたして夕方になって校長と女房がジャガイモとビートを盗んで帰ったことが判明」
「コミュニストたちのユダヤ嫌い(ユドフォープストヴォ)はオーガニックな現象だ」
「高潔の人イワン・セルゲーエヴィチがいなくなったら、親戚たち(小市民の蛆虫ども)はすぐさま彼の所有物(もの)を奪いにかかった。魂が地上を離れると、地中の蛆虫が這いずり出てくる……。瀕死のロシアも同じ。蛆虫どもが体に喰らいついている。まだ魂はそこにあるというのに。わが遺体は蛆虫でいっぱいのクリスタルの容器さながらだ。遺体に蛆虫どもが喰らいつき、ロシアは大蛇(うわばみ)に絞め殺された」
「白い週*。リョーヴァが窓の外に目をやる。通りを3人の豪傑(ボガトゥイリ)が、ドブルィニャ・ニキーチチが行く……さらに目を凝らしていると、スレーチェンスク通りの角に驚くべき〈怪物〉が。(リョーヴァが言う――『自由を論じて決して自由でない人たち、でもあの人たちは自由について何も話さないけど、自由なんだね!』)」
*エレーツ市がマーモントフ(白軍)に占領された時期を〈白〔軍〕の週〉と称した(?)。
9月23日
エリザ(…)・ワシーリ(…)がニュースを持ってやって来た。彼女たちのとこの借家人であるコミュニストが慌てて戻ると、女房に向かって――『さあ急いで荷物をまとめろ、カザーク兵が来るぞ!』。スィチン一家。支部での噂の検証。女房たちの疎開。交付金。農民を教育するという。パニックの発生。夕方、区の警察署長がやって来て――『さあ野良仕事だ!』。夜、聞いた噂は『シクロー*がカストールヌィからこっちへ向かっている。着くのはあさってになる。奴はがっちり権力を握っている』と。
*アンドレイ・グリゴーリエヴィチ・シクロー(1887-1947)は白衛軍陸軍中将。1919年、南ロシアで騎馬軍団を指揮したが、1920年に亡命。第二次世界大戦ではヒトラーに協力し、1945年にオーストリアで逮捕、ソヴェート側に引き渡さて処刑された。
石鹸のひとかけらで内輪もめ。そんなつまらぬことで神経がぐちゃぐちゃになる。
深夜の1時半に目が覚めた。外でユダヤ人とコミュニストの動き……明かり。箱にものを押し込んでいる。何もかもが息づいて、まさに〈最期の夜〉という感じ。『一緒の貨車で行こうよ』と誰かが言っている。疎開だ……夏のように暖かい夜、星月夜。
9月24日
ユダヤ人とコミュニストが大型車輌3台連結の「列車で」引っ越していった。同宿の住人たちもゴルドーン〔予審判事〕一家も一緒だった。彼らのアパートがほんのしばらく乗務員の詰所になった。リーヴヌィ占拠の噂。ついに新聞がクールスク陥落を報じた。わがエレーツのコミュニズムの指導者たちは憔悴し、仕事も手につかないありさまである。どこもそんな状態なのだろうか? そういうわけで、事件の結末は(コムーナのことについては)客観的に,(コミュニストのゴルシコーフの人となりについては)はなはだ主観的に想像するしかない。イズヴォリで農民蜂起。徴発隊が追い払われた。「一人の犠牲者もなく、平和裡に排除された」らしいが、要するに、ただ逃げたということだ。
9月25日
支部でのパニックが収まり、10月分の金の支給が停止。噂が流れた――カストールノエにカザーク兵はいない、クールスクは戻った、ロストーフも……だが、通りでは、嘲って――『赤軍はラ・マンシュ〔イギリス海峡〕を渡ってロンドンを占拠したってよ』などなど。一日、何事もなく平穏。ルチョークの上空をわが国の飛行機が旋回している。夕方になって女たちがぺちゃくちゃ始めた――『ザドーンスクの男〔百姓〕たちがカザーク兵を連れてこっちに向かってるわよ』。
逮捕されモスクワに送られた人質たち、その子どもたちがレベヂャーニからやって来た。いつものように彼らのことをセマーシコ〔プリーシヴィンの友人で大物ボリシェヴィキ(前出)〕に紹介する。子どもたちは大喜びだ。お礼にとパンを貰う。
小さな、どうでもいいことはスムーズに行く。隣人のサーハロフの財産は、彼が村へ逃げたため、没収された。通りが少し活気づく。またボタンや小さ梨や何やかやを売り始めた。
前線から戻ったロストーフツェフの知人の現況報告――カストールノエ、ヴォローネジ、リーヴヌィが占領下にあると。要するに、夜には誰もが、朝の情報は嘘かもと疑い始めるのである。
もし向こうにしっかりとエレーツを占領する計画がなく、かといってここから逃げ出せず、次つぎ町の支配者が変わるなら、われわれの暮らしは無人の家の南京虫も同然で、いずれ干からびた骸(から)になってしまうだろう――しかも、敵意に満ちた骸に。乾いてぱさぱさの快楽だ、淫欲だ。そいつが突然、町を占領し、敵意と憎悪そのものになる。
主なしの持ち物を相手に大わらわ。なかなか面倒な仕事だ。屋敷やわれわれの経営に痛打をとの期待が常にかかっている。ひがな誰かと会っている。誰かが言った――いま暮らすならワルシャワがいい、町はきらきらしてるし、店もレストランもある。見てみろ、ここにあるのは恐ろしい生活だ。うろついているのは野蛮人ばかりで、とても耐えられない。親たちは理由もなく銃殺刑を宣告され、どこともわからぬところに連れていかれて、遺された者たちは永遠の恐怖、恐怖のどん底で食糧を求めて右往左往している。裸の原っぱで鷹に狙われるシャコと変わらない――身を隠す場所がない。しかしそれでも時節は秋、天高き9月の王冠〔最上〕の一日もある。ペチューラの崖を眺めながら――『ああほら、これが永遠だ。どうだい、ほら、僕らはみんな上機嫌!』。
学校が再開されるらしい。あすリョーヴァをやらなくては。リョーヴァはぼおっとしている。頭があまり働かない。
町を出て、森のきわに立つ、そして銃を手に野ウサギが飛び出してくるのを待つ。今はそれがいちばんの幸せ。これ以上は何も望まない。ああ、でもやはり、どこか人目のつかない片隅に――きみのいる場所、きみの声が掛からなければ誰も入れない隠れ家(ウーゴル)に身を置きたい。
今われわれが味わっている苦痛〔拷問〕は度が過ぎて、何か無限なるものへの漸進性、継続性、意識がほとんど、いやまったく意味を成さないほど恐ろしいものになっている。これは地獄、コムーナという通り名の地獄だ。小さなコミュニストたちは上の連中〔小ボス〕を非難する、小ボスたちは首都の大ボスたちを彼らが一向に〈折れない〉ので非難する――そうしてみなしてコムーナを非難し罵倒する。これを救うにはポストの交替を決断するしかない。ここ〔エレーツ〕は土壌そのものがどっぷりと毒液に浸かっている。
やって来た農婦が言った――ザドーンスクの百姓たちが今、カザーク兵を引き連れてこっちに向かっている、と。機関銃を装備した中隊が通過していった。歌をうたいながら整然と。ただし臆病者が2名いて、いかにも挙措が変だった。そのためか〔暴徒化した百姓やカザーク兵と遭遇したら〕たちまち中隊全体が蜘蛛の子を散らすように逃げ出すだろう〔と思ってしまった〕。
鐘楼が封印されているので、鐘は鳴らず、嘉音(かいん)は聞かれない。
住人は食糧、〔たとえば〕砂糖の分配のようなことにしか関心がないし、政治活動家は〈発言〉に振り回されながらも自分たちの綱領の公式に従って(その公式がお払い箱にならないあいだは)論争し続けている。空言(そらごと)の感化力はヤーシカに見られるていのもの(ヤーシカ曰く――『僕は出世主義者(カリエリースト)だ』)。
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